大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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七郎 観音堂の庚申塔(安岐町)

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七郎 観音堂

 安岐町吉松は前谷の最奥、七郎部落の観音堂そばに立つ庚申塔を紹介します。3基あります。

 

 安岐市街地より県道を安岐ダム方面に進み、鳴川交叉点を右折しオレンジロードを武蔵方面に進みます。2つ目のトンネル「七郎隧道」手前を左折し、七郎部落に入ります。または、吉松は一ノ瀬部落から前谷線を上っていってもよいでしょう。

 ごみ捨て場を過ぎてすぐ、カーブミラーのあるところを右折します(角に石碑がいくつか並んでおり目印になります)。簡易舗装の道を進み、屋敷が途切れて田んぼの横を進むと、右側に林道が別れているところがロータリー状の三叉路(※)になっていますので、ここの端に、邪魔にならないように車を置くとよいでしょう。

 今来た道を歩いて下り、田んぼ2枚を過ぎて、3枚目のところから左に進む舗装路(車は不可)がありますので、その道を進みますと、左上に冒頭の写真の光景が見えてきます。観音堂の少し手前です。

 または吉松本谷線を上がっても※の箇所に行くことができますが、離合のできない狭路が長く続きますので、おすすめできません。

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青面金剛4臂、2童子、3猿、2鶏

 風化や苔による浸食が目立ち、全体的にぼんやりしてきているのが気がかりです。そのためか、青面金剛の表情は険しいのに、どこか愛嬌も感じられるような気がいたします。髪や衣紋の表現を見るにつけ、元々はかなり彫りの細かいものであったことが推察されます。また、この塔は板碑型であるのに、千鳥破風を刻んであるのが特徴的です。3つの塔の中では最も小さいものですが、なかなかの存在感。かつて倒伏したことがあるのか、下部を見ますと石を噛ませてあります。

 

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青面金剛4臂、2童子、3猿、2鶏

 こちらも風化が進み、特に童子の姿がぼやけてきているのが気がかりです。瑞雲の彫りが細かく、見事な表現です。また、その下には対称性を崩した波型に切って枠を作っており、とても洒落た雰囲気です。鶏や猿の小さいことといったらどうでしょう。猿が狭い枠の中に身を寄せ合っているのがかわいらしいし、まして鶏に至ってはめいめいの小さな部屋の中にやっと入っていて、ちょっと窮屈そうにも見えますけれど、とても愛嬌があるではありませんか。猿や鶏を、このようにごく小さく表現しているかと思えば、主尊など先述の通り上部の枠を波型に切ったところのぎりぎりまで頭部が達しており、その表現の対比が見事です。衣紋の下部は、脚のラインにそって波型をだんだらに刻んでいます。これは、平面的な表現の中で、筋骨隆々とした雰囲気を少しでも表現しようとして、衣紋の盛り上がりを工夫したのだと思います。

 

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青面金剛4臂、2童子、3猿、2鶏

 こちらも枠の上部が波型になっており、そこの段差が大きいのが特徴的です。やはり、かなり傷んできています。ずんぐりとした体形の主尊さんは全く怖そうな感じがせず、笑みこそ浮かべてはいませんがそこはかとない愛嬌を感じます。そして、その衣紋がとても個性的です。まるでおたすきをかけたような恰好で、その下には丸い装飾が見られ、まるで鎧か鎖帷子でも身につけているかのような雰囲気が見てとれます。鶏は2番目の塔にくらべるとやや大きめですが、猿の小さいこと、窮屈そうなことといったら、その小部屋が太った主尊に押しつぶされそうではありませんか。これも主尊をより大きく立派に見せるための工夫なのだとは思いますが、あまりにも極端で、とてもおもしろい表現です。

 以上、3つの塔を細かく見てみました。それぞれ個性的な塔なのですが、傷みが気がかりです。観音堂のすぐ横に位置することもあってか手入れがなされているように見てとれましたが、それでも、雨ざらしの状況にあっては少しずつ傷んでいくのは致し方ないことかと思われます。少しでも長く、現在の状態が保たれればと思います。