大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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中武蔵の名所めぐり その5(武蔵町)

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 引き続き中武蔵の名所を巡ります。今回は大字麻田と手野です。この地域は探訪が甚だ不十分でありますが、ひとまず写真のある分だけを紹介します。

 

16 法釋寺下の石造物

 県道55号からオレンジロードを国東方面に少し行くと、道路右側、田んぼの先に法釋寺の参道石段が見えます。オレンジロードからの道順は説明するまでもないので省略します。大字麻田、字は大條です。

 石段の下まで行くと、その両側に石造物が並んでいました(冒頭の写真)。上には山門が見えます。整備が行き届き、よいところでございます。

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青面金剛4臂、2童子、3猿、2童子

 武蔵町でよく見かけるタイプの庚申塔です。中でも、こちらの塔は保存状態が良好で細部までよく残っています。大股開きで立つ主尊が実に堂々たる雰囲気で、頼もしさを感じます。厚肉彫りで、しかもやや太めの体型でありますのでよう目立ちます。それに対して童子はほんに控えめな様子です。漫画的な表現の猿や鶏もかわいらしいではありませんか。

 向かって右隣の祠は、何の祠かよく分かりませんでした。

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大乗妙典石経

 塔身は飾り気のないタイプでありますけれども三重になった基壇が重厚で、なかなかの存在感でございます。こちらは一字一石塔でありましょう。石経という表現はあまり見た記憶がございませんが、簡潔かつ分かり易い表記であると感じました。

 今回は時間の関係で石段を上がってのお寺参りはできませんでしたので、またの機会にお参りをいたしたいと思います。

 

17 八ツ房大明神

 麻田からオレンジロードを国東方面に行き、池ノ内への分かれ道を右に見送った少し先、道路左側に参道石段があります。気付かずに通り過ぎてしまうかもしれませんので、ゆっくり進んでください。

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 鳥居がずいぶん傷んでしまい朽ちているものもありました。しかし参道石段はそれなりに手入れされているようですし、鉄パイプでもって手すりも整備されていることから、今でも地域の方のお参りがあるものと思われます。

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 赤い幟がたくさん立ち、いずれも「八ツ房大明神」と書いてあります。昭和30年代の幟もありました。わたくしの知識が及ばず、「八ツ房大明神」とはいったいどんな神様なのか分からずじまいであります。「八房神社」「八房明神」などと呼ばれる神社は全国にあるようですが、それらは「やぶさ」と読むことが多いようです。こちらは「やつふさ」で、単に読みが違うだけで意味は同じなのか、または全く別物であるのか判断に迷うております。「八つ房」と申しますと普通は唐辛子をさして、昔、シノヤ等の天井に吊ったりして貯蔵品への虫害予防に利用したものでありますが、そのことと何か関係があるのでしょうか?

 なんだかよく分かりませんでしたが通りがかりにお参りをさせていただきました。

 

18 紺屋の庚申塔(墓地)

 愛読書であります『くにさき史談第九集』に、手野紺屋の庚申塔として弁天様らしき主尊をおいた刻像塔が掲載されています。その塔を目指して訪ねること3回目にして、結局訪ね当たらずじまいでありますが、かわりに別の庚申塔を発見いたしました。今回わたくしが発見した庚申塔は同著に掲載がございませんで、所在地の字が不明です。一応、当初捜していた庚申塔とそう遠くないと判断いたしまして、項目名を「紺屋の庚申塔」とし、区別のために所在地の特徴から「墓地」と付記しました。

 道順を説明します。八ツ房大明神からオレンジロードを引き返して、県道55号線との交叉点を過ぎ道なりに行きます。左カーブ、右カーブ(左側に民家あり)の直後、道路右側に累代墓が見えます。その直後、右側に折り返すように軽自動車ぎりぎりの幅の舗装路が分かれています。その道を上がりました(車は邪魔にならないところに停めて歩きました)。

 道なりにどんどん登りますと、次第に道の左右が棚田跡の様相を呈してまいりまして、右側下方にはごく小さな流れの谷川が見えます。『くにさき史談』にあった「谷川」のキーワードに合致するものと考え、それはもう棚田跡を上へ下へと右往左往いたしまして、左上の方に見えためいめい墓に上がってみるなど捜しに捜しましたが、同著にあった弁天様型の庚申塔は見つかりません。それで、舗装路から右側の棚田跡に下りて石垣に沿うてまっすぐ行きますと、田んぼの反対側の里道(舗装)に出ました。その辺りも墓地になっていて、その一角で目的のものとは違う庚申塔を見つけたというわけです。その後も弁天様の庚申塔を捜して棚田跡をまたうろつき、結局元来た道を引き返しました。ですから今回見つけた庚申塔のところから里道を下ったらどこに出るのかは確認しておりませんが、おそらく支援センター「タイレシ」裏手に数軒寄り集まっている辺りに出るのではないかと予想しております。

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 里道から庚申塔が見えたとき、わたくしの捜す塔ではなかったもののこちらも初見でありましたので、棚田跡の捜索に往生した甲斐があった、無駄足にならでよかったとほっといたしました。

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青面金剛6臂、2童子、1猿、2鶏

 なんと珍妙な塔でありましょうか。まず主尊のお顔を見ますと極太の眉毛が凛々しく、目鼻立ちには西洋の方のような雰囲気も感じられます。そして何と申しましても異常なる腕の細さでございます。これは一体どうしたことでしょう。しかも、3対の腕の付け根が離れて昆虫のようになっておりますうえに、上と中の腕が遠く、中と下の間は近いというアンバランスさでありまして、これを珍妙と言わで何と申しましょう。衣紋の裾まわりが段々になっているところも見逃せません。

 猿と鶏はややわかりにくうございます。どうも真ん中で猿が1匹正面を向いてしゃがみこみ、その両脇にて鶏が内を向いているようです。このシリーズの初回にて紹介しました吉広は鶴の阿弥陀堂庚申塔と同じような表現で、やはり猿が鶏につつかれているように見えてまいりました。

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 庚申塔の左上には小さな平場を設けて、灯籠と庚申石らしきものが見受けられました。昔はこの場所で餅まき等をしたのかもしれません。それにしても墓地の側にある庚申塔で、今も近隣の方の目にふれていると思われますのに、『くにさき史談』に掲載されていなかったのが意外でございます。もしかしたら、このように同著に掲載されていない庚申塔がほかにもいくつかあるかもしれません。何の当てもなく野行き山行きというわけにはいきませんけれども、何かのついでに同著に掲載のない庚申塔を見つける可能性もあると思えば、今後の探訪の楽しみがいよいよ増してまいりました。

 もちろん弁天様型の庚申塔も、もう少し涼しくなったらまた捜しに行こうと思っています。

 

19 手野日向の庚申塔

以前の記事を参照してください。

oitameisho.hatenablog.com

 

 

今回は以上です。中武蔵のシリーズはこれでお休みにして、次回はどこか違う地域を紹介します。