大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

カテゴリから「索引」ページを開いてください。地域別にまとめています。

田染の名所めぐり その3(豊後高田市)

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20211108000227j:plain

 今回は大字平野のうち大曲部落の石造文化財・名所と、大字真木のうち城山薬師堂跡をめぐります。この地域を探訪される場合、道が狭く適当な駐車場所のないところが多いので、少し遠いのですが真木の大堂の駐車場から歩いて行くことをお勧めします。

 

11 前の石造物

 真木の大堂の駐車場から、大堂と反対方向に田んぼの中の舗装路を行きます。三叉路に出たら右奥の道(狭い方)を進み、そのまま山裾の家並みを目指します。次の分かれ道を右に行けば城山薬師堂跡への登り口がありますが、こちらは後ほど紹介しますのでひとまず直進し、次の二又も直進します(左折すれば観音堂部落へ)。

 ほどなく、道路沿いに数軒の民家が点在するようになります。この辺りからが大曲です。しかし旧大曲村は、大元は谷の奥詰め・金高墓地周辺の字屋敷・門前あたりが中心であったそうです。それが今では、住む人のある屋敷は大曲・小曲の合流地点よりも下手ばかりになっているのです。

 道なりに小さな橋を渡ると上り坂にかかり、この辺りからいよいよ道幅が狭くなります。普通車までなら通れますが歩いて行った方がよいでしょう。ほどなく、道路右側に記念碑が立っています。このあたりの字を「前」と申します。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20211108000236j:plain

 大曲の道路を改修し車が通れるようにした記念碑でありましょう。この記念碑のところが二股になっています。これを直進すれば小曲の谷へと車道が続いていますが、道が荒れています。昔は小曲の谷にも民家か耕地があったのかもしれませんが、今は通る人もないようです。

 二股を右にとったら、左側の崖上に注意して歩いてください。ほどなく、庚申塔などの石造物が崖上に見えてまいります(冒頭の写真・車で通ると気付かないと思います)。参道の石段が崩れており、急坂を登るしかありません。足場が悪くて滑り易いので、十分気を付ける必要があります。探訪時、車道からでも石造物がよう見えましたので逡巡いたしましたが、こちらの庚申塔を一目見たやと願い続けてやっと行き当たった嬉しさに、意を決して崖道を登りました。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20211108000245j:plain

1鶏、「庚」、1猿

 このような庚申塔ははじめて見ました。国東半島では類を見ないものですし、おそらく県内全域を見ましてもたいへん珍しいと思います。まず塔の形がずいぶん変わっていることに気付きました。遠目に見て、長方形の上部が丸くなっている形かなと思いましたが、そう単純な話ではありません。上部には円形の縁取りがなされていて、その縁取りが長方形に食い込むようなデザインになっているのです。そしてその円形から長方形の部分までを一続きの区画となして、猿の持つ大きな剣が貫いています。石工さんの工夫が感じられます。

 ほかにもおもしろい点があります。剣の右に刻まれた「庚」の文字の、「まだれ」の点が鶏の脚になっているではありませんか。また「まだれ」の中の部分の脚が、「ま」とか「よ」の字のようにクルリとつなげた字体になっているのもよいと思います。鶏と相俟って風流な雰囲気、洒落っ気が感じられまして、見ていて楽しくなりました。猿は、大きな剣を抱えるというよりは剣に抱き着いているようにも見えてまいります。左手で鍔を押さえて、右手で刃を抱いていますので大怪我をしそうです。漢字の「庚」と、猿(申)の刻像で「庚申」です。判じ絵のようでおもしろうございます。

 この庚申塔は貞享2年(1685年)、実に340年近くも前の造立です。田染地区における刻像塔の黎明期のものと思われます。庚申塔のうち刻像塔と申しますと大多数が青面金剛を主尊に置いています。国東半島周辺で申しますとほかに猿田彦の刻像塔も僅かにございますほか、帝釈天や弁天様の刻像塔もごく僅かにございます。猿を主とした刻像塔はおそらくそれ以前のものでありましょう。大分市は蕨野の日枝神社に立つ庚申塔もそのひとつで、三猿のみが刻まれています。大曲の庚申塔はデザインの奇抜さ・おもしろさのみならで、刻像塔の変容の過程を示す貴重なものであるといえましょう。文化財に指定されていてもおかしくないと思います。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20211108000252j:plain

 お弘法様はたいへん立派な御室に収まっています。特に屋根の装飾がすばらしいではありませんか。垂木の交叉するところや、その内側の碁盤縞になっているところが特によいと思います。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20211108000258j:plain

 灯籠は笠の一部が破損しています。しかしこの立地にあって、それ以外の傷みがほとんどないのは奇跡的と言えましょう。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20211108000303j:plain

 

12 大曲の棚田跡

 庚申塔から道路に下って、谷筋を奥へ奥へと登っていきます。この辺りから点々と、屋敷跡と思われる石垣が現れはじめます。右側には棚田跡が広がっており、その向こうには真木や中村あたりを見晴らします。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20211108000315j:plain

 大曲の棚田は猫の額ほどの小さな田を連ねたもので、この急傾斜にあっては機械が入らなかったと思います。田植・稲刈り等に難渋されたことでしょうし、水の番も大変だったのではないでしょうか。いまでは一面耕作放棄地となっております。昔、稲刈りの頃に大曲を訪ねますと、曲がりくねった畦に沿うてハサ掛けが何段にも連なり、それは見事であったそうです。田植前には、田ごとの月の景観であったことでしょう。本で見た昔の風景を思い浮かべながら歩きました。

 さて、右に棚田を見ながらのんびりと歩いていますと、左手に広がる杉林の中に石造物がかすかに見えましたので上がってみました。大きな国東塔(写真はありません)が目に入りました。どうも、そう遠くない昔に建てた供養塔の類であるようです。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20211108000348j:plain

 その供養塔の近くには、大きな木のねきに何かの祠がございました。小一郎様か何かの、屋敷神かもしれません。

 

13 金高墓地の石造物

 棚田を右に見ながら登りつめたところで、直進と左折の二又になっています(道なりは左折)。ここを直進する草付の道もあって、大昔はさらに奥の方まで谷筋に沿うて棚田・畑が拓かれていたそうですが、これより奥は前項で紹介した棚田よりも早い段階で耕作放棄されたようです。もしここまで車で来た場合、この二股が最後の転回地点になります。二股を道なりに左に折り返すと1軒の民家があります。この辺りが字門前・屋敷で、大曲部落のかつての中心地です。最盛期にはこの辺りに16軒あったそうですが、今やきちんと建っている民家は1軒のみです。その家の前を進めば、小さな切通しになっているところの左手に国東塔が見えます。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20211108000420j:plain

 切通しの左側に塚をなして、国東塔や五輪塔、灯籠等の石造物がところ狭しと寄せられています。今から詳しく紹介します。なお、この切通しは軽自動車がやっとの幅で、無理すればどうにか通行できそうですがこの先で行き止まりになっています。屋根の落ちた民家が2軒ほどあり、転回困難です。先ほど申しました転回可能場所から先へは車では入らないようにした方がよいでしょう。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20211108000427j:plain

 見れば見るほど美しい姿の国東塔でございます。こちらは笠の上部、相輪から上が欠損しています。それで、後家合わせの請花で補修してるとのことです。しかしその欠損を補わずとも、さても優美なる造形ではありませんか。また、こちらは塔身が丸形ではなく茶壺型になっているのが特徴です。それがために蓮華座から笠にかけてのシルエットがほんにスマートな雰囲気を醸し出しておりまして、このように下から見上げますといよいよ格好のよく見えます。永和元年、凡そ650年ほど前の造立です。

 ところで、この塚を金高墓地と申しますけれども、普通思い浮かべる累代墓ないし位牌型のめいめい墓は1基もございません。この国東塔は、大曲村の長であった金高一統の供養塔であるそうです。そしてその横に寄せられている五輪塔こそがめいめいの墓標なのでしょう。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20211108000434j:plain

 道祖神と思われます。これとよう似た石造物がもう1基あります。もしかしたら近隣の路傍にあったものを、車道化する際にこちらに移動したのかもしれません。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20211108000442j:plain

五輪塔

 

14 大曲の薬師堂

 国東塔のところから切通しの反対側を見ると、小さな建物が見えます。こちらが大曲の薬師堂です。参道ははっきりしているので簡単に行けます。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20211108000453j:plain

 坪は藪になることなく、それなりの手入れがなされているように見受けられました。この堂様の中には、木彫の仏様が何体か安置されているそうです。ぜひお参りしたかったのですが施錠されており、叶いませんでした。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20211108000507j:plain

 堂様の右奥にはお弘法様の祠がございます。昔はお接待を出していたのでしょう。この村にも子供達の声が響いた昔があったのだと思えば、感慨深いものがございます。

 

15 北野社

 堂様のお弘法様のところから右奥に道が続いています。やや荒れ気味ですが、問題なく通行できます。ほどなく神社が見えてきます。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20211108000512j:plain

 お参りをしたかったのですけれども、一面に銀杏が落ちていて近寄れませんでした。最近、あえた銀杏に行く手を阻まれることが続いています。残念ですが季節柄仕方のないことですので、またいつか、銀杏の落ちていない時季に尋ねてみようと思います。

 

16 城山薬師堂跡の四面石仏と石造物

 大曲部落をあとに、今来た道を戻り城山薬師堂跡を目指します。道順は、この記事の最初の方で書きました「11 前の石造物」の記載内容を参照してください。もし大曲を省いて城山薬師堂跡にのみ訪れたい場合でも、駐車場がありませんので真木の大堂の駐車場から歩いた方がよいでしょう。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20211108000528j:plain

 登り口の様子です。駐車スペースはありません。一見して簡単に辿り着けそうな入口ですが、舗装はこのすぐ先で途切れて草付の道になります。しかも後半は石ころだらけの急坂を登ることになりますから、歩きやすい靴で訪れてください。雨上がりはやめておきましょう。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20211108000531j:plain

 参道は、昔は石畳であったと思われますが、それが全部崩れて石がごろごろしています。谷川道の様相を呈しており歩きにくいので、参道から外れて左手の杉林の中を適当に折り返しながら登った方がよいでしょう。頑張って登ると、四面仏の覆い屋が見えてきます。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20211108000533j:plain

 説明板の内容を転記します。

~~~

城山薬師堂四面石仏(大分県指定有形文化財
 巨大な安山岩(高さ227cm、横幅258cm、奥行き198cm)の4面に、半肉彫で10躯の仏像が彫り込まれています。当石仏のように岩石の四面に彫られた石仏は、他に類例を見ません。
 現在は薬師堂と呼ばれていますが、石仏を総覧すると阿弥陀如来像が最も多く、阿弥陀信仰との関係がうかがえます。また、背面の像(8番、9番、10番)の方が堀り口やバランスなどがよいことから最も古く、やや長い年月をかけて四面に仏像が展開したと推定されています。
 珍しい像としては、2番の不空羂索観音立像があります。六観音の一尊で、ここでは3面6臂の姿であらわされます。羂索(縄)を使い、あらゆる衆生を救うとされています。
(各像の紹介)
1 阿弥陀如来坐像 高さ109cm
2 不空羂索観音立像 高さ91cm
3 薬師如来立像 高さ87cm
4 尊名不詳仏立像 高さ77cm
5 尊名不詳来坐像 高さ27㎝
6 阿弥陀如来坐像 高さ76cm
7 阿弥陀如来坐像 高さ76cm
8 阿弥陀如来坐像 高さ64cm
9 阿弥陀如来坐像 高さ64cm
10 薬師如来立像 高さ76cm

城山国東塔(大分県指定有形文化財
 薬師堂の裏に立つ大型の国東塔(高さ303cm)。南北朝時代末期から室町時代にかけての造立と推定されています。八角形の基礎の上に鎮座し、請花と反花を両方供える蓮華坐により、縦に長く美しい姿をしています。
   豊後高田市教育委員会

~~~

 説明板を読んで一点気になったのが、四面仏の覆い屋を「薬師堂」としている点です。もしかしたら近隣でそのように呼ばれているのかもしれませんが、これはどう見ても堂様ではなく、石仏の保護のために設けた建造物ではないでしょうか?

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20211108000537j:plain

 説明板にて「最も古い」と指摘されている阿弥陀様です。確かにバランスがよく、掘りも丁寧です。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20211108000541j:plain

 側面の薬師様です。体の風化摩滅がひどく、一見して薬師様とは分かりにくい状態です。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20211108000544j:plain

右から順に、阿弥陀様、不空羂索観音様、薬師様、尊名不詳の仏様、尊名不詳の仏様(下の方に小さく彫られています)、阿弥陀様です。こちらの面は、裏面にくらべると時代が下がるそうです。単純に横並びに彫るのではなく岩の形を生かして、高さを違えていますし立像・坐像それぞれございますのでなかなかの迫力でございます。

 四面仏と申しますと、岩のぐるりに東西南北それぞれ1体ずつの仏様を彫出していそうなものを、こちらは10体もの仏様が彫られているのです。よそではなかなか見られない文化財ですし、いろいろな種類の仏様がたくさん彫られているのでほんにありがたいことではありませんか。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20211108000548j:plain

 国東塔はやや軸がぶれているように見えますが、すらりとしたシルエットが素晴らしく、細かいところまでよう行き届いています。大曲の国東塔とはまた印象が異なります。ほかにも宝篋印塔など数基の石塔が並んでいますので、ぜひ近くに寄ってじっくりと見学してみてください。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20211108000555j:plain

薬師堂地払下記念碑

 薬師堂は、伝城寺(現在の真木の大堂)の末坊であったと伝えられています。おそらく薬師堂を廃した際に用地を払い下げたのでしょう。

f:id:tears_of_ruby_grapefruit:20211108000559j:plain

山林寄附記念碑

 

今回は以上です。真木の大堂駐車場を拠点に、近隣の名所・史蹟・文化財を散策する際のルートの一例として、この記事を書いてみました。紹介した道順であれば、ゆっくり文化財を見学しても1時間半から2時間あれば一巡できます。時間があれば観音堂部落を経由して三宮の景に足を伸ばすのもよいと思います。めいめいに道順を工夫して、四季折々の景色を楽しみつつ文化財や神社仏閣・霊場を巡れば、きっと楽しい1日になることでしょう。