大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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直見の庚申塔めぐり その3(直川村)

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 直川村の庚申塔めぐりのシリーズもひとまず最終回となります。第1回から順に申しますと赤木(川原木その1)赤木(川原木その2)横川(川原木その3)仁田原(川原木その4)仁田原(川原木その5)下直見(直見その1)下直見(直見その2)ときて、今回の大字上直見が第8回目です。なお、実際には下直見・上直見・赤木・仁田原・横川の順に巡りましたので、もし佐伯側からこの地域を探訪される場合にはこの順番に記事を見ていただくとよろしいかと思います。

 

8 間庭の大師庵の石造物

 久留須(直川村中心部)から国道10号を佐伯方面にまいります。道なりに行って1つ目の橋を渡ってすぐ、右側に下ったところが大師庵です。車は下れませんので、いったん通り過ぎて左側にガソリンスタンドのあるところを鋭角に左折し、間庭部落の中の道(旧道)を行きます。奥詰めまで行きますと旧間庭橋の跡があり、(冒頭の写真)、その手前右側に1台であれば駐車できます。左方向に川べりの小道を少し進んで、現間庭橋をくぐる手前で左に階段を上がり、国道10号を横断します。

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 この標柱を目印に下ればすぐ、大師庵の境内に到着です。

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 瓢箪型のお手水が洒落ています。

 さて、こちらの大師庵にはお弘法様のみならで多種多様な仏様・石造物がたくさん寄せられています。まず、堂様の右側にあるトタン葺の建屋にまいります。中を3つに区切って、夫々仏様が安置されています。お参りをいたしましょう。

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 人の背丈を優に越す大きさのお地蔵様です。すらりとしたお姿がたいへん優美で、やさしそうなお顔立ちにたいへん親しみを覚えました。

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 こちらは、まさに慈悲深い感じがいたします。お線香のあがった痕跡がございまして、今なお多くのお参りがあることが分かりました。

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 この正面の一角には、野ざらしの仏様がたくさん並んでいます。

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 この場所から裏山に上がっていく道があります。その道沿いに点々と仏様が並んでいまして、新四国の体をなしております。こちらの大師庵自体が佐伯四国の札所になっているわけですが、大師庵に付随する新四国もあるのです。付随するというのは語弊があるかもしれません。大師庵と新四国は一体のものです。当日は時間がなかったのと、雨上がりで足元が悪かったので巡拝はあきらめざるを得ませんでした。

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 1段下がれば、このように御室がすごい密度で並んでいます。こちらも新四国の続きです。裏山に上がれませんでしたので、せめてこちらだけでもと思い順にお参りをいたしました。一つの御室に2体の仏様が並んでいるのは同行二人、お弘法様とお観音様や薬師様などが対になっているのでございます。やや草に埋もれつつあり、立地が不安定で傾いてきているのが気になりました。今までどれほど多くの方がこちらの新四国を巡拝されたのか想像もつきません。たくさんの方の祈りを受けてこられた仏様、札所の一つひとつが、今後も破損することなく維持されることを願っています。

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 こちらは昔の方が一体々々造立・寄進されて、みなさんの発願が結集して新四国の霊場となったのだと推察されます。厳しい生活の中で浄財を積み立てて造立されたことと思います。長い年月を経て今なお身近な四国八十八所としてどなたでもお参りができるとは、なんとありがたいことでしょう。

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 この並びには庚申様もございます。ちょうど村はずれの場所ですので最初からこちらに造立された可能性もありますが、道路工事などの際に移されたのではないでしょうか。

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青面金剛6臂、1猿、1鶏、邪鬼

 青面金剛の凛々しいお顔立ち、よく整った体の彫りなどは非の打ちどころがございません。特に申し上げるところもない、立派な主尊でございます。こちらのお塔で特徴的なのは、邪鬼です。大きなお顔だけがドンと刻まれて、あっかんべえと舌を出しています。なんと面白い表現でしょうか!最初、これは果たして邪鬼なのだろうかと疑問に思いました。ただ、上直見の記事にて紹介しました新洞の庚申塔で、邪鬼を正面から表現した例がございます。ですから、こちらも金剛さんに踏まれてギャフンと観念した邪鬼の顔だけを表しているのだと思い至りました。でも観念しているというよりは、この凛々しい主尊に踏まれてもなお平気の平左、どうということはないよ!と小馬鹿にして舌を出しているようにも見えてきます。遊び心にあふれた、楽しいデザインです。この表現を考え付いた石工さんの非凡なる発想力に感嘆いたしました。そっぽを向いた鶏や横座りの猿もかわいらしく、主尊との対比も見事なものです。

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 こちらも庚申塔と思われます。文字を読み取ることはできませんでした。

 

9 仁セ倉の石造物

 間庭の大師庵のところから、間庭橋を渡ってすぐ右折します。角には日露戦争の関係の立派な石碑がいくつも立っていますから見学されることをお勧めします(写真はありません)。次の角を左折すると、ほどなく右手に空き地が広がっています。こちらは旧上直見小学校の跡地で、字を仁セ倉と申します。車は、その空き地の適当なところに停めます。

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 山裾の方に行くと、奉安殿跡地に上がる石段があります。その左手にいろいろな石造物が寄せられています。もしかしたら昔は、近くに堂様があったのかもしれません。

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 こちらが奉安殿の跡地です。今は土台が残るのみで、荒れてきています。

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 このように石造物の周囲は荒れ気味で、草に埋もれてきています。それでも倒れたり壊れたりしているものはほとんどなかったのが救いです。向かって右の塔は庚申塔ですが、文字は読み取れませんでした。

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青面金剛6臂、1童子、1夜叉

 とても小さな、素朴な刻像塔です。主尊はまるでお地蔵さんのような風貌にて、厳めしさとは無縁の、なんとも優しそうな雰囲気が感じられます。その左右には僅かに脇侍の痕跡が認められました。向かって右は童子、左は剣のようなものを持っているように見えますのでおそらく夜叉であろうと判断しました。猿や鶏の姿は見えませんが、もしかしたら台座の前面、苔で覆われている部分に刻まれているのかもしれません。

 

10 向船場の石造物

 仁セ倉から国道10号に戻って、久留須方面に行きます。ほどなく右側に富尾神社の参道があり、そのすぐ手前に文字塔が1基立っています(写真はありません)。道なりに行って、グリーンパーク直川の標識に従って左折し橋を渡ります。向船場(むかいせんば)部落に着きました。こちらは信心深い方が多かったそうで、庚申様をはじめとしていろいろな神仏のお祭りが比較的近年まで続いていたようです。突き当りを右折して家並みに沿うてまいりますと、道路左側に薬局があります。車は、その近くの路肩の広くなっているところに停めます。薬局の手前から左に入って、畑地の端の里道(地道)を進み斜面を上がって、1段上の里道に出たら右方向に行きます。その奥詰めに目的の石造物が並んでいます。

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 このようにすぐ下を車道が通っているのですが、斜面が急で上がりにくいと思います。先ほど説明したルートで、手前から回り込んだ方がよいでしょう。

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三界万霊塔

 おちょうちょが傷んでいますが、かぎ針で編んだ手作りのものです。このように素朴な信心を目の当たりにしますと、何とも心温まるものがございます。

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 こちらの庚申塔は、文字が全く読み取れませんでした。

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青面金剛6臂、1猿(ショケラ?)、邪鬼

 苔の侵蝕が気にかかりますが、諸像の姿はまだはっきりと分かります。うっすらと彩色の痕も残っています。主尊の風貌をよくよく見ますと、谷波寄や新洞で見かけた刻像塔の主尊に似ていることに気付きました。この種の主尊は、本匠村でも何か所かで確認しています。この一帯における、オーソドックスな造形なのでしょう。ギョロリと眼を剥いた表情は怖そうな感じがしますのに、口元になぜか愛嬌を感じてしまいます。主尊の右側に刻まれている像は、猿のような気がします。主尊の方を向いて体を傾け、両手を前に出し珍妙なポーズをとっているのが剽軽な感じがしておもしろいではありませんか。でも、髪を掴まれてぶら下がっているようにも見えてきまして、そうであればショケラなのかもしれませんが、どうでしょう。主尊の真下には邪鬼の痕跡が認められます。これは間庭や新洞で見かけた、正面を向いた邪鬼の顔を大きく配した類のものであったのでしょう。鶏の姿は確認できませんでした。

 

今回は以上です。このシリーズで紹介しました直川村の名所・文化財を地区別に数え上げますと、赤木5、横川4、仁田原5、下直見7、上直見3、しめて24か所で、さらに宇目町文化財も10か所以上、実に30か所以上を1日で巡りました。その日の充足感や楽しい思い出が昨日のことのように胸に残っております。まったく直川・宇目は、石造文化財に尋常ならざる興味関心を持つ身といたしましては桃源郷のような土地でありました。なにぶん不案内な地域でございますので、わたくしの認識違いにより記事中に誤謬もあろうかと思います。何かありましたらご教示いただきたく存じます。また、あまり急いだので途中飛ばしたところがかなりございます。ですからこれまで8回に亙って投稿しました直川村関連の記事のみでは、この地域の名所・文化財の半分も伝えきれておりません。必ず再訪していつか続きを書こうと思っていますが、次回からは宇目町と本匠村の庚申塔を紹介していきます。すばらしい塔が目白押しです、どうぞお楽しみにお待ちくださいませ。