大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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北杵築の名所・文化財 その3(杵築市)

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 引き続き、北杵築地区の名所旧跡を紹介します。前回までに、下記の内容を掲載しました。

1、高熊山  2、万歳橋  3、境木  4、北村地蔵

5、竹ノ尾地蔵  6、迫の庚申塔  7、中筋の庚申塔(下)

8、原の庚申塔

 今回は下記の内容です。前回までとは一部、道順が前後します。

9、五田の天神様(庚申塔)  10、上ノ原の庚申塔

11、中筋東組の庚申塔  12、中津屋の観音堂庚申塔

13、中道筋の石造物(庚申塔

 

 9 五田の天神様(庚申塔

  馬場尾本村から鴨川に下り高山川を渡りますと、二車線の道路に突き当たります。この辺りを五田と申しまして、大字鴨川のうち下手に位置する集落です。高山川左岸に広がる集落で、川べりの平坦な土地には稲田が広がり、菅尾(大字大内)にかけての段丘の裾に家屋が並びます。その一角に天神様があります(冒頭の写真)。二車線の道路沿いですのですぐわかります。

 天神様の石燈籠手前より右方向に行きますと、畑地の境界に弘法様と庚申塔が並んでいます。

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 お弘法様と庚申様の周りは草が刈られており、今も信仰が続いていることがわかります。いま、庚申様は道路からやや引っ込んだところにあります。もしかしたら昔は集落内の辻にあったのが、拡幅工事などでこの場所に移転したのかもしれません。

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青面金剛4臂、2童子、3猿、2鶏

 もともとの彫りが浅いうえに長年の風化摩滅により、残念ながら像容が不鮮明になっています。特に下半分は傷みが進み、童子の胴体や猿、鶏は細部がわからなくなっていました。実際にそばで拝見すると諸像の姿は確認できますが、写真では見えにくいかもしれません。金剛さんは光輪を背に、頭巾をかぶってすまし顔にて立っています。全く怖そうな感じではありません。今は姿も薄くなってしまいましたが、長年、豊年満作や交通安全、厄病除けなどこの地域を守って下さった庚申様。ほんにありがたいことでございます。

 

10 上ノ原の庚申塔

 こちらは道が狭くて農作業の車の邪魔になりますので、歩いてお参りに行かれた方がよいでしょう。鴨川コミュニティセンターに駐車させていただき、前回ご紹介した中筋の庚申塔を目指します。その背後から山手に上がる里道を上がります。軽自動車がやっと通る程度の幅の、簡易舗装の道です。その道を進んで道なりに右カーブすると、北村方面に下る里道が左に分かれますが、その道は無視して直進します。

 道なりに直進すると、道路の左側、やや高いところに庚申塔が立っています。

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 この辺りの字を上ノ原と申しまして、農地ばかりで人家はございません。昔は何軒かあったのでしょうか。もし小集落があったとしてもかなり昔のことと思われますし、立派な庚申塔を造立するほどの規模の庚申講を組織するほどの軒数はなかったことでしょう。鴨川随一の高所にて、気持ちのよい場所ではありますけれども、どうしてこんなところに庚申塔が?と疑問に思いました。明確な答えは出ませんでしたが下記3点を考えてみました。

① 賽ノ神 …この道を直進しますと、北村地蔵から池の横を上がった道とみかん園のあたりで合流して、中津屋に抜けられます。今は農作業の自動車しか通りませんが、昔はそれなりに利用された道であったのかもしれません。ただ、もし賽ノ神の霊験を期待したのであれば、塔の向きが不自然であるような気もいたします。もしかしたらこの道路を車が通れるように拡幅した際に、塔を少し移動したのかもしれませんが。

② お墓を守ってもらうため …道路の反対側には、昔のめいめい墓がたくさんありました。その墓地(墓原(はかわら)と言った方がよいかもしれませんが)をお守りするために、この位置に造立したのかもしれません。

③ 作の神 …上ノ原の高地には、水田や畑地、みかん畑などが広がっています。しかも、この付近からは川べりの集落や農地をも見晴らすことができます。一帯の農地の作の神として、この高地にお祀りしたのかもしれません。

 どれも不確かな推測ではありますけれども、このようにいろいろと考えてみるのは楽しいものです。上記3点の中では、③が最も確からしいような気がいたします。もちろん、③であったとしてもそれ単独の祈願ではなしに、①や②の内容もお願いしたことでしょう。

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青面金剛4臂、2童子、3猿、2鶏

 保存状態が良好で、特段大きな痛みは見られません。日月と瑞雲に注目してください。線刻にて、まるで花札の牡丹の絵のような表現です。ちょうど、月や太陽に薄い雲がかかって、その掻い間にうっすらと見えているような様子が感じられ、とてもおもしろい表現方法だと思います。金剛さんは逆立てた髪を三角形にまとめてあり、目を吊り上げ、頬を膨らまして、へそを曲げたような表情です。鼻筋が通っていておちょぼ口の、なかなか整ったお顔のような気もいたしますが、膨らました頬に愛嬌があります。不自然な腕の長さや180度開いた爪先など、稚拙さを感じさせる表現方法には、親しみやすさや庶民の素朴な信仰のエネルギーが感じられませんか。猿は「見ざる・言わざる・聞かざる」の順に行儀よく並んでおり、童子とあまり大きさが違わないのもおもしろいところです。

 私は、この田舎道の風景によく溶け込んだ素朴な塔がいっぺんで大好きになりました。

 

11 中筋東組の庚申塔

 上ノ原の庚申塔から、中筋の庚申塔まで来た道を戻ります。高山川の方を見ますと、下手に旧道が通っています。その旧道に入ってすぐ民家の角から川に向かい、橋を渡ったところが東組の集落です。道なりに行きますと、道路の右側に庚申塔とお弘法様が並んでいます。

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 石で祭壇を設けて、立派にお祀りされています。今も信仰が続いており、花立てにはお供えがあがっていました。民家と畑地に挟まれており、道路も狭く、適当な駐車場所がありません。迷惑にならないように、コミュニティセンターに駐車させていただき歩いて訪れた方がよいでしょう。

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青面金剛4臂、2童子、3猿、2鶏

 全体の印象として、どっしりと重厚な感じがいたします。笠の曲線が見事で、破風の装飾が見事ではありませんか。軒口に幾重にも段差をつけた立体的な表現です。笠の下、日月瑞雲の箇所を浅く彫りくぼめ、さらにその下部はもう一段彫りくぼめています。この境目のところが上下ともに全く同じ曲線にて表現されており、このような手の込んだ手法は近隣の塔には見られません。

 もともと彫りが浅かったようで諸像の姿が不鮮明になってきておりますけれども、笠の軒口や瑞雲の細やかさなどから推して、元々は微に入り細に入った表現であったことが推察されます。金剛さんは4本の細長い腕を広げて、すべての腕が上向きにカーブしているなどとてもおもしろい姿です。そして金剛さんと2童子はめいめいの台座に乗っていますが、あたかも雲の上に乗って空を飛んでいるようにも見えてきて、さても神々しい雰囲気が感じられます。金剛さん・2童子の区画と、猿・鶏の区画との仕切りも洒落ています。

 この塔の前の道を進んでいくと、菅尾から三光坊に上がる道の途中に出ます。おそらく集落の方以外はほとんど通行しないと思いますが、庚申様はお弘法様と一緒に道路端に並んで、道行く人を物言わず見守ってくださっています。

 

12 中津屋の観音堂庚申塔

  中筋から大鴨川方面に進み、標識に従って左折して中津屋の台地に上がります。今は荒平まで2車線の立派な道ができて便利になりましたが、昔は離合に難渋するような細い道が田畑を縫うて、右に左にカーブしながら小平に抜けていました。新しい道路をしばらく行きますと、道路の左側に堂様と枝ぶりの見事な大木が見えてきます。ここが観音堂です。堂様の手前から、ごく短い旧道が左側に分かれています。その旧道に面して庚申塔が立っています(新道からは見えません)。

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 大きな木の下には石燈籠などの石造物があります。昔は小さな神社があったのかもしれません。この御神木の前に堂様が立ち、その反対側に庚申塔やお弘法様、五輪塔が並んでいます。

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 旧道から撮った写真です。五輪塔の向こう側は新道(現道)です。この庚申塔は、たいへん風変りです。

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青面金剛4臂、2童子、3猿、2鶏、鳥居!!

 全体的に彫りが浅いが、諸像の姿はよく残っています。日月は円で表現しており、このうち月は、円の中に曲線を入れて三日月型を表現しています。金剛さんは火焔光背を伴い、目を吊り上げてはいますが、その表現方法が稚拙であるためか、怖さよりも可愛らしさが感じられました。上下の腕の付け根が離れすぎて、昆虫のような風貌です。このあまりに不自然な表現を見て考えたのですが、もしかしたら元々はこの間にもう1対の腕があり、その腕は体前で合掌していたために、その彫りの浅さから積年の風化摩滅で消えてしまったのかもしれません。衣紋にも、何の模様も皺も残っておらず、まるで影絵のようになっています。さすがに、最初からこの姿ではなかったと思います。三叉戟と宝輪の持ち方が、よく見かけるものとは左右逆になっています。童子はお地蔵さんのような雰囲気ですが、なかなかどうして、向かって右の合掌している方は厳めしい表情です。向かって左の方の持つ柄杓のようなものが、金剛さんの立つ台座を支えているように見えるのもおもしろいではありませんか。異常なる短足、鋭角に広がった衣紋の裾など、奇抜を極めます。

 猿は、向かって左から「言わざる・聞かざる・見ざる」の順で、行儀よく体育座りをしています。顔が大きくて、猿というよりは埴輪か土偶のようです。そして、問題の最下段。尾羽の立派な鶏に挟まれて、中央には謎の鳥居。私は、こんな位置に鳥居が刻まれた庚申塔をほかに知りません。だいたい、鳥居が鶏や猿と同じような扱いで、こんな最下段に小さく彫出されていることに違和感を覚えます。いったいどんな意図があるうのでしょうか?単純に、「にわとり」から連想して鳥居を配してみたのでしょうか。または塔身をお宮さんに見立てて、最下段の鳥居が入口ならば上段の金剛さんは本殿といったところで、金剛さんをとにかく丁重にお祀りしたいという意図があったのかもしれません。

 とても個性的で、おもしろい庚申様です。神様仏様にすがった昔の方の姿が浮かんでくるようで、立派な道路ができ、トラクターやコンバインのある今の世の中のありがたさを感じずにはいられませんでした。

 

13 中道筋の石造物(庚申塔

 観音堂を過ぎて少し行くと、道路の左側のやや高いところにいろいろな石造物の後姿が見えます。この辺りもまだ中津屋で、字を中道筋といます。その手前から左に短い旧道が分かれていまして、石造物は旧道の方を向いています。車をとめる場所には、特に困らないと思います。

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 お弘法様、大日様、庚申様、燈籠…たくさんの石造物が一列に並んでいます。これらは、全部がこの場所に最初からあったのではなく、道路工事等で集められたものも含まれると思われます。

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 見事な大威徳明王様です。厨子の装飾の細やかなことといったら、あまりの立派さに驚嘆いたしました。一部傷みが見られますが、比較的良好な状態です。

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 青面金剛4臂、3猿、2鶏

 こちらの庚申塔は、傷みが進み像容が極めて不鮮明になっています。実際に間近に見てみると、もう少しよくわかります。短足の金剛さんは背が低く、失礼ですがまるで七五三かお稚児行列のような、微笑ましい雰囲気が感じられました。猿は胡坐をかくようにして、脚を×の字に交叉させて座っています。

 この右側の塔も庚申塔なのですが、写真を撮るのを忘れてしまいました。それにしても、この中津屋という地域にさきほどの観音堂、そしてこちらと、たくさんの石造物が残っていることに驚かされます。小平との境界には有名な轟地蔵もあります。中津屋は昔、旱害にたいへん苦労をした土地です。どの溜池だったかは忘れてしまいましたが、確か人柱を立てて難工事の末に溜池を築きようやく旱害に襲われることがなくなった云々を聞いた記憶があります。生活難から神様仏様にすがらずにはいられなかった昔の方に思いを馳せると、胸が痛みます。今は便利な世の中になりましたけれども、交通安全や家内安全、豊年満作などいろいろな願いは尽きません。路傍の神様仏様にありがたくお参りをさせていただき、感謝の念を抱いた次第でございます。

 

(次回に続きます)