大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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立石の名所めぐり その1(山香町)

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 山香町は立石地区の名所旧跡を紹介します。立石地区(旧立石町)は立石峠を境に山香寄りの大字立石・下、宇佐寄りの大字向野(むくの)に大別されます。この地域の探訪はまだ不十分ですが、ひとまず数回分程度の写真がありますのでシリーズとして書いてみようと思います。初回は大字立石・下をめぐります。

 

1 六太郎の神社

 竜ヶ尾の交叉点から田染方面にまいります。道なりにどんどん登っていきますと、道路右側に大きな溜池があります。この池を床並(とこなみ)池と申しまして、これより下手の谷筋から国道10号沿いに至るまで広範囲の田を潤す大切な池でございます。池に沿うて行けば、市境の標柱があります。その標柱のところを右折して、右に池を見ながら奥へ奥へと道なりに行ったところが六太郎部落です。二股を右にとり、坂道を下ったら左カーブしてまた上りになります。右側に気を付けながら上りますと、冒頭の写真の景色が見えます。ここから人が1人歩くのもやっとの幅の細道を行けば、神社に到着です。

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 神社には鳥居がなく、何の神社か分かりませんでした(屋外に地域の方が見当たらず尋ねることもできませんでした)。六太郎には両手の指に余る軒数しかないように見受けられましたが、このように藪になることもなくきちんと管理されているのは立派なことだと思います。

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 正面に拝殿を見て、境内右端には灯籠ほかの石造物が並んでいます。塘路の左に写っている2基のうち右のものはおそらく庚申塔と思われますが、文字は全く確認できませんでした。

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 左側には小さな狛犬を伴う石祠がございます。部落内のほかの場所にあったものを、こちらに合祀したのかもしれません。お稲荷さんの左側には国東塔が見えます。今回六太郎部落を訪ねた目的は、こちらの国東塔の見学でした。

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 塔身以下の風化摩滅が著しく、おいたわしい立姿でございます。塔身の四方に仏様を浮き彫りにしてあるのは、山香町内では珍しいのではないでしょうか。近隣地域で申しますと、小田原(豊後高田市)にございます塔ノ御堂の国東塔がこのような特徴を有しております。こちらはその仏様や請花・反花が薄れてきて、ぼんやりとしか分からなくなってきています。台座は地中に埋もれているのでしょう。

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 反対側から見ますと、傷みがいよいよ目立ちます。傷みの程度の差から推して、笠あるいは相輪から上は後家合わせのような気もいたします。こちらは文化財に指定されておりませんので詳しいことは何も分かりませんでした。

 

○ 六太郎について

 六太郎は室町期より山香郷に入ったものの、それ以前は馬城山伝城寺の南限(田染郷)であったそうです。国東塔がいつのものか存じませんけれども、もしかしたら六郷満山の関係のものなのかもしれません。今は自動車で往来しますので、床並池のところから車道を辿れば六太郎で行き止まりです。でも昔、歩いて往来していた時代には、六太郎は交通の要衝でありました。今下駄(田染)・熊野(田染)・国徳(馬上金山)それぞれへ、山道が残っています。立石から熊野権現にお参りに行く際にはみんな六太郎経由の近道を通ったそうです。今下駄に下る場合も、徒歩であれば陽平(ひなたびら)経由よりも六太郎経由の方がおそらく早かったでしょう。

 また、六太郎で採れる「六太郎角」という鉱石は火打石に有用で、『豊後立石史談』によれば立石の名産品として遠く上方にまでその名が知られていたとのことです。六太郎角は指定天然記念物でありますが、現地に説明板が見当たりませんでしたので石切り場の跡地等はよく分かりませんでした。

 

2 竜ヶ尾の庚申塔

 六太郎から、来た道を引き返して竜ヶ尾に下ります。竜ヶ尾の公民館奥の墓地に、立派な庚申塔があります。庚申塔をはじめ石造文化財に興味関心のある方には、ぜひ見学していただきたい立派な塔です。詳細は以前書いた記事を見てください。

oitameisho.hatenablog.com

 

3 城山の天満宮

 竜ヶ尾の交叉点から踏切を渡って右折し、川べりの道を行きます。道なりに立石の駅通りを過ぎて、二股になっているところの左手、橋渡ったら道路上に鳥居が立っています。その鳥居をくぐって、正面の山が立石の城山(立石城址)です。その裾に天満宮がございます。車は、天満宮の参道入口から右方向に行けば、坂道を上がって境内の隅にとめることができます。時間があればそのままお参りをせずに、車道を歩いて戻って参道から上がることをお勧めします。

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 こちらは立石地区を代表する立派な神社で、その境内の広いことといったら、運動会ができそうなほどの広さがあります。見事に積んだ石垣はまるでお城か砦のそれに見えてまいります。参道が鉤の手に曲がっているのもいかにもそのような雰囲気がございまして、これは立石城址の遺構と何か関係があるのかもしれません。

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 久しぶりにお参りをいたしまして、狛犬の大きさにあっと驚きました。以前はそんなに気に留めていなかったのですけれども、近隣ではなかなか見かけない、立派な狛犬でございます。境内には石灯籠など数々の石造物がございますが、やはり狛犬にとどめを刺しましょう。大きさのみならず、今にも動きだしそうな写実的な表現、生き生きとした表現が素晴らしいではありませんか。

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 こちらの狛犬は残念ながらお顔が傷んでしまっています。ほかの部分はほぼ無傷なのに、どうして顔だけが傷んだのでしょうか。

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 広々として気持ちのよい境内です。近隣を探訪される際にはぜひ立ち寄って、お参りをされてはと思います。この広い境内は、いつもきれいに整備されています。これだけ広いと手入れも大変でありましょうが、近隣の方々のお世話が行き届いているようです。

 

今回は以上です。最近は長い記事ばかりでしたので今回は分量的にやや少ない気もいたしますが、説明の都合上ここで一旦切ります。次回は立石地区の磨崖仏を紹介します。