大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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夷の名所・文化財 その9(香々地町)

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 夷谷シリーズの続きです。今回は西夷の谷のうち、道園の名所・文化財を紹介します。この地域は探訪が十分でなく、特に磨崖連碑とその周辺の石塔群が未探訪でありますので甚だ不十分な記事になってしまいます。未探訪の庚申塔もありますので、それと合わせて磨崖連碑は別の機会に紹介することにしまして、ひとまず写真のある分だけを先に紹介いたします。

 

29 朙見宮

 前回、横岳の磨崖仏まで紹介しました。そこから尾鼻(東西夷の追分)方面に下っていきますと、道路右側に朙見宮がございます(冒頭の写真)。「朙」は明の異体字で、あまり見かけることのない字です。明見とは妙見様と同じ意味でありましょう。道路端にありますので、気軽にお参りできます。車は、鳥居のすぐ横の路肩が広くなっていますからそこに1台程度であれば停められます。境内には笠塔婆のような石造物が1基ございます。

 

30 板井春哉さんの像
 朙見宮から下ってまいりますと、道路右側に正装の男性の像が立っています。通り過ぎてしまいがちですが細かいところまで行き届いた立派な像ですから気にかけてみてください。

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板井春哉さん

 西夷の出である板井姓の石工さんはその技量の優ること著しく近隣在郷に名を馳せ、今なお「板井派仏師」などと申します。春哉さんもその一派の方です。石仏を多数こしらえたほか、東夷の戎橋も手がけました。地域のために尽くした春哉さんを顕彰するために弟子筋の方々がこしらえたのが、この石像です。石造文化財を探訪される方には、ぜひこの像を見学していただきたいと思います。

 

31 道園の庚申塔(イ)

 道園部落には庚申塔がいくつかあります。今回紹介する2か所の庚申塔について、小字名がわかりませんので便宜的にイ、ロと区別することにします。道園の庚申塔の場合はわたくしが把握している限りでは、未探訪のものも含めまして3箇所に分かれています。最初は、いちばんカサの塔からまいります。

 板井春哉さんの像よりもやや尾鼻寄りに、農業用の小さな倉庫がたっています。その手前の背戸を右に上がりますが車は入れませんので、どこか邪魔にならないところに停めてください。小川に沿うて進み、1つ目の分かれ道を左に折れてすぐ鋭角に右に折り返して急坂を登ります(最初に通ってきた小川沿いの道と平行気味に登る道です)。ここを間違いやすいので気を付けてください、入口からただ直進するだけでは辿り着けません。急坂を登り詰めたところに、庚申塔が立っています。

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 破損した青面金剛の刻像塔と、猿田彦の刻像塔が立っています!猿田彦の刻像は大分方面で何回か見かけたことがありますものの、国東半島におきましては大変珍しく貴重なものです。道園部落では庚申講が続いており、今なお2年おきに待ち上げをしているそうです。シメをかけた塔に延し餅をかぶせて、しとぎ餅を撒きます。昔は方々で見られたこの行事も衰退著しく、道園の事例はほんに貴重でありますので指定文化財になりました。

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青面金剛6臂、2童子、3猿、2鶏、1夜叉

 倒れたときに後ろの岩に当たったのでしょう、無残にも塔身が割れてしまっています。道園部落において庚申講が続いているのに修理されていないのは、庚申様としての信仰が猿田彦に移り、こちらの方はただ安置されているだけになっているのかもしれません。全体が苔に覆われやや見えにくくなっているところもありますが、細かい彫りがよう残っております。壊れる前はさぞや立派なものであったと思われます。これとそっくりの塔が前田の渓口庵跡地の上手にも残っています(またの機会に紹介します)。

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 主尊と童子は大きな蓮台の上に立っています。その真下、中央にただ1つ刻まれた夜叉の強そうなことといったら、まるで主尊を操っているようにも見えてまいります。その横の鶏と猿は自由奔放な配置です。向かって左上と右上が鶏、左上の鶏の右隣は横向きで口を押えた猿、右下はおそらく目を押さえているであろう横向きの猿、左下は正面向きにて耳を押さえている猿です。正面を向いた猿がラジオ体操のガニ股運動のような姿勢でなんとも可笑しく、夜叉の堂々たる立ち姿とは対照的です。

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猿田彦

 杖をついて斜め上を見る猿田彦は、厳めしそうな顔をしています。猿田彦は天狗様のような風貌で、元々は道案内の神様で道祖神としてお祀りされることが多かったものを、猿が申に通じますのでのちの庚申様と結びついたそうです。県内では、玖珠・日田・下毛・宇佐地方の庚申塔はほぼ全てが猿田彦ですが、国東半島や大分、南海部方面など青面金剛猿田彦が混在している地域もあります。後者では、概ね青面金剛より猿田彦の方が時代が下がる場合が多いようです。

 

32 道園の庚申塔(ロ)

 31番で紹介した庚申塔から下の道路まで戻って、僅かに尾鼻方面に進めば道路右側に小さな祠があります。その祠のところから梯子段を上がれば、大きな木の下に庚申塔が立っています。

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青面金剛6臂、3猿、2鶏、1夜叉、蟹!

 逆光にて写真が悪く、とても見にくいと思います。碑面の状態は良好ですので、現地で実物を見れば諸像の姿がよく分かります。主尊は防空頭巾を被っているような髪型で、6本の腕の付け根がきちんと収まっています。スマートな体型で、魔法使いのような雰囲気がございます。その真下には夜叉が1匹、堂々たる立ち姿にて周囲を威嚇しておりまして、なんとなく優しそうなお顔の主尊とは大違いでございます。ガニ股の猿が3匹横並びになっているのは国東半島の方々で見かける造形で、剽軽な感じがしておもしろいし、仲良しの雰囲気が感じられて微笑ましいではありませんか。

 そして、この塔で最も注目すべきは台座に刻まれた蟹です!正面の、向かって左側に刻まれています(実物を見ればすぐ分かります)。この蟹の意味はよく分かりませんが、「蟹と猿は昔仲のよい友達だったから」等の伝承もあるそうです。これは猿蟹合戦のお話から想像したと思われますが、なんとも面白い発想です。ほかにも、この塔を所謂異相庚申塔潜伏キリシタンの仮託信仰の対象物)と見て、蟹もキリスト教の関連との説もあるようです(船が難破してザビエルがやむを得ず海に投げた十字架を蟹が届けてくれた/ザビエルの乗った舟の底に穴が開いたときカニがその穴をふさいでくれた)。真偽のほどは不明でありますが、いずれも興味深い説ですし、ほかにもいろいろ想像してみるのも楽しいものです。

 

今回は以上です。夷谷のシリーズはまだまだ続きますが、適当な写真がありませんのでしばらくお休みにします。次回は、三重町は百枝地区の文化財を少し紹介します。