大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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三重の名所・文化財 その9(香々地町)

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 長らくお休みしていた夷谷シリーズを再開します。今回は西夷の谷にあります磨崖仏群を中心に紹介します。特に横岳の磨崖仏はインターネット・書籍ともにほとんど紹介がなく、シリーズ中の目玉の一つです。

 

27 かたしろ様(谷ノ迫磨崖像)

 東西夷の追分から西夷の谷に進み、西夷公民館の手前を右折して橋を渡りますと谷ノ迫部落です。道なりに左に折れて進みますと、道路右側に累代墓があります。その少し先、やはり道路右側に文化財の白い標柱が立っています。車は、その先のやや道幅が広がっているところの端ぎりぎりに邪魔にならないように停めるしかありません。白い標柱のところから背戸道を歩いて上がれば、冒頭の写真の場所に出ます。道しるべに従って石垣の角を右に行けば、斜面の上に石造物群が見えてきます。

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 目的地に到着しました。直登するには傾斜が急なので、適当に折り返しながら登ってください。特に危なくはないと思います。

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 このように、上段の狭い平場にたくさんの五輪塔が並んでいます。その多くが壊れたり後家合わせになっていたりで、完全な姿を残すものは少ないようでした。その五輪塔群の後ろの岩壁に都合5つの龕を設けて、そのうち3つに磨崖像が3対刻まれています。

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 こちらはかなり傷みが進んでおります。おそらく磨崖連碑でありましょう。

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 さても奇抜なるデザインの像です。お顔の表情と拝み手以外は簡略化が甚だしく、まるで木彫りの民芸品のような雰囲気でございまして、あまりに珍妙な表現に目が釘付けになりました。なかなか魅力的なお顔立ちでございます。しかも、向かうて右の像を見ますと着物の文様など何も刻まれておりませんのに、ちょうど地衣類の侵蝕の具合で素朴な絞り模様のようにも見えてまいりまして、こんなところにも自然と一体となった磨崖像ならではの特性が感じられました。

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 すぐ左隣には、打って変わってほんに写実的な造形の夫婦像が刻まれております。そのお姿からは、神官さんと巫女さんか、または大昔の高貴なお方のような印象を受けました。名称を忘れてしまいましたが、ずっと昔、わたくしが子供の頃にこれとよう似た対の人形が自宅の床の間にありましたのを思い出しまして、懐かしさを感じました。

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 こちらの龕はことさらに幅広です。何の痕跡も確認できませんでした。おそらく墨書にて何かが文字が書かれてあったのでしょう。

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 こちらの龕のみ、左の方にやや離れております。気を付けないと見落としてしまうと思います。正面がすぐ斜面になっていてやや足場が悪いので、近寄る場合には十分気を付けてください。磨崖像の前には、丸い石がいくつも置いてあります。これはきっと、お供えの類でありましょう。現地に説明板がなかったので詳細は分かりませんが、もしかしたらこの石は、お参りをされる方の身代わりの意味があるのかもしれません。この一連の磨崖像を地域の方は「かたしろ様」と呼んでいます。「かたしろ」とはおそらく形代、つまり祈祷の際に依代となる人形のことでしょう。方々に、子授け祈願や病気治癒祈願等で、饅頭型の石を持ち帰って願いが叶うたらまたそれと似た石を戻す等が伝わっている霊場がございます。こちらもそれと似たようなお参りの仕方をするのではなかろうかと推測しております。

 この磨崖像を正面から見てみます。

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 衣紋の、菱形の文様がお分かりでしょうか。写真が悪いので見えにくいかもしれませんが、実物を見ますとくっきりと残っています。この紋を四つ菱と申しまして、家紋でよう目にします。

 こちらは、夷谷の名所の中では今一つ知名度の低いように思います。でも歩く距離はしれていて簡単に訪れることができますし、珍しい造形の磨崖像が3対も見られますから、夷谷を訪れる際にはちょっと立ち寄って見学・お参りされることをお勧めいたします。

 

28 小野迫の庚申塔(下)

 かたしろ様から元の道に返って、西夷の谷を上っていきます。分かれ道の角に「梅ノ木磨崖五輪塔」の標識があります。その左の方の崖に庚申塔が1基立っています。こちらは小野迫部落の庚申様ですが、小野迫には貴船神社にも別の庚申塔がありますから、区別のために項目名に「下」と付記しました。

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猿田彦大神

 この地域では、猿田彦庚申塔青面金剛よりも年代が新しい傾向にあるようです。それと、猿田彦の塔には道祖神的な意味も持たせている場合もあるようですから、もしかしたら分かれ道の角に立っているのもそういった意味合いがあるのかもしれません。

 

29 梅ノ木磨崖仏

 小野迫の庚申塔のところから東狩場に抜ける道を少し進めば、道路左側に駐車場があります。そこから小道を左に進んで、田んぼの奥で右に折れて道なりに進んでいきますが、途中は落石等でやや荒れ気味なので注意して通ります。数枚の田んぼを右に見て進み、左折して鎖を頼りに急な階段を登った先が目的地です。

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 説明板の内容を転記します。

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県指定 梅ノ木磨崖像
 中尊は、縦横約1mの枠取りの中に浮彫りされている。地蔵尊とも仁聞菩薩像ともいう。像高は40cm、総高は約70cmである。像にはわずかに着色のあとが残っている。像の上には天蓋がかざされている。
 像の左方には比丘像が、右方には比丘尼像が2体ある。いずれも中尊に向って拝んでいるようすである。
 同じ岩壁の左手には線彫板碑や磨崖五輪塔があり、またこの近くには多数の五輪塔がある。
 いつの頃の作か不詳だがこの地区にある別の磨崖像に南北朝期のものがいくつかあるのでその時代と推定している。
 昭和28年県指定文化財となった。
   香々地町教育委員会

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 説明の中にある「この地区にある別の磨崖像」とは、かたしろ様(谷ノ迫磨崖像)を指していると思われます。詳しい説明でありますが、この文化財と地域の方とのかかわり(地域の中での位置づけ)が今一つわからないのが残念です。

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比丘像

 中尊を向いて拝んでいます。この磨崖仏の施主ではないかと思いますが、詳細は不明です。

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中尊(お地蔵様または仁聞様)

 天蓋をかざし、八重に咲いた蓮華座の上に坐すお姿は、素朴ながらもたいへん高貴で、ありがたい感じがいたします。小型の磨崖仏でありながら、細かいところまでよう行き届いた表現はなかなかのものであります。

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比丘尼像2体

 やはり中尊を向いて拝んでいます。それにしても比丘像が施主とすれば、こちらの2体のうち向かって左の比丘尼像はその妻でありましょうか。そうであれば右の比丘尼像はいったい、どのような意図なのでしょう。

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 4体の磨崖像の付近の岩壁には、たくさんの磨崖五輪塔が残っています。矩形のごく浅い龕に、平板に浮き彫りにしたいぐりん様でございまして、めいめいの下方には納経のためでありましょうか、穴が開いています。

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 こちらは龕の上部に丸い彫り込みが見られます。おそらくその部分には梵字が刻まれていたか、または墨書されていたものでありましょう。

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 このように、地面に近いところのみならで上段にもずらりと刻まれた磨崖塔は、いずれも平板で失礼ながらやや稚拙が感じられる造形ではありますけれども、大変な労力によるものでありましょう。普通に石を重ねてこしらえるよりも崩れる心配が少なく、しかも自然と一体となったところに何らかの意味を見出したのかもしれません。

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 磨崖の五輪様の前には普通の五輪様が並んでおり、まさに五輪様づくしの感がございます。普通の五輪様の方はやはり崩れたり、または後家合わせになっているものが目立ちます。その点、磨崖のものは風化摩滅はありながらもその輪郭はよう残っておるところから、態々磨崖でこしらえた甲斐ありといえましょう。

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線彫連碑

 残念ながら線がほとんど消えてしまい、一見してそれと分からなくなっています。上部に、ぎざぎざの線が刻まれています。これが連碑の上端の部分で、その谷の部分から下方に幾筋もの直線が刻まれてあったのでしょう。

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 近くで見かけた、特徴的なお姿の仏様です。

  

30 横岳の磨崖仏

 こちらはその存在をずっと知らなかったのですが、友人に教えてもらい見学することができました。県内には磨崖仏の数多かれど、まだまだこのように一般に知られていない磨崖仏・磨崖塔の類があちこちにあるのでしょう。

 梅ノ木磨崖仏から小野迫庚申塔の三叉路まで引き返して左折します。横岳部落の手前、右側の休耕田の横から川の方に下りて行く小道(車不可)がありまして、その道を少し下れば道祖神と思われる石塔が立っています。車は道幅が少し広くなっているところの端ぎりぎりに、1台程度であれば停められます。

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 折れた跡が痛ましうございます。この塔はそれなりの厚さがございまして、単に倒れただけではここまで壊れないような気がいたします。もしかしたら明治初年の廃仏毀釈の折に破壊されたのかとも思いましたが、この地域におきましては他の石仏・石塔にそのような痕跡が認められないものがほとんどでありますから、廃仏毀釈とは関係がなさそうです。どうしてこんなに傷んだのでしょうか。

 この塔を見学したら引き返して、車道を横切って杉林の中の広場に向かいます。道路からそう遠くないところに祠がありますのですぐ分かります。

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 立派な石組には段々を設けて、お参りがしやすいようになっています。ただ祠を安置するだけでなくこのような構造物を設けてあるところから、以前はよほどの信仰を集めたものと推察いたします。この祠の辺りから適当に上段に上がります。左側が谷、右が崖になるような位置に進みますと目的の磨崖仏が見えてきます。

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 磨崖仏に上がる道中にて、木の根に五輪様がひっかかっていました。なんともものすごい光景でございます。地面まで落ちてひっくり返ったら壊れてしまいそうなものを、首尾ようここにとどまっているわけですが、このままではやや粗末になっているような気もいたしますのでできれば、参道脇に下ろした方がよさそうな気がしました。

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 木の根が浮き出たところの真下の龕に磨崖仏が刻まれています。その周辺には板碑らしき石造物が倒れていました。ここが一体どんな場所なのか皆目分かりません。もしかしたら、堂様か何かが昔あったのかもしれません。

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 なんと、3体の磨崖仏が刻まれていました。中央の像はなかなか彫りが細かく、状態が良好です。脇侍らしき像は下部が土砂に埋もれてしまっているのが惜しまれます。これだけの磨崖仏が全く等閑視されているのはどうしてでしょうか。説明板はおろか、文化財の標柱すらありません。

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 左側にはそれなりに大きな磨崖五輪塔も残っていました。

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 こちらは右側の磨崖五輪塔で、下部が埋もれてしまっています。その右には双胎道祖神らしき石造物がございまして、これは磨崖ではないと思いますが半分が埋もれているので、まるで磨崖仏のように見えてまいります。

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 この遺構は、仏跡とでも申しましょうか、今ではお参りもなく信仰が絶えているように思われます。やや足元が悪いものの気を付ければ問題ないレベルですし、車道からすぐ近いので何かのついでにでもちょっと立ち寄ってお参りをされてはいかがでしょうか。

 

今回は以上です。次回は、道園や台林の庚申塔の紹介を予定しています。