大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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西安岐の庚申塔めぐり(その1) 安岐町

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 西安岐地区の名所旧跡・文化財を、庚申塔を中心に紹介します。この地域は未探訪の庚申塔が甚だ多く、探訪済みであっても写真が好ましくないものが多うございます。ですからこのシリーズは写真がある程度溜まっては続きを書くという具合に、飛び飛びに連載してまいります。第1回では、密乗院の棚田と庚申塔を紹介します。密乗院の庚申塔は『くにさき史談第九集』に掲載のない塔で、このシリーズの目玉です。先日無事行き当たったことが嬉しくて、このシリーズの最初に取り上げることにしました。

 

1 密乗院の棚田と庚申塔

 密乗院…その字面だけ見ても仏教に関係の深い、歴史的なイメージがございます。ところが現地を訪ねますと、もちろん数多くの石造文化財はございますが、仏教的な側面よりも素晴らしい棚田の景観が印象に残ります。密乗院は、一般に「みっちょういん」と発音しております。なんとなく珍妙かつかわいらしい響きではありませんか。

 元来、国東半島は棚田の多い土地でした。それと申しますのも、昔から国東半島は二十八谷と申しまして両子山を中心に細い谷が放射状に伸びておりまして、その狭い谷筋に耕地を拓くだけでは不十分でありましたので、かつては谷筋に沿うた急傾斜の斜面に棚田を拓いていたのです。それが、そのような棚田での耕作は機械が入らなかったりして重労働であったうえに、減反政策もありまして今では杉山になり、国東半島では棚田がいよよ少なくなっております。その意味で、今なお耕作が続く密乗院の棚田は、国東半島のむかしを今に伝える貴重な景観なのです。しかも、先ほど申しましたように国東半島の棚田は一般に、細い谷筋に沿うた斜面や枝谷の谷戸(迫)地形に造成したものが多い中で、密乗院の棚田は谷筋からかなり高い位置の緩斜面に造成しておりまして、よその棚田(跡)とはやや様相が異なります。これが密乗院の棚田の特徴で、近年では天空の棚田(いささか誇張が過ぎるきらいもありますが)などと申しましてその景観が盛んに宣伝され、景色を楽しみに訪れる方もあるようです。

 道順を説明します。安岐市街地から、県道34号を安岐ダム方面に進みます。右に弁分(べんぶ…朝来の谷)への別れを見送って、「山浦大橋バス停」のところを左折して橋を渡り、道なりに登って行けば密乗院部落に至ります。なお、山浦大橋バス停よりも市街地寄り、小瀬原バス停のところを左折して登ってもよいのですが、この道は道が狭くて傾斜もきついのであまりお勧めできません。

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 密乗院部落に入ってほどなく、写真のような絵図が立っています。この看板の辺りに駐車して歩いて散策するとよいでしょう(路肩が広くなっていますので2台程度であれば邪魔にならずに停められます)。それにしても、この絵図は地域の方の手書きのようで、かなりの力作であります。諸々の石造文化財をその特徴を見事にとらえた絵で的確に表現してありますうえに、庚申塔や観音様など民家の背戸を上がっていくところの入口が分かり易いように、家のマークを書き込んでくれています。お参りや文化財探訪の助けになります。蛍や鹿、猪のイラストもお上手です。絵図の右下に書かれてある内容を転記します。

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一、この棚田の水源は湧水を使用して稲作をおこなっており、かつては杵築藩の御膳米でした。
一、源水がきれいで、村の一面に蛍の鑑賞ができる。
一、古き石造仏塔が村にのこっている。

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 軒数も少ない中でこの景観を維持され、しかも絵図の設置など遊覧者にも配慮をしてくださっています。景観を楽しんだり文化財を探訪したりする際には、特に田植や稲じのの時季には地域の方の迷惑にならないようにしたいものです。

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 絵図の隣には、密乗院の四季を写真で紹介したパネルも設置されています。説明書きを転記します。

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密乗院棚田景観/世界農業遺産景観
安岐町山浦密乗陰棚田】
 急斜面に造られた棚田は、湧水を利用して稲作を営む。かつては杵築藩主への献上米産地であったと伝えられる。棚田を含む二次的自然景観は、国東市景観保護地区となっている。
 寺院あるいは坊跡と言い伝えられる付近には、五輪塔や板碑や十王石像が残されている。また、以前この地にあった仁王石像は小瀬原の山浦八幡社・貴船社前に移され保存されている。
 令和3年現在、耕作面積は50,000㎡(5町歩)、水田総枚数350、内耕作水田枚数250、休耕田枚数50、畑地50、耕作者5名
※田んぼの畦は壊れやすいので歩かないでください。
  梅園ウォーキング愛好会

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 さて、絵図にはいろいろな石造文化財の表示がありますが、何はともあれ庚申様を訪ねようと思いまして早速、民家の背戸を上がりました。草付の細道を上がり右方向に行けば、猪・鹿避けの柵があります。開けたら必ず元通りに閉めましょう。その先は道も乏しい崖道でやや不安になりますが、そう危ない様子もなく通行できました。

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 この細道でございます。右は崖になっています。歩きやすい靴であれば問題なく通行できます。この先、左カーブしたらだんだん道が荒れてきます。不安が増してきた頃、左上に牛乗り大日様の石像を見つけました。

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 崖の半ば、岩の上に大日様の祠がございます。かつて耕作に牛を使うていた時代には、その信仰も絶大であったことと思います。今は荒れ気味のこの細道も、昔は重要な道であったのでしょう。お参りをいたしまして、はて庚申様はどこぞやと辺りを見渡しましたが、それらしい石塔が見当たりません。絵図によれば、大日様よりも庚申様の方が手前にあるはずです。きっと道よりも高い位置にあって少し上がらないと見えないのだろうと気付きまして、大日様のところから左上の方に適当に上がって行きますと無事、庚申様が見つかりました。

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 残念ながら、庚申様は台座から前向きに転倒してしまいばらばらになっていました。今のところこれ以上斜面をずり落ちることはなさそうですが、塔身の破損が心配です。

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青面金剛6臂、3猿、2鶏

 日月と瑞雲の細かい彫りが見事です。特に瑞雲は牡丹の花のような細やかな表現で、全体的にシンプルな印象のこの塔の中でもことさらに華やかな感じがいたします。主尊は細身で、手にとった武器が小さめに表現されていますので背の高さが際立って見えます。足の指などの細かい彫りが丁寧で、精確に表現されているのに感心いたしました。足元の鶏が小さくて、ほんにかわいらしいではありませんか。その下の枠の猿も、長坐位になるやらしゃがみ込むやら、めいめいにポーズを違えて、ささやかながらも動きのある表現になっているのがよいと思います。まるで稚児が戯れているような雰囲気が感じられまして、なんとなく親しみ深うございます。転倒してしまっても、諸像の姿はしっかりと残っており安心いたしました。

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 庚申様からの戻り道で、棚田を見下ろした写真です。ほんに長閑で、はるか彼方の谷間にはかすかに海も見えました。田植の時季はもっとよいと思います。

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 密乗院から山浦大橋に戻る際、坂道の下の方で写真の絵図を見ました。「昭和初期お大師様の信仰の厚い信者に依り地域の繁栄と息災を祈願し集落を見渡せる崖の頂上に弘法大師像を安置する」とあります。それにしても見事な絵ではありませんか。

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 崖の上、1本の大きな木のねきに、お弘法様の赤い幟が見えました。お接待のときにあちこちに立っている、あの幟です。その下にお弘法様の姿もかすかに見えましたが写真では分かりにくいと思います。あの場所まで上がってみたかったのですがどこから登ればよいのかさっぱり分からず、諦めて遥拝にとどめました。

 

今回は以上です。四季折々の風景を楽しみに、またいつか密乗院を訪れてみたいと思います。そのときには絵図にあったほかの石造文化財も探訪したいと考えています。