大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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稙田の名所・文化財 その1(大分市)

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 大分市は稙田地区の文化財を紹介します。霊山の麓に広がる稙田地区には庚申塔や石幢、地蔵様、弘法様等が辻々に残り、磨崖仏も数か所に残るなど、文化財の宝庫の感があります。この地区は、大きく東稙田、稙田、西稙田の3地域に分かれておりまして、かつてはそれぞれ単独の行政村でありました。東稙田方面は国道10号沿線の商店や病院群、稙田方面は「トキハわさだタウン」を中心とする新興商業地域として、また西稙田方面は新興住宅地とそれぞれ繁栄を極める中で、農村地帯としての面影が点々と残っており、新興都市としての姿と旧来の農村地帯としての姿が混淆した土地柄といえましょう。なお、紛らわしいのでこの記事中において「稙田地区」とした場合は3地区の総称とします。

1、蕨野の庚申塔と石幢

 国道210号(通称ホワイトロード)沿い、ジョイフル稙田店のある交差点から県道41号に入り、しばらく進み右側のお宅の塀に「霊山寺」の看板のある三叉路を右折します。そのすぐ先、右側に不動明王の堂様がありまして、そこにも庚申塔があります。写真がありませんので、また紹介します。

 堂様を過ぎて少しいくと人家が絶え、上り坂の山道になります。台地上に出たところが蕨野(わらびの)部落です。左にアスファルト舗装の道が分かれているところの左角に冒頭の写真の庚申塔がありますが、振り返る格好になりますので自動車だと見落としやすいと思います。見落とした場合には、霊山まで上がった帰りには必ず目に入りますので、あとでお参りをしてもよいでしょう。

 コンクリートブロックで3つの厨子を設けて、その中央の厨子に立派な庚申塔が丁重にお祀りされています。

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青面金剛6臂、2童子、猿、鶏、ショケラ

 やや傷みも見られますが、細かい彫がよく残った立派な塔です。金剛さんの写実的な表現が見事で、特に髪や手指の細かな彫り、衣紋の複雑な模様など素晴らしいではありませんか。首が太く、力強そうな脚の金剛さんは厳しい表情ではありますが、なんとなく親しみを覚えます。上部に日輪月輪が見当たりませんが、きっと線彫で表現していたのが消えてしまったのでしょう。お供えされた造花の左側に鶏、右側に猿が確認できるのですが、このお花の後ろ側の様子を写真に撮るのを忘れてしまい、メモも取らなかったので猿が何匹だったのか、鶏が何羽だったのか失念してしまいました。あまり見事な塔であったので感激するあまり、肝心かなめの記録がおろそかになってしまったことを悔やんでおります。また近くを訪れることがあったら、よく確認しようと思っています。

 この塔は近隣の方のお参りがあるようで、お賽銭があがっていました。周りをきちんと掃除されており、今なお信仰が続いています。賽ノ神としての霊験はもとより、ここから霊山まで難所の道が続きますので、交通安全等お願いされてはいかがでしょうか。きっと庚申様が守って下さることでしょう。

 お参りをしたら、霊山方面に少し進みます。すると、また左に分かれる道がありまして、その脇に石幢と弘法様があります。

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 石幢も弘法様の祠も、特に笠が美しいと感じました。傷みが残念ですが、下部をきちんと固められていますので倒壊の心配もありません。小さな集落なのにたくさんの石造文化財があり、さすが霊山のお膝元といった感があります。

 さて、霊山方面にさらに登りますと、左側にすらっとした造形の立派な石灯籠が対に並んでおり、ここが日枝神社の参道入口です。この付近は道路が狭いので、邪魔にならないところをさがして車をとめて下さい。参道を歩いて進むと、右側に庚申塔があります。

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三猿

 かわった庚申塔で、三猿のみの刻像塔です。こういった形式のものは、青面金剛の刻像が主流になる以前のものだそうで、豊後高田市田染は大曲地区にも猿が1匹のみの庚申塔があります。こちらの庚申塔は「見ざる言わざる聞かざる」の儀軌に則って3猿が3角形に並んでいます。素朴な、かわいらしい造形です。

 また、向かって右上に「田申塔」と書いてあるように見えます(塔は異体字)。これは庚申塔を「甲申塔」と彫ろうとして、間違って「田申塔」としてしまったのか、または「田」に見えただけで実は「甲」なのか、「田」に見える部分が「庚」の俗字か何かなのか?さっぱりわけがわかりませんでした。でも、昔は音が主で文字が従と申しますか、字義に拘らずいろいろな文字を宛てた例が多々あり、現代の価値観からは「誤り」と判別されるような用字もしばしば目にします(たとえば「甲伸塔」等)。これも、その範疇と見てよいでしょう。これで思い出したのが片仮名表記の小字名です。音だけが伝わって用字がわからないという例もありましょうが、または、昔は好き勝手にいろいろな漢字を宛てたので、どれが正しい用字かわからないという事例もあるのではと思います。今のように識字率が高くなかった時代にあっては、往々にして起こり得たことなのでしょう。

 日枝神社はたいへん立派な石段、お社で、ぜひお参りをしたかったのですがこのときは時間がなく、遥拝にとどめました。時間のあるときにゆっくりお参りをして、境内にあるほかの石造物も見学したいと思っています。

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 日枝神社入口近く、道路端にひっそりと立つ石幢です。集落内で見かけたものよりもずいぶん傷みが進み、笠は明らかに他の石造物からの流用かと思われました。

 この地域のみならず、道路が狭かった時代には、こういった石造物が道路端にたくさん見られたことと思います。霊山にお参りをされる際、その道中の石造文化財を見学し、お参りをされますと、より霊験が増し、しかも興趣に富むことでしょう。時間があれば、ハイキングがてら田尻から歩いて上がるのもよいかもしれません。

 

その2に続きます