大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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北杵築の名所・文化財 その9(杵築市)

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 二ノ坂の庚申塔を紹介したくなりましたので、長らくお休みしていた北杵築シリーズの補遺としてこの記事を書きます。いくつものシリーズが同時進行していますので読みにくいかもしれませんが、思いのままに、長く続けていきたいと思っています。もし各シリーズを続けてご覧になりたい場合には、カテゴリの中から「索引」ページを捜してリンクを辿ってください。

 さて、今回は道順が飛び飛びになってしまいますが、二ノ坂の庚申塔2か所と、宝積寺の石造物、三尾平の庚申塔(上)を紹介します。

 

25 二ノ坂の庚申塔(旧道沿い)

 二ノ坂は大字溝井のうち最もカサにあたる地域で、山田の風景がほんに長閑な、なかなかよいところです。この地域に庚申塔が3箇所に1基ずつあり、賽ノ神としての霊験を期待して造立したことが推察されます。今回の記事では、この3基のうち太刀持坂旧道沿いの庚申塔と、カサ(妙見様境内)の庚申塔を紹介します。まず、太刀持坂旧道の庚申塔からまいります。便宜上、区別のために項目名に「旧道沿い」と付記しました。

 ここは道順がなかなか難しうございますが、杵築史談会による『忘れられた神々と野仏 北杵築地区その2』を参照することで、迷うことなく訪ねることができました。以前、「その5」の末尾にて西溝井は鎌ノ草の庚申塔を紹介しました。そこから通称太刀持坂の新道(車道)を上って二ノ坂にまいります。急坂を上れば左手に二ノ坂公民館があり、その先の道路右側にゴミ捨て場があります。車はゴミ捨て場のところに停めます(路肩が広くなっています)。そこから折り返すように旧道(車不可)に入り、車道と平行気味に進みます。

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 旧道に入ったところから撮影した写真です。道なりになだらかに下っていくと、正面右手に民家が見えてきます。その民家の坪に行き当たる直前で左折します。

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 左折したら杉木立の中のたいへん気持ちのよい道になります。しばらく道なりに進んでいくと、左に庚申塔が見えてきます。

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 庚申塔が見えたら左折して、なだらかな坂道を上っていけば塔の前まで簡単に行くことができます。素晴らしいロケーションに期待が高まっていたうえに、近づくにつれその見事な造形が目に入りまして、喜びのあまり駆け寄ってしまいました。

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青面金剛4臂、2童子、2猿、2鶏

 見れば見るほど素晴らしい造形でございます。まず、その保存状態の良さに驚かされます。笠の隅が僅かに傷んでいるほかは、全くといってよいほど傷みがございません。火焔輪は左右対称にてやや形式的な印象でありますけれども、これは童子や猿、鶏それぞれ対になっていますので、全体としてのまとまりを考慮して意図的にこのように表現したことが推察されます。主尊は炎髪の櫛目も細やかに、身がすくむほどの恐ろしい風貌にて睨みを効かせています。スラリと背が高くて恰好がよいし、衣紋の表現なども丁寧です。国見町は東中部落の秋葉様の庚申塔を以前紹介しましたが、あの塔の主尊に比肩する、勇ましさ・凛々しさ・恐ろしさを感じました。

 そして、厳めしい主尊に対して、童子は振袖さんにて身のこなしもしとやかに、娘さんのような髪型で楚々とした風貌でございます。右と左の所作を違えている点など手が込んだ表現です。その下の猿にも注目してください。ぐっと腰を落としていて向かい合う様子は、まるでお相撲さんのようではありませんか。特に向かって右の猿が片腕を差し伸ばしているのが特徴で、トコドスコイドスコイなぞと今や組み合わんとする様が感じられました。鶏も、雄鶏と雌鶏を区別して、尾羽など丁寧に表現してあります。全体としてレリーフ状の彫りで立体感はやや乏しいものの、碑面に余白を残さない賑やかさでほんに豪勢な感じがいたします。北杵築地区に数ある庚申塔の中でも、特に秀でた塔といえましょう。

 

26 峰の妙見様

 旧道沿いの庚申塔から車道に戻り、車で道なりに上っていきます。一旦人家が途切れて、右側に菖蒲迫の池を見送った先で再び人家があらわれます。この辺りも二ノ坂のうちです。菖蒲迫の池の先、民家の石垣の角を右折して少し進み、すぐ左折しますここからは道が狭くて運転に難渋しますので、左折するところの路肩ぎりぎりに寄せて車を停めて歩いて行くとよいでしょう。ほんの少し歩けば、ほどなく右側に参道の石段があります。

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 石段を登ったら正面に軍人さんのお墓があります。その左手には、妙見様の石祠を中心に生目様、お地蔵様、庚申様(刻像塔)などが寄せられています。写真は、下の道路から撮ったものです。左に写っている自然石も庚申塔のような気がしますが、銘が消えていて詳細は分かりませんでした。

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 参道は傷みもなく、ごく短いので容易にお参りできます。落ち葉が多いのは、大風が吹いたためと思われます。

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享和四年子正月吉日

 和は異体字(禾と口を上下に重ねる)です。凡そ220年前、この辺りはどんな景色が広がっていたのでしょうか?

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 左から庚申塔、生目様、お地蔵様、妙見様、五輪塔、灯籠です。前はそれなりの広さの平場があります。近隣の方によりお世話が続いているのでしょう。

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 妙見さまは、杵築史談会『忘れられた神々と野仏』に掲載されている写真を見ますと御室が破損して野ざらしになっていたようです。今はコンクリートブロックで新しく御室をこしらえて、このように鄭重にお祀りしてあるので安心でございます。その隣の五輪塔は、残念ながら下部が失われていますけれども、もしこれが欠損していなければよう整うた秀作であったような気がいたします。

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青面金剛4臂、2猿、2鶏

 唐破風のついた笠が見事で、スマートな塔身も含めてなかなか格好のよい塔です。諸像の姿を見てすぐ気付いたのですが、この塔は日出町は藤原地区の方々で見かける刻像塔によう似ています。最近、藤原地区の名所めぐりシリーズも書き進めていますので比較してみてください。主尊の腕の形や裾広がりの衣紋、向かい合うて籾摺りをしているような猿など、明らかに藤原地区で見かける庚申塔の仲間でありましょう。写真が悪くて見えづらいかもしれませんが、実際には良好な保存状態を保っています。

 刻像塔は、近隣地域において似通ったデザインのものが数基も見られることがよくあります。たとえば武蔵町で盛んに見かけるタイプや、真玉町の山間部で見かけるタイプなど、思いつくだけでもいくつもの類型がございます。いずれも、比較する中で細かい差異に気付いたり、地域間のつながりや石工さんの活動範囲などいろいろなことが推察されたりします。今回、思いがけず北杵築地区において藤原地区の庚申塔にそっくりの塔を見つけたことで、いよいよ興味関心が深まってまいりました。

 

27 宝積寺の石造物

 妙見様から下の車道に返って先に進み、境木の公民館の辻を左折して南平方面に行きます。大片平(おかたひら)は下村に入ってほどなく、道路左側に説明板が立っています。

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 説明板の内容を転記します。

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大徳山 宝積寺(大片平)

 当宝積寺は約650年前の創建です。正平17年(1362)宇都宮朝長は、大友氏時の軍門に降り、山香郷大片平むらに住んだ。大友氏時は、菊池武教と仲津郡長者原に戦って敗れ、翌18年11月6日菊池部政に討たれた。朝長は、氏時の霊をなぐさめるため、同年下野国塩谷郡(栃木県)の宝積寺を勧請し本寺を創建した。

〇本尊 観音菩薩木坐像(1尺1寸)
〇寺宝 大般若経 600巻
〇堂宇 木造平屋瓦葺本堂30坪 庫裏役19坪
〇境内の状況
 境内280坪
 観音堂4坪(観音像は旧日出藩の観音霊場第18番、杵築市音霊場第6番)
〇著名な石造など
 国東塔1基(市指定重要文化財
 五輪塔1基
 准胝観音石像
 一字一石供養塔

平成23年3月設置

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 この説明板のところを左折して奥に行けば、ほどなく境内に到着します(車で乗り着けることができます)。宝積寺は現在無住で、普段は近隣の方々のお世話で維持されています。当日、本堂は施錠されており御本尊は拝観できませんでしたが、境内の石造物を見学することができました。

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 本堂に向かって左側の築山を中心に、いろいろな石造物がございます。特に目を引きますのが准胝観音をいただいた妙経五千部供養塔と国東塔です。写真はありませんが、右側の旧参道石段下り口にもお地蔵様などが安置されています。

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妙経五千部供養塔

 この塔は、ありがたいお経を5千回唱えた紀念に造立したものです。昔は文字の読めない人も多かった中で、お経の文字が分からない人でも上部に安置された准胝観音様にお参りをすれば5千回読経するのと同じ霊験がありますよという意味合いでありましょう。お観音様のやさしいお顔立ちや、拝み手の指の微妙な動き、また側面に何対も伸びる腕をレリーフ状に表現してあるところの生き生きとした表現など、秀作でございます。このような供養塔の類はさてもありがたいもので、お参りをするだけで心が穏やかになります。

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 国東塔は笠の一部などが僅かに傷んでいるほかは保存状態がすこぶる良好、大型の塔でありますし蓮台の存在感もあり、立派な印象を受けました。北杵築地区には庚申塔をはじめとして数多くの石造物がございますが、こちらの国東塔はそれらを代表する優秀作とみてよいでしょう。

 

28 三尾ノ平の庚申塔(上)

 道順が飛んで、今度は大字船部は三尾平(みおのひら)にまいります。三尾平の庚申塔は村のカサとシモ、2か所にあります。今回はカサの塔を紹介します。シモの塔は「その6」に掲載していますので、併せてご覧ください。

 さて、溝井から県道49号の新道を通って石山ダムを跨ぎ、尾上の高架橋手前で旧道に下ります。お茶畑の中を縫うて払川経由で波多方峠(車道)に至る直前を左折し、三尾平へと進みます。道路右側に高熊山の標識があり、林道が分かれています。その辺りに邪魔にならないように駐車して、折り返すようにして右後ろ方向に上がる旧道に入ります。この旧道は軽自動車までならどうにか通れる程度の幅がありますけれども途中がぬかるんだりしていますので、車では入らない方がよいでしょう。

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 旧道を上がって右に畑地を見送ると、木森の中に入ってまいります。そのかかり、左側に写真のような梯子段が置いてあって、上の方に庚申塔がちらりと見えます。ここから、この梯子段を上がりますと庚申塔の真下まで行くことができます。

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 庚申塔は崖上で、枯れ竹や伸びた枝により下からは見えづらくなってきています。鶏や猿の様子も確認したかったので足場の悪い崖をどうにか登りましたが、訪ねた日は雨上がりでぬかるんでおり難儀をしました。

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青面金剛4臂、2童子、3猿、2鶏

 折れた痕が痛々しく、残念ながら全体的に風化摩滅が進んできています。この急傾斜ですので、いつかの台風で転倒・落下してしまい破損したと思われます。でも、それを修復して再度この崖上に安置してあるのは立派なことです。お世話を続けるうえで、この崖上ではなくせめて道路端に下ろすという選択肢もあったと思います。それをしなかったのは、やはり意味があってその場所にあったのだから元に戻すのが最善であると判断されたのではないでしょうか。

 傾斜の緩やかな笠には千鳥破風を設けて、そこにお花模様が刻まれています。ごくささやかで、上品な感じのする表現です。瑞雲は線彫りで、細やかに表現されてあるようですが一見して分かりにくくなっています。主尊の口元に優しそうな雰囲気が感じられて、昔この下の旧道を歩いて行き来していた人々を見守ってくださっているかのようでございます。お腹がポコンと出ているのも可愛らしいし、パンタロンのような表現もすてきです。童子・猿・鶏はささやかな表現で細部が薄れていますけれども、今のところその輪郭はくっきりと分かります。もう倒れないように下部をしっかり固定されていますので、当分は現状を維持できることでしょう。

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 庚申塔のところから奥へ奥へと道が続いています。進んでいけば、車道の波多方峠近くから旧の波多方峠に登る道に突き当たります。左折して道なりに上って行けば、駕籠立て場跡等の史蹟や妙見様の石祠があります。適当な写真がないので、またいつか紹介します。

 

今回は以上です。北杵築地区には、紹介していない名所・文化財がまだまだたくさんあります。しかし適当な写真がないので北杵築シリーズは当面お休みとして、ほかのシリーズを進めていこうと思います。