大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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伊美の文化財・史跡(国見町) その2

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 引き続き、国見町大字伊美の文化財・史跡を紹介します。前回、金久の善神王様までご紹介しました。今回は、東中地区の秋葉様周辺の文化財です。自動車は「みんなんかん」または東中公民館に駐車させていただくとよいでしょう。

 

4 東中石殿と下の秋葉様

 本城の水口上り口の三叉路を東中方面に進みます。畑の横に「鹿嶋高一光義塔」があります。前回ご説明した通り、伊美地区はかつて干害に悩まされた土地でした。その状況を憂えた鹿嶋高一さんが、戸倉伝蔵さんと桐畑源蔵さんに相談して、26年もかけて上後野池を築いて水路隧道を伊美に通したとのことです。前回の「本城の水口」とは別の水路隧道が、この近くに通っているそうですが見つけられませんでした。その功績をたたえた塔が「鹿嶋高一光義塔」です。塔のすぐ横に「東中石殿」の立て札があります。その角を左折して里道を行きます。畑の角にてまた左折して奥に行くと、東中石殿と今の秋葉様のある広場に出ます。 

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 なんと立派な石殿でしょうか!非常に重厚で、細やかな装飾が見事です。左右を対に、中央にはひときわ高い石殿を配しています。一つひとつが十分に立派なのに、このように3つも並んでいますのでいっそう豪華な感じがします。この塔は市の文化財に指定されています。ここを訪ねる方はそう多くなさそうですが、道路からすぐ近く気軽に立ち寄れますので、ぜひみなさんに見学していただきたい文化財です。

 この石殿の右側には、秋葉様の石祠があります(冒頭の写真)。もとは背後の山の斜面にあったのですが、参道がたいへんな急傾斜で近隣のご高齢の方がお参りするのに難渋されるために、近年この地に下ろしたと地域の方に教えて頂きました。

 

5 元の秋葉様(東中)

 下の秋葉様にお参りをしたら、山の中にある元の秋葉様を訪ねてみましょう。東中石殿から、鹿嶋高一光義塔からまっすぐのびる里道まで戻り左折します(光義塔から真っ直ぐ奥へ)。すると山裾から簡易舗装の急坂にて左方向にカーブして登って行き、お墓で行き止まりのように見えます。そのお墓の手前より右に上がる谷川道が、秋葉様の参道です。

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 こんな道です。まさしく谷川道、竹林の中の洗い掘りはたいへんな急坂で、枯れ枝が散乱し、しかも落ち葉で滑ります。雨降りのあとはやめておいた方がよいでしょう。この道を頑張って登ると、秋葉様の元のお宮が見えてきます。

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 鳥居のところから石段になっています。もしかしたら、昔はこの石段が下まで続いていたのが崩れて谷川道になったのかなとも思ったのですが、石材が散乱しているわけでもありませんで、やはり昔から石段は上の方だけだったのでしょう。鳥居から先は特に浮石等はなかったように記憶していますが、踏面が狭いので気を付けて通りましょう。

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 拝殿の裏側です。数段の石段の上に、明らかに石祠があったと思われる平地があり、その右側に個性的な石燈籠があります。下の秋葉様は、ここから下ろしたものでありましょう。お参りをした際、下の秋葉様・東中石殿よりも先にこちらを訪れたため、どうしてこのような状態になっているのか不思議でしたが、里に下りて東中石殿に移動しようとしたときにたまたま出会った地区の方に教えて頂いたという次第です。秋葉様は火伏の神様で、竃の火を絶やさず、火事を出さないという霊験があります。昔は、おくどや囲炉裏、ごえもん風呂など火を焚く機会が多く、しかも民家の屋根普請はムッカラ葺きかちょっと上等でも茅葺きでありましたので、ひとたび火事を出すと消火には困難を極めたことと思います。昔といっても、昭和40年代に入ってもなお、国東半島には藁屋根、茅屋根が方々に残り、ゴエモン風呂や練炭・豆炭の炬燵が現役の家も多くありました。今でも火事は恐ろしいものですが、秋葉様や愛宕様が方々の村(集落)に祀られているのをよく見かけるにつけ、昔の方の火伏祈願がいかに真剣であったかを想わずにはいられません。

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 拝殿の右の方に、庚申塔、「大乗経千七百部」の塔、石燈籠が並んでいます。大乗経千七百部の塔は、おそらく一字一石塔の類でしょう。こちらの庚申塔は、個人的な感想ではありますけれども国見町随一の秀作といっても差し支えないほどの、たいへん立派な塔です。

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青面金剛6臂、2童子、2猿、2鶏、ショケラ

 どうですか!非常に細やかな彫り、調ったフォルム、どこをとっても非の打ちどころのない完璧な塔だと思います。塔身はごつごつと荒々しい感じがしますのに、諸像の姿は完璧に整っています。上から見て行きましょう。三日月と日輪の高さを違えて、瑞雲の形も個性的です。そして金剛さんの恐ろしそうなこと、強そうなことといったら、どんな悪霊も一撃で退治してくれそうな心強さが感じられます。怖い顔で身をよじらせて威嚇する金剛さんの手の指は、正しい造形できちんと五本指にて持ち物をしっかりと握っています。衣紋の表現も見事ではありませんか。異常に大きいショケラをぶらさげていても、全く重たそうな感じがしません。そして童子もまた細やかな彫りです。左右の高さを違えているのは、向かって右の童子がショケラに押されて下がっているようにも見えますけれども、これは金剛さんの体のひねりを考慮して、わざとこのように高さを違えて配置したのではないかと考えました。両手で勺をとる、たっぷりとした袖の衣紋をまとった童子は、たいへん高貴な感じがいたします。猿もまた高さを違えて、まるで自由奔放に戯れているかのような、楽し気な雰囲気です。金剛さんとの対比が見事です。最下部中央にて向き合った鶏がまた微笑ましく、これは家内安全・夫婦和合をも願ったデザインなのかもしれません。

 この庚申塔は、東中地区は山本組の塔です。秋葉様を下ろしていて参道もやや荒れてきているのに、庚申様のあたりには枝など落ちておらず、今なお信仰が続いていることが感じられました。国見町随一のたいへん立派な塔ですので、ぜひみなさんに見学・お参りしていただきたいと思います。

 

6 尾鼻の地蔵堂

 秋葉様周辺の文化財を見学・お参りして、東中地区は坂本組の庚申塔を目指しました。鹿嶋高一光義塔のところから内陸方面に道なりに参りまして、東中公民館につきました。坂本組の庚申塔は公民館の近くのはずだと思って、公民館の横からパイロット道を上がってみたのですが行けども行けども庚申塔は見つからず…下調べ不足のせいで、坂本組の庚申塔には行きつけませんでした。かわりに、尾鼻の地蔵堂に行き当たりましたので紹介いたします。

 東中公民館の横からパイロット道を僅かに進みますと、左上方面に上がる手すりのついた坂がありますので、それを登り詰めると堂様に到着します。

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 こちらには一字一石塔などの類がたくさんありまして、往時にはたいへんな信仰を集めていたようです。「奉納一字石廻国供養塔」の銘をもつ塔もあります。国見町には回国供養塔(お六部さんの塔)がたくさん残っており、こちらはそのひとつです。今も、境内には枝など落ちておりませんで、集落の方により大切に守られていることがよくわかりました。

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 年中行事としては、何はおいても春夏のお接待があります。昔は堂様で出していたものを、今は部落内の座元で出すようです。また、8月20日頃より麦酒をこしらえて、25日にそれを絞り、晩には堂様の坪で盛大に盆踊りをしていた由。参道にも提灯を提げて、近隣から大勢集まりたいへんな賑わいであったそうです。

 

今回は以上です。これまで2回に亙って、本城金久から東中坂本までの文化財・史跡を紹介しました。伊美地区にはまだまだたくさんの名所旧跡がございますが、写真を撮り直したりしたいのでこのシリーズはいったんお休みとして、次回より杵築市北杵築の名所旧跡のシリーズに戻ります。