大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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三重の名所・文化財 その5(香々地町)

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 夷谷の記事の続きに戻ります。前回、西夷のカサの方の地域を紹介しました。説明の都合でまた楽庭地区に引き返して、中山仙境とそれに付随する名所・文化財を紹介します。

 さて、本文に移る前に、夷谷で昔唄われた俚謡を紹介します。これは「さのさ」のくずしで、県内で広く唄われていた「書生さん」という小唄の替唄です。

〽奥山で 独り米搗くあの水車 誰を待つやらくるくると
〽山の中 山の中 一軒二軒の三軒屋でも 住めば都よわが里よ
〽来てみれば 手の平立てたよな夷じゃけれど 好きな主さんがいる故に
 好きな故郷もネ 嫌となり 嫌な夷も好きとなる

 以上3節のうち、1節目の文句は特に地域性はございませんで、どこの地域の俚謡でも聞かれる一般的な文句です。この「奥山」を夷谷の風景に結びつけているのがこの小唄のおもしろいところでございます。特に3節目の「手の平立てたよな夷じゃけれど」には、中山仙境をはじめとする岩峰や屏風岩などが屹立する麓に広がる村々の様子がよく表れています。冒頭の写真は中山仙境の登山道から撮影したもので、まさに「手の平立てたよな」景観ではありませんか。

 それでは本文に戻ります。

 

14 尾鼻の庚申塔

 東西夷の追分、中山仙境の登山口に庚申塔が立っています。前の道を自動車で通行される際には必ず目に入りますので、夷谷に数多く残る庚申塔の中でも最もたくさんの方の記憶にある塔であると同時に、山登りをされる方等のお参りも多いことでしょう。

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青面金剛6臂、2猿、2鶏

 カンガ峠の庚申塔にほんによう似たデザインで、これと同種のものが香々地・国見両町に限って方々で見られます。所謂「異相」の塔です。こちらは塔の上部が三角形になって、あたかも屋根のような形になっているのが洒落ています。その突端に、中央に寄せて日月が刻まれています。主尊のお顔がぼんやりとしてきていて、表情があまりわからないのが残念ですけれども、全体的に彫りがしっかりしていますのでフォルムはくっきりと、よくわかります。それにしても右手で掴んでいる蛇の大きなことといったら、まっすぐ伸ばしたら主尊の身長よりも長いのではないでしょうか。花で隠れているので分かりにくいのですが、猿や鶏がごく小さく、ささやかに表現されていて、楽しく遊んでいるような雰囲気が感じられるのも微笑ましいものです。夷地区の交通の要衝にあって、地域の方はおろか通りすがりの方をも見守ってくださる、ありがたい庚申様でございます。 

 

15 中山仙境

 中山仙境こそは夷谷探訪のメインでございます。その荒々しい岩峰群は奇勝中の奇勝として近隣在郷はおろか、昨今の登山ブームにより遠方にお住いの方にもよく知られてきておりまして、杖を曳く方が後を絶ちません。中山と申しますのは東夷・西夷それぞれの谷を振り分ける形で、その中間に位置していることからの呼称でありましょう。仙境は、以前は仙峡の用字もございましたが、ともかく世俗を離れた別天地の感のあるこの景観によるものか、またはかつて修験者の行場であったことも関係があるのかもしれません。いずれにせよ漢語的な美称であると思われます。

 さて、中山仙境には4つの登山口があります(尾鼻・下坊中・小野迫・坊中)。通常、下坊中の河川プールのところに駐車して、そのまま渡渉して登るか、または県道を前田まで下って尾鼻の庚申塔の横から登って、坊中に下山することになりましょう。尾鼻から坊中までのルートの途中に、下坊中・小野迫それぞれからの道が合流して十字路のような様相を呈しております。中山仙境を楽しむには尾鼻から登るのがよいのですが、わたくしが10年以上前に登りましたときには時間の関係で、河川プールから登りました。それから1回も登っていませんので、尾鼻から合流地点までの写真がありません。いささか不十分ではありますが、記憶をたよりに紹介いたします。

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 まず、麓から見上げますとあの岩峰群のどこを通っているのか、本当に道があるのかと疑わざるを得ません。それほど険しい地形でありますので、当然そのルートは危険を伴います。写真のように要所々々には鎖が整備されておりますが、落ちたら命の瀬戸です。十分な注意が必要です。

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 こちらが中山仙境の無明橋です。写真が悪くわかりにくいかもしれませんが、2本の石材を僅かな拝み勾配にて突き合わせただけという造りにて、いかに両岸の岩根の堅かろうとてよくも崩れずに保っているものぞと感心いたします。裏には薬師三尊の梵字が刻まれているとのことです。お念仏を唱えて渡りましても、落ちたらまず命はありません。私は胆を冷やしつつどうにか渡りましたが、無理に渡らなくても迂回路があります。国東半島には、ほかにも岩峰上の無明橋がございます。もっとも著名なのが天念寺耶馬の無明橋でありまして、ほかに津波戸山や黒土耶馬にも残っております。いずれも本来は信仰のための橋でありますから、それなりの心持ちで通行したいものです。

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 中山仙境のピーク、高城(たかじょう)です。狭いので、大人数での休憩はできません。

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 眼下には大展望が広がります。ものすごい地形でございます。ルートのあちこちでこのような景観を見晴らすことができますけれど、難路が続きますので写真撮影にかまけて転落すると大事です。

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 尾根づたいにまいりますと、両側の切れ落ちた狭い道を辿ることになります。ここは馬ノ背と申しまして、中山仙境のハイライトといえましょう。

 馬ノ背を渡り終えたら下りにかかります。ここまでのコースは、高度感はあるものの注意して歩けば問題なく進めます(天候にもよります)。ところがこれより先、下山路が非常に危険で、過去に転落事故も発生しております。用心に用心を重ね、心を鎮めて行動する必要があります。尾根の突端から左に折り返すようにものすごい急傾斜を下ります。鎖はありますが足をかける場所が少なく、胆が冷えました。やっと急坂を下りたかと思えば、今度は人が一人やっと歩ける程度の小路です。馬ノ背の下を巻くようにトラバースします。ここが中山仙境のもっとも危ないところで、足下が土ですので滑る可能性があるうえに鎖がないところもありました。左は岩壁、右は崖。どちらも垂直で、いよいよ進退窮まりそうなところをやっと進むような細道でありました。あまりの恐ろしさに撮影する余裕などなく、1枚も写真がありません。

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 恐ろしい崖道をどうにか進むと、隠洞(かくれうと)に到着します。こちらの堂様にはお弘法様などが祀られています。お参りをしたら、あとは安全な道を下るだけです。この「隠洞」の呼称は「隠山軍談」によるもので、黒田官兵衛に殺された宇都宮鎮房の残党が籠っていた云々の伝説があります。残党の苗字はみな「〇〇丸」で、今も香々地町にて「香々地七丸」と申しまして「鬼丸」「市丸」「金丸」「能丸」「徳丸」「次郎丸」「五郎丸」の苗字が残っておりますほか、一部は小字名にもなっております。なお「ウト」「ウド」の地名は、西狩場の記事でも説明しましたが岩屋や洞窟状になった地形をさす古い言葉です。

 さて、これまで中山仙境のハイライトともいえる箇所をルートに沿うて簡単に説明しましたが、最後に、道々に祀られているお弘法様を一部紹介します。札所は確か十数箇所程度であったように記憶しています。おそらく中山仙境の峯道沿いだけではなく、近隣にも札所が点在していて、全部あわせると88になるのでしょう。所謂新四国の類であると思われます。

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 このように道ばたに、または少し外れた岩陰に、点々と安置されています。お弘法様のおつきの仏様が必ず対になっています。札所々々に手を合わせつつこの難路を辿りますとき、この対になった姿から「同行二人」を思い出しました。そのお陰様で怪我なく下山できたわけですが、あの馬ノ背から先の下り道の恐ろしさを思い出すにつけ、再びの登山が躊躇われるのです。また行きたや、登りたやと思いつつ、今ひとつ踏ん切りがつきません。このような迷いのある心持ちではとても登られない霊峰でございますから、こうして昔の写真を載せるよりほかなかったというわけでございます。

 

16 坊中の庚申塔

 兄弟割石(東)から夷谷温泉方面に向かいます。左側に田んぼを見ながら道なりに行きますと、田んぼがいったん途切れるところ、道路左側の岩棚上にいくつかの石造物が並んでいます。道路が拡幅した際に寄せられたものと思われます。その左端に立っているのが今夷の庚申塔です。この少し手前、右側に中山仙境の下山口があります。自動車はその端にとめるとよいでしょう。

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猿田彦大神

 この塔は形がずいぶん風変りで、まるで道しるべのような雰囲気がございます。碑面が荒れていることから、塔全体の形も元々のものとは変わってきていることが推察されます。それでも、通常の舟形の塔が風化のみによりこのような形になることは考え難いことから、元々、これに近い輪郭であったのでしょう。道路端ですので、通りすがりにでもちょっとお参りをされてはと思います。

 

17 今夷岩屋

 坊中の庚申塔のすぐ先、道路右側に急な石段があり、少し上には小さな鳥居が見えます。こちらが蛭子(えびす)社、旧の今夷岩屋です。自動車は坊中下山口に置きましょう。

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 こちらは中山仙境の岩峰群の根に位置します。それで、お参りをするには礫も露わに荒々しく崩れた大岩を右に左に縫うて、道も乏しい急坂を登っていくことになります。石段が崩れていますが、特に危ないというほどのことはありません。

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 大岩が覆いかぶさる中にささやかなお社が立っています。ものすごい立地ではありませんか。昔はお参りが多かったと思われますのに、今は荒れて、寂しい雰囲気でございます。道路からすぐの場所で簡単にお参りができますので、近隣の名所旧跡をお訪ねの際にはぜひ立ち寄られることをお勧めいたします。

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 岩屋には、中山仙境の峯道で見かけた対の仏様と全く同じ様式の仏様が安置されていました。札所の番号は確認できませんでしたが、おそらく峯道から一続きのものでありましょう。

 

今回は以上です。次回も東夷の名所・文化財を紹介する予定です。ほんとに夷谷というところは、何度訪れても新しい発見がございますし、四季折々の景色もすばらしく、興味関心が尽きません。少しずつの紹介になりますが、よろしくお付き合いくださいまし。