所在地:香々地町大字夷 西狩場地区
中山仙境登り口、東西夷の追分から西夷方面に登ります。兄弟割れ石を右に見て、左折し西狩場に登ります。5軒ほどの集落ですが、無住になっているようです。右側、「釣鐘狩場」のところに駐車できます。この道は二本松越といって、昔は小河内に抜けるのによく利用されましたが、今は登山者が利用するのみとなっています。
「釣鐘狩場」から道路を挟んで反対側、二軒目のお宅の下に背戸道がありますので、その道を進みます。少し行くと墓地に出ます。
めいめい墓が集まった、古い墓地です。舟形の六地蔵が目を引きます。このような造形の六地蔵は国東半島では珍しいのではないでしょうか? この墓地には、ほかにも興味深い石造物がいろいろあるのですが、掲載は控えます。
この墓地から水路をまたいで上がると、荒れ果てた段々畑の跡地にでます。そこから適当に上がっていきますと、左側の崖上に金毘羅様があります。
参道がたいへんな急傾斜で、落ち葉で滑ります。小さな仁王さんがかわいらしくて近寄ってみたかったのですが、このときは上がるのをあきらめました。この金比羅さんの近くには、ほかにも崖の中腹に仏様が見られます。
ほかにも、写真はありませんが段々畑の跡地の中(藪になっています)にいろいろな石造物が見られました。一通り見学したら、墓地まで帰ります。
墓地付近から、左奥に回り込むように進む道があります(入口が分かりにくいので注意深く探してください)。その道を進みます。
このような仏様が安置されています。両手で、五角形のものを持っています。これはいったい何でしょうか? このすぐ近くに庚申塔があります。
一面六臂、二童子、三猿、二鶏
これはいったいどうしたことでしょうか。なんという奇抜さでしょう。頭巾のようなものを被り、目を大きく開けて、鼻は高く、「おめが」の拝み手。蛇を持っています。これは本当に、青面金剛なのでしょうか? はたして本来の意味の庚申塔であったのでしょうか。実際、潜伏キリシタン云々の説もあるようです。この庚申様は、二本松越の道からは絶対に目につかない位置にあります。さきほどの仏様が手に持っていた何かや、山の中の、海の見えない位置にある金比羅さんも含めて、この一帯のいろいろなものがキリシタンに関連しているのかもしれませんし、そうでないのかもしれません。
正体不明といえばそれまでですが、山の中の小さな集落の裏手、人目につかないところに奇妙な庚申塔が残っているのは事実です。おそらく信仰が絶えていると思われる庚申様や金毘羅様ですが、今もかわらずそこにあって、それが本来の庚申様や金毘羅様であろうとキリシタンの依代としてのそれであろうと、そんなことは関係なしに私たちを守ってくださっています。それは、神様も仏様も分け隔てなくみんなありがたい、山に川に海に木に、また岩に、ある種の畏怖をもって「生かされてきた」国東の土地柄によります。ありがたくお参りをさせていただきましたとともに、夷谷という地域の底知れぬ奥深さを感じた次第でございます。