大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

カテゴリから「索引」ページを開いてください。地域別にまとめています。

諏訪の名所めぐり その2(野津原町)

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210614013522j:plain

 今回は、大字太田は繁美城址の小山付近の名所・文化財を紹介します。こちらは新四国の霊場になっておりまして、非常に近距離に数多くの石仏がございますほか、生目様、庚申様、火防地蔵様(磨崖仏)、磨崖碑など文化財が目白押しです。石造文化財のお好きな方にはぜひお勧めしたい名所中の名所でございます。

 

3 太田の新四国

  野津原から諏訪に上がりまして、県道412号へ右折し道なりに行きます。道路右側に農産物の無人販売所のある三叉路を右折し、太田の中心部へと下っていきます。新四国への上り口は道路左側の民家の間で、カーブミラーの後ろに案内板があります。付近に適当な駐車場所がありませんので一旦通り過ぎて、次の三叉路を左折して橋を渡ってすぐのところが少し広くなっていますので、路肩ぎりぎりに停めるとよいでしょう(蛍鑑賞の際の駐車場所になっているところです)。

 新四国の参道は上り口こそ石段ですが、すぐに土の道になります。傾斜が急ですので、天気のよい日(地面が乾いているとき)にしましょう。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210614013607j:plain

 さっそく札所が並んでいます。仏様の下部に、一番、二番…と番号が振られていまして、順番に八十八所の仏様を巡拝すると四国八十八所を巡拝するのと同等の霊験が得られるというわけです。左の碑銘には、上部に「八十八所碑銘」と右横書きに刻まれ、碑面にはびっしりと漢文が刻まれています。この新四国の由来が書かれているようです。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210614013610j:plain

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210614013627j:plain

 第一番札所です。細かい彫りで丁寧に仕上げた仏様には、彩色も残っています。小さな龕をこしらえた中に安置されていますので、これほど良好な状態を保っているのでしょう。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210614013631j:plain

 このように参道から少し外れたところにもたくさんの仏様が並んでいます。番号の順番にお参りするにはこの草つきの斜面を上がり下りする必要があります。急傾斜でよう滑りますうえに、本参道以外の枝道は分かりにくくなっていましたので、遥拝にとどめて先に進みました。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210614013636j:plain

 なんとも個性的な風貌のお不動さんです。一地方作と言えばそれまでですけれども、このように素朴な造形には、この霊場を開き今まで守り続けて来られた地域の方の素朴な信仰心が表れているような気がいたしまして、心温まるものがございます。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210614013642j:plain

 向かって左の仏様には本田イチさん・スナさんのお名前が刻まれています。近隣在郷の方が寄進された仏様なのでしょう。左右どちらも彩色がよく残っています。にっこりと笑うたお顔を見てください、とても優しそうな雰囲気が感じられます。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210614013653j:plain

 こちらの仏様もお顔がすてきです。立派な引き眉毛と鼻筋、おちょぼ口のお顔立ちは、まるで歌舞伎芝居のような風情もございます。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210614013659j:plain

 どの仏様も少しずつ造形が違い、その表情、微に入り細に入った丁寧な彫りなど、見ても見飽かぬ秀作といえましょう。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210614013710j:plain

 この急傾斜にあっては仏様の転倒・転落が気にかかります。どうにか破損することなく、これからも永く太田の里を見守っていただきたいと思います。

 昔の方は今のように気軽に遠方まで旅をすることができませんで、本場のお四国さんなど夢のまた夢でありましたので、このように県内各地に寄せ四国・新四国の霊場が拓かれました。そのような霊場の石仏は庶民の作・地方作としてややもすると等閑視されるきらいがあります。しかし民衆の素朴な信仰心と密接した仏様でありまして、いわばその土地々々の生活史の一端であるわけで、石造美術としての観点のみならで民俗・生活の視点から見るとその価値もよいよ高まると思います。

 

4 繁美城址(生目様)

 斜面に新四国の開かれた小山の頂上が繁美城址です。新四国の参道を道なりに登って行き、突き当りを左にとって壊れかけた石段を登れば頂上に至ります。城址と申しましても小規模の山城あるいは砦であったようで一見してそれと分かる遺構は見つけられませんでした。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210614013719j:plain

 このように頂上には石燈籠と祠がございます。城址が、今では神社になっているのでした。参道はやや荒れ気味ですが特に危ないところはありません。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210614013737j:plain

 正面は生目様の祠でございます。生目様はその名の通り、目の病に霊験があると言われております。昔は眼病はおろか近視、遠視など、目に関する悩みは何でも生目様にお参りをしました。それで県内のあちこちに生目様(生目神社)がございます。それ単独で神社の体をなしていなくても、摂社として祀られているところも含めればかなりの数になると思われます。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210614013744j:plain

  頂上からは太田の里を見晴らします。昔、木が小さかった頃は今よりもずっと長めがよかったことでしょう。新四国を巡拝して、中休みにこちらでお弁当を食べるのもよさそうです。

 

5 鶴迫の磨崖板碑

  生目様のところからもと来た道を下ります。新四国への分岐を右に見送り、直進してまりますと、道端の露岩に磨崖板碑がございます。字は鶴迫です。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210614013754j:plain

 中央は全くもって板碑の体をなしておりますが、向かって右側は下部が細くなっており、よくわかりませんでした。向かって左は板碑型ではありますが、碑面を矩形に彫りくぼめて五輪塔を浮き彫りにしているように見えました。いずれも傷みがひどいうえに植物の侵蝕により、詳細がわからなかったのが残念です。

 また、この3基とは別に磨崖連碑もあるはずなのに、見つけられませんでした。参道の近くにあると思ってよく気を付けていたのですが、見落としてしまったようです。または参道から少し外れたところにあったのかもしれません。

 

6 鶴迫の庚申塔

 磨崖板碑のところから道なりに下ると、川べりの参道に出ます。その突き当りの角に庚申塔が立っています。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210614013953j:plain

青面金剛6臂、2童子、2猿、1鶏、ショケラ

 立派な塔なのに地衣類の侵蝕が著しく、像容が分かりにくくなっているのが惜しまれます。赤い彩色がところどころに残っています。赤い髪はボリューム感があり、まるでロシアの帽子を被っているかのようです。口と顎先の間がごく狭い独特なお顔立ちにて、元は厳しい表情であったのかもしれませんけれどもかように風化が進んでまいりますと、何となく愛らしい雰囲気すら感じられます。こちらは猿と鶏の配置がかわっていて、向かって左端と中央に2匹の猿、右には鶏が1羽刻まれています。猿はまっすぐ立って腕のみ動かして口や目を隠すというささやかな表現で、稚児の落書きのようなかわいらしさがございます。

 

7 火防地蔵様(鶴迫磨崖仏)

 庚申塔のところから左に行くと光照院地福寺の跡地で、今は堂様が建っています。この堂様の中の露岩に、冒頭に写真を載せました磨崖仏が刻まれているのです。新四国の参道を通って一山越えるような格好でここまで紹介してきたわけですが、道路から直接庚申塔のところに至る川べりの参道もあります。でも、その道の入口のところでは民家の背戸を通り抜けなければなりません。母屋とシノ屋に挟まれた軒下の通路で見るからに私有地でありましたので、わたくしは通行を遠慮いたしました。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210614013816j:plain

 写真では分かりにくいと思いますが、堂様の左側の岩壁にも龕を穿ち仏様が刻まれています。近接した写真を撮り忘れてしまいました。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210614013823j:plain

 説明版にあるとおり、太田の里はかつて戦火により焼かれてしまいましたので、火伏を願うて磨崖仏が造立されたそうです。七体の仏様が一度に彫られたのではなく、長い年月をかけて順々に増えていき、今の七体並んだ姿になっている由。このような詳しい説明板があると、由来がよく分かります。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210614013842j:plain

 鮮やかな彩色が見事な、立派な磨崖仏です。丸彫りに近いかなりの厚肉彫りであるにもかかわらず、欠損がなくほぼ完璧な姿を保っているのは驚異的なことではありませんか。こちらの仏様は、その全てが磨崖ではございませんで、一部を粘土にで補うたものであるとのことです。近隣には、大分市の岩薬師(元町石仏)や千歳村の大迫磨崖仏など、同様の手法を用いた磨崖仏がいくつかございます。しかし全体の中では稀な技法であります。岩薬師や大迫磨崖仏では粘土で補うた部分の剥落が著しいものを、こちらではその継ぎ目も分からないほどに本来の姿を今に伝えるものとして、よし近世の作であろうとてその価値は大なるところがありましょう。

 こちらは近所の方の信仰が絶えることなく、お花がたくさんあがっていす。今はクドや豆炭行火、ゴエモン風呂は使わなくなりましたし屋根も藁屋根ではありませんが、それでも火事は怖いものです。当日は念願の火防地蔵様にお参りをすることができた感激とその造形の見事さについ浮かれてしまいましたが、はっと我に返ってお地蔵様に防火をお願いし、平素の暮らしにおきましても火の扱いにいよいよ注意しようと思いを新たにいたしました。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210614013849j:plain

 

○ 民話「一荷和尚」

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210614013853j:plain

  地福寺の和尚さんの逸話です。民話・昔話は地域の中で祖父母や親から子へと何代も何代も語り継がれてきたものを、昨今の社会情勢の変容により、語り部が激減しています。現地にこのような説明板がありますと伝承の一助となります。

 

今回は以上です。大字太田にはほかにも数々の古刹や神社、史跡があるそうです。この辺りにはいささか不案内でありますので全部を探訪することは叶いませんでした。またいつか探訪したいと思っています。