大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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熊毛の名所めぐり その3(国見町)

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 今回は下岐部は寺迫部落周辺の名所のうち、胎蔵寺の石造物、胎蔵寺裏山の庚申塔、岐部神社を紹介します。分量的にはやや少なめになってしまいますが、切りのよいところまでとしました。

 

8 胎蔵寺の石造物

 ペトロ岐部公園前から国道213号を国東方面に進み、1つ目の十字路(信号機なし)を左折します。田んぼの中を直進していけば、ほどなく右側の山すそにお寺が見えてきます。十字路を右折すれば胎蔵寺へ、直進すれば岐部神社です。先に胎蔵寺へとまいります。車は、お寺の前に広い駐車場があります。

 さて、胎蔵寺にお参りをされるには、銀杏の時季を特にお勧めいたします。境内に大銀杏の木があって、黄金色になる頃はさても見事な光景でございます。岐部は銀杏の多いところで、秋も深まった頃に下岐部から岐部線をたどって五辻不動まで上がると、きっと楽しい道中になることでしょう。その中でも胎蔵寺の銀杏は一押しの銘木です。秋に撮影した適当な写真が手元にないので、今回は山門外の石造物のみの紹介に留めます。

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 駐車場入り口の右側、用水の枡の手前に立派な御室がございます。先日「旭日の名所めぐり(その1)」にて、焼野の石造物として3連になった石祠を紹介しました。こちらは、屋根の造りなどがさらに凝っていて大変立派です。特に説明板などはありませんが、このような構造のものは多くはなく、貴重な文化財といえましょう。横には五輪塔の部材と思われる石が並んでいます。

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 植込みの整備が行き届いた参道は石段が短くて、容易にお参りができます。手すりも整備されていてありがたいことです。入口には狛犬が睨みをきかせており、神仏習合の名残を感じました。山門前には仁王像が並んでいます。

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 こちらの狛犬は大きな鼻が目立ち、ことさらに印象に残りました。なんとも迫力のあるお顔立ちですけれども、勇ましさとか怖さというよりは、愛嬌が感じられてほんに親しみやすいお姿ではありませんか。

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 この笑顔の朗らかなことといったら、近隣でも稀に見る造形であるような気がいたします。体躯は簡略化を極めておりますので、余計にお顔が目立ちます。

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 仁王像は写実的な造形、強そうな体つきなど秀作といえましょう。特に天衣の複雑な表現が見事です。国東半島の石造仁王像は、この部分が破損している事例も目立ちます。それがこちらは大正5年の造立で、年代的に新しいこともあって保存状態が良好です。特に、対称性を崩した流麗な天衣から裾まわりまでの曲線美は見事というよりほかありません。

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 髷や首飾りのデザインもよいし、裾が下にいけばいくほど厚くなっているのも自然です。この部分と脚とでしっかりと体を支えています。石造仁王像はこのように3点支持方式で立っていることがほとんどですが、中には衣紋の裾の形式化を極めて半ば支柱然としたものもございます。それが、こちらでは違和感のない表現になっていて感心いたしました。

 

9 寺迫の庚申塔

 胎蔵寺参道下から右側をまわって、本堂の裏手にまいります。車道行き止まりのところが広くなっていますので、1台程度は駐車できます(横のお宅の方の自動車の切り返しに迷惑にならないようにする必要があります)。ここから簡易舗装の急坂を歩いて登ります。お墓を過ぎると舗装が途切れて、いよいよ山道の様相を呈します。先が不安になるような道ですが庚申塔まで一本道なので、迷うような場面はありません。

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 頑張って登ってきて庚申塔が見えてきたとき、ほっといたしました。昔は隣の部落に行くのに盛んに利用されたであろうこの道も、今は通る人もない寂しい道になっています。

 

〇 国見町の昔の道路事情について

 国東半島は長い間、陸の孤島と呼ばれるほど道路整備が遅れた地域でした。中でも北浦辺の地域はリアス式海岸の地形にて隣村に行くには必ず山を越す必要があり、沿岸道路(今の国道213号)の開鑿にたいそう難渋したそうです。国見町には旧竹田津隧道(水没)、チギリメン隧道(崩落)、箕ヶ岩(みいがいわ)の旧隧道(一部を残して破壊)、内迫隧道など古いトンネルの遺構が方々に見られますが、そのようなトンネルの大部分が昭和半ばまでは現役であったことからも、昔の道路事情は推して知るべしといったところであります。まして、そのようなトンネルが開鑿される以前はこのような山越道ばかりで、せいぜい荷車が通う程度の細道がこの地域の幹線道路でした。以前、伊美の名所シリーズの中で紹介した中須賀の庚申塔の立つ「櫛海越」の道や、前回紹介した久保林の庚申塔の横から上がる「殿様道」も、トンネル以前の山越道です。

 

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 庚申塔の手前で道路が左右に分かれています。この先は確認しませんでしたが、左は長瀬、右は小江に至るのではないかと推測しています。

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 立派にこしらえた石段が傷んで、崩れかけています。訪れた際には問題なく通行できましたが、踏んだが最後石が動いて怪我をしたりしたら危ないので、横から迂回した方がよいかもしれません。

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青面金剛6臂、2童子、3猿、2鶏

 一目拝見して、山道を頑張って登ってきた甲斐があったと思いました。舟形の塔身が美しく、諸像を目いっぱいに配したさても豪勢な庚申塔でございます。まず日月・瑞雲のデザインの妙に感心いたしました。瑞雲は中央部分にて渦巻模様をなしてそこからゆるやかな波形の曲線にて外向きに流れ、その渦巻に接するように日月が刻まれています。写実性というよりは、図案化を極めることによる洗練された雰囲気がございます。主尊は目を閉じて、さても慈悲深いお顔立ちです。立派な眉毛や御髪に感じられる力強い印象と相俟って、芯からのやさしさのようなものが感じられました。合掌の腕以外を外向きに広げて、それぞれの持ち物とお顔とが半円をなすように並んでいる点も見逃せません。先ほど申しました瑞雲・日月と同様に、ここにもデザインの妙がございます。

 童子の優しそうな表情、肉付きのよい猿のかわいらしさなど、主尊以外にもすてきなところがたくさんあります。特に雄鶏の個性的な表現がよいと思います。どの像も、彫り口がレリーフ的な平板な処理ではなくて、丸みを帯びてなだらかに厚みを持たせてあるのも印象に残りました。猿の表現においては、この手法が特に効果を発揮しています。

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 付近にはいくつかの庚申石も並んでいます。左のものは「拝」などの文字がよう残っています。これは庚申石というよりは、文字塔と見た方がよいかもしれません。

 

11 岐部社

 寺迫の庚申塔から来た道を戻り、岐部社に向かいます(道順は胎蔵寺の項を参照してください)。こちらは岐部の村社で、鎮守の森に囲まれた広い境内に数多くの興味深い石造物がございます。四季の風情もほんにようございますので、近隣の名所めぐりの際には立ち寄ってお参り・見学をされてはいかがでしょうか。

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 正面から境内に入り、振り返って撮影した写真です。前に続く一直線の車道が、参道の一部であることがよう分かります。遠くに鳥居が写っています。

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 こちらの仁王像は身をよじらせて堂々たる立ち姿です。特に衣紋の裾まわりのところの細やかな表現が見事で、破損により天衣が失われているのが惜しまれます。

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 写真が悪くて仁王像の体が見切れてしまっています。とぼけた印象のお顔立ちが個性的で、なんとも面白いではありませんか。

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 説明板の内容を転記します。

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岐部社由緒

御祭神
(天大将軍宮)経津主命武甕槌命、天御主命、高皇産霊命、神皇産霊命、保食命
(牛頭宮)素盞鳴命
(住吉宮)表筒男命中筒男命底筒男命

境内社
鴨社(事代主命)、八坂社(素盞鳴命)、花園社(経津主命武甕槌命)、八重垣社(稲田姫命)、宮繁社(大己貴命)、秋葉社迦具土命)、若宮社(仁徳天皇)、上姫社(金山彦命)、歳神社(大年神・御年神・若年神)

由緒
 天大将軍宮は、後白河天皇の御宇、保元3年冬10月初午、此地岐部邑の花園の地に降臨し給うに御幣帛3本、牡牝白毛の鹿2頭と白鶴1羽示現ましますれば、天大将軍の宮として奉斎す。
 牛頭宮は往古、上岐部古森に鎮座していたものを後、現常念寺の隣地に勧請したが神威の尊さの致すところ法蔵庵前の現元宮の地に奉斎す。
 江戸時代正徳の初め、元宮鎮座の牛頭宮と共に天大将軍宮を現地上姫に遷座し奉る。当時社殿は極めて小規模の草葺別々に設けられしが、然るに時代の推移に依り慶応2年社殿大改造を行い、今日のごとき荘厳なる社殿を営みしなり。
 昔より此地に疫病流行少なく且つ又偉人多く出づるは当社の神徳霊験あらたかなる故なり。又、唐門、文久2年4月建立、大工棟梁丸小野治兵衛、宮大工修練の為江戸に上り専心技術練磨す。この間日光に参拝、唐門の荘厳に感じ期することあり帰郷、斎戒精進し腕を磨いて現在の荘厳なる唐門を建立す。当時屋根は桧皮葺と共に草葺なりしも明治29年青銅葺に改造す。

例祭日
 祈年祭 4月15日、16日
 秋季大祭 10月8日、9日
 新嘗祭 12月7日

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 説明板にて言及のあった唐門も社殿も見事な造りでございます。お参りに立ち寄るたびにいつもきれいに掃除された境内は、ほんに気持ちがよくて、心が清々しくなります。清い心でお参りをすればきっと霊験が得られましょう。

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 お手水がまるで、帆を下ろした打瀬船のようです。

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 軒口の龍の彫刻や細かい格子などほんに立派で、うっとりと見惚れてしまいました。やはりこのような大きな神社の建築は、全体として見たときの壮麗・豪壮等といったイメージと同時に、微に入り細に行ったさても見事なお細工のすばらしさがございます。お参りをするだけでもありがたいものを、宮大工さんの粋の結晶をこうして間近に見学できるのですから、楽しみもより増してまいります。

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 この格子ひとつとっても、素晴らしいではありませんか。この細かい彫りが全く破損せずに保っています。格子越しに鎮守の森を見遣るのもほんに乙なものです。

 

〇 岐部子供獅子舞の由来

 岐部社のお祭りで奉納される子供獅子舞は近隣に名を知られており、岐部を代表する民俗芸能のひとつです。

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 説明書の内容を転記します。

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岐部子供獅子舞(大分県国東市国見町岐部社神楽)
 岐部社の子供獅子舞は、約650年前から伝わる神楽です。
 その昔、田や畑の作物を猪が荒らしてたいへん困っていました。ある日、雄と雌の2頭の鹿が、神の化身として鬼の姿で現れ悪さをする猪を退治しました。すると、その後は豊作が続いたと伝えられています。
 岐部子供獅子舞は、地元の小学生6人が舞を披露します。
 岐部社では、毎年春と秋の大祭に五穀豊穣、無病息災、家内安全などを祈願し神楽(祭礼神楽、舞姫、子供獅子舞)が奉納されます。

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今回は以上です。別の趣味に夢中になっていて、更新の間隔が長く空いてしまいました。これからも自分のペースで続けていきたいと思います。次回は長瀬や小江を巡ります。