大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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北杵築の名所・文化財 その1(杵築市)

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高熊山

 北杵築地区には名所旧跡がたくさんあります。そこで数回に分けて、今まで撮った写真でいろいろ紹介したいと思います。季節の違和感はご容赦くださいまし。

今回は下記の内容です。

① 高熊山

② 万歳橋

③ 境木

④ 北村地蔵

  

1 高熊山

 旧杵築市第一の嶺で、杵築・山香・大田の鼎立する箇所に位置します。今は三尾ノ平または松村から林道を上がれば、ほんの少し歩くだけで簡単に登頂できます。昔は鍛錬遠足の目的地として親しまれていましたし、さらに古くは頂上に弘法大師の庵があり日ごとの参詣者に香華の絶え間を知らぬ札所でした。

 

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高熊山

 地元の方により、参道(登山道)はいつもきれいに刈り払われています。この坂道がかなりの急勾配で、下りには注意を要します。

 

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高熊山

 登りついて右側に、このような遺構を見ることができます。ここが、昔山頂にあった庵の跡地です。松村に帯刀伝平さんという腕の立つ石工さんがいました。後で紹介しますが石生谷の万歳橋や、船部旧道の船部橋も、船部上組に今なお残る隙間なく積まれた立派な石垣も伝平さんによるものです。この人が紆余曲折の末に開いた高熊講、弘法大師の庵のあった場所で、参詣者も多かったそうですが落雷で焼失してしまいました。伝平さんについては、盆口説が数篇残っておりそれを読んでいただくとよくわかりますので、別ブログに掲載しました口説を下記リンクにて紹介します。

1 高熊山由来

2 帯刀諸国修業

3 帯刀伝照

4 観光大分明日への発展

 これらの口説は、今は盆踊りのときにもあまり聞かなくなってしまいましたが、六調子や三つ拍子、ヤッテンサン等の節で唄うことができます。ぜひ伝承していただきたいと思います。

 

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高熊山

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高熊山

 今も、山頂に立派な弘法様が残っています。海の方を向いて立ち、杵築全域を見守ってくださる弘法様です。ここからはたいへん見晴らしがよく、特に春には桜も咲きましてお花見にももってこいの場所です。みなさんにお参りをしていただきたい、北杵築きっての名所です。奈多の松原、杵築の城下街とあわせて、杵築の観光資源としてももっと活用されるべき場所と考えます。

 

2 万歳橋

 高熊山から少し離れますが、帯刀伝平さんに関連する場所として先に紹介します。中ノ原の台地から県道を溝井に下って行くところの字を、石生谷(いしゅうだに)を申しまして、今は新道が開けておりますが昔は、豊後通運の少し下のところから横にそれる旧道を通行していました。その道の途中には、杵築西国の札所があります。そこを下りきったところにかかっているのが万歳橋です。

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万歳橋

 残念ながら、平成半ばの河川改修で景観を大きく損ねてしまいましたが、橋は今も健在です。以前は、この橋のたもとに一軒の民家がありまして、その家の柿の木がたわわになる頃には何ともいえない風情がありました。

 

3 境木

 二ノ坂と大片平は上村との境界の字を境木と申しまして、ここは昔、杵築領と日出領の境でした。大字大片平は大昔は東山香、つまり日出領であったのです。それで、杵築の罪人を追放する際に、ここ境木まで連れて来て追放しておりました。

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境木

 十字路になっているところに境木の公民館があります。写真がよくないのですが、正面、桜の木のところに石の柱が立っているのがお分かりでしょうか。この柱に、「これより日出領」の旨が書かれてあります。写真はありませんが、庚申塔などもあります。以前は、8月28日にお祭りがあって、子供相撲をしていました(夜には坪で盆踊りも踊っていました)。以前、この盆踊りの坪で、「戦前までは東山香の踊りも踊っていた」旨をお年寄りに教えてもらいました。もうそのときには杵築の踊りしか踊っていませんでしたけれど、その話を聞いて、大片平と東山香とのつながりを改めて実感した次第です。なつかしい境木のお祭り・盆踊りも、もう中止して10年以上経ちます。

 

4 北村地蔵

 北村地蔵は、以前別ブログで紹介していたのですが、そちらが消えてしまいましたのでここであらためて紹介します。

 鴨川のうち、荒平に接する集落を北村といいます。北村から上ノ原の池にあがる道の途中、右側に北村地蔵があります。ここは、今はひっそりとしていますが、昔は子供のあせも等を治す霊験があるといわれて、盛んにお参りがありました。

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北村地蔵

 今は境内が狭いが、昔はもっと広かったようです。11月には霜月祭りがあって、北村はもとより近隣在郷からも多数集まりました。幟を立て、甘酒を配ったり、坪では相撲をしたり、「力石」を持ち上げる力自慢等もあったそうです。その「力石」は、残念ながら見つけられませんでした。

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北村地蔵

 小さなお地蔵様がたくさんあります。城山公園にも何体か移されていますが、できれば離れ離れにせず、元の場所に安置した方がよいような気もいたします。

 

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北村地蔵

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北村地蔵

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北村地蔵

 お地蔵様の奥に、ごく小さな磨崖仏が見られます。これらは双体道祖神のような体をなしていますが、一部、彫りかけの状態になっているのが気にかかります。どうして途中でやめてしまったのでしょうか。 なお、旧杵築市にはこの北村地蔵のほかに、横城の日吉神社参道脇、小挾間の虚空蔵様、城内の観音堂(旧図書館そば)にも小さな磨崖仏がありますが、観音堂磨崖仏は摩滅が著しいようで、私には見つけられませんでした。

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上ノ原の池

 北村地蔵にお参りするときは駐車場がありませんので、入口を過ぎて少し登ったところにある池のところにとめるとよいでしょう。農繁期は避けた方が無難です。また、この池の横の道は中津屋に通じていますが道がたいへん狭く危ないので、自動車での通行はおすすめできません。

 

(その2に続く)