因尾の庚申塔シリーズの続きです。前回、大字山部の一部を巡りました。今回は大字上津川(こうづがわ)を巡ります。上津川はそう広い地域ではありませんで、井ノ内・中上津川・下上津川の3部落しかありませんが、興味深い石造文化財が多々ございます。まず井ノ内薬師からスタートして、虫月部落まで戻っていくルートに沿うて4か所紹介します。写真が多いので、少し長めの記事になります。
5 長楽庵(井ノ内薬師)
虫月の三叉路から宇目方面にまいります。道なりに橋を渡ってすぐ、道路右側に「長楽寺」の看板がありますのでその角を鋭角に右折します。道なりに行きますと井ノ内部落の奥詰め、左側に参道があります。そのかかりに三界万霊塔や一字一石塔が並んでいます(冒頭の写真)。参道入口に車を停める場所がありませんのでここは通り過ぎて、杉林に入る手前を鋭角に左折し未舗装の里道を行けば境内の端に車を停めることができます。
こちらは一般に「井ノ内薬師」と呼ばれており、佐伯四国の札所になっています。近隣在郷の信仰を集め、本匠村の中では最もお参りが多い札所でありましょう。説明板の内容を起こします。
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長楽寺(庵)と薬師如来像
医王山長楽寺は一名井ノ内薬師ともいわれ、大同三年(八〇八)の創建とされるが、江戸時代の初期にはひどく荒廃していた。
やがて享保の中期に入り、この寺に参詣した六代藩主高慶の意により瑞祥寺末庵として寺堂の造修が進められ、それ以来佐伯藩三大薬師(他に蒲江と津久見)の一つとして藩主・領民の厚い信仰を受けるようになった。
戦後になり堂主が去るなどして一時その衰退が心配されたが、最近地元住民の努力により新しく堂宇が整備され、再び参詣者の数が増えている。
現存する本尊は薬師如来像である。木造で高さは六〇センチばかり、衣紋にやや繁雑な手法が見られ、全体に鋭く、都ぶりの明らかな作風を示す江戸中期の秀作で、この仏像のさらに珍しい点は、内部がくりぬかれ、その中にさらに一体の仏像(胎内仏)を蔵していることである。なおこのほかに中品上生印の阿弥陀如来像、不動明王像、毘沙門天像、弘法大師像が祀られている。
本匠村教育委員会
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霊験あらたかな薬師様は秘仏で、御開帳日以外は拝観することができません。そこで、ここでは境内にございます多様な石造文化財を紹介いたします。
たいへん整ったデザインの燈籠です。笠の四隅の反り方や、火袋のところの枠のほっそりとした繊細さなど、なかなかのものではありませんか。しかも保存状態が良好です。
大乗妙典一字一石塔
こちらも状態がよく、大きな塔でありますのでかなり立派な印象を受けます。特に蓮華座の美しさはどうでしょう。矩形からの立ち上がりで8枚の花弁を配して、その花弁の自然なカーブに何ともいえない品のよさを感じました。
大乗妙典一字一石塔
本匠・宇目・直川でしばしば見かける、上に仏様が乗っているタイプの一字一石塔です。参道の上がりはなにある同種の塔よりも大型です。「乗」の字体がかわっています。
大乗妙典一字一石塔
2枚上の写真の塔とよく似ていますが、別の塔です。こちらは蓮華座が2段になっています(請花・返花)。大型の一字一石塔が3基も並んでいて、見た目にも壮観ですし、実際に小石一つひとつにお経を一字ずつ書いて埋めてあることを考えますと、さてもありがたいことでございます。
やや傷みが進んできていますが、こちらの石幢にはたいへん興味深い特徴がございます。現地には説明板がありませんでしたが、『本匠再見』にて詳しく説明されています。それによれば龕部の仏様は、正面が地蔵、右が不動明王、左が毘沙門天とのことです。主は地蔵で、1体の彫像をもって象徴的に六地蔵を表しており、左右はその脇仏である由。塔身に刻まれている梵字は、東面が薬師如来、西面が阿弥陀如来、南面が釈迦如来、北面が弥勒菩薩です。このような石幢ははじめて見ました。だいたい、南海部地方で見かける重制石幢は、龕部が円か六角のものが多いように思います。矩形のものは大野地方でときどき見かけますけれども、大野地方のそれは1面あたり2体の仏様を刻んで、六地蔵様と閻魔様などが並んでいます。でも、このように1体のお地蔵様でもって六地蔵を表し、その脇仏としてお不動様と毘沙門様を刻んでいる例はそうそうないでしょう。
三界万霊塔
どの仏様も、優しそうなお顔でございます。お参りをしてじっとお顔を拝見いたしますと、胸の曇りも晴れゆかんとするような心地にて、悩み・迷い・困りの中にある私達を救うてくださりそうな気もしてまいります。
駆け足にて、井ノ内薬師の石造文化財を紹介しました。本堂裏から山道を上がれば奥の院がありまして、そちらにはお不動様が祀られているそうです。ぜひお参りをしたかったのですが、雨上がりにて足下がよくなかったので諦めました。
6 中上津川の庚申塔
井ノ内薬師から虫月方面に戻ります。その道中、中上津川部落のかかりに庚申塔が並んでいます。道路端なのですぐわかります。
このように10基以上の塔が立っており、すべて文字塔です。一つひとつにお水があがっていて、今も近隣の方の信仰が続いていることがわかりました。こちらにはかわった銘の塔がありますので、紹介します。
庚申塔庚申
文字塔に「庚申塔」と刻まれているのはよく見ますが「庚申塔庚申」とはこれいかに。宝暦3年の塔です。もしかしたら下の「庚申」は干支を示しているのかなと思いましたが、調べてみますと、宝暦3年の干支は「癸酉」で「庚申」ではありません。どのような意図で「庚申塔庚申」と刻んだのか、いろいろ考えてみましたが干支説以外に何も思いつきませんでした。
庚申塔庚申
こちらも「庚申塔庚申」です。よく見ますと、その下に小さな字が2文字、小さく刻まれています。どうも「干支」と彫られているような気がしますが、2字目はよくわかりません。右上を見ますと「○宝」とあります。ちょうど折損で「宝」の上の字が分かりませんが2文字目に宝のつく元号で庚申塔の造立年として考えられるのは延宝のみです。延宝8年の干支が庚申ですが、「宝」の下の字はどう見ても「八」ではありません。やはり何が何やら、手掛かりは掴めませんでした。
奉請青面金剛夜叉
青面金剛のことを「青面金剛明王」とか「青面金剛夜叉明王」と申しますからおかしくはありませんが、庚申塔の銘に「青面金剛夜叉」とあるのは初めて見た気がします。
なお、写真はありませんがこの庚申塔群の先を右折して進めば、猿谷の岩風呂があります。緒方町に多数残っている蒸し風呂形式のものではなくて、石菖を岩の湯船に敷き詰め、谷水を引いて焼石を放り込んで風呂を立てる形式のものでありまして、この種の史蹟は珍しいと思われます。あわせて見学されるとよいでしょう。
7 地蔵庵の石造物
中上津川の庚申塔を過ぎて虫月方面に向かい、次の部落が下上津川です。道路右側に「60番札所 地蔵庵」の小さな看板があります。それに従って右の細道に入り、橋を渡って左に行けば道路右側に地蔵庵が建っています。その坪に寄せられている石造物を紹介します。
地蔵庵への上がりはなには、明らかに後家合わせと思われる五輪塔や宝塔、庚申塔(文字)などが並んでいます。正規の参道は右の方にあります。
左の団子状になった塔については、次項を参照してください。
お弘法様と思われます。お顔の傷みが惜しまれます。花立てが3つもあり、古いお賽銭がいくつもあがっていました。地域の方の信仰が篤いのでしょう。
こちらは庚申塔です。もとからこの場所にあったのか近隣から移されたのかは、判断がつきませんでした。
青面金剛6臂、3猿、2鶏、邪鬼、ショケラ
碑面が荒れ細かい部分が分かりにくくなっています。よく見ますと、ずいぶん怖いお顔です。主尊の両脇に鶏を配して、真下(前後差あり)には邪鬼の顔が見えます。直川村は間庭の大師庵や新洞の道ばたで見かけた庚申塔と同じようなデザインの邪鬼で、本匠村では初めて見ました。邪鬼を中心に、向かって左隣に1匹、右隣には2匹の猿が刻まれています。日輪の彩色はよく残っています。主尊などにも僅かに、彩色の痕跡が認められます。このように傷んでしまう以前は、小ぶりながらも迫力に富んだ庚申様であったことでしょう。今はこうして傷んできていますがそんなことは気にも留めずに、悠然と立ち続けて下上津川を待ってくださっている庚申様に、頭の下る思いがいたしました。
8 下上津川の石造物
地蔵庵の左側から、里道を奥に進んでいくと道路端(左側)に石造物が並んでいます。駐車場所がないので、車は地蔵庵の前に置いて歩いていくとよいでしょう。こちらの石造物は、今回の記事の目玉でございます。特異なる造形に、きっと驚かれると思います。
この串団子のような塔!これは五輪塔です。ほんに風変りではありませんか。五輪塔の一部のみを後家合わせで積み上げたように見えます。でも『本匠再見』によりますとこれは後家合わせではなく、接合部の状況から、はじめからこのような造形であったとのことです。一口に五輪塔と申しましても部材の比率によりましてその造形は多様でありますし、一石五輪塔や磨崖五輪塔などいろいろございますが、このように串団子のような形をしている五輪塔は初めて見ました。
こちらは、『本匠再見』を見て、ぜひ実物を拝見したいと思ってとても楽しみにしていた塔です。無事見つけることができた喜びと、思っていたよりもずっと高さがあって団子にしか見えない造形に、感激するやら興奮するやら、思わず手踊りの首尾でございました。たいへん珍しい石造文化財ですが標識等がないので、見学される方は稀でしょう。中央の、先が尖った細い塔は庚申塔です。
猿田彦之命
本匠村では圧倒的に少ない猿田彦の庚申塔で、地蔵庵境内に寄せられている庚申様よりも年代が下がるようです。
今回は以上です。大字上津川の石造文化財をいろいろと紹介しました。探訪ルートによっては、この記事とは逆の順番でお参り・見学をして、峠を越して宇目町は大字河内に抜けてもよいでしょう(河内の文化財は「重岡の庚申塔めぐり」のシリーズでその一部を紹介しています)。次回も、因尾の庚申塔めぐりのシリーズの続きです。