大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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上南津留の名所めぐり その1(臼杵市)

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 このシリーズでは、臼杵市は上南津留地区の名所を紹介していきます。当地区は大字左津留・乙見・掻懐(かきだき)・東神野(ひがしこうの)・高山・中尾からなります。初回は大字中尾のうち、払川石仏と旧近戸橋を紹介します。臼杵石仏から野津町に抜ける道中ですので、この地域を探訪される際にはぜひお参り・見学をされることをお勧めいたします。

 

 1 払川の庚申塔

 臼杵石仏入口から僅かに野津町方面に進みましてすぐ左折し、次の三叉路をまた左折します。南小学校を右にみて道なりに行きますと、左のガートレールに「払川→」と書かれた小さな立札がついていますので、これを左折し狭い道に入ります。もし見落とした場合、すぐ先の左側に払川バス停がありますので、これが目印になります(入口はバス停よりも手前です)。

 狭い道を払川部落へと進みます。左側に1軒民家があり、そのすぐ先が二股になっています。ここは道なりに右に行きます。道路の左側、石垣上に2軒の民家を見た先の左側に、払川石仏への上り口(車道)があります。この道は以前はありませんでしたので駐車に難渋したのですが、今は上まで上がれば駐車に困らなくなりました。ほんにありがたいことでございます。この坂道の上がりはなに、庚申塔が寄せられています。

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青面金剛6臂、3猿、ショケラ

 お顔の傷みがなんとも痛々しい庚申様です。倒伏した際に石か何かに当たってしまい壊れたのでしょうか?それ以外のところは良好な状態でありますのに、残念なことでございます。シンプルながら腕の形や頭身比など写実的なフォルムで、かっちりとしたデザインであると感じました。宝珠がまるで歯車のような造形であるのがおもしろいではありませんか。また、右手にしっかりとした形の矢を持っていますので左手で持っているのは弓かと思えば、どうも蛇を握っているようです。また、写真では分かりにくいと思いますがショケラを逆さ吊りにしていて、その小ささが際立っています。猿はめいめいにポーズを違えて、躍動感があります。

 右後ろに見えます文字塔の銘は「奉持庚申之宝塔」です。庚申塔を「庚申の宝塔」とはなんとも仰々しい呼び方でありますが、それほど鄭重にお祀りして霊験を期待したのでしょう。その霊験は「後生善所」と書かれてあります。庚申様への祈願内容としては珍しいのではないでしょうか?見切れていますが文字塔の年号は享保十二年であります。

 こちらの庚申塔は、以前、払川石仏の堂様に上がる車道ができる前は、この場所にはなかったように記憶しています。現在、グーグルマップのストリートビューに、車道ができる前の風景が写っています。確かに庚申塔は写っていません。藪に埋もれていたか、または近隣にあった塔をこちらに移して石仏と一緒にお祀りしたのでしょう。こうして石仏にお参りをする方の目に入るようになり、よかったと思います。

 

2 払川石仏

 臼杵の磨崖仏といえば何といっても臼杵石仏が有名です。これはホキ石仏、堂ヶ迫石仏、山王山石仏(隠れ地蔵)、古園石仏の総称で、大分県を代表する磨崖仏といってよいでしょう。ほかに、門前(もんぜ)の磨崖仏もよく知られております。もう一つ、今回紹介します払川石仏にも磨崖仏がございますが、こちらはよほど興味関心のおありになる方しか訪れません。市内にある他の磨崖仏に比べますと、庶民の作といった感が強うございまして、地域の方の生活に根差した霊場です。磨崖仏以外にも興味深い石造物がいろいろございます。

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 こちらが、払川石仏への参道(石段)です。これより先は払川部落の中心部ですが、道が狭くて適当な駐車場所がないどころか、転回も容易ではありません。昔からの参道を歩きたい場合も、自動車は必ず手前の車道から上がったところに停めて下さい。

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 参道を上がると正面に、たくさんの仏様が集められています。詳細は不明ですが、もしかしたら寄せ四国の類なのかもしれません。この横から裏に上がる小道がありますので、先にそちらからまいります。

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 もう風化してしまってお顔もわからなくなっていますが、裏に上がったところに磨崖仏がございます。こちらの存在に気付く方が少ないようです。ちょっと草に埋もれてかわいそうな仏様です。払川石仏をお訪ねになった際には、こちらにも忘れずにお参りをしていただきたいと思います。

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 磨崖仏にお参りをしたら、仏様が寄せられているところの正面に戻ります。千手観音様が目立ちます。いずれも彩色が鮮やかに残っていますし、細かいところまで丁寧に彫られた秀作ばかりです。似たような造形に見えても、一つひとつ、細かいところがみんな違います。

 この仏様を正面に見て右側に、トンネル状になったところがあります。これは自然地形ではなく、明らかに人為的なものであります。今から、このトンネルに入ります。

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 このトンネルはおそらく、胎内くぐりのようなものでありましょう。中腰でも困難なほど狭いトンネルです。昔の方はお念仏を唱えながら潜ったのではないでしょうか。よく見ますと、トンネル内の壁にたくさんの仏様が刻まれています!十王像らしき仏様がおわかりになりますでしょうか?

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 狭いトンネル内にあっては雨風の影響は少なそうですが、仏様の傷みが進んでおります。それは、自然の岩壁に刻んだのではなく、人為的に穿ったトンネルの内壁でありますから、どうしても安定性に欠けていたのでしょう。またはもともと稚拙な彫りであったことも考えられます。臼杵石仏の立派な磨崖仏とは全く違う、素朴で小さな磨崖仏であります。

 わたくしはこのトンネル内の仏様を拝見した際、昔の方の信心深さに感銘を受けましたとともに、これほどまでの信心に至ったその背景には昔の暮らしの難渋があることに思い至りまして、平穏無事な日々のありがたさを感じながら御礼申し上げる心持ちにてそっと手を合わせました。こういった文化財は、造形の立派さだけでは計りかねるものがございます。特に地域の方の暮らしに根差した文化財・史蹟を見学する際には美術的な観点のみならで民俗的な観点を大切にしたいと思います。臼杵石仏と払川石仏は、かたや国宝、かたや未指定文化財です。でも、その本質的な価値に上下はないと信じています。

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 こんどはトンネル外側に散在する石造物を見ていきましょう。中央の塔は「いぐりんさん」でしょうか、どうも後家合わせのような気がいたします。その両側の仏様は所謂「おめが様」の雰囲気が感じられました。お顔立ちをよく拝見いたしますと、トンネル内の磨崖仏によう似ております。この右後ろにも磨崖仏がございます。

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 彫りが浅く風化が目立ちますので、よく気を付けないと見落とします。それにしても、最初に紹介した磨崖仏とはまるで作風が異なります。異なる年代のもので、作者も別なのでしょう。

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 こちらは奪衣婆でしょうか。

 

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 さらに奥に行くと、今まで見てきた中ではもっとも保存状態がよく、かつ写実的な磨崖仏が目に入ります。こちらはすぐわかります。払川の磨崖仏としてよく紹介されている仏様です。優しそうなお顔で、慈悲深い感じがいたします。袖のカーブのところなど見事な表現ではありませんか。

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  こちらは、丸い石板に仏様が浮き彫りにされています。磨崖仏とは言えないものですが、丸い石を切り出しそれに仏様を刻むという非常に手間のかかる手法をとっているのはどうしてでしょうか。丸彫りにした方が簡単そうな気がします。

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 最奥部には、ひときわ大きな仏様に寄りそう獅子、さらにその獅子の背中には小さな仏様が乗っています。こちらの獅子は全く怖そうな感じがしません。よく見ますと、優しそうな顔をしています。

 払川石仏はいろいろな種類の磨崖仏・石造物がたくさん寄せられた、地域の霊場です。ありがたくお参りをさせていただきました。

 

2 近戸橋

 払川石仏からバス停付近まで戻り、野津方面に行きます。道なりにどんどん進み、臼杵と野津の境界に新近戸橋がかかっています。下は乙見(おとみ)ダムです。近戸橋を渡っていると左側に、旧近戸橋が見えるかもしれません。

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 こちらが旧の近戸橋です。先ほど「見えるかもしれません」と書いたのは、ダムの貯水量によっては完全に水没してしまうからです。石造アーチ橋は草に覆われ、自然と一体になった美しさがございます。写真ではアーチの上の方しか水面に出ていません。実際にはけっこうな規模の橋でありましょう。

 この橋がかかる以前はおそらく木橋か土橋で、大水のたびに壊れていたことでしょう。そうなりますと崖道を谷底に下ってトントン橋で渉るのを常として、牛馬の通行など非常に難渋したでしょうから、石造アーチ橋の竣工がどれほど地域の方に喜ばれたか、容易に想像できます。それが今となっては現代的な立派な橋が架かり石橋の方が水につかった状態であり隔世の感がございますが、よし水につかろうとも取り壊されずに残っていますので、昔を偲ぶよすがとなります。

 

今回は以上です。払川石仏も、近戸橋も、私の大好きな場所です。それで、臼杵市の記事の第1回目に選んでみました。