大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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嫗岳の名所めぐり その1(竹田市)

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 竹田市は嫗岳(うばだけ)地区の名所旧跡を紹介します。この地域は祖母山の麓で、旧嫗岳村は祖母山の別名に由来するものです。自然豊かな嫗岳地区は山また山、その谷間を流れる清らかな流れは神原(こうばる)渓谷と申しまして、久住高原や陽目渓谷と並ぶ、直入地方を代表する自然景勝地です。杖を曳くハイカーが後を絶たず、殊に紅葉の時季には神の絵筆もかくやと思われる素晴らしい光景が広がりまして、神原渓谷を巡らねば竹田観光も片手落ちといえましょう。さほどの自然景勝地でございますうえに、この一帯には古社・史蹟の数多く、とても1日では廻りこなせません。しかもお神楽や倉木の盆踊りなど民俗芸能も多く残っております。何しろ竹田市街地からも遠いものですからそうやすやすと訪れることができませんで、まだまだ不案内な土地でありますけれどもこの景勝・名所を、少しだけですが紹介いたします。

 

1 健男神社御旅所

 健男(たけお)神社は嫗岳地区を代表する神社です。上宮は祖母山山頂で、祖母山はわたくしには荷が勝ちますので登ったことがなく今後もおそらく登ることはないと思います。でも下宮と御旅所は車道からほど近いので、簡単にお参りすることができます。下宮は適当な写真がなかったのでまたの機会としまして、御旅所の鳥居付近の風景を紹介します。標識が充実していますので道案内は省略します。

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 銀杏の散り敷く境内は、夕方に訪れると殊に映えます。こちらは、昔は上宮遥拝所であったそうですが昭和9年に社殿が建立されまして、戦後に御旅所となりました。お祭りの日には、お神輿や獅子舞、白熊(はぐま)練りが出るそうです。白熊練りと申しますのは毛槍ひねりの行列で、県内では大野・直入地方にて特に盛んに行われています。こちらの白熊練りの様子は見たことがありませんが、一般に伊勢音頭や兵庫音頭等を唄いながら千鳥に進んでいくことが多く、その光景は壮観でありますし、殊に「シメ越し」などと申しまして鳥居をくぐらせるようにして向う側の人に毛槍を投げ渡す所作は何度見ても素晴らしいものです。祖母山に登れない方も、こちらにお参りをして遥拝されてはと思います。嫗嶽地区の名所めぐりの拠点としても最適の場所です。

 

2 穴森神社

 穴森神社も、健男神社に関連する神社であるそうです。こちらは平家物語『緒環』にも記載のある、大蛇(嫗岳大明神の化身)が棲んでいたという洞窟がご神体です。その洞窟は、清川村の宇田姫神社の穴につながっていると言われています。昔から子授けの霊験あらたかでありまして近隣在郷より参拝者が後を絶ちません。

 さて、こちらも標識が充実していますので道案内は不要と思いますが、自動車で訪れる場合には穴森部落内の参道入口には駐車場がありませんので、道なりに進んで大規模林道経由で回り込み、上の鳥居の下に駐車した方がよいでしょう。または、下の鳥居の近く、道幅が少し広くなっているところの路肩であれば1台程度は停められますけれども、地域の方の迷惑にならないように気を付けてください。

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 下の鳥居から歩いてまいりますと、道が左に急カーブして急な登りにかかる手前、外側の渓流がごく小さな淵をなしています。その淵は僅かに青みがかった水に秋は紅葉を筏となして、なかなかよい景観でございます。

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 車をとめて境内に入れば、鬱蒼とした社叢の枝の掻い間より薄日が差して、さても神々しい雰囲気が感じられます。こちらの鳥居はそう古いものではありませんけれども、景観に合うていると思います。

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穴森神社と大蛇伝説

 説明板の文字が小さく字数も多いので、概要を記します。

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穴森神社の由来

○ 穴森神社は、古くは池明神や池社と呼ばれ社殿裏の岩窟は水をたたえた池であったと言われている。その池には大蛇が棲んでいた。
○ 江戸時代初期に岡藩三代藩主中川久清の命で池の水が抜かれ、元禄16年には地底の洞窟から大蛇の骨が見つかった。
○ 源平合戦での緒方三郎惟栄の活躍が書かれた平家物語『緒環』には、惟栄が「怖ろしき者の末裔」であると紹介され、嫗嶽大明神(大蛇)と華御本姫との神婚伝説が記されている。

○ 祖母山大明神の化身ある蛇神の子を宿した華御本姫(清川村宇多枝)は、親の伝えで和歌に堪能であったことから歌媛様と称されていた。端麗な若者が夜な夜な通い、夜明を待たで所も言わず名も語らず去っていた。姥の助言で、麻糸を付けた針を男の袴に縫い付け、男の帰った後で姫、姥、侍女が糸を辿った。着いたところが穴森の岩窟、その奥深くより呻き声あり、姫の挨拶に男の返事には「醜悪な姿を見せられぬ、針が喉に刺さっており間もなく死ぬ、子は必ず天下の英傑となるから大神と名乗れ」と。それと聞いても未練心に立ち尽くせば、一陣の風に山鳴りあり、岩窟より大蛇が出できた。驚いた三人は逃げ出すも、姫は驚き悲しみ、夢か現の心地にて今一度端麗の男を思い浮かべて見返れば大蛇が男として現われ、伸び上がりて名残惜しんで見送っていた。郷に戻った姫は弘仁2年3月5日に男子を産み、神宣に従い大神大太と名付けた。

○ ゆかりの地について
・糸を辿る途中、麻の生えたところを「糸径野」、糸を束ねたところを「佃原」、顔を洗うたところを「洗原」、鏡を掛けて化粧したところを「鏡山」という。
・姫が振り返ったところを「振返野」という。
・逃げる途中で姥と侍女が息絶えたところに小祠「姥社」を建て祀っている。
・産祷の地が清川村宇田姫神社で、その洞穴から湧く清水は穴森神社岩窟と相通じており、穴森神社神池に籾を投げたらその12日後に宇田姫神社泉に流れ出る。

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 境内を奥にまいりましてこの石段を下りたところを右に折れたところがご神体の洞窟です。お金を入れて、確か30分でしたか、時間を切って照明を灯すことができます。ゆっくり見学したい場合は懐中電灯等持ちませんと、もし奥の方で照明が消えたら大変です。

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 このように足場が悪いので、奥に入りたいときは歩きやすい履物にしましょう。そして時間に余裕をもって入口に戻りましょう。

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 子授け祈願の際には、この洞窟から石を持ち帰ります。そして子宝に恵まれましたらばその石を、お礼参りの際にまた洞窟に戻るという風習があるそうです。

 

3 鎧淵の滝

 穴森から、神原渓谷に沿うて上流にまいります。穴森部落を過ぎて、禁漁区の立札のあるところを右折して橋を渡ります。道なりに進み右手に小部落の見える二股は左にとりますと、いよいよ道が狭くなります。

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 道なりに行くと左カーブして写真の橋を渡りますが、鎧淵の滝に行くには橋を渡らずに直進気味に林道を上がります。この林道は急傾斜で落石も目立ちますので、車では上がらないほうがよさそうです。橋の手前の、左路肩が広くなっているところに駐車するとよいでしょう。

 

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 橋から見下ろした渓流の様子です。紅葉の盛りの時季には、もっと素晴らしい景色が広がります。ここまでなら簡単に車で来られます。

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 橋の手前から急傾斜の林道を歩いて登っていきますと、このような杉の巨木が見られます。素晴らしい枝ぶりではありませんか。林道をとにかく登れば、上の方で道が右に急カーブしているところの左側に踏み分け道があります。これが鎧淵の滝への入口です。道なりに行けば、最後は急傾斜をロープで下ることになります。ただし足を踏み外しますと大怪我をしそうな場所ですから無理はしない方がよいでしょう。下らなくても滝は見えます。

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鎧淵の滝

 落差は知れたものですけれども、この滝は県下でも5本の指に入るほど美しい滝でありましょう。周囲の自然環境の素晴らしさも相俟って、一幅の絵画を見るような風情がございます。豊かな水量、広い滝壺。滝の飛沫の白さを一息に藍に染めかえて、その藍を湛えた滝壺には緑を映します。初めてこの滝を訪れたとき、あまりの美しさに声も出ずただただ立ち尽くすばかりでございました。

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4 ヒイバチの滝

 鎧淵の滝から自動車まで引き返して、先ほどの橋を渡って道なりに行きます。道が狭いので気を付けてください。道路右側に、木材の集積場の広場を登山者の駐車スペースとして開放してくださっている場所がありますので、そこに駐車します。その少し上の二又は左にとって、林道を歩いていきます。軽自動車ならどうにか進めそうな道ですが途中から少し荒れていますので、車では入らない方がよいでしょう。

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 林道を先へ先へとまいりますと、洗い越しになっているところがあります。その水の美しいことといったら、鎧淵ほどではありませんけれどもやはり青みがかっております。この洗い越しの手前から右方向に上がる木製の階があります。コケでよう滑りますので気を付けて上がってください。少し進めば目前に大滝が見えてまいります。

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ヒイバチの滝

 4段か5段の、ものすごい落差の段瀑でございます。この近距離にあって鎧淵の滝とはまるで様相が異なります。落て口があまりに遠いので上段は落差が小さそうに見えますものの、実際に近づけばそれなりにはありましょうし、下から見えている段瀑のさらに上はナメ滝になっていると聞いたこともあります。この段瀑の何段目からに行く道もあるやら聞き及びますけれどもわたくしにはとても荷が勝ちますし、物見遊山で大怪我をしましては元も子もありませんので、ヒイバチの滝に関しては下から眺めるのが精いっぱい、これで満足いたしました。


○ 倉木の盆踊りについて

 冒頭にて申しました、倉木の盆踊りについて少し紹介します。倉木の盆踊りは初盆の供養踊りで、昔は初盆の屋敷を門廻りで踊っていましたが、今は寄せ踊りになっております。演目は、古くは「二つ拍子」「八百屋」「杵築踊り」「祭文」「もの搗き」「伊勢音頭」「銭太鼓七つ」「弓引き」「銭太鼓十三」「サンサオ」「団七踊り」など15種類ほどを数えましたが、今はこの中から9種類ほどを踊っています。

 倉木の盆踊りは近隣でも評判が高く、以前東京の方の大きなイベントで披露したこともあるそうです。特に「伊勢音頭」や「弓引き」の扇子踊りは、その優美な所作がほんにようございますし、銭太鼓踊りも派手で賑やかで、見ているだけでも厭きません。銭太鼓踊りと申しますのは大野直入方面で広く行われたもので、今は下火になっておりますがその本場は嫗岳・宮砥辺りです。特に九重野では5種類ほどの銭太鼓踊りがあったそうです。左手に扇を持って、右手に銭太鼓を持って踊ります。この辺りの銭太鼓は、穴開き銭をカネの枠に通した小さな道具から長い房飾りがさがっていて、上部を持って細かく揺すればカラカラカラ…と良い音がいたします。左手で扇子をクルリクルリと素早く回しながら、右手では房飾りを右に左に振り回しながら銭太鼓をカラカラと鳴らし、しかも前に後ろに回りながら踊るというたいへん高級な、難しい踊りです。ほかの踊りもおしなべて難しいものが多いために、以前は二重三重に踊りの輪が膨れ上がっておりましたものを、最近では帰省者も含めて一重の輪がやっとになっているようです。

 ここで、倉木の盆踊り唄の中から、「猿丸太夫」のみ紹介いたします。これは大野・直入方面のあちこちで唄われており特段珍しいものではありませんが、嫗岳地区の秋の風景にぴったりの文句です。もし節を御存じであれば、秋の自然探勝の際に口ずさんでみますと一層興趣に富むことでしょう。

〽猿丸太夫 コラショイショイ 奥山に
 紅葉踏み分け鳴く鹿の アラヨイヨイヨイヨイ ヨイヤサ
 サートッチンチンリン トッチンチンリン
〽秋が来たとて 鹿さよ鳴くに なぜに紅葉は色づかぬ
〽鹿が鳴く鳴く 秋鹿が鳴く 寒さで鳴くのか妻呼ぶか
〽寒さで鳴かぬ 妻呼ばぬ 明日はお山のおしし狩り

 なお、もし倉木の盆踊り、銭太鼓踊りなどをご覧になりたいときは、9月頃に竹田・久住・直入・荻の各地で持ち回りで催されます「奥豊後の踊りを楽しむ夕べ」がお勧めです倉木盆踊り保存会の方が3種類程度披露されます。また、供養踊りの晩には小松明(こだい)もあります。小松明と申しますのは田んぼの虫追いの行事で、畦に沿うて何本も立てた小さな松明に火を点すものです。近隣では、緒方町の小松明祭りがよく知られています。

 

今回は以上です。遠いのでそうやすやすと訪れることはできませんが、またいつか嫗岳地区を訪れる機会があればほかの名所旧跡も紹介したいと思っています。