大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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都甲路を行く その5(豊後高田市)

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 都甲シリーズの続きです。前回、鶴の大師堂まで紹介しました。今回は鶴から新しい道路を上がって、長安寺からスタートします。

 16 長安

 長安寺は屋山の中腹にございます。屋山は「高田富士」と称された美しい山容を誇り、その頂上には古城の跡がございます。まだ登ったことがないのですが、ショウケが鼻からは眺望絶佳ということですので、秋頃に登ってみたいと思っています。この屋山が、東都甲の谷と長岩屋の谷を振り分ける形になっております。

 さて、長安寺にお参りするには、かつては自動車の通行に難渋するような狭路をやっと登っていました。ところがこのお寺は諸々の文化財はもとより、春の石楠花、秋の紅葉と自然景観も素晴らしうございますので杖を曳く方が後を絶たず、観光バスの往来も盛んになって参りまして、昨今の道路事情の改善には目を見張るものがあります。今は東都甲・長岩屋それぞれの谷から立派な道路がつきまして、自動車で容易にお参りできるようになりました。上の駐車場まで行きますと旧来の長い参道を歩かなくても済みますので、お年寄りや体の御不自由な方にとってはたいへんよくなったことと思います。一方で、お寺の下手の坊跡に位置する数々の石造物が一般の方の目に入ることは稀になりました。実はわたくしも楽をして上の駐車場から手短に参拝したのみでして、こちらで紹介するにはいささか不十分な状態でございます。しかし「都甲路を行く」というシリーズにおいて避けては通れない名所でありますので、ひとまず簡単に紹介することにして、種々の石造物や坊跡の史跡等はまたいつかということにいたします。

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 実に堂々とした仁王さんです。あばら骨のところや、どっしりとした脚など、さても勇ましい立ち姿で素晴らしいと思います。石造の仁王像は、木彫のそれに比べますとどうしても表現に制約がございます。ですから、その所作など一見して非常にユーモラスな造形になっている例が多く、石造仁王像に興味を持たれる方が近年とみに多くなっておりますのも、この点が大きいように思います。こちらも、失礼ながら阿形がまるでハンズフリー通話で相手を一喝しているおじさんのように見えたり、吽形が「よう!」と軽い挨拶をしているように見えたりしてきました。庚申塔の自由奔放な表現と同様に、仁王像の個性豊かな立ち姿もまた非常におもしろく、国東半島の石造文化財を探訪する際のランドマーク的な存在になっております。こういった視点は本来的な信仰からは離れてまいりますが、種々の文化財に興味関心を持つ入口として大なるところがございまして、ひとたび庚申様・仁王様に親しみを覚えたらもうその魅力から離れられません。

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 境内はいつも整備が行き届いています。こちらの紅葉は、色づきはじめの頃が特によいと思います。黄緑、黄色、橙色、赤がよく調和して、諸々の石造物や建造物に彩を添えます。うす曇りの日など、まるで絵を見るような風情がございます。

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 こちらにも石造仁王像がございます。先に紹介しましたものよりも若干小ぶりで、体の線が細くシュッとした感じです。

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 季節がばらばらですが、石楠花です。春には色とりどりの石楠花が広範囲に亙って咲き誇ります。これだけの石楠花園は、近隣にはちょっと見当たりません。仁王さんのところから六諸権現(身濯神社)に上がる石段の左右がいちめんの石楠花です。

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  六諸権現前の国東塔です。凡そ3m半もある大型の塔で、均整のとれた造形の美しさが感じられます。この塔は銘がございませんが、その様式から推して鎌倉時代の作とみられるとのことです。豊後高田市内においては、鎌倉時代の国東塔はこちらと塔ノ御堂の2基のみとのことで、歴史的にも貴重な塔なのです。鎌倉時代―気の遠くなるような昔です。当然こちらの塔は手作業にて石を削って部材をこしらえ、それを組み合わせて造立されたわけですが、いったいどのような手法であったのやらと思いを巡らせずにはいられません。四角を彫り出すのは石工さんには朝飯前でしょうけれど、筒状の部材を軸がぶれないように手作業で削り出すのは至難の業のような気がするのです。石材ですから、木彫のようにろくろをひいて平均に削り出すわけにはいかないでしょう。鎌倉時代の石工さんがどのようにしてこの塔をこしらえたのか、興味が尽きません。

 

17、桜ヶ谷の庚申塔

  長安寺から東都甲の谷に戻り、県道を登っていきます。都甲川左岸の楪(ゆずりは)や庵ノ迫(あんのさこ)にも名所旧跡がございますが適当な写真がありませんので後回しにして、大年神社の前まで行きます。庚申塔の近くには適当な駐車場がありませんので、神社前の路側帯が広くなっているところに駐車して歩きます。大年神社前を左折し、左に折り返すように登っていきます。左側1軒目のお宅のかかりにて、道路右側の石垣に沿うて折り返すように右に登ります(車は上がれません)。この辺りを桜ヶ谷と申します。道なりに少し行くと、大岩の前に牛乗り大日様と庚申様が並んでいます。

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 こちらの大日様は、厨子が一部傷んでいます。でも、装飾のないシンプルな造形の中でも窓の上のところのカーブの微妙なラインなど、丁寧な仕上げです。やはりこの山間部にあっては、その信仰も絶大であったことでしょう。

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青面金剛4臂、2童子、3猿、2鶏

 都甲シリーズでいちばん紹介したかったのがこちらの庚申塔です。170㎝ほどもある大型の塔で、細かい部分まで丁寧に表現した秀作といましょう。なんといっても金剛さんの珍妙なお顔に目を奪われます。瓢箪型の頭はどう見てもスキンヘッド。立派な眉毛に切れ長のまなじり、シュッとした鼻に引き締まった口、それなのに全く二枚目に見えないのは、下膨れの輪郭故であることは言うまでもございません。 はじめて拝見したとき、『メルヘン翁』の話(さくらももこ著『もものかんづめ』に掲載されています)を思い出して失礼ながら笑ってしまいました。とんでもない形に曲がった4本の腕、微妙にガニ股になっている脚など、まるで昆虫のような立ち姿です。衣紋の表現も、まるで折り紙の蝉のようです。金剛さんが蓮台に立っているだけなのに、仮面ライダーか何かの敵が臼の上にまたがって餅搗きの邪魔をしているように見えてしまって困りました。童子が少し内向きに表現されておりますのも、ちょうど餅搗きをしようとしたら邪魔をされて困っている方のように見えてしまいました。失礼にもほどがありますが正直な感想でございます。童子の足先がハの字に左右に開いていますのも、上体の向きと全く合っていなくていかにも稚拙な表現でありますが、このような表現方法にはなぜかことさらに親しみを覚えます。

 今度は上部を見てみましょう。日月の下のところ、盤面を彫りくぼめてあるところに鱗状の模様が2段彫られています。これはいったい何かしら、さても風変わりな装飾ではないかいなとしばし思案に耽りまして、ああこれはきっと雲、瑞雲のつもりなのだろうと思い至りました。鱗雲なのでしょう。オリジナリティに富んだ表現でおもしろいではありませんか。金剛さんの個性的な姿といい、この塔をデザインされた方のアイデアは素晴らしいと思います。近隣はおろか国東半島一円にこれと似通った表現を持つ塔は私の知る限りございません。ですから何かを参考にしたというよりは、全くもって自分の中にあるアイデア、ひらめきによるデザインと思われます。凡人にはちょっと考え付かない表現方法です。

 下半分の、3匹の猿の躍動感に富んだ表現も見事です。うきうきとした感じで、とても楽しそうに見えます。まるで盆踊りを踊っているかのようです。中と向かって右の2匹は、ヤッテンサンを踊っているように見えます。そうしますと金剛さんはさしづめ床縁に上がった音頭さん、童子は太鼓敲きでしょうか。鶏もまた楽しそうで、猿の踊りにヤッテンサンノ、セーロ、セーロと賑やかにお囃子をつけているような雰囲気も感じられます。なんとまあ楽しい庚申塔でありますこと、全く怖そうな様子が感じられないばかりか、なんだかお参りをする者の心の曇りを取り払ってくださるような愉快な雰囲気に満ち満ちている、たいへんありがたい庚申様です。並石ダムなどを訪ねられる際に、ちょっと立ち寄ってお参りされることをお勧めいたします。

 

18、平原の庚申塔

  桜ヶ谷の庚申塔裏の大岩左手より奥に行きますと、左のお宅の敷地との境界に五輪様などが並んでおり、その中にもう1基、庚申塔がございます。本当に目と鼻の先ですが、こちらの所在地は平原(ひらばる)とのことです。字が入り組んでいるのでしょう。こちらの庚申様もたいへん個性的な姿です。

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 青面金剛4臂、3猿、2鶏、蛇!

 お地蔵さんのようなお顔の金剛さんは、小さな頭巾をかぶっています。まるで湯上りに手拭を頭に乗せているかのように見えます。注目すべきは4本の腕です。下の腕がどう見てもおなかのところから生えています。なんだか太さもまちまちで、珍妙を極めます。そして達磨落としのような体型の長い長い胴体と、極端に短い脚。そして童子の姿が見えないかわりに、向かって右側の空白部分にはSの字に体をくねらせた蛇の姿が見えます。国東半島の北浦辺を中心に、蛇を刻んだ庚申塔はよく見かけます。でも、それらは蛇を単独で表現するのではなしに、必ずといってよいほど金剛さんが手で蛇を握っておりまして、所謂「異相庚申塔」(潜伏キリシタンあるいは伝承キリシタン所以のものである可能性があるとされている塔)であることが多いように思います。ところがこちらは、蛇が単独で刻まれています。他にもこのような例はあるのかもしれませんが、どのような意図で蛇を単独で配しているのか気になるところです。

 猿はごく小さく、そのポーズにはまるで赤子のような愛らしさを感じます。でもよく見てみるとそれぞれ「見ざる」「言わざる」「聞かざる」の所作であることがわかります。その下の鶏は仲良く向かい合うて、これは夫婦和合や家内安全を願うてのことでありましょう。こうして見てみますと金剛さんのものすごく不思議な表現や謎の蛇とは対照的に猿や鶏はごく一般的な表現方法をとっており、その対比におもしろさが感じられます。桜ヶ谷の庚申塔と平原の庚申塔。至近距離に、こんなに個性的な塔が2基も残っていて、同時にお参り・見学ができるのです。なんとまあ素晴らしいところでしょう。この2基を拝見して、わたくしの庚申塔への興味関心がいよいよ高まってまいりました。

 

今回は以上です。一応、現時点では、次回がこのシリーズの最終回です。並石岩峰、大内岩屋観音、梅遊寺を予定しています。