大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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中野の庚申塔めぐり その2(本匠村)

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 前回に引き続いて中野地区の庚申塔めぐりシリーズです。今回は大字波寄(はき)を巡ります。以前、直川村の庚申塔シリーズの中で言及いたしましたが、この「波寄」の用字は当て字で、「吐」の意でありましょう。すなわち吐合、つまり川の合流点の意でありまして、因尾川(※)と小川川が合流する地点から下手が大字波寄です。吐は字面がよくないので「波寄」としたのでしょうが、この用字は何となく風流な感じがしますし本来の意味にも合致しており、名案であると感じました。

※一般に合流地点より下流番匠川、上流を因尾川と申しますが、紛らわしいのでこれまでの記事ではこの地点より上流であっても本流であれば全て「番匠川」と記しました。

 では本題に入ります。まず下波寄の庚申塔からスタートして、対岸の一矢返(ひとやがえし)の石造物、臨川庵の石造物、原(はる)の庚申塔の順に巡ります。大字波寄にはほかにも広瀬や荒瀬に庚申塔があるそうですが場所が分からなかったので、これらはまたの機会といたします。

 

6 下波寄の庚申塔

  本匠郵便局から県道35号を因尾方面に少し行きますと、道路右側に庚申塔が並んでいます(冒頭の写真)。車は、少し先の路肩が広くなっているところに停められます。こちらが下波寄の庚申塔で、凡そ20基を数えます。そのうち刻像塔は2基、残りはすべて文字塔です。刻像塔を詳しく見てみましょう。

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青面金剛6臂、2猿、2鶏、邪鬼

 舟形の塔身の上端に、ごくささやかな日月が刻まれています。その位置がやや上過ぎるような気もいたしまして、主尊の頭部との間に大きな余白が生じているのが気になります。碑面がやや荒れてきておりまして、もしかしたらこの部分に何か墨書されていたのかもしれません。主尊は腕の長さがまちまちで、失礼ながら表現にやや稚拙さを感じますが、脚がスラリと長くて細身でありながらも全体としては強そうな雰囲気をよく表していると思います。それは、どっしりと待ち構えるというよりは、俊敏な印象とでも申しましょうか、弓を引き引き鉾も振り回して悪霊を次から次に倒してくださりそうな雰囲気です。

 主尊の両側には猿が刻まれています。向かって左側の猿は破損のため像容が不明瞭でありますが、おそらく右の猿と対になるような表現であったのでしょう。踊りを踊っているような、珍妙なポーズが面白うございます。下段(前に出た部分)も傷みがひどくて、特に向かって左の鶏はほとんど分からなくなってきています。よく目を凝らしますと、猿の下あたり、左右に鶏が刻まれているのが分かります。そして主尊の真下には、これも線彫りで分かりにくいのですが、邪鬼が刻まれています。この邪鬼は直川村で見かけた、正面向きにてアッカンベーをした顔のみを刻んだものと同種です。

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青面金剛6臂、2童子、3猿、2鶏、邪鬼、ショケラ

 本匠村・直川村・宇目町で比較的よく見かけるタイプの刻像塔で、以前にもよう似た塔を何度か紹介したことがございます。こちらは猿と鶏の部分の傷みがひどいものの、それ以外のところは非常に良好な状態を保っています。まず主尊のお顔周りを見ますと、額から3方向に稜線を出した角ばった髪型が特徴的です。これは髪型というより、黄色く彩色されていることから推して、帽子なのかもしれません。立派な眉毛、額のイボ、眉間の横皺、膨らんだ頬、大きな耳などたいへん個性的なお顔でありまして、さても厳めしそうな感じがいたします。また、お顔の後ろには碑面を赤く彩色しており、これは火焔光背を表現しようとしたのでしょう。火焔の線は刻まれていないのに彩色で表現しようとした閃きに感心いたしました。腕の生え方が不自然なのはさておき、指の握り方など正確な表現であり、立体感も十分です。合掌したショケラがかわいらしいではありませんか。

 童子は振袖さんで、髪の毛がクルンと外向きに跳ね上がっています。この種の童子もときどき見かけます。邪鬼は細かい部分まで丁寧に表現してあり、特に表情の細かいニュアンスが見事です。こちらも舌を出しています。顔だけの邪鬼が正面を向いて舌を出しているものはアッカンベーといった印象でありますが、こちらはいよいよくたばってしまった印象がございます。下段(前面に出ているところ)の、童子の下あたりに鶏が1羽ずつ刻まれています。そして猿は邪鬼の下あたりに3匹横並びで、中央の猿はガニ股で正面向き、左右の猿は内向きです。鶏も猿も、今のところは実物を注意深く見れば確認できますが、これ以上傷みが進んでしまうと判別できなくなりそうです。でも今は道路端に立派にお祀りされて、しかも転倒しないように固定されていますから、折損についてはひとまず安心でしょう。あとは風化摩滅が進まないように祈るばかりです。

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 後列に並んでいるすごく小さな文字塔です。ふつう、文字塔といえば文字を陰刻しているものですが、こちらは陽刻しているのが特徴です。これは珍しいのではないでしょうか。 

 

7 一矢返の石造物

 もはや愛読書となりつつあります『本匠再見』に、一矢返に能化(のうげ)様や庚申塔などたくさんの石塔がある旨の記述があり、探訪を楽しみにしていました。期待に胸を膨らまして一矢返部落に着いたものの、その石塔群の場所がなかなか分かりません。途方に暮れておりましたところ、道端の畑で作業をしている方に出会いました。「庚申さんの場所」を尋ねましたら、ご親切にも作業の手を止めて道順を教えてくださいました。しかも、無事石塔群を見つけて見学しておりますと、行き着いたか心配になったそうでわざわざ様子を見に来てくださったのです。お礼を申しますと「家に帰る途中だから」の旨を言われましたがどう考えても回り道でした。わたくしなどただの部外の者ですのに「わざわざ見に来てくれた」との言葉まで頂きまして、この石塔群についてご存じのことを説明してくださり、ほんにありがたいことでございました。

 さて、その方のお話と『本匠再見』の記述を合わせて、分かったことを簡単にまとめますと、次の通りです。

1)もとは、対岸にある保食神社の下にあった。その辺りの字を「庚申塔」という。道路拡幅にかかったので、一矢返の段々畑の上端辺りから山道をずっと登っていったところ、杉林の中に移した。

2)「庚申様のお祭り」は、教えてくださった方の先代(※)まではしていた。ご自身の代になったときには既に講は止んでおり、お座の様子など細かいことの記憶はない。 ※尋ねそびれましたがおそらく明治末期か大正のお生まれと思われます

3)掃除をするのに山道を上がるのが大変になってきたので、今の位置に下ろした。

 さて、道順を申しますと、下波寄の庚申塔をあとに因尾方面に進みます。右に保食神社の鳥居を見て、その先を鋭角に左折して沈み橋を渡ったところが一矢返です。バス停のところから川べりの道を行きます。右に家並みを見ながら少し進んで、次の角を右折します。ここから先には適当な駐車場がありませんので、どこか道幅の広くなっているところに邪魔にならないように駐車して歩きましょう。坂道を上がっていけば、左側に石塔群が見えます。猪の柵がありますので、開けたら必ず元通りに閉めましょう。

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 中央が能化様です。草で隠れていますが、仏様の台座の枠の中に「能化尊」と刻まれており、天保15年の造立です。両脇は六地蔵です。六地蔵は死後、六道に至る私達を救うてくださる仏様で、『本匠再見』によれば、能化様はその六地蔵様を統べる仏様とのことです。わたくしは初めて見ました。珍しい仏様だと思います。

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 たくさんの庚申塔が並んでいます。ほとんどが文字塔で、「庚申塔」「青面金剛」の銘が主でした。後列には破損したものや小さいもの、前列には傷みの少ないものが並んでいます。前列のものは梵字を伴うものも見られます。刻像塔は2基です(後ほど紹介します)。

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 こちらは、陰刻した文字をわざわざ赤くしています。これは「庚申様は赤が好き」の伝承によるものと思われます。文字塔に彩色を施したものは珍しいような気がいたします。

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 こちらの石祠はやや傷んできており、壊れないように針金で補強されていました。奥には、5柱の神様の名称が書かれています。拝見したとき、正直に申しますとさても欲張りなことぞと笑ってしまいました。中央がお伊勢さん、両脇には金毘羅さん、愛宕さん、お稲荷さん等ございまして、一度お参りするだけでものすごい霊験が得られそうです。この平地が少ない山村におきましては、昔の方の祈願もいとど真に迫ったものであったことでしょう。

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青面金剛6臂、4(6?)猿!、ショケラ

 まず、何といっても笠です。突端をご覧ください、これは宝珠といえるのでしょうか?尖端は亀のような形をなし、その下は矩形をなし、前面には菊の花や「キ」が見えます。これはどういう意味なのでしょう。三叉戟の形が十字架に似ていますし、ショケラの合掌の仕方も何をか言わんやといったところではありますが、この「キ」がキリストのキであればあまりにもあからさまなので、その可能性は低いような気がいたします。または「キ」に見えるだけで、単なる装飾なのでしょうか?

 主尊の頭部は下波寄の刻像塔のそれによう似ておりますが、表情はまるで異なります。大きめの鼻が目立つ優しそうなお顔立ちで、親しみ易うございます。恰幅のよい姿を碑面いっぱいに配しており、堂々たる雰囲気ではありませんか。そして問題は猿の数です。先月、因尾の庚申塔シリーズの第1回にて、松葉の庚申塔を紹介しました。松葉の庚申塔には6匹もの猿が刻まれておりたいへん驚きましたが、こちらも明らかに3匹ではありません。向かって右側には左を向いて体をかがめた猿が3匹密着しており、左側には正面を向いて横坐りをした猿が少なくとも1匹は確認できます。左端の方は碑面が荒れておりはっきりしませんがおそらく、あと2匹刻まれていて、左右に3匹ずつ、都合6匹を数えるのではないでしょうか。まったく、何が何して何とやらでございます。

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青面金剛6臂、2童子、3猿、2鶏、ショケラ

 こちらはまさに怖い形相で、よりオーソドックスな印象を受けました。碑面の荒れが気にかかりますが、まだまだ諸像の姿はよくわかります。主尊の腕の様子や頭身比などが自然で、しかも立体感に富んだ細やかな彫りなど、完成度といたしましてはこちらの方がより優れているような気がいたします。てるてる坊主のようなショケラが可愛らしく、小さく刻まれておりますのでその対比で主尊がより大きく立派に見えてまいります。猿や鶏もほんにささやかな感じで可愛いらしいではありませんか。

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 こちらの塔は、「庚申」の文字の線が交差するところの彫り方が面白く感じました。このように興味深い石造物がたくさん集められており、見学することができ大満足でございました。これも案内してくださった方のお蔭様でございます。さらに、2回の移転を経て、とうに講は止んでもなお掃除等をされている地域の方々や、『本匠再見』に関った方々のお蔭様で、わたくしのように部外の者でも容易に見学、お参りをすることができました。ありがたいことです。

 

8 臨川庵の石造物

 一矢返部落から番匠川右岸に沿うていけば、ほどなく原部落です。臨川庵に行くには、突き当りを右折します(※)。道なりに少し行けば左側に堂様が見えます。こちらが臨川庵です。車は、軽自動車であればどうにか坪に上がれます。難しければ、どこか道幅が広くなっているところを探して邪魔にならないように停めるしかありません。

※左折して橋を渡れば広瀬(保食神社の下波寄寄り)に出ますので、一矢返の沈み橋の運転に不安がある方はこの道を通ると便利です。

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大乗妙典一石一字塔

 宝珠の乗った一字一石塔は珍しいような気がします。銘には「一石一字塔」とあります。わたくしは「一字一石」の呼称の方が馴染み深うございますが、本匠村におきましては「一石一字」の方が多いようです。

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四国西国納経塔

 臨川庵に数ある石造物の中でも、特に見学を楽しみにしていたのがこちらです。『本匠再見』に載っているのを見て以来、一矢返の能化様と同時に訪れようと心に決めていました。『本匠再見』によれば、こちらはお四国さんを巡拝し終えた記念の塔とのことです。でも、「納経塔」の上部に並列で「四国」「西国」と書いてあります。現地でこれを見まして、四国八十八所のみならで西国三十三所も巡拝した記念なのではないかと思いました。代参講により何年もかけてやっと満願成就に至ったのでしょう。この塔はその記念でもありますし、きっと地域の方々のために、塔にお参りをすることで同様の霊験が得られますようにとの願いをこめて造立されたのだと思います。

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 こちらは四国西国納経塔の中の仏様です。優しそうなお顔に、拝む者の心もほっといたします。f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20210830032518j:plain

 こちらは若干傷みが進んできていますが、中の仏様の細かい彫りが見事です。

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大乗妙典一石一字塔

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大乗妙典一石一字塔

 なんと、臨川庵の境内に確認できただけでも3基もの一字一石塔がありました(もっとあるかもしれません)。よほどの信心によるものでしょう。向かって左の塔は三界万霊塔です。

 

9 原の庚申塔

 臨川庵をあとに、番匠川右岸の道を三股方面にまいります。原部落のはずれ、道路端に3基の庚申塔が並んでいます。どうも原にはこの3基のみならで、「お頭(とう)さま」のところにも別の庚申塔があるようですが、お頭様の場所がわかりませんでした。

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 こちらが、道端に3基並んでいる庚申塔です。両脇の文字塔はどちらも猿田彦で、本匠村では少数派でございます。中央の刻像塔をくわしく見てみましょう。

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青面金剛6臂、2童子、邪鬼、ショケラ、3髑髏!、猿、(鶏)

 主尊の、眦の切れ上がったお顔立ちは、険しさ・厳しさというより、何か思案に暮れているような雰囲気が感じられます。それは、庚申様が地域の方々を思うてくださっているような印象にもつながりまして、何ともありがたく感じました。腕や脚が太くどっしりとして、とても頼もしい立ち姿です。大きなショケラも軽々とぶらさげています。そして胸元に並ぶ3つの髑髏、これは首飾りでしょうか。まだブログでは紹介していませんが、武蔵町でも髑髏を3つさげた塔を見つけています。なにか意味があるのでしょう。猿は、向かって左の童子の下に1匹だけ、かすかに痕跡が認められます。おそらく左右に分かれて2匹か3匹刻まれていたのでしょう。鶏に至っては全く見当たりませんでしたが、元々はどこかに刻まれていたものと思われます。

 

今回は以上です。次から次に出合えた素晴らしい刻像塔の数々、その個性豊かな造形を説明したくてつい文章が長くなってしまいました。次回は大字三股を巡ります。