大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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風戸山をたずねて(本匠村)

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 本匠村は風戸山の名所旧跡を紹介します。

 

1 風戸山について

 大字風戸のうち、竹原(たこら)部落と椎ヶ谷部落は無住になっています。両部落を総称して風戸山と申します。今は寂しい土地でありますが、昔はかなりの軒数があったようです。それと申しますのも、椎ヶ谷から尺間村(弥生町尺間地区)方面に抜ける山道(自動車は不可)がありまして、交通の要衝であったのです。この道は、昔は本匠方面と尺間との往来に盛んに利用された近道であったとのことです。今は自動車がありますから山坂を上り下りするより、少し遠回りでも平坦で広い道を通った方が便利ですが、歩いて移動していた時代には山越しの道であっても距離の短い方を選んだのでしょう。

 ところで、風戸山の中でも椎ヶ谷は山また山の非常に険しい地形で、ここでの暮らしはさぞや苦労が多かったことでありましょう。当たり前ですが、この寂しい廃村にもかつては釜戸の煙が上がり、子供たちの声が響き、山仕事に汗を流す人の姿、夕べには家庭の団欒もありました。屋根の破れた廃屋を見るにつけ、私は部外の者ではありますけれども、この山家を離れて里に下りることを決断した方々の心中を慮らずにはいられませんでした。

 

2 寺屋敷跡と鵜戸神社跡

  風戸山に上がるには、鬼ヶ瀬トンネルの旧道から白谷部落経由で採石場の横を上がっていく道と、弥生町は谷口部落から谷川に沿うて上がっていく道とがあります。後者の道はたいへんな難路ですので、採石場の横の道からの方がよいでしょう。こちらの道も舗装が傷んでいますので注意を要しますが、普通車でも問題ないレベルです。

 竹原を過ぎ峠に着きますと、左右に林道が分かれて十字路になっております。その辻に下の写真の案内板がありました。

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 寺屋敷跡とあります。文字が小さく読みにくいかもしれませんが、80戸も人家があった云々。私は驚嘆いたしました。点在していたとはいえ、とても80軒もの家が建つようなスペースがあるとは思えなかったからです。おそらく、今は杉林になっているところに、点々と、小さな家があったのでしょう。

 どうしてこの急傾斜の山中に80軒もあったのか。それは、林業が盛んであったことも関係があるかと思いますが、この風戸山という土地が、かつては交通の要衝であったことに起因すると考えます。

 この案内板に従って、林道を歩いて進んでみました。五輪塔などの石塔があるとのこと、胸を躍らせながら歩を進めまして、左側に頭の折れてしまったお地蔵様を見つけました。

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 この少し先、左側に鳥居が見えましたので、上がってみました。こちらは鵜戸神社です。

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 なんということでしょう。灯籠のみを残して、無残にも拝殿は倒れてしまい瓦礫の山です。住む人がいなくなり、信仰も絶えてしまったのかもしれません。これが、倒れた拝殿の瓦礫がそのうち吹き飛んだり土に埋もれたりしてわからなくなれば、却って「そういう場所」として受け入れられるかと思いますけれども、現状を見るにつけ非常に身につまされるものがありました。

 踵を返して、寺屋敷跡はどこだろう、五輪塔はどこだろうと、林道を先に先に進みましたが、全くわかりません。シキビ(しきみ)を栽培しているところに出まして、明らかに進みすぎているような気がしまして戻りました。下の写真の箇所です。結果として、「寺屋敷跡」は私には見つけられませんでした。

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 後になり分かったことですが、鵜戸神社跡のところから右に行けばよかったそうです。もう少しよく捜せばよかったと悔やんでも後の祭りです。 

 

3 椎ヶ谷の石造物

 自動車をとめた辻に戻ると、峠の掘割の向かい側に石塔が見えました。庚申塔です。おそらく椎ヶ谷の庚申講の方による塔でしょう。もう、椿山に登る方以外は誰も通らなくなったような道に、じっと立ち続ける庚申塔。なんとありがたいことでしょうか。物言わぬ塔は、人のいなくなった集落の安全はもとより、山登りの方の道中の安全も守ってくださっています。

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 3基の塔が並んでいます。祭壇を設けて、丁重にお祀りされていることがわかります。藪に埋もれているわけでもなく、前が開けており、陽が当たっていました。

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 左の塔は庚申塔です。2臂の青面金剛と3猿のみの素朴な塔で、きれいな舟形が美しいではありませんか。そしてその舟形に合わせた厨子にぴったりと収まっています。笠が左に落ちているのが残念ですが、保存状態は思いの外良好です。

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 右の塔です。庚申様ではないと思います。こぶりですが、衣紋の表現など見事な彫りです。そして笠の重厚なことといったらどうでしょう。写真に写っていませんが、上に四角いくぼみがありました。おそらく擬宝珠がついていたのでしょう。

 

4 椎ヶ谷の寄せ四国

 庚申塔の辻から少し下ると椎ヶ谷部落です。ここから道幅が非常に狭く、離合はできません。しかも、軽自動車でも切り返しの必要な九十九折が3段になっています。2回目の切り返しにて、右側にも屋敷跡を確認しました。この九十九俺を下りたところが椎ヶ谷の中心で、屋根の破れた廃屋など、数軒の家屋が残っております。大変な急傾斜に身を寄せ合うようにして建つ民家、そのすべてが廃屋です。先ほど申しました尺間への山越道はこの辺りから分かれているようです。写真を撮ろうかとも思ったのですが、道幅があまりに狭く転落の恐怖から余裕がなかったのと、なんとなく申し訳ないような気がして、集落の様子は写真に撮りませんでした。

  ここから来た道を帰ろうかとも思ったのですが、先ほどの切り返しの必要な九十九折を登り返すのも気が引けまして、谷口(弥生町)の方に下ることにしました。ところが、この選択を数分後に猛烈に後悔することになりました。軽自動車の車幅ぎりぎりの狭路をものすごい急坂で下っていきます。右側は谷底が知れないほどの切り立った崖、ガードレールなどありません。落石だらけで、石を踏んでしまうとブレーキを踏んでいてもズルズルと辷ってしまい、身の危険を感じるほどです。この道の下りは4輪駆動車でなければ危ないと思います。しばらく下りますと、左側に仏様が並んでいました。

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 お弘法様のお堂です。ここがわりとなだらかだったので路上に車をとめ、見学しました。このお堂を中心に、道に沿うてたくさんの仏様が並んでいます。新四国、寄せ四国の類だと察しがつきました。なんとありがたい札所でしょうか。この難路を頑張って下ってきて、偶然行きあった札所です。

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 左側の切り立った崖の隙間に、また道路端に、八十八ヶ所の仏様がおわします。下部に、一番、二番…と札所の番号が書いてありました。順にお参りをして、この並び順がとびとびになっていることに気付きました。おそらく、今通ってきた道は、昔は車の通らない山道であったのでしょう。その頃は道路に沿うて、もっと間隔をあけて一番、二番…と順番に並んでいたのではないか、道路を改修した際に自動車の通行に障りがあるため仏様を堂様の近くに動かしたため、順番が入り乱れているのではないか?と考えました。現地に説明版がなかったのが残念です。

 ここから谷底を見下ろすと、小さな滝がありました。

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 どこからも川には降りられません。澄んだ水、渓流の風景はたいへん美しいものの昼なお暗い谷底にて、吸い込まれるような恐ろしさがありました。

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 こんな道です。ここから下も、里に下りるまでずっと狭路が続き、両方の切れ落ちた堤を渡るところもあります。県道に出たとき、よくもまあ無事に通行できたものだと胸を撫で下ろしましたとともに、たいへんな疲労感を覚えました。ああ、峠の庚申様が守って下さったのだ、お弘法様の霊験だとありがたさを感じましたとともに、私の向こう見ずな性格が身の危険につながったとたいへん反省いたしました。

 

今回は以上です。大変な難路でした。寄せ四国にお参りをする場合は、徒歩の方がよいでしょう。どうしても自動車で行く場合は、谷口からの登りで寄り、戻りは竹原を経て採石場の横の道から下るようにしてください。軽自動車でなければ不可です。とても危ない道なので、お勧めはできません。