大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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大内の名所めぐり その1(杵築市)

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 杵築市は大内地区の名所旧跡をめぐるシリーズです。この地域は探訪が不十分なので、写真がたまり次第飛び飛びで回を重ねていく予定です。

 大内地区は杵築地区と高山川を挟んで隣接する地域で、海沿いからみかん山まで、単独大字でありながらなかなか広うございます。この地域の名所と申しますと西大内山(にしおちゃま)のカサにございます高山弘法大師(新四国)が有名で、昔から近隣在郷の方々の信仰を集めております。ほかにも小狭間(おわさま)の虚空蔵様、草場の愛宕様など、部落ごとにたくさんの神社や堂様がございます。その関係で石造文化財も多いようです。初回は草場と菅尾をめぐります。

 

1 草場東組の庚申塔(イ)

 草場部落には、東組に2基、西組に1基、合計3基の庚申塔がございます。西組の塔は残念ながら行き当たらなかったのでまたいつか再挑戦することにして、ひとまず東組の2基を紹介します(この2基は少し離れているので別項を立てて便宜的にイ、ロと区別することにします)。

 杵築市街地から永代橋を渡って大内地区に入り、一つ目の角を左折します。一旦家並みが途切れて、左に高山川を見て進めばほどなく孝高橋がかかっています。そのすぐそばには孝高石があります(写真なし…このシリーズでいつか紹介します)。草場部落につきました。孝高橋の近くに映画ロケ地の看板があり、その付近に駐車できます。

 孝高橋のところから道路を横切って、草場部落の山手にまいります。石垣に沿うて左カーブして一つ目の角を右折し、家の間の道を行きますと山裾にて家並みが途切れて、そこから先はとんでもない急坂を登ることになります。冒頭の写真はその急傾斜の部分を振り返って撮影したものです。タイヤが空転しそうなほどの傾斜なので、車で上がるのはやめておいた方がよいでしょう。

 急坂を頑張って登りつめて台地上に出ますと、左方向に墓地への舗装路が分かれています。その道へと左折するとほどなく、左側の木の間にシメが張られています。

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 ここからシメをくぐって斜面を少し下れば、ほどなく庚申塔が見えてきます(後ろから近づくことになります)。道路からほど近いにも拘らず、このシメを見落としてしまいましてずいぶん捜しまわりました。行き着いてみれば呆気ないもので、こんなに簡単な場所なのにどうしてすぐ分からなかったのか不思議なほどです。

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 大きな木のネキに庚申塔が立っています。ちょうどその前にはツワが生えていて、黄色の花が咲いていました。ツワは、春先に若いものを採りましてあぶらげと一緒に炒め煮にしたりきゃら蕗にするとほんにおいしいものですが、秋になるとほんにかわいらしい花をつけます。庚申塔の前には、御幣がついていたと思われる短い竹棒が立てかけられていました。その周囲には数基の庚申石も確認できます。

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青面金剛4臂、2童子、2猿、2鶏

 全体的に像容がぼんやりしてきつつありますものの、諸像の姿はまだまだしっかりと残っております。日月には瑞雲が薄く棚引き、その上部にて枠の部分が左右から突き合わせる格好になっている点や、日月の下部、一段と掘りくぼめた面との境界の線も美しい曲線を描いている点など、なかなか洒落ています。主尊はバッチョロ笠を被ったような髪型で、長い腕を大きく曲げて、衣紋も末広がりにて優美なる立ち姿でございます。ことさらに短い脚が可愛らしいではありませんか。
 両脇の童子は、右と左で明らかにお顔の形が異なります。向かって右は不鮮明になりつつありますものの、左の童子はようわかります。お地蔵さんのようなお顔に慈悲深さが感じられました。童子の真下には大きな猿がしゃがみ込んで向かい合い、目や口を隠しています。子供が遊んでいるように見えて微笑ましうございます。鶏も仲よう向き合うて、ほんに長閑な雰囲気でございます。最下部には造立当時の講員の方のお名前がびっしりと刻まれています。石面いっぱいに諸像を配した賑やかな塔で、やっと捜し当てたこともあり印象に残りました。

 

2 草場東組の庚申塔(ロ)

 イの庚申塔から、さきほど麓から急坂を登ってきた道まで戻り左折します(麓からなら直進)。道なりに行くと、右側に中が空になった木製の祠がございます。その手前を右折します。ここからは草付の道でやや荒れ気味です。すぐ二股になっているのでこれを右にとれば、ほどなく古い墓地に出ます。ここから先は道が不明瞭になっております。めいめい墓が並んでいるところから適当に右奥方向に行けば、庚申塔が立っています。

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青面金剛6臂、2童子、3猿、2鶏、ショケラ

 こちらは先ほどの庚申塔よりもやや小さめです。彫りが浅いので光線の加減によっては分かりにくいかもしれませんが、諸像の姿は細かいところまでよう残っており、比較的良好な状態を保っているといえましょう。まず笠の曲線が美しく、高くとった破風の上部の装飾など、上品な感じがいたします。瑞雲を伴わない、ごくささやかな日月にも注目してください。三日月に白い彩色がなされています。
 主尊は頬がむっちりとしたお顔立ちで、細い眼はにらみをきかせ、鼻筋が通っておちょぼ口、髪を逆立てており恐ろしげな雰囲気がございます。胴体はレリーフ状の表現にて立体感にやや乏しいものの、腕の形や手にとった弓の表現など、丁寧に彫られています。ショケラも写実的に表現てあります。小さめの童子がめいめいに主尊の方を向き、縁取りぎりぎりのところまでひどって恭しく仕えている様子が出ているのもよいと思います。鶏は童子の乗った足場に上を塞がれ、哀れなるかや閉じ込められてしまっています。2羽が向き合い、そのうち片方は地面の餌をついばんでいるのもけなげなものではありませんか。猿は体育坐りにてお決まりのポーズです。

 周囲はやや荒れ気味の印象を受けましたが、立地はそれなりに安定しておりますし塔の厚みも十分にありますので、おそらく今後も倒伏・破損することはないでしょう。

 

3 草場社

 東組の庚申塔(イ)から急坂を下り、元来た道を辿ります。家並みの中を行けば、ほどなく右側に草場公民館がございます。こちらは草場社という神社の拝殿を造り替えて公民館にしているようでした。

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 公民館の坪には鳥居、狛犬、石灯籠が立ち、こちらが神社であることがよう分かります。写真はありませんが公民館の裏には本殿が接続されています。

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 境内隅には摂社が並んでいます。そのうち左端のものは妙見様の祠で、これのみ斜めを向いて立っています。杵築城の方向を向いて立っているとのことです。この辺りからは高山川の流れやその対岸の水田を見晴らして、ほんに気持ちのよいところでございます。

 

4 菅尾の山神社

 草場部落をあとに、高山川に沿うて鴨川方面にまいります。オレンジロードの橋をくぐって、「菅尾入口」バス停を右折します。空港道路の高架をくぐって道なりに上っていけば、道路右側に菅尾公民館があります(駐車場所あり)。この公民館の坪に山神社があります。

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 鳥居も拝殿もありませんが、左の石祠が山神社です。その右には摂社やお弘法様が並び、公民館の坪であることもあってか整備・管理が行き届いている印象を受けました。この右にはと、道路に背を向けて庚申塔が立っています。

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青面金剛4臂、2童子、3猿、2鶏

 全体的に像容がぼんやりとして、主尊はまだはっきりしていますけれども童子・猿・鶏は輪郭を僅かに留めるのみとなっています。よう肥った寸胴体型の主尊はヘルメットをかぶったような髪型で、広い額が特徴です。眼つきが険しく、団子鼻をふくらまして恐ろしげな表情でございます。腕や脚がほんに細うございますので、いよいよ肥満体型が強調されています。めいめいの小部屋に佇む鶏に見守られるように、うっすらと痕跡のみになった3匹の猿が身を寄せ合うています。

 

5 菅尾の道しるべ

 公民館の坪の入口に古い道しるべが立っています。

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右 ふるいち

左 ふたご

 この道しるべは、元はもう少し先の方の道路端に立っていたものを、道路拡幅の際にこちらに移設されたとのことです。右は「ふるいち」つまり武蔵町へ。今は守江をまわって国道213号がございますが、昔歩いて移動していた頃は内陸部を経由して南安岐をまわっていたのでしょう。左の「ふたご」つまり西武蔵(両子寺)方面への道は、今の大鴨川・岩谷・城ヶ谷経由の成仏杵築線以前に盛んに利用されたその旧往還で、その途中には「耳とり鼻」という急坂の難所があるそうです。道しるべの下部に刻まれた一字は、梵字と思われます。道中の安全を願うて建立されたものでありましょう。

 

6 上ノ原の庚申塔

 菅尾の道しるべのすぐ先を左折して一つ目の角を右折し、田んぼの間の坂道を道なりに行けば字上ノ原に墓地がございます。その入口に2基の庚申塔が前後に並んで立っています。奥が文字塔、手前が刻像塔です。普通、このような場合には左右に並んでいることが多いものを、こちらは密接して前後に並んでいるのが風変りです。

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青面金剛6臂、2童子、3猿、2鶏

 刻像塔は残念ながら碑面の荒れが著しく、主尊と童子は輪郭線をうっすら残す程度にまで傷んでしまっています。この状態では元の様子をうかがうことはできません。おいたわしいの言葉しか出てきませんけれども、これだけ傷んでもなお、菅尾部落を見下ろして地域を見守ってくださっている庚申様でございます。鶏と猿は手前の石に隠れているので、次の写真を見てください。

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 石の蔭になっていることが幸いしたのでしょうか?鶏と猿は浅い彫りではありますけれどもはっきりと残っていました。めいめいにガニ股でしゃがみ込んだ猿が可愛らしいし、写真では見えづらいと思いますが、その下にほんに小さく表現された鶏もまた可愛らしうございます。後ろの塔は堂々たる字体にて「庚申」と刻まれています。

 草場の庚申塔は行き方がなかなか難しく探訪に二の足を踏んでしまいそうですが、菅尾の庚申塔は山神社の塔も上ノ原の塔も、簡単に見学することができます。菅尾にはこの3基のほかに、貴船神社のところにも破損した庚申塔があるそうです。まだ貴船神社には行ったことがないので、こちらはまたの機会といたします。

 

今回は以上です。大内地区にはまだまだ行ったことのない場所・拝見したことのない石造物がたくさんございますので、今後の探訪が楽しみな地域のひとつです。草場西組の庚申塔に行き当たらなかったのは返す返すも残念でしたけれども、今後の楽しみとしたいと思います。