大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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吉野の名所・文化財 その2(大分市)

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 引き続き吉野地区の名所・文化財を紹介します。

 

4 奈津留の地蔵堂

 前回の3番「奥の庚申塔(坂道)」から引き返して、2番「奥の庚申塔(辻)」のところを左折します。道なりに行って、右に分かれる中央線のある道へと右折します。しばらく進み奈津留部落内に入りますと、道路左側に地蔵堂が建っています(冒頭の写真)。

 こちらには「大分の名木 もくせい」の説明版があります。残念なことに木犀は伐採され切株になってしまっておりますが、その切株から芽が伸びてきています。またいつか、銀木犀の花が咲く日が来ればと思います。その切株の前に石造物が安置されています。

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 向かって右から三界万霊塔、庚申塔、お地蔵様です。庚申様から見てみましょう。

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青面金剛6臂、2猿、2鶏、邪鬼、ショケラ

 碑面まで蔦が覆い隠さんとしていましたので、除去しました。主尊など比較的厚肉の彫りにて細かい部分までよく表現されていますのに、地衣類の侵蝕により全体的にぼんやりとしてきているのが惜しまれます。主尊の、外向に伸びた2対の腕を見てください、上腕が上下で平行になっており、しかもほとんど密接しているのがおもしろいではありませんか。腰回りがどっしりとした姿で、邪鬼を踏みつけて立っています。その両側の鶏は、内向きになっています。以前別府で見かけた庚申塔でも鶏がこの位置に刻まれていたものがありましたが、それは鶏が外を向いて辺りを警戒するような格好でした。向きが違うだけで、ずいぶん印象が変わるものです。猿は最下部に横並びにて3匹刻まれています。その真ん中の猿がちょうど邪鬼に踏まれるような位置関係でありますので、猿・邪鬼・青面金剛と重なっているように見えます。さぞや重そうな、お気の毒な猿でございます。

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 こちらは、遠目には石仏かと思ったのですが、基壇のところに「三界万霊」と刻まれていました。これを三界万霊塔と見てよいものか、または仏様の基壇に願い事を記しただけなのか、判断に迷うところであります。一応、ここでは前者をとりました。

 木犀の切株の裏に回りますと、8基の庚申塔(文字)が整然と並んでいます。

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文字塔「奉待庚申塔施主敬白」

 上部には梵字を刻み、碑面の五角形の彫り込みの左右には渦巻き模様を墨書しています。この模様にはどのような意味があるのでしょうか。

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 こちらは折損したものの上部を安置したもののようです。こうして見てみますと、単に文字塔と申しましても、その銘のみならで細かいところの装飾や梵字の有無、塔身の形状など一つひとつ個性があることに気付きます。ただ個人的な興味として、どうしても絵庚申(刻像塔)の方により惹かれてしまいます。

 全部で9基もの庚申塔が寄せられた奈津留の地蔵堂は、道路端ですので簡単にお参りできます。ちょっと立ち寄って、お地蔵様や庚申様にお参りをされてはいかがでしょうか。

 

5 碇尾の磨崖仏

  奈津留の地蔵堂から県道25号に出て右折し、臼杵方面に進みます。道路右側に「奥」バス停のあるところを左折すると、その先が五叉路になっています。道路標識が背を向けている道に入り、道なりに行きます。右側に民家があるところの左側の岩壁に磨崖仏がきざまれています。ここは大字杉原(すぎばる)は字碇尾(いかりお)で、こちらの摩崖仏は碇尾磨崖仏または杉原磨崖仏と呼ばれています。

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 道路端の狭い畑の奥の露岩です。この直下まで行く参道がありますが、線彫りにてあまり近すぎると却って分かりにくいように思います。まず道路から仏様の位置を確認してから、参道を通ってお参りに行かれるとよいと思いますが、付近に適当な駐車場所が見当たらないのが悩ましいところです。磨崖仏の辺りを拡大してみましょう。

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 写真の中央よりもやや右側に1体の仏様が、左側には五輪塔が、いずれも線彫りにて刻まれているのがお分かりでしょうか。かなり風化が進み、仏様も五輪塔も輪郭がうっすら分かる程度になってしまっています。仏様の方は光背をいただき、腕を丸く曲げて体前に回して合掌しているようです。辺りに説明版がありませんでしたので、詳細は一切不明です。もしかしたら、いま畑になっている辺りに昔は堂様があったのかもしれません。それにしても、大分県は磨崖仏の宝庫といっても過言ではありませんが、このように何気ない道路端にさりげなく磨崖仏が刻まれているようなところは少ないのではないでしょうか。それと見てすぐ分かるのならまだしも一見して分かりにくい状態でありますから、説明版はなくてもせめて「碇尾磨崖仏」の標柱があればと思います。

 

6 福良の観音堂

 碇尾磨崖仏から県道25号に返って、臼杵方面に進みます。コスモ石油の手前の信号のない交叉点を左折します(青看板あり・下戸次方面へ)。県道206号へ右折し、道なりに行きますと馬〆神社の看板があります。そのすぐ先、道路左側の家並みのかかりに観音堂がございます。

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 説明版の内容を起こします。

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大分市の名木

・樹高15.0m ・樹齢600年 ・樹周6.0m

・指定番号30号(樹木) ・指定年月日 昭和49年2月1日

・指定理由 大分市名木保存条例による

むくのき

 昔、火災が多く、村人は観音を勧請して火伏を祈った 10月17日を祭日と定め、相撲を奉納し無火災と子孫繁栄を祈って植えたと言い伝えられている。

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 火伏を願うた観音堂です。今も、10月17日に坪でお相撲をしているのでしょうか?また、堂様の向かって右側にはお弘法様の祠が石垣をついて祀られています。お接待を出すにもうってつけの場所でございます。

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 このように、樹齢600年の椋の木が里道の上に張り出しています。その枝ぶり、衰えを知らぬ樹勢は見事なものです。

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 どっしりと根を張った幹の太さも素晴らしく、ぜひ近くで見ていただきたいと思います。この周囲の村々のますますの発展を願うております。

 

7 いぼ地蔵様

 観音堂から、いま来た道を僅かに引き返しますと、道路左側にお地蔵様が祀られています。こちらがいぼ地蔵様で、側には湧水がございます。

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 今も近隣の方の信仰が続いているようです。この種のイボ取り地蔵様は各地にございまして、大抵水場の側に祀られています。ありがたいお地蔵様の水を患部につけましてお参りをすると、イボが取れると言われています。今のように医療の発達していなかった時代には、イボ取りの祈願も真に迫ったものであったことと思われます。

 

以上、2回に亙って吉野地区の名所旧跡・文化財を紹介しました。この地域にはまだまだ、数多くの名所・文化財がございます。またの探訪の機会を得ましたら、この続きを書きたいと思っています。