大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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北杵築の名所・文化財 その2(杵築市)

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竹ノ尾地蔵

引き続き、北杵築地区の名所旧跡を紹介します。今回は下記の内容です。

5 竹ノ尾地蔵

6 迫の庚申塔

7 中筋の庚申塔(下)

8 原の庚申塔

 5 竹ノ尾地蔵

 馬場尾本村から鴨川に下る2車線の道路を進み、高山川手前で左折して迫方面に向かいますと、右側の台地に竹ノ尾城址があります。ここは台山城(杵築城)に移る以前のお城のあったところで、お城というよりは砦といった程度のものであったかと思いますが、今はただの狭い広場で遺構というほどのものは何も残っておりません。石のお弘法様等があることから、昔はここでお接待を出したりしていたのでしょう。

 その竹ノ尾城址の左側、田んぼに沿うて少し進んだところが竹ノ尾地蔵の上り口です。自動車は、その田んぼ道入口横に数台はとめられます。 

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竹ノ尾地蔵 上り口

 この場所を右に上がります。竹ノ尾地蔵は文化財指定されておるのですが、上り口に案内板がないのが残念です。昔は崖道をやっと上がってお参りしたのですが、擬木階段等が整備され安全にお参りできるようになっています。

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竹ノ尾地蔵

 正面をこのようにガードレールでふさがれているのはどうしてかというと、すぐ前が崖になっておりまして、下は高山川がちょうど淵になっています。ですから、右側から回り込むようにして進みます。今は竹等が茂っておりますが、以前はこの場所から山迫や五田の集落を見晴らしていたことでしょう。

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竹ノ尾地蔵

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竹ノ尾地蔵

 岩屋の中にお地蔵さんがいくつも安置されています。屋外であるにもかかわらず、直接雨が当たらないためか保存状態が非常に良好です。文化財の案内板に「秀作」とあるのも納得の、端正なお地蔵様ではありませんか。今はお参りに来る方も少ないようですが、昔は近隣在郷の信仰を集めていました。

 

6 迫の庚申塔

 竹ノ尾城址の前の道をさらに進みますと、迫の集落に入ります。集落手前から右折して高山川べりに抜けて、山迫地区への橋の手前、三叉路になっているところの石垣下に庚申塔が立っています。庚申塔の所在地として非常にわかりやすい立地で、賽ノ神としての意味合いが強いものであったかと思いますが、おそらく豊年満作や、川の安全をも祈願したものでしょう。

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迫の庚申塔

青面金剛2臂、2童子、3猿、2鶏

 台座が傾いているほか、全体の風化・碑面の荒れ(特に下部)が気がかりです。2臂というのは珍しいではありませんか(そのように見えただけで実際は4臂であったのかもしれませんが)。全体的にスラリとした塔であるのに、金剛さんのずんぐりとした風貌がかわいらしいし、すがりつくように立つ童子もまた愛らしく、とても親しみやすい造形です。

 

7 中筋の庚申塔(下)

 今度は鴨川地区の中心部、中筋に向かいます。今は山迫から2車線の新道が拓けていますので便利です。鴨川公民館(コミュニティセンター)から少し岩谷方面に行きますと、道路の右側に背を向けて建っている庚申塔が目に入るかと思います。車は、路側帯の広くなっているところにとめられます。

 この塔は、中筋の集落内を通る旧道から上ノ原に上がる里道の上り口にある塔で、集落を見下ろすように立っています。たまたま塔のすぐ裏を新道が開けたので道路に背を向けるような格好になったわけですが、もとは新道などなく、裏は竹山でした。

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中筋の庚申塔(下)

青面金剛4臂、2童子、2猿、2鶏

 とても立派な笠です!派風の細かい模様が見事ではありませんか。また、金剛さんのどっしりとした上半身にくらべて脚の細いことといったらどうでしょう。こんな細い脚でよく体を支えられるものです。向かって左の猿は御幣を持ち、右の猿は耳を塞いで立っています。かわいらしい猿です。鶏の尾羽の見事な彫りにも注目してください。

 新道ができたことでお参りが容易くなったこともあるのか、いつも周りはきれいに掃除されてあります、地域の方々の信仰が今も続いているのでしょう。環境は変わりましたが、スピードを出して新道を通行する方も多い現代において、この場所に庚申様がお祀りされているのは意義深いことです。庚申様に交通安全を見守っていただき、私達自身も気を付けて通行したいものです。

(r2.12.30追記)項目名に「中筋の庚申塔(下)」と書いた理由は、この庚申塔のすぐ上手にもう一つ、別の庚申塔があったためです。『郷土史杵築第80号』にも掲載されているのですが、写真を撮ろうと思い捜しても見つけられませんでした。藪に埋もれて見つけられなかっただけならよいのですが、もしかしたら、『杵築市誌』別冊の庚申塔一覧にある工事で破損した塔がそれにあたるのかもしれません。『郷土史杵築第80号』にあるコマ地図には、ここから上ノ原に上がる里道が「車不可」と書いてあるのですが、現状、軽自動車なら通れます。なので、第80号の発行以降に軽自動車が通れる程度に拡幅された可能性が高く、その工事の際に誤って破損した可能性があります。そうであれば、残念なことです。

 

8 原の庚申塔

 中筋から岩谷方面に進むと、大鴨川に出ます。大鴨川の一部から岩谷にかけては、大昔は東国東郡に属していました。旧北杵築村の大部分が速見郡であったのですが、大字岩谷と、大字鴨川の一部(旧東鴨川村)のみ東国東郡であったのです。県道から橋を渡って高山川左岸(上流に向かって右側)あたりの字を原(はる)といいます。ここは大鴨川の中心部です。道路の右側に庚申塔が2基見られます。

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原の庚申塔

向って左:青面金剛4臂、2童子、3猿、2鶏

向って右:青面金剛、3猿 ※詳細不明

 残念ながら両者とも傷みがかなり進んでおりまして、殊に右の塔に至っては金剛さんのお顔と、猿が確認できる程度になってしまっています。また、笠は切妻なのですが、載せ方が90度回ってしまっています。これはいつか笠が落ちたときに、地域の型が載せて直してものなのでしょう。

 長年の風雨に耐え、今や諸像も消えかからんとする痛ましい庚申様ではありますけれども、笠が落ちたからといってそのままにせず載せ直したり、台座の下もコンクリで固めて倒れないようにしていたりと、地域の方に大切にされている塔のようです。この塔の前の道路も2車線になり、交通量こそ多くはありませんがスピードを出す車もあります。これからも庚申様に交通安全を見守っていただきたいと思います。

 このように風化した庚申塔を見ますと、造立からの長い年月を感じますとともに、地域の方の暮らしであったり、または長年風雨に絶えて庶民の心の拠り所となって下さった庚申様のありがたさに思いを巡らせずにはいられません。非常に立派な塔もあればささやかな塔もありますし、保存状態の良好な塔もあれば傷んだ塔もありますが、その根底にあるものは同じです。

 

(その3に続く)