大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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年田の文化財(杵築市)

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 杵築市年田地区の文化財を紹介します。今回は、下記の内容です。

 ① 阿弥陀堂の仁王様・阿弥陀様・庚申様

 ② 古寺の弘法様・庚申様

 ③ 山田のトンネル

 年田地区は、東地区(旧東村)の通称「上面」南西に位置する地区です。海沿いの集落から山手の集落まで、いくつかの村が点在しています。このうち沿岸の集落については、戦前、海軍の基地ができる云々で立ち退きになり、山田に集団移転した経緯があるそうです。今回紹介する3か所のほかにも、密伝寺、熊野神社、山の神様、愛宕様、蛇池等の名所旧跡があります。年田地区は海に面していながら全くの農村地帯であって、その灌漑のために川を堰き止めて造られたのが蛇池です。今のように土木技術が発達していなかった時代に、どのようにして川を堰き止めて池にしたのでしょうか?今回は写真がありませんけれども、ただの溜池に見えてもその背景を考えると、史蹟としての価値が感じられます。

 1 阿弥陀堂の仁王様・阿弥陀様・庚申様

 集落中心部から真那井方面に少し行くと、田んぼの横から山手に上がる狭い道があります。この道は軽自動車なら問題なく通れますが適当な駐車場所がなく、農作業の車の迷惑になりますので、下の道路の端にとめて歩いて上がった方がよいでしょう。

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阿弥陀堂の仁王様

 まず、仁王様の個性的なことといったらどうでしょう。国東半島に数ある石造仁王像の中でも、目鼻立ちがきりっとして、まるで歌舞伎役者のようではありませんか。

 階段を登っていきますと、堂様があります。阿弥陀様の部屋と弘法様の部屋に分かれていますので、それぞれにお参りをしましょう。

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阿弥陀

 木造の、たいへん立派な阿弥陀様です。やはり、石を彫った仏様にくらべますと細部の彫りが繊細な感じがします。台座の文様も含めて繊細な雰囲気が感じられますし、すらっとした、格好のよい仏様ではありませんか。

堂様の少し下のところから左に行くと、お墓の手前に庚申様があります。つつじで隠れているので、注意深く探してください。ちょうど逆光で写真がうまくとれませんでしたが、日輪のみならず、全体に赤い彩色がうっすらと残っています。

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阿弥陀堂の庚申様

青面金剛4臂、2猿、2鶏

 火焔光背を伴うのに、全く怖そうな感じがしません。それは、彫りが浅いため金剛さんの表情がわかりにくくなっていることも関係しているかもしれません。碑面の荒れが気になりますが、保存状態はまずまず良好だと思います。無銘で造立年は不明ですが、それなりに古いものでしょう。造立当時の彩色が残っているとは考え難く、おそらく待ち上げあるいは大待ち上げの際に、着色し直されたものではないでしょうか。この塔は、もとから阿弥陀様の境内にあったのか、または道路工事等でここに移されたものなのかがわかりませんでしたが、いずれにせよ、阿弥陀様の境内にあることで藪に埋もれたりすることもなく、安心してお参りさせていただくことができます。

 

2、古寺の弘法様と庚申様

 阿弥陀堂の下の道路を少し原方面に進んだところに古寺という字があります。道路端の竹藪を掻き分けて少し上がると、墓地の上手に出ます。そこに、弘法様の祠と2基の庚申様があります。

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古寺の弘法様

 ずいぶん立派な祠です。特に屋根が見事で、破風のところの文様など工夫を凝らしています。あたりはきれいに刈り払われており、今でも信仰が続いているのだと感じました。今はすぐ下に新しい道ができていますが、平成半ばまではその道はありませんでした。この弘法様の右側上手のところに、曲がりくねった旧道が通っています。以前は、そちら側から入って来る道があったのかもしれません。

 この右側に2基の庚申様があります(冒頭の写真)。

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古寺の庚申様(左)

青面金剛4臂、2童子、2猿、2鶏

 なんとかわいらしい庚申様!なんとなく、阿弥陀堂の庚申様に似ている気もします。こちらの方がずっと保存状態は良好ですが、もしかしたら阿弥陀堂の庚申様も、このような像容であったのかもしれません。全体的に彫りが浅く、稚拙な感じもする造形ではありますが、よく見ますと衣紋の文様など細かく表現されていますし、金剛さんのお顔や猿のポーズなど個性的で素晴らしいと思います。向かって左側の童子の衣紋にうっすら彩色の痕が見られます。

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古寺の庚申様(右)

青面金剛4臂、2童子、以下不明

 たいへん個性的な庚申様です。下部が埋没しているか、または折損しているようで、全体像が把握できないのが惜しまれます。上部の空白部分の広さから考えて、もともとは大きな塔であったのではないかと思われます。自然石を使っているうえに、平坦な面に彫出しているわけでもなく、もともとの凹凸をも厭わで自由奔放な発想で各像を刻んでおります。たとえば金剛さんの髪の毛、これは線彫りになっておりまして、普通だったらもっとたくさんの線を彫ると思うのですがこの塔では髪の毛の線の間隔が広すぎる気がしますし、顔の幅とのバランスも合っていません。童子も、まるで彫刻刀で彫ったような浮き彫りです。なかなかおもしろい造形です。

 

3 山田のトンネル

 年田地区は、杵築市の南西端です。ここから市街地に出るには、杵築自動車学校の前の道を取って国道213号に出るか、または原・片野を廻って国道に出るかが一般的なルートになっております。しかし前者のルートは平成半ばに整備された道で、それ以前は遠見塚のお稲荷さんの道か、後者のルートが主でした。これらの道は遠回りで時間がかかるので、近道として使われていたのが山田から田んぼに沿うて山に上がり、みかん山の中を右に左に九十九折で猪尾地区に下る道です。今回紹介する山田のトンネルは、この道の峠部分に位置します。

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山田のトンネル

 完全な素掘りのトンネルで、小さな落石が絶えませんが、軽自動車であれば通行できます(かなり圧迫感があり肝を冷やしますが)。ただ、このトンネルから猪尾側に下る道が、とうにみかん山は山林に戻っており、竹が折れかかっており車を擦りますので、自動車での通行はあまりおすすめできません。

 このトンネルは、正式名称は「年田隧道」と申しますが、一般に「山田のとんねる」とか「山田んヌキ」と言って親しまれていました。ヌキというのは、トンネルをさす方言です。今は滅多に人の通らない道になってしまいましたが、昔は山田はおろか年田、原、さらに八代や真那井の人も、杵築に出る近道として盛んに通った道です。

 国東半島はトンネルだらけで、昔は国道213号のトンネルもこのような素掘りのトンネルばかりでありましたので、バスの通行などずいぶん難渋したそうです。今は2車線の立派なトンネルが整備され、最近では古いトンネルが次々と閉鎖されています。便利な世の中、安心して通行できるトンネルとはありがたいものですが、古いトンネルは国東半島の近代の歴史や民俗の一端でもあります。ですから、たとえ文化財指定されていなくても価値のあるものだと思います。その意味で、この山田のトンネルは幹線道路から外れてはおりますけれども、地域住民の生活に根差した古いトンネルであり、国東半島の道路史を今に伝える貴重な構造物であると考え、ここに紹介いたしました。