大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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中村 観音渕の石仏(杵築市)

観音渕の石仏を紹介します。千手観音様など、いろいろな仏様が安置されています。

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観音渕の仏様

所在地:杵築市大字中 観音渕

 

 八坂地区は、大きく「川北」と「川南」に分かれます。すなわち八坂川の北側と南側で、「川北」の地域が大字本庄・八坂、「川南」の地域が大字日野・中・相原にあたります。 観音渕の石仏のある大字中は、川南地域です。

 大字中は、「中村」と「出原」の2つの地域に大きく分かれて、この2地域の間はみかん山で隔たれ、山が八坂川のぎりぎりまで迫り、急傾斜で川に落ち込む地形です。山すそに軽自動車が通れる程度の細い道があり、その道ぎりぎりに川がせまり、ちょうど川が屈曲して淵になっているところを「観音渕」といいます。おそらく観音様が安置されていることからの名称であって、古くはほかの呼称があったと思われます。

 今は八坂川の河川改修が進んだことと、架橋技術の向上により方々に永久橋・水につからない橋がかかりましたので、交通に難渋することはなくなりました。しかし昔は、川が曲がりくねっておりしばしば大水が出ましたので木橋・土橋はすぐ流され、川を渡るには「沈み橋」を渡るしかなかったのです。長瀬地区から出原に渡る「永世橋(長瀬橋)」が日本最古の沈み橋でしたが、平成半ばの大洪水で流され、今は山香町の「龍頭橋」に日本最古の名を譲っておりますが、ともかくも八坂地区における往時の交通は暴れ川に翻弄され続け、長瀬橋が沈み橋でありながら「永世橋」と称えられるような状況でありましたので、橋がなく、トン橋(飛び石)伝いにやっと渡るようなところもありました。その後、八坂村役場の付近と中村をつなぐ吊橋「八坂橋」が架かったのが近代的な架橋の嚆矢であり、増水時には沈み橋が一面渡れなくなる中で八坂橋が川北・川南間の交通の生命線であったのです。

 思えば、八坂小学校が川北に、八坂中学校は川南にあったのも、たまたま適当な用地がその場所であったのが第一かもしれませんが、川北・川南双方に平等にという意味合いもあったのかもしれません。その時代までは、観音渕横を通る道路の利用頻度も今よりずっと高かったことでしょう。立派な橋がいくつも整備されるにつれて、観音渕の道路を通る人は稀になりましたが、平成の世に入ってもなお、沈み橋を渡った先の集落の児童・園児は、増水が懸念される日には早退するような状況が続いていました。

 今ではただの里道・農道にしか見えない観音渕の道路が昔は重要な意味を持っていたことや、この道沿いに観音様等が安置されていることには、こういった背景があります。

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観音渕

 

 お参りに行くときは、自動車も通れますが道が狭くて危ないので、どこかに駐車して歩いて行った方がよいでしょう。中村から川べりの道を少し歩けば、道路脇(山側)にいくつかの石造物が目に入ります。

 

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観音渕の仏様

 左は、六地蔵様かと思いますが、壊れた石幢の上部を安置してあるのでしょうか?おそらく、昔はもう少し前面に立っていたのではないかと思います。または、近隣のどこか別の場所にあったものが、道路拡幅等にかかってここに移転・安置されたものかもしれません。中央ば馬頭観音様。右は、何でしょう。どうも磨崖仏の断石のように見えます。どこかの崖に刻まれていた仏様が崩落したので、ここに移して安置したのかもしれません。2つの龕の高さが違っていることから、元あった場所には他にも仏様が刻まれていたのではないかとも思うのですが、現地に説明版等がないばかりか、杵築市誌等見ましても一つひとつの仏様には言及されていなかったため、詳細がわかりませんでした。

 

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観音渕

 こちらは傷みが進み細かいところがわからなくなっています。遠目には庚申様のように見えたのですが、お地蔵様でしょうか。

 

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観音渕の千手観音様

 観音渕の仏様の中でももっとも状態がよいのが、この千手観音様です。近隣の信仰を集めたばかりか、前の道路を通る人も盛んに手を合わせましたので、かつてはよく知られていました。お顔の表情、衣紋の表現など、たいへん緻密で丁寧な彫りではありませんか。まして、体の左右に手をたくさん並んだ手の指の緻密さはどうでしょう。この表現で「千手」をあらわしているところなど、おもしろく感じました。たいへん高級な技術をもった石工さんによるものと推察いたします。杵築市は、お世話が難しくなった地域の石造物をたくさん城山公園に集めています。この観音様については、城山公園に移されず元の場所に安置されてあって本当によかったと思います。

 

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観音渕

 ほかにも、たくさんの小さな仏様が安置されています。そのほとんどが傷みが進み、象容がわかりにくくなっておるのが残念です。でも、大昔から交通安全や川の安全を見守ってくださったたくさんの仏様が、今もこうして観音渕にいらっしゃるのは、ありがたいことではありませんか。

 

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 杵築には「武家屋敷」「城下町」以外にも、このような史蹟・文化財がたくさんあります。少しずつ紹介していきたいと思っています。