大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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軸丸磨崖仏(緒方町)

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 緒方町大字軸丸にあります、軸丸磨崖仏を紹介します。軸丸は棚田で有名なところです。文字庚申塔などの各種石造物や、八原橋旧跡などがございますが適当な写真がありませんので、ひとまず磨崖仏のみ紹介します。こちらはちょっと行きにくい場所にあります。道順が分かりにくいので、詳しく説明します。

 

 ファミリーマート緒方店の交叉点から、県道46号を朝地町方面に向かいます。左側に田んぼを見ながらゆるやかに上っていきますと、そのうち左側が杉林になります。その直後、道路の上を用水のパイプが横切っています。その直前を右折し、里道に入ります。右側に文化財の白い標柱が立っているのですが、分かりにくいと思います。用水のパイプを目印にしましょう。また、この曲がり角は朝地町方面からだと鋭角でとても曲がりにくいので注意してください。

 ここから先、軽自動車がやっと通る程度のものすごく狭い道になります。運転が不安な方は、先ほどの分かれ道を通り過ぎた先に路肩の広いところがありますから、そこに駐車して歩いて行った方がよいでしょう。狭い里道を上っていくと、わずかに数戸の民家があります。田向(たむこう)部落に着きました。登り詰めたところで左に行く道が分かれていますが、ここは直進して里道を下っていきます。車で下れそうに見えますが先の方で道が荒れていますので、車は分岐点の右側にとめて歩きます。

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 だらだらと長い下り坂を進んでいきますと、道がだんだん荒れてきます。この写真など序の口で、この先で4輪の車は絶対に通れなくなります。転回もできませんので、決して車で下らないようにしてください。

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 軸丸磨崖仏の境内に着きました。左側は荒々しい断崖絶壁にて、今にも崩れてきそうな迫力に胆が冷えます。

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 こちらが軸丸磨崖仏です。岩壁に仏様がただ一体のみ彫出され、ほかの磨崖は見られませんでした。不動明王とのことですが、あちらこちらが崩れてしまって原型をとどめておりません。いかにも脆そうな岩質でありまして、殊に腕と頭部は損壊が顕著です。なんともおいたわしいお姿で、それでも刀を持って、堂々たる振る舞いでございます。猿のような風貌になってしまっておりますが、もとは眼に金板が嵌め込まれていたそうです(昭和10年頃に盗まれてしまった由)。

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 詳しい説明版があります。興味深い点のみ抜粋します。

・旧の正月28日には多くの山伏や信者が集まり、奉納神楽などで殷盛を極めた

・「大友興廃記巻二十」によると、日羅が大野郡に来た際に、鬼神を使って一夜に七箇所の霊仏を建立した。六番目に軸丸の阿西寺に建立したものが、ここの不動明王であろうとしている。

・大永5年(1525年)に豪傑志賀道翁が、朝地町志賀の居城から毎晩大野川を泳ぎ渡り、阿西寺不動に丑の刻参りをして怪力を得た

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 磨崖仏の左右には、比較的大きな龕がございます。こちらには磨崖仏や梵字の痕跡は確認できませんでした。おそらく、木仏か石仏が安置されていたのでしょう。

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 向かって右側の石造物と、高い位置にある木の仏様です。

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 先ほど田向から下ってきた道は、磨崖仏から先にもなお続いています。でもここから先は本当の山道で、車は通れません。緩やかに蛇行しながら下っていくと、川べりの耕作地付近に出られます。下りきったところから川沿いに少し歩けば、八原橋跡です。この橋は軸丸と志賀(朝地町)を結んでいた橋で、かつて自動車交通が主流になる以前は盛んに利用されていたそうです。しかし利用頻度が減少したうえに台風で流れてしまって、そのままになっているのです。以前は、志賀方面から橋を渡り、この坂道を登ってお参りに来る方も多かったのでしょう。

今回は以上です。田向部落から磨崖仏までが思いの外遠く、しかも山の中をどんどん下っていくものですから、何とも不安になる道中でございました。下り口に標識があれば不安も少しは軽減されたのではと思います。