大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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裏耶馬渓めぐり その1(耶馬溪町・玖珠町)

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 今回は裏耶馬渓の一部をめぐります。紹介する名所はいずれ劣らぬ景勝でありますが、最近は植林が育ち奇岩が見えづらくなるなど、やや景観を損ねた感もございます。それで、この記事では以前買い集めた昔の絵葉書も掲載します。今の景色と見比べてみてください。

 

○ 裏耶馬渓について

 大分県内に紅葉の名所は数あれど、やはり耶馬渓にとどめを刺しましょう。一口に耶馬渓と申しましても、その範囲はずいぶん広うございます。名勝耶馬溪は66の景勝を数えまして、地域ごとに本耶馬渓羅漢寺耶馬渓、深耶馬渓しんやばけい)、麗谷耶馬渓(うつくしだにやばけい)、津民耶馬渓、裏耶馬渓、奥耶馬渓、椎屋耶馬渓(しややばけい)、東耶馬渓、南耶馬渓に大別されます。これらは耶馬十渓と申しましてその景勝は天下に名を轟かしております。この中で、最も観光客の多いのはやはり本耶馬渓羅漢寺耶馬渓、深耶馬渓でありましょう。

 このように広範囲に及ぶ名勝耶馬渓の中でも、特にお勧めしたいのが裏耶馬渓でございます。耶馬溪町は下郷地区から玖珠町は八幡地区にかけての奇岩奇勝は、大迫力の大岩壁から清流の景観、箱庭のような溜池、岩窟と千変万化でございまして、春は新緑に山桜、夏は蛍や清流の涼、秋は紅葉、冬は雪の冠の岩峰群と、四季折々の風情がございます。しかも晴天の日はもとより、山桜や紅葉などは薄曇りの日もなかなかようございまして、何度でも訪ねたくなる名所中の名所なのです。また、この地域は観光開発もほとんどなされておりませんから、自然のままの景勝を楽しむことができます。

 さて、裏耶馬溪の景勝を下郷側から順に申しますと、幸田峡(こうだきょう)の景、山浦の景、提鶴(ひさげつる)の景、伊福の景、山田の景、(以上耶馬溪町・以下玖珠町)、竃ヶ窟(かまどがいわ)の景、大藤ノ谷の景、立羽田(たちはた)の景、坂ノ上の景、鶴ヶ原(つるがはる)の景、弓ノ木台の景、内匠(たくみ)の景(、じつに12景を数えます。ひととおり巡りましたが、中には探訪したのが二十年ほど前にて写真がないところもあります。今回は、ひとまず適当な写真のあるところから順に紹介いたします。

 

1 伊福の景

 耶馬渓町は下郷の十字路から、金吉谷(かなよしだに)に沿うて県道702号を玖珠方面に向かいます。伊福部落に入ると谷がやや広くなります。道路沿いに後藤又兵衛の墓を見て、その先を左折してずっと登っていけば山田の景に至ります(これらはまたの機会に紹介します)。この辺にきますと、道沿いに連なる民家の裏山の大岩壁が目に入ります(冒頭の写真)。その大迫力にあっと驚き、胆を冷やすこと請け合いでございます。ただ通り過ぎるだけではもったいない景色です。橋を渡った先の若宮様の隣にある公民館の坪に車をとめさせてもらい、ゆっくり眺めるとよいでしょう。

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 写真の下の方に写っている民家と大岩壁を比べてみてください。岩壁のものすごさがお分かりになると思います。こちらは植林で景観を損ねておりましたものを、伐採等の修景がなされまして昔日の迫力が蘇りました。

 

○ 伊福の地蔵踊りについて

 耶馬溪町は盆踊りの盛んな土地でありまして、特に伊福部落を含む下郷地区は踊りの種類の多いことで有名です。現行の演目を申しますと「千本搗き」「祭文」「小倉踊り」「三つ拍子」「寿司押し」「三勝」「書生さん」「米搗き」「博多踊り」「佐伯踊り」「キョクデンマル」「ネットサ」「六調子」、実に13種類を数えます。いずれも太鼓を使わずに、傘をさして床縁に立つ音頭さんの口説に合わせて踊りながら囃子をつけていくという大変素朴なものです。

 さて、下郷地区では町内他地区と同じく、供養踊りの際には部落ごとに初盆の家を門廻りで踊っておりましたが、今では一部を除いて寄せ踊りになっています。昔は、初盆が多い年は最後の家になると夜が白み、うちわは破れて下駄もすり減っていたそうです。今は朝まで踊ることはありませんけれども、8月10日(十夜様)、13日(供養踊り)、14日(観音様踊り)などにこの一帯を通りかかれば、方々から口説が聞こえてまいります。中でも伊福部落では、昔から地蔵踊りが賑やかで近隣在郷によく知られています。踊りがはねたら「鷽替え」もあります。かつては玖珠町側からも提灯を持って歩いてくる人が何人もいて、四重五重の輪が立つほどの賑わいであったそうです。さしもの伊福の地蔵踊りも、昨今の過疎化により往年の賑わいはないようですが、もとは地蔵盆に踊っていたものをみんなが参加し易いように23日に近い週末に行うように改めて、継承されています。また近隣在郷のたくさんの人が集まってみんなで地蔵踊りを楽しめる世の中に早くなってほしいと願うております。

 

2 竃ヶ窟の景

 伊福の景を過ぎて、下河内から玖珠町に入ります。道なりに行き「かまどヶ岩」の標識に従い右折します。道が狭くなりますが問題なく通れます。しばらく行き、標識に従ってまた右折して坂道を登れば立派な駐車場が整備されています。

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 駐車場から少し上がれば、このように大岩の左右に道が分かれています。どちらからでも問題なく通れますが雨上がりには少し滑るかもしれません。谷の奥詰めには七重八重に折り重なる大岩、その大岩を縫うて岩窟に入っていきます。

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 振り返って撮影した写真です。天井の高い岩窟の入口の大岩をよけて、三角形の窓になったところを潜ってきたところです。

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竃が岩碑

 「の」の上に点を打った字は「か」の異体字です(花札の短冊「あかよろし」の「か」の字)。「碑」の字の、「田」の部分の中をくるりと一筆に書いてあるのもよいと思います。

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 岩窟の奥詰めには仏様が並び、その手前にはひときわ大きな大日様がございます。入口の雰囲気からちょっと胆を冷やすような立地ですけれど、さても幽玄なる景観にて、有難味が増してくるではありませんか。この竃ヶ窟は、後藤又兵衛が隠遁したとの伝承がございます。毎年、近隣の方によりお祭りが開かれ、お参りの方も多いようです。いつもきれいに整備されており、安全に探訪・お参りできます。ありがたいことでございます。

 

3 立羽田の景

 竃ヶ窟から県道に返って、三叉路を右折します(伊福からなら直進)。カーブの多い道を道なりに行くと、三叉路に出ます。直進(二車線)と左折が県道43号です。これを左折します。道なりに行くと上り坂にかかり、右側に「自然公園ふれあい市」という売店があります。そのすぐ先、左側の広い駐車場があります。この駐車場からでも十分に景色を楽しむことができますが、時間があれば立羽田のバス停あたりまで車道を歩くとよいでしょう。

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 この麓が立羽田部落で、田んぼの中に民家が点在しています。その背後は屏風のように連なる大迫力の岩峰群です。

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 立羽田の景こそは、伊福の景や鶴ヶ原の景と並ぶ裏耶馬渓の代表格といえましょう。こちらは岩峰群のみ見ても素晴らしいものを、その麓の民家や耕地の風景とあわせて見たときに一幅の絵画のような風情がございます。伊福の景の大岩壁とはまた違って、岩峰が横に連なっている点にも注目してください。

 

4 昔の立羽田の景(絵葉書)

 今なお素晴らしい景観を誇る立羽田の景も、植林が育って岩峰群の迫力がやや損なわれているのも事実です。そこで、手元にある戦前の絵葉書を紹介します。前項の写真と見比べてみてください。

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GRAND VIEWS OF THE MOUNTAIN-PEAKS AT TACHIHADA IN URA-YABAKEI, YABAKEI.
耶馬溪)巑岏として巨巌競ひ立つ裏耶馬溪立羽田の連峯

 おそらく戦前の写真です。やはり今よりもずっと岩峰がよく見えて、迫力が段違いでございます。右に写っている岩峰の突端に、小さな祠のようなものが見えます。風の神様でしょうか? あの場所までどうやって上がるのでしょう。道があるのでしょうが、きっと鎖渡しでなければ無理だと思います。それにしても戦前の絵葉書の説明文は、漢語を多く使っていて、なんとなく自信満々な雰囲気が感じられます。この種の説明文や戦前の観光パンフレット等に見られるこれでもかと褒めちぎった案内文は、なかなか面白うございます。

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5 立羽田の庚申塔

 前項にて掲載しました立羽田のバス停のところから、急坂を下って立羽田部落へとまいります。道なりにいけば、下り着いたところの右側に庚申塔が立っています。自動車も通れる道ですが地域の方の迷惑になりそうなので、上の駐車場にとめて歩いて行った方がよいでしょう。

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 石灯籠を伴う庚申塔にはシメがかけられていました。庚申講の現状は不明ですが、地域の方の信仰が続いていることがうかがわれて嬉しくなります。

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猿田彦大神

 玖珠町庚申塔は、青面金剛の刻像塔はただ1基のみでほかは全て文字塔であるとのことです。猿田彦の文字塔は道路端にたくさん立っています。その多くがこのように厚みのある石塔で、上部が善屈しているのが特徴です。

 この前屈した庚申塔に譬えて、昔は腰の曲がったお年寄りのことを「庚申様のごとある」と言っていたそうです。これは、頑張って働いてきて腰の曲がってしまったお年寄りを、ありがたい「庚申様」に譬えているということで、ほのかな尊敬や畏敬の念が感じられる言い回しです。わたくしが子供の頃、お年寄りと会話していると、このような洒落言葉をたくさん耳にしたのを思い出します。ほかにも、洒落言葉を申しますときに今は「屋台の提灯でぶらぶらしちょる」などのように全部を言いますけれども、昔の方はただ「屋台の提灯」とだけ言っていました。たとえば「あん人は屋台の提灯じゃ」のように、種明かしをしない言い回しはほんに粋な感じがします。この20年ほどで、昔のお年寄りのような洒落た会話を聞くことがほんに少なくなりました。

 

今回は以上です。飛ばした名所旧跡はまたの機会といたしまして、次回は先に進んで池ノ尾の景、鶴ヶ原の景を紹介します。