大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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田染の名所めぐり その2(豊後高田市)

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 田染の名所めぐりシリーズの続きです。今回は岩脇寺と間戸の岩屋を紹介します。いざ記事を書こうとして写真を見返してみますと、あまり写りがよくないものが多く、撮り直してからにしようかとも思いました。それも易うございますけれども、ひとまず先に進んでいきたいので今ある写真で紹介することにします。実際はもっとよい景色でありますから、その点をお含みおきください。

 

7 岩脇寺

 岩脇寺(いわきじ)は伝乗寺の末寺で、天正14年に薩摩軍の兵火により壊滅したものの寛永5年に堂宇を再建した由、今の本堂はそのときのものです。かつて、国東半島では琵琶法師や大黒舞等の門付が村々を廻っていましたが、その琵琶法師の檀那寺がこの岩脇寺でした。今は無住となり本堂は施錠されておりますが、境内や奥の院周辺の石造文化財は自由に見学できます。

 県道中村交叉点から少し高田方面に行き、左に田染駐在所を見てその先を左折します。橋を渡ってすぐ右折し、川べりの道を道なりに進みます。一旦人家が途切れて、田んぼの向こうに岩壁が見えてきましたら岩脇寺部落です。鋭角に左折したらすぐ「岩脇寺」の案内標識があります。ほどなく堂宇が見えてまいります。車を停める場所は十分にあります。

 本堂は藁葺であったようですが、今はその上をトタンで覆っています。先ほど申しましたように施錠されておりますので自由に拝観できません(近隣の方に尋ねて、鍵を管理されている方にお願いすればお参りできるようです)。

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 立派な鐘楼です。鐘の下にたくさんの仏様が寄せられています。こちらの仏様と奥の院の仏様とで寄せ四国をなしているそうです。おそらくかつては参道沿いに点々と並んでいた仏様を、粗末にならないように鐘楼の下と奥の院の岩陰に分けて寄せたのでしょう。

 本堂左の方から、奥の院へと上がる山道があります。それらしい道は他にないのですぐ分かると思います。そこから直進気味に山の上まで行けば金毘羅さんの祠がございます(写真はありません)。奥の院へは坂道の上がりはなを右にとって、本堂の裏手を回り込むように進んでいきます。六諸権現の鳥居があり、神仏習合の国東半島らしい風景です。草が伸び気味ですが特に危ないところはありません。ほどなく、参道沿い左側の岩壁に磨崖仏がございます。

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 上部の岩壁に、磨崖仏が並んでいます。今では3体の痕跡が認められる程度に傷んでしまっていますが、元は六地蔵様であったそうです。

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 少し離れて、もう1体の磨崖仏も確認できました。写真中央に、磨崖仏の痕跡が見えますでしょうか?坐像で、何の仏様かは分かりません。岩脇寺奥の院の磨崖仏は傷みが激しく、田染の磨崖仏として紹介されることは稀です。

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 振り返って撮影した写真です。岩壁を巻いていくところの下、岩がえぐれているところにたくさんの仏様が寄せられています。先ほど申しました、鐘楼の下の仏様とこちらの仏様とを合わせて、岩脇寺の寄せ四国です。

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六諸権現

 梯子段が心もとなかったので上がるのはやめにしておきました。以前は上の岩屋の中に堂宇がありましたが、崩れてしまったようです。こちらは子供の神様の伝承があるそうです。

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 奥の院から先にも仏様が点在しています。そのまま道なりに行けば県道に下ることができますが、やや荒れ気味なので来た道を戻った方がよいでしょう。

 

8 間戸の菖蒲園

 岩脇寺から県道に出て、中村方面に進みます。中村の交叉点を右折して大門坊磨崖仏(後日紹介します)を過ぎ、消防団の倉庫の角を右折します(穴井戸観音の看板あり)。坂道を上って、お稲荷さんの鳥居のところを右折します。右手に公民館がありますので、車はその坪に停めさせていただくとよいでしょう。道なりに行けば車の通れない下り坂になります。下りきったところが菖蒲園です。

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 こちらが間戸(まど)の菖蒲園です。正面には岩山が聳え、景観のコントラストが見事でございます。近隣の方々をはじめ、間戸の岩屋に杖を曳く方にも親しまれていた菖蒲園ですが、ここ数年は荒れ気味のようです。手入れが大変になってきているのだと思います。近隣の方々が手弁当で整備してくださっていたのでしょう。またこの景色を見たやなどと言うは易いものの、わたくしには何の力にもなれません。でもせめて、こんなによいところであったということを紹介したくて、記事中に項目を設けることにしました。

 

9 間戸岩屋(穴井戸観音)

 間戸部落と台薗(だいそん)部落の間に聳える岩峰群に、霊場が点在しています。簡単にお参りができますし、ちょっとしたトレッキングも楽しむことができますから皆さんにお勧めしたい、名所中の名所でございます。登り口は複数ありますが、今回は間戸の菖蒲園の側から順に紹介します。

 菖蒲園からまっすぐ進めば、正面に穴井戸観音の参道が見えてきます。

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 登り口に、このような案内が立っています。旧参道の石段がやや滑り易いので、迂回路として坂道を整備されています。石段の途中には鬼封じ込め跡の史蹟がございますので、可能であれば石段を登って、穴井戸観音にお参りをして戻りは坂道を通るとよいでしょう。

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 こちらが旧参道の石段です。蹴上がまちまちの石段は苔むしており、長い歴史を感じます。手すりもありますので、用心して通れば特に問題ないと思います。

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 石段の途中にこのような説明板があります。この看板のところから左の方を見れば、「鬼封じ込め跡」がすぐ分かります。

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 こちらが「鬼封じ込め跡」とされているところです。どのようにして封じ込めたかといいますと、村人が青松を手にとり、それをいぶしながら鬼を追いかけまわして、この岩穴にふすべ込んだのだそうです。そして岩でその穴を塞ぎ、二度と鬼が出てこないように祈祷したとのことで、鬼の追い込み方が思いの外原始的であるのがこのお話の面白いところです。

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 穴井戸観音の堂様の坪に、このような場所があります。岩の間を通る狭い道で、上にはチョックストーンのように岩が引っかかっています。これは「うそつき岩」と申しまして、嘘つきの人や悪人が下を通ると仏罰が当たって岩が落ちて来ると言われています。不安な方は、無理にこの下を通らなくてもお参りできます。

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 立派なお弘法様が立っています。国東半島はほんにお弘法様の多いところで、しかもその信仰が今なお脈々と続いています。

 では、これからいよいよ穴井戸観音にお参りをしましょう。堂様の横に電灯のスイッチがあります。お賽銭をあげて、点灯してください。堂様の裏手の洞穴を霊場となして、仏様がたくさん安置されています。

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 このような景観が続きます。足元が悪いところもあるので用心してください。洞穴の最奥部には「穴井戸」があります。写真をうまく撮れませんでした。説明板の内容を転記します。

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穴井戸
 この奥にやや下向きの横穴があり、昔はここに美しい水がみなぎり、海の水と同じように干満していたと伝えられます。数十竿繋げても底に届かず、里人は不思議に思っておりました。
 ある日、子供達に追われた鶏がこの穴に逃げ込み、翌朝15km離れた豊後高田市街地の海辺「権化の鼻」に出たと言われ、かつて井戸にみなぎっていた水は海潮であったと言い伝えられています。

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 穴井戸観音様の辺りに滴る水は「仁聞(にんもん)の隠れ水」と申しまして、この水を頭につければ智恵がつき、目につければ視力が改善し、飲めば子宝に恵まれるとの言い伝えがあります。たいへんありがたいお水を求めて、昔から近隣在郷の方々が数多訪れまして、香華の絶え間を知りません。

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 穴井戸観音は間戸岩屋とも申しまして、間戸寺(廃寺)に付随する霊場であります。間戸寺の跡地とされる箇所には、二重塔等の石造物がございます。それについては別の記事で、二宮八幡社とあわせて紹介したいと思います。

 

10 朝日岩屋・夕日岩屋

 穴井戸観音から菖蒲園まで戻って、公民館への上り坂の直前を右折します。ここからは草付の細道なので、雨上がりの日はやめておきましょう。本当に合っているのかと不安になるような細道で、そのうち急坂になります。頑張って登れば間戸の岩峰群の鞍部で、そのまま直進して石段を下れば台薗側に抜けることもできます。

(1)朝日観音

 登り着いた鞍部から、左手に2本の道があります。まずは左側の道を通って朝日観音に向かいます。

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 急坂を少し登って、岩峰の鞍部を越します。反対側は鎖渡しの急坂です。ステップが刻まれているので問題ないと思いますが、正面は高い崖になっているので足を滑らせないように気を付けてください。鎖渡しで下りたら右に折れて、細い通路を水平移動すればほどなく朝日観音に到着です。

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 ものすごい場所に堂様がたっています。その名の通り、東向きにて朝日を拝むのに最適の場所ですが、夜明け前にこの道を上がってくるのは危ないのでやめておいた方がよさそうです。

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 堂様の中には、石の仏様のほかに朽ちてしまった木の仏様も安置されています。おいたわしいの言葉しかございません。こんなお姿になるまで、長い長い年月をこの場所におわしまして、たくさんの方々の願いを聞いて下さった仏様でございます。

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 記念書きを禁止する旨の札が張り付けられています。以前、朝日観音の堂様の壁一面に、それはもうたくさんの記念書き…引っ掻いて傷をつけたような文字も含めて、落書きがございました。ほとんどが昭和のものであったように記憶しております。このような軽率な記念書きは、全くもって罰当たりですし、この霊場を守ってくださっている近隣部落の方々の気持ちを踏みにじるような行いです。お参りする度に嫌な気持ちになっておりましたが、最近はその文字も目立たなくなってきていてほっとしています。

 

(2)金比羅

 朝日観音から引き返します。鎖渡しを登って岩峰の間を越し、分かれ道を左にとれば金毘羅様に出ます。

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 こちらの石祠が間戸の金毘羅様です。以前はお花や、折り紙でこしらえたくす玉等のお供えが上がっていました。社殿はないものの、近隣の方の信仰を集めているようです。金毘羅様の正面がテラス状になっていて、ここから小崎部落周辺の田園風景を一望することができます。

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 この田園風景こそは、田染地区を象徴する景観であると言えましょう。圃場整備がなされておらず、大昔の姿をそのまま今に伝えております。まだ不勉強であり十分な説明ができませんが、田の形が昔のままであるというだけではなくて、灌漑方法も昔ながらのものであるそうです。四季折々の景観を楽しみに、何度でも登ってきたくなる場所でございます。田植の頃もようございますが、何ともうしましてもお勧めは稲刈りの直前です。夕方に見下ろせば黄金の波が立ち、刻一刻と移りゆく空の色とのコントラストが見事なものです。また冬には、この畦にLEDライトをたくさん配置してイルミネーションのイベントも催されています。以前、上から見てみたくて夜道をおっかなびっくり、この場所まで上がったことがありました。しかしイルミネーションに限って言えば、上から見下ろすよりも道路端から見た方がよかったようです。

 

(3)夕日観音

 金毘羅様から岩壁に沿うて、遊歩道を奥に進んでいけばほどなく夕日観音がございあます。一応、今はこの場所までで行き止まりになっています。

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 こちらには堂宇がございませんで、浅めの岩屋に仏様が並んでいます。こちらからも素晴らしい風景が望めます。お参りをしたら金毘羅様まで引き返して、そのまま直進して岩峰の裾を巻いて下れば菖蒲園から登ってきた道に戻ることができます。その戻り道の途中にも、岩陰に点々と仏様がございます。景色に夢中になっているとつい見落としてしまうかもしれません。

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 こちらは、夕日観音の辺りを台薗側から撮った写真です。写真中央、大岩壁の直下が夕日観音です。写真をよく見ますと、右の方の岩峰が帯状にえぐれているのが分かります。おそらく昔は夕日観音よりも先に道が続いていて、この帯状になっているところを鎖渡しで巻いて進むことができていたのでしょう。きっとその先にも何らかの霊場があるのではないかと思うのですが、現状として夕日観音から先は危なくて通行止めになっているので確認することができません。いつかドローンを操作できるようになったら、あの先がどうなっているか見てみたいものです。

 

○ 田染の盆踊りについて

 田染の盆踊りはほんによいものです。14日前後に部落ごとに踊りを立てますが、蕗などは今なお初盆の家を門廻りで踊り、その翌日に寄せ踊りをするという昔からのやり方を守っています。都市部の「納涼盆踊り」とは一味も二味も違う、故人のお供養のための踊りです。ほかに、17日には田染地区全体の盆踊り大会もありまして、その晩には会場に万国旗を張り巡らして賑やかに踊ります。

 踊りの種類は、今は「レソ」「二つ拍子」「六調子(杵築踊り)」の3種類です。昔は山香寄りの部落で「豊前踊り」とか「やってんさん」も踊っていたそうです。田染の盆踊りで特によいのが「六調子(杵築踊り)」で、これは国東半島一円に伝わっている踊りでありますけれども、田染独特のよさがあります。音頭の節もよいし、両手をくるりくるりとかいぐりしながら巻き上げていく所作がほんに優美で、この踊り方をしているのは田染だけですから、郷土の自慢のひとつと言えましょう。

 この「六調子」の音頭で、最もよく口説かれる文句が「田染音頭」です。「田染音頭」と申しますと「別府音頭」とか「東京音頭」などのような新民謡かと思われるかもしれませんがそうではなくて、77調の盆口説ですから六調子でもレソでも、二つ拍子でも唄うことができます。とてもよい文句なので、田染を探訪される際にはその時期に合うた部分を抜粋して、ご存じの節でちょっと唄ってみてはいかがでしょうか?

盆口説「田染音頭」

春が来たかよ熊野が山に わらび採る子が霞に見ゆる
鬼の架け橋 岩屋の仏 音に名高き権現参り
五つ岩から故郷見下ろせば 田染五千石さすがに広い
西にそびゆる西叡山が 村の文化の高さを誇りゃ
北に流るる桂の川が 村の歴史の深さを語る
見せてやりたや他国の人に わしが国さの田染の春を

夏が来たかよ鎧が淵に 藍を溶かした水澄みわたり
いかに日照りの続いたとても 田染十ヶ村な大水小水
広い田圃に水ゆらゆらと 田染乙女が草採る小唄
いつか暮れ行く柏原山 月が笑えば蛍が眠り
夜は吹け行く太鼓は冴ゆる 踊りゃ輪に咲く蓮の花に
見せてやりたや他国の人に わしが国さの田染の夏を

秋が来たかよ元宮様に 祭り太鼓が朝から響く
間戸に鎮むる二宮様の 幡や幟が岩間に見えりゃ
三宮から繰り出す神輿 実る稲田を鈴の音渡る
三社八幡田染の守 年に一度の市場の御幸
参りましょうぞえ皆打ち揃うて 晩にゃ余興の芝居もござる
見せてやりたや他国の人に わしが国さの田染の秋を

冬が来たかよ蓮華の森に 雪に輝く富貴寺が見ゆる
阿弥陀如来の光は遠き 田染文化の昔を誇る
今は開けた山門越えて 寒さ忘れよか池辺の出湯
タオル片手に里見渡せば 谷間谷間に炭焼く煙
暮れを知らすか大堂の鐘が 護王菩薩と遥かに響く
見せてやりたや他国の人に わしが国さの田染の冬を

 

今回は以上です。田染めぐりのシリーズもまだまだ続いていきますが、次回は東山香の記事の続きを書きます。