大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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川原木の庚申塔めぐり その3(直川村)

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 前回まで、大字赤木の庚申塔を紹介しました。今回は大字横川です。この地域の庚申塔の探訪は僅か3か所にとどまりました。それと申しますのも月形の庚申塔に思いの外時間がかかったのと、途中より天気が悪くなったこともあり、車内からその存在を目視しつつ通り過ぎたところが数か所あったためです。今になってみれば僅かの時間ですから立ち寄ればよかったと思いつつ、後の祭りでございます。

 

6 月形の庚申塔

 久留須(直川駅付近)から国道10号を重岡方面に進み、右折して県道609号に入ります(青看板があります)。大鶴部落を過ぎて、瀬戸山を越えたら横川地区です。瀬戸山を越えた最初の部落が月形で、そのかかりに庚申塔がございます。峠を越して坂を下り月形の家々が見えてきたら、道がY字になって左前方に旧道が分かれています。その分岐の左側、崖の上をよく見ますと庚申塔が立っているのが下の道路から分かります。邪魔にならないように車を停めて旧道を少しだけ進むと、茂みの間を左に上がる細道があります。その道を入ると墓地に出ます。お墓のところから左に折れて踏み分け道を辿ると、庚申塔のすぐ下の段まで行けます。そこからは道がなくなっていますので、適当なところで段差を上がって滑らないように斜面を登れば下から見えた刻像塔の目の前に立つことができますが、後ろは落ちたら大怪我をするような高い崖です。危ないので、履物と天候によっては遥拝にとどめておいた方が無難でしょう。

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 このように非常に不安定な立地です。この急傾斜にあってよくもまあ倒伏せなんだものぞと驚くやら安心するやら、とにかく胆を冷やしました。寛政元年、今から230年ほど前の造立です。

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青面金剛6臂、3猿、2鶏、邪鬼、ショケラ

 この塔を間近に見まして、難所の道を上がった甲斐があったと思いました。下の道路から枝の掻い間に見透かした印象よりもずっと写実的で、しかも保存状態が良好であったためです。舟形の塔身が美しいカーブを描き、主尊を厚肉彫りにて非常に立体的に仕上げてあります。腕の付け根を見ますと前後差をつけることで自然な収まりになっており、全く違和感がありません。恐ろしげな風貌のお顔の後ろには火焔光背も鮮やかに、衣紋や持ち物なども丁寧に彩色が施されて、指や裾まわりなどの細やかな表現も見事なものです。不気味な雰囲気の邪鬼の両脇には鶏が配され、左右それぞれに造形が異なるなどこちらも凝っています。向かって右は明らかに鶏と分かるデザイン、左は写真では分かりにくいかと思いますが、体をやや縦にして、虚空を見上げるような所作で立っています。猿は等間隔に3匹並べるのではなく、向かって左と中央の猿が向き合うて、右の猿は仲間はずれにされたかのようにやや離れています。お見事というよりほかない、立派な庚申様でございます。

 さらに、この後方に5基ほど文字塔がございます。

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奉待庚申塔

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(猿田)彦尊

 こちらは後方に倒れて、上部が破損しているのが残念です。

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 こちらも倒れてから長い年月が経過しているように見えましたが、落ち葉に埋もれてはいませんでした。地域の方が管理をされているのだと思います。

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奉拝猿田彦

 猿の字体が風変りです。文字塔の一つひとつを興味深く見学いたしまして、さて車に戻ろうとした際、急傾斜を下るのに骨が折れました。立ち木に捕まれば特に危なくはなかったものの、下りついてほっといたしました。

 

7 保食神社の一位樫

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 月形から県道を宇目方面に進みまして、道路右側に佐伯市営バスの「又江」バス停のあるところを右折し又江橋を渡ります。一つ目の角を左折し梅の木橋を渡ってすぐ右折します。ほどなくヲカ部落で、道路端に保食(うけもち)神社の鳥居が立っています。車は参道入口に1台であれば停められます。保食様は食物や牛馬の神様で、この農村部にあってはいよいよ絶大なる信仰を集めたものでありましょう。

 こちらの一位樫は参道の中程、両側にございます。立派な枝ぶりで、遠くからでもわかります。今は極端に子供が少なくなったこの地域におきましても、昔は、子供達がイッチカッチの実を拾うたものでありましょう。お参りをする際、遠い昔の子供達の賑やかな声が聞こえてきそうな、懐かしい雰囲気が感じられました。

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 説明版の内容を起こします。

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村指定天然記念物(昭和五十七年三月二十日指定)

保食神社のイチイガシ

所在地 直川村大字横川字ヲカ

 この木は保食神社の石段の中程左側に聳え、胸高周囲五・三五米あるが、十米付近で二又となっている。

 反対側にも胸高周囲四・〇八米のイチイガシがあり、神社の威厳を保って見事である。

 古老の話では、この木は約四百年は経ているという、村内唯一の大木である。この保食神社は、天慶三年(九四〇)にこの地に勧請したと伝えられている。

平成十二年三月 直川村教育委員会

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8 ヲカの庚申塔

 保食神社の鳥居のところから左に行くと、境内に至る坂道があります。そのかかりに庚申塔が寄せられています。

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 全てが文字塔で、苔に覆われてきていました。初めからここにまとまって立っていたのではなくて、何かのときにこちらに集められたもののようです。

 

9 井取の観音庵

 ヲカの保食神社から県道に戻って、宇目方面に進みます。道路が右に大きくカーブをとって見明(みあかり)峠の登りにかかる手前が二股になっています。右カーブが道なり、正面方向が左折です。ここを左にとれば大石部落です。道なりに行けば道路左側、法面の上に庚申塔が並んでいます(写真はありません)。さらに進めば井取部落で、ここが横川の奥詰めです。部落の中程に公民館を兼ねた堂様があります。

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 このように佐伯四国の標柱がありますのですぐわかります。車は道路の端ぎりぎりに寄せて停めるしかありません(ここだけ少し道が広くなっています)。

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 坪の端に、石造物が一列に並んでいます。写真に写っている五輪様は、2基とも塔身に不自然な十字の線が刻まれています。現地で拝見した際、もしかしたら隠れキリシタンに関係のある塔なのではと推測したのですけれども、よくよく考えればこんな分かり易い場所にあからさまな十文字を刻めば、すぐに感づかれそうな気もします。説明版等もなく、詳細は分からずじまいでございます。

 この並び、右側に庚申塔が2基立っているはずなのですが、茂みに隠れていてよく分かりませんでした。

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 後ろからであれば見えます。左端の小さな塔が庚申様のはずです(実際はこの左にもさらに塔が並んでいます)。

 ところで『直川の庚申塔』には、井取部落では3軒組の庚申講が続いており、平素のお座のほか4年に1回待ち上げもしている旨が記載されています。戦前のうちに多くの庚申講が絶えてしまったという直川村において、少なくとも昭和末期まで庚申講が維持されていたというのは驚きです。「3軒組」というのは、座元を3軒単位で回すのかなと思ったのですが、井取部落の軒数からして私の推測は誤りで、『直川の庚申塔』刊行時には庚申講に加たっている家が3軒しかなかったということでありましょう。現状から、さしもの井取の庚申講も止んでしまっていると思われます。今は千人参りも見かけなくなりましたし、このような写し霊場を巡拝する方も稀になりました。時代の流れとはいえ、寂しいものです。

 

以上、庚申塔を中心に大字横川の文化財・名所・銘木を紹介しました。次回も直川村の庚申塔を紹介します。