大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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熊毛の名所めぐり その2(国見町)

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 新年あけましておめでとうございます。今年もあちこちの名所旧跡を訪ねて、少しずつ紹介してまいります。備忘録的な側面が強くなっているのが正直なところですが、今後ともよろしくお願いいたします。

 さて、今回も岐部の名所旧跡を紹介します。今回も庚申塔がメインとなります。個性的な塔が目白押しですので、興味関心のある方にはぜひ探訪をお勧めいたします。道が狭いところが多いので、もし時間があれば城山の駐車場に車をとめて、徒歩や自転車でまわるとよいかもしれません。

 

3 中岐部の稲荷社の庚申塔

 前回紹介した行者山から岐部線に返って、下岐部方面に進みます。常念寺のところを右折して橋を渡り、道なりに行って右側の家並みが途切れるところを右折します。道なりに行き止まりまで進めばお稲荷さんがございます。境内まで車で上がることができますが道が狭いので、下の道の広いところに停めて歩いて行く方がよいでしょう。お社の奥に石祠や庚申塔が集まっている一角があります(冒頭の写真)。ここにはすこぶる状態のよい庚申塔と、傷みが激しい庚申塔があります。順に紹介します。

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青面金剛4臂、2童子、3猿、2鶏、邪鬼

 こちらは笠の一部がやや傷んでいるほかは、ほぼ完璧な姿を残しています。まず笠を見ますと、唐破風のところの小さなお花模様や二重の垂木、棟木などたいへん凝った装飾がなされており、ほんに豪勢な感じがいたします。瑞雲は図案化を極めて、左右対称に配した中央にもごく小さなお花模様が見られます。ほんに風流なことではありませんか。主尊は、最近紹介しました来浦地区は向鍛冶の庚申塔にそっくりです。腕の表現が個性的でおもしろいし、厚肉彫りにて立体感に富んだ彫りが素晴らしいと思います。しかも真っ直ぐ立つのではなくて、微妙に体をよじらせているところなど実にいきいきとしているではありませんか。

 羽織を着て立つ童子は右と左でお顔が違います。こけし人形のような可愛らしい立ち姿でございます。その間の邪鬼の不気味なことといったら、この世のものとは思えません。こんなに憎らしい顔で我関せずの風情でありますのも、主尊が邪鬼を踏まえておらずご丁寧に足場の上に立っているためでありましょう。猿と鶏をことさらに小さく表現してあるのも可愛らしくてようございます。全体的に諸像の大きさを極端なほどに違えるなどデザインの妙がございますし、しかも一つひとつが厚肉彫りです。秀作といえましょう。

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青面金剛、2童子、3猿、外不明

 輪郭どころか骸骨のような姿になってしまった主尊がほんにお気の毒な塔です。おいたわしいの言葉しかございません。猿のみ、その姿をようとどめます。長い年月を経てこのような姿になってもなお、地域を見守ってじっと立ち続ける庚申様でございます。ほんにありがたいことではありませんか。このように同じ場所に状態の異なる塔が複数残っている場合、保存状態を物差しにして優劣をつけるのではなく、いずれも地域の生活の中にある信仰の対象として、等しく価値を見出す目を持ちたやといつも思うております。

 

4 久保林の庚申塔

 稲荷社から引き返して下の道路に出たら右折し、次の角をまた右折して坂道を上ります。この道は軽自動車ならどうにか通れますが、無理をせずに歩いて行った方がよいでしょう。突き当ったら左折して道なりに行けば、右側に旧往還が分かれています。その角に大型の庚申塔が立っています。道路端なのですぐ分かります。

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青面金剛6臂、2鶏、2猿

 私の背丈よりも高く、実に堂々たる印象を覚えました。正徳3年の銘があります。300年以上前の塔とは思えない保存状態です。こちらにそっくりの塔が国東半島の北浦辺に点々と残っています。近隣で申しますと、伊美地区は峯の庚申塔(清正公社境内)のものと瓜二つです。ほかにも夷谷等、あちこちで似たデザインの塔と見たことがあります。同じ作者によるものかと思いますが、その活動範囲の広さに驚かされます。

 主尊は森昌子のような髪型なのでしょうか、それとも頭巾を被っているのでしょうか。ヘルメットを被っているようにも見えます。優しそうなお顔にほっといたします。このタイプは合掌した腕以外の4本がX型になっているのが特徴で、三叉戟や羂索なども大きく、はっきりと刻まれています。そしてこのタイプは必ず蛇を掴んでいます。どこか異国風のお顔立ちや衣紋、腕の配置、蛇を伴う点などから推して、庚申塔を隠れ蓑にした潜伏キリシタンの仮託信仰の対象であったのではないかという説もあるそうですが、真偽のほどは不明です。信仰の土着化に伴い白黒で線引きし難いところがあります。それで一応、一般的な青面金剛の刻像塔とは異なる特徴を有するということで、「異相庚申塔」として分類することもあります。いずれにせよ地域の方に長く信仰されてきて、地域を守ってくださったありがたい庚申様でありますから、像容の特徴といういわば表層的な面はさておきその本質は同じことでありましょう。この点に留意してお参り・見学をしたいものです。

 ところで、このタイプはその個性的な像容からついつい主尊ばかりに目を奪われますけれども、猿や鶏のデザインもよう工夫されています。猿は、不整形の台座をオイサオイサとよじ登っている様がほんに可愛らしいではありませんか。鶏も、豊かな尾羽を垂らして仲よう向かい合うておりますのが、家内安全や夫婦和合を象徴するかのような、実に平和的な表現です。全体的にさても優しい雰囲気のある庚申様でございます。青面金剛と申しますと厳めしいお顔を思い浮かべますけれども、このように優しそうな庚申様もまた多うございまして、いずれもほんにありがたいものです。

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 庚申塔の横から旧往還が分かれています。これを登れば旧の松ヶ尾トンネル(近年閉鎖されました)の近くに出ます。このような旧往還を「殿様道」と申しまして、道路工事等による地形の改変により消失したところもありますが、まだ点々と残っています。古い道も立派な史蹟でありますが、説明板や標識がないのが惜しまれます。

 

5 東岡の天満社

 久保林の庚申塔を過ぎて道なりに行き、突き当りを右折します。ほどなく国道213号に出ます。左折して、右側2つ目の広い路側帯(1つ目はバス停がありますので駐車不可)に車を停めたら、歩いて国道を引き返しますと左の崖上に天満社の鳥居が見えます。

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 国道の拡幅で参道が削り取られてここからは上がられません。一旦通り過ぎますと左に迂回路が分かれますので、その道に入ります。

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 迂回路を上がれば、道路から見えた鳥居の上の平場に出ます。天満社の改修の経緯等について記載された立派な碑銘が立っています。

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 上の鳥居をくぐればほどなくお社に着きます。お参りをしたら、横から裏に回り込みますと石祠の横に庚申塔が立っています。

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 こちらの庚申塔は、道路工事にかかったか何かでこの場所に移されたものではないかと思います。でも神社の境内にて、粗末になることなく、下部を固定されていますので転倒の懼れもなく安心でございます。

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青面金剛6臂、2童子、3猿、2鶏

 彫りが浅めで、しかも写真が悪いので分かりにくいかもしれません。実物を見ますと諸像の姿はよう分かります。良好な状態を保っているといえましょう。ちょうど笠の蔭になって見えにくいのですが、日月と瑞雲が牡丹の花のような華やかなデザインになっています。主尊は、何と申しましても異常なる大きさの頭部が非常に珍妙な印象でございます。ちょうど御髪とお顔のバランスがどんぐりにそっくりです。どんぐり独楽に顔を描いたような雰囲気ではありませんか。それがために、目つきなどほんに恐ろしげでありますのに何となく愛嬌すら感じられます。長さも太さもまちまちの腕や、まるで鎧のように下部が段々になった衣紋など個性的な表現で、重そうな頭部に比べて下に行くほどほっそりとしているのも面白うございます。

 猿はぎゅっと身を寄せ合うて、何かを恐れて頭を押さえてしゃがみこんでいるように見えます。鶏が一段高いところから監視するように見下ろしているので、余計にそのように見えたのかもしれません。

 

6 岐部城址の石塔群

 車に戻って、国道を下っていきます。ペトロ岐部公園を左に見送ってすぐ左折して広い駐車場に車を停めます。左の小山が岐部城址で、近年その頂上部に国東アートプロジェクトの作品として「説教壇」なる回廊が設けられました。簡単に登ることができますし見晴らしもよいので、立ち寄ってみるとよいでしょう。この山の麓に、古いお墓や国東塔、五輪塔などたくさんの石塔が並んでいます。

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 適当な写真がなく十分な紹介ができません。この写真に写っている塔以外にもたくさんあります。簡単に見学できますので、立ち寄ってみることをお勧めします。

 

7 小川内の庚申塔

 この庚申塔は以前単独の記事で紹介しましたが、説明の内容を見直してこの項に加えることにします。

 岐部城址の駐車場の奥に「国見ふるさと展示館」があります。敷地内の「城山亭」の食事は地元の食材を使った安価なメニューばかりで、どれもたいへんおいしいので近隣の名所めぐりの際の昼食にお勧めいたします。小川内(おごうち)の庚申塔に行くには、ふるさと展示館の敷地を通り抜けて裏に抜けるのが簡単です(※)。裏の道路に出たら右に進み、凡そ50mほど歩くと道路左側に金網で囲んだ農業用の水槽があります。その手前をやや鋭角的に左折して里道を上がり、右カーブしていくと左に折れる細道があります。その道に入り少し歩くと、右側にお墓が見えてきます。そのすぐ先、右側の石段の上に庚申塔が立っています。

※ ふるさと産業館が休館の場合には通り抜けができませんので、回り道をして水槽のところまで歩いてください。

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 この石段は上がりはなが高くなっていますので気をつけてください。薄暗い細道から見上げますと庚申塔のあたりには日が差して、いよいよ神々しい雰囲気が感じられましょう。

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 周りの石は庚申石と思われます。庚申石を「庚申様の家来」と申します。五輪塔を「いぐりんさん」とか「ぐりんどさん」「ごりんさん」、庚申塔を「庚申様」とか「おこしんさん」など、国東半島ではいろいろな石造物を親しみをもって呼んできました。後の時代に残ってほしい言い回しです。

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一面六臂、二童子、三猿、二鶏

 きれいな舟形の塔です。主尊は鼻が高うて、西洋の人のような雰囲気が感じられます。ナポレオンハットのような帽子、マントをひっかけて提灯ブルマを穿いているように見える衣紋も風変りですけれども、洋風のお顔立ちによう似合うています。頭身比のバランスがよく写実的で、ずいぶん洗練されたデザインのように感じました。朱がきれいに残る童子が、主尊と同じ腕の形で合掌しているのも微笑ましいではありませんか。主尊の下に蓮の花が刻まれているのも変わっています。

 猿はめいめいにお馴染みのポーズで目や鼻、口を隠しています。足を交叉させてしゃがみ込んでいるのが、ややぞんざいな姿勢と申しますか、いたずら者の雰囲気も感じられまして可愛らしうございます。鶏は雄鶏と雌鶏を区別して羽根の表現も細やかに、一部に墨の色もよう残っています。

 この庚申様を、久保林の庚申塔と同様に「異相庚申塔」に分類する説もあります。主尊のお顔立ちや服装、腕の配置(X型・合掌の腕の形)や三叉戟の形、合掌の腕の形などの特徴や、立地を考えてもさもありなんと思われます。けれども偶々そのように見えるだけかもしれず、真偽のほどは不明です。先ほども申しましたように、見かけの造形によらで、その本質がどこにあるのかということが大切です。こちらの庚申様には今までに5回ほど立ち寄りました。そのうち3回は、注連を新しく架け替えてあることに気付きました。西浜部落の方々の信仰が脈々と続いている大切にされている庚申様です。このように鄭重にお祀りされているのであればきっと庚申様のお蔭があることと思います。

 

今回は以上です。次回も、熊毛地区のうち大字岐部の名所旧跡を紹介します。