大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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糸永の八坂神社(安岐町)

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 糸永の八坂神社を紹介します。道路沿いにて、立派な山門がよく目立ちますので、通りがかりにご覧になった方も多いと思います。特に道案内は不要かと思いますが一応申しますと、安岐市街地より県道を内陸方面に進みまして、山浦で右折し西武蔵の谷を両子方面に参ります。その道中、道路右側です。

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 大正3年に建立された立派な碑がございます。漢字のみの文章ですが読めば意味はわかります。冒頭のみ拾ってみますと、「ここは西武蔵村(当時)は糸永の里で、西武蔵村の発足以前は糸永村であった。八坂神社は糸永村の神社です」旨の内容が書かれてあります。村のあちこちにある神社の中でも、こちらが「村の神社」ということでありますから、何もかも立派で行き届いているのも道理というわけです。 

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 石段には立派な手すりが整備されています。費用がかかったことと思いますが、お陰様でより安全にお参りすることができます。こちらを上がってすぐ左側のお手水がたいへん立派です。

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 いかがですか、立派な自然石を利用しており重厚な感じのする造りでありまして、しかも龍の彫刻が今にも動きだしそうなほど写実的かつ生き生きとした表現で、たいへん見事なお細工でございます。失礼ながらこの山間部の村(大字)の神社のお手水とはとても思えないほどの出来栄えにて、この地域の方の信心のほどが窺われました。

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 参道を奥に行きますと、よく肥った仁王さんが並んで立っています。お相撲さんのような恰幅のよさ、親しみやすいお顔、あまり怖そうな感じのしない立ち姿など何もかもが素晴らしく、お参りをされる方の心の癒しになることでしょう。

 今でも国東半島の神社には参道入口の両脇に仁王像が並んでいるのをよく見かけます。これは神仏習合の名残です。しかし明治初年の神仏分離により、仁王像を神社から堂様やお寺に移したりした事例もかなりございました。こちらも、もとは参道入口あたりにあったものをこちらに移したのでしょう。あまり重くて境内から運び出すのに難渋し、道路からはやや奥まった場所に移したということではないかと推測いたしました。

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 あいや、見れば見るほど微笑ましいお姿でございます。重い体をガニ股でやっと支え、まるで後ろにひっくり返りそうな立ち姿が気になりますが、そこはきちんと衣紋の裾がつっかい棒の役を果たしているので心配ご無用というわけです。

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 あっという間に拝殿に着きました。いつも掃除の行き届いた境内は、ほんに気持ちのよいものでございます。古い燈籠がいくつも並んでいます。珍しい造形ではありませんけれども、ほっそりとした脚や、笠と擬宝珠の形など、なかなかのものです。

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 狛犬もステキです。右の前脚の下を見てください。子供の狛犬をしっかり押さえています。

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 こちらは手まりを左前脚で押さえています。怖い顔をしておりますのに頭でっかちの体型やデフォルメされた四肢の表現には、どことなく漫画のキャラクターめいた雰囲気が感じられます。親しみやすい狛犬です。手まりのお花模様もかわいらしくて、昔よくおばあさんが色糸をくけてこしらえていたような手まりを思い起こさせます。

 お手水、仁王様、狛犬…と見事な石造物がたくさんありました。でもこちらの八坂神社は、まだ終わりではないのです。拝殿に向うて左側、境内に沿うて奥の民家へと続く道がありますので、それを進みます。

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 ここまで来たら、右折します、落ち葉が目立ちますが道ははっきりしていますので、すぐわかります。右下に拝殿を見ながら奥に行きます(道路から拝殿を見たとき右奥にあたる方向に進みます)。途中やや道も乏しい雰囲気にてこの先が不安になりますが、特に危ないところはありません。

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 ほどなく道の左側に石垣が見えてきます。上の段に、庚申塔、牛乗り大日様などの石造物が並んでいます。こちらは神社とは関係のない場所なのかなと思ったのですが、写真に写っております上り口の石段上の両脇に「氏子」の整備である旨が刻まれておりました。いわば奥の院的な位置づけにて神社と一体の場所であることがわかりました。これも神仏習合の名残でありましょう。

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青面金剛4臂、2童子、3猿、2鶏、邪鬼

 立派な笠が目立ちます。軒口の奥行きを見てください、ずいぶん重厚な造りではありませんか。笠の上部に蔦の類がからんでおりますが、これはこれで、もう自然と一体となった感じがしてなかなかようございます。主尊は前髪から鬢まで、すべてを後ろになでつけたような髪型で、ときどきこういう髪型のおばさん、おばあさんを見かけます。団子鼻で、頬はむっちりと盛り上がり、ほうれい線が目立ちます。大きな手で弓などの武器をしっかりと握りしめ向かうところ敵なしの風情にて、「来るなら来い!」とでも言いそうな力強さでございます。裸足で邪鬼を踏みつけており、踏まれた邪鬼は土下座をするような格好にて金剛さんの全体重をかけられ、ほんにお気の毒なこと。

 童子は尾地蔵さんのような雰囲気で、まるで今わの際の邪鬼にお念仏を唱えているような様子すら感じられます。猿は逆三角形に配され、下の猿の両側には鶏が控えています。この部分は彫りが浅く何ともささやかな感じがいたしまして、主尊の堂々たる雰囲気とは対照的なかわいらしさが感じられました。それにしても、碑面の広範囲が煤けたようになっているのはどうしてでしょうか。もしかしたら以前倒伏したことがあり、その際に地面と接したところが変色したのかもしれません。

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 こちらのお手水は扇の形です。小さいながら、よく整った彫りに感心いたしました。ちょっと、こちらの溜まり水で手を洗う気にはなれませんけれども。

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 いろいろな文化財を見学して車に戻るとき、石垣から木が生えていることに気付きました。なんともすごい生命力でございます。

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  道路端の石垣も見事なものです。よく乱積みの石垣を見かけることが多うございますが、こちらは亀甲に整形した石を寸分たがわず積み上げておりまして、半紙の1枚も入りそうにないほどの精確さでございます。村の神社でありますから、石垣ひとつとっても特別の技法にて立派に仕上げてあるのでしょう。

 

今回は以上です。国東半島は「仏の里」と申しますが神社の数も多く、こちらはその「どこにでもあるような神社」として特に気にも留めずに通り過ぎる方も多いかと思います。でも上がってみればビックリ仰天、多様な石造物を見学できますから、お近くを通りがかった際にはちょっと立ち寄ってお参りをされてはいかがでしょうか?八坂神社は、どこの村にもございます。よく祇園さま、牛頭(ごず)さまと申しまして、昔から疫病退散・無病息災の御利益があるとして信仰を集めてきました。こちらの八坂神社にも健康や感染予防などをお願いされてはと思います。