大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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熊毛の名所めぐり その4(国見町)

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 今回は岐部のうち長瀬部落から浦辺をまわって小江、少しとんで島田の名所を紹介します。特に探訪・お参りをおすすめしたいのは、潮崎の観音様です。この地は知る人ぞ知る名所ですが、車道からほど近く簡単にお参りすることができますし、奈多海岸や黒津崎、大高島の海岸などに引けを取らない、国東半島の浦辺を代表する景勝地であると確信しております。

 

12 潮崎の観音様

 前回紹介した岐部神社の裏手を通る2車線の道路を上って、道なりに長瀬隧道をくぐります。トンネルからは中央線がなくなります。右に田んぼを見ながらなだらかに下った先が長瀬部落です。海岸まで下って右カーブするところの左側に、山神社・延命地蔵様・観音様が近接しています。この辺りは道幅が広くなっているので、駐車には困りません。道路端から防波堤越しに、素晴らしい景観を楽しむことができます(冒頭の写真)。

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 写真左が山神社の鳥居です。その手前から右方向に、観音様への参道が続いています。

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 説明板の内容を転記します(読みやすいように一部を平仮名に改め、句点を補いました)。

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潮崎長瀬観世音菩薩 由緒大要

 元禄7甲戌年(1694)頃、安芸宮岳の舟人 浦辺沖を航行中、闇にて方向を失い遭難寸前のとき灯あり、その方角へ漕ぎ進んだ間もなく、その灯の見えたところは潮崎の突端にござる観音像の下でありそこで難を逃れた。
 また今次大戦の終戦前台風のため観音像が荒波に浚われ流失した。しかしその2年後、付近の石塊の中に埋った像が発見され集落の人々は改めて霊験あらたかなんことを祈念して祭祀を行った。爾来、諸仏菩薩の中、現世利益のあらたかなものとしてその信仰はますます深まっている。

1994年 潮崎長瀬観音講

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 適当な写真がないので別項を設けることはしませんが、山神社にもお参りをされるとよいでしょう。昔はこの石段でお社まで上ることができましたが、今はみかん山のパイロット道で参道が分断されています。ここから上るよりも、車道からパイロット道を歩いた方が簡単にお参りできます。

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 崖に龕をこしらえて、ありがたいお観音様がお祀りされています。こちらは説明書にも記載のありましたとおり珍しい経緯がございまして、その霊験は近隣在郷によく知られているそうです。なお、この近くにはいくつかの洞穴があります。防空壕跡と思われますが、もしかしたら小さな海蝕洞を彫り進めて防空壕となしたのかもしれません。

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 向こうには姫島を見晴らす、ほんに気持ちのよい磯浜です。ここから先に進むことはできそうにありません。

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 潮崎の観音様の参道入口には、延命地蔵様の堂様がございます。山神社、お観音様、お地蔵様と、一度にお参りができる景勝地で、まさに名所中の名所といえましょう。お地蔵様は適当な写真がないので、説明書の転記にとどめます(一部を漢字または平仮名に改めました)。

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長瀬浦延命地蔵菩薩略縁起

 先年大阪より長瀬の浦に移住の塩崎逸雄氏が今年の初夏新緑の頃たまたまこの浦の浜辺を散策中に一体の木造を発見す、驚いて家に持ち帰り浦人にこれを告ぐ。
 浦人たちはこの像を拝して浦の不思議な御縁に深く感謝す。すぐに欠損する御像を修理のため町内千灯区在住の仏師に委託するや延命地蔵菩薩の尊像と判明す。
 仏像発見の塩崎氏は別に浄財を寄進し、像の台座や光背と御杖の彫刻を依頼して円満な御像となるに至る。
 又、浦人たちは協議してこの地に御堂を建立しこれに祀り、永く尊崇の誠を致すなり。

長瀬浦潮崎延命地蔵菩薩設立会
維持平成11年初夏仏日

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13 長瀬の庚申塔

 今まで、あちこちの庚申塔を探訪してきました。その中でも長瀬の庚申塔は、探訪に難渋し実に5回目にしてようやく行き当たった、思い出深い塔でございます。辿り着いてみれば何のことはない、簡単な場所でした。

 当初は、おそらくこの辺りだろうと大方の見当はついていたのですが、車道から直接庚申塔に上がれそうな小道が見つからず、長瀬隧道を長瀬側に抜けてすぐ左に分かれるパイロット道を辿って捜しました。今ではみかん山跡地も荒れ果て、軽自動車が通る幅のある舗装路もイドロが茂り、歩いて行くにも難渋する始末です。いちめん傷だらけになり、服には鉤裂きを作り、ほうほうの体で撤退すること3回目にして、このルートは無理だと悟りました。次は山神社の辺りから左方向にパイロット道を辿って捜しました。このルートも道が荒れてイドロに阻まれ、上に下にと段々になったみかん畑跡地を移動して失敗。5回目は友人と一緒に山神社側からみかん山の下手を辿って、互いに声をかけ合うて右往左往してどうにか発見できました。5回とも屋外に地域の方が見当たらず、尋ねることができませんでしたので大変難儀をいたしました。

 さて、わたくしの辿ったルートはとてもお勧めできませんので、別の道順を説明します。

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 長瀬隧道を抜けて潮崎観音様の方に下っていくと、左手に1軒だけ民家があります。その少し先に、このようなU字溝のある斜面があります。ここから斜面を這い上がって、防風林の外側を歩き、畑のへりに沿うて左に折れます。少し行くと右に上がる小道があって、すぐ上に庚申塔が立っています。

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 実際は後ろから下ってきて見つけたわけですが、表に回ってこの庚申様に対面したときの感激と申しましたら、なんとも形容の仕様がございませんでした。難儀をしてやっと行き当たったうえに、彩色のよう残る素晴らしい保存状態の塔に見惚れてしまい、しばらくその場から動くことができなかったほどです。

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青面金剛4臂、2童子、3猿、2鶏

 これほど鮮やかに彩色の残る庚申塔は、近隣では稀でありましょう。日月のうち太陽のみを赤くしている点など、細かいところまで丁寧に色をつけています。おそらく待ち上げなどの際に着色し直されたものと思われます。みかん山は荒れてしまっても、庚申塔の手前はきちんと整備され、藪に埋もれたりしていませんでした。講の現状は存じ上げませんが、長瀬部落の方々のお世話が今も続いていることが分かります。

 主尊の頭上は3つの小さな波側を連ねたような縁取りにて、その中央の波形に主尊の頭が嵌まり込んでいるのが面白うございます。それで、御髪が寸詰まりになってまるで水泳帽を被っているかのように見えてまいります。鼻筋の通ったお顔は大きな目、小さな口と見目麗しい優男の風情にて、なかなか格好がよいではありませんか。体は彫りが浅いものの、衣紋の裾まわりなど丁寧に表現されています。童子は振袖さんにてほんに可愛らしい立ち姿、猿が身を寄せ合うているのもよいし、鶏もささやかな表現で愛らしい感じがいたします。全体的に、赤い彩色がよう似合う微笑ましい像容で、拝見いたしますと思わず笑みがこぼれました。

 この塔は、寛延4年、今から270年前の造立です。先ほど申しました長瀬隧道は昭和7年に、河野イソさんほかの出資によって穿たれたそうで、戦後に改修され今に至ります。また、啝ノ浦(なぎのうら)の隧道(長瀬・啝ノ浦間の掘割外側に残っています)はいつ頃ほげたのか分かりませんが、その見た目から長瀬隧道よりも古いような気がします。でも江戸時代に遡ることはまずないでしょう。つまり庚申塔の造立時には長瀬隧道も啝ノ浦隧道もありませんから、長瀬から隣村に行くには道も乏しい山越ししかなかったはずです。立派な道路ができた今の長瀬を訪ねますと、全くもって隔世の感がございます。

 

14 小江の庚申塔

 長瀬から切通しを抜けて啝ノ浦にまいります。道なりに進んで、右に堂様を見て小さな橋の手前を右折します。しばらく行くと、小江の公民館に着きます。公民館の前、道路の右側に庚申塔が立っています。車は公民館に停めさせていただくとよいでしょう。

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青面金剛6臂、3猿、2鶏、ショケラ

 薄暗い時間に訪れたので写真が悪く、見づらいと思います。実際はもっとくっきりとした彫りで、非常に良好な状態を保っています。この塔はきれいな舟形の塔身に縁取りをせず、平板な碑面に中央の青面金剛を厚肉彫りにて表現しているのが特徴で、近隣在郷ではあまり見かけない手法と思われます。主尊の立体感が素晴らしく、頭身比など全く違和感がありません。さても厳めしいお顔立ちの主尊は、一般的な青面金剛のイメージそのままでありまして、何の病魔も悪霊も、また天災も、軽々と撥ね退けてくださりそうな頼もしさがございます。

 猿と鶏は主尊に対してほんにささやかな表現で、下の方に身を寄せ合うのが可愛らしいものの、やや印象が薄うございます。これは意図的な表現で、主尊の勇ましさ・力強さをことさらに際立たせています。いろいろな像が賑やかに配されている塔とはまた違う、洗練された引き算の美を感じる庚申様です。秀作といえましょう。

 

15 小熊毛の山王宮

 小江の公民館から道なりに左方向に進んで、海沿いの道まで戻ります。突き当りを右折して進み、楠戸隧道を抜けます。左に海を見ながら道なりに行って、左カーブの手前、コミュニティバスの停留所のところを右に入って旧道を行けば、道路右側に山王宮(日吉神社)、左側に御旅所がございます。車は御旅所の前に停めることができます。

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 御旅所から道路を渡ってそのまま境内に入ることもできますが、できれば正面参道まで迂回してお参りされることをお勧めいたします。きっと参道の景観に心が癒されることでしょう。

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 このように、非常に風光明媚かつ立派な参道でありまして、この長い直線を歩きますと四季折々の風情がございます。これほど立派な参道を持つ神社は、近隣では少ないのではないでしょうか。近隣の方のお蔭様でいつも整備が行き届き、ありがたいことです。

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 境内では数多くの石燈籠をはじめとする石造物を見学することができます。写真に写っている上段左から2番目の石像は、恵比須様です。

 

〇 国東半島の恵比須様について

 国東半島の浦辺では恵比須様のことを「おえべすさん」とか「おいべっさん」などと呼んで、昔から親しまれてきました。特に国見町にはたくさんの恵比須像が残っています。漁師さんの信仰が篤く、昔は漁に出る際に近隣の恵比須様を舟に乗せていき、陸に帰ったらまた元の場所に返したこともあった云々の話を聞き及びます。また杵築市納屋では、恵比須様のお祭りで羊羹をたくさんこしらえて配ります。このように、その土地々々の信仰形態でもって、今の世に至るまで絶大なる信仰を集めているのです。

 国見町の恵比須像はいずれも親しみやすいお姿で、お参りしますと恵比須様のお顔のように、心も朗らかになってまいります。一つひとつ造形が異なりますから、仁王様めぐりや庚申様めぐりのように、恵比須様めぐりをするのもきっと楽しいと思います。

 

16 浜ノ上隧道

 小熊毛の山王宮から国道213号に出て左折し、来浦方面に進みます。花開(はなげ)隧道を抜けたら大熊毛で、こちらの日吉神社にも庚申塔がありますが適当な写真がないので今回は飛ばします。上り坂にかかり、右カーブの手前に右方向に旧道が分かれています。とても国道であったとは信じられないような細道ですが昭和40年頃まで現役で、バスも通っていたそうです。

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 その旧道を少し進むと、古いトンネルが残っています。浜ノ上隧道と申しまして、おそらく小字名に由来する名称でありましょう。この写真は15年ほど前に撮影したものです。落石だらけで自動車では進入できないばかりか、徒歩での侵入も憚られました。

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 このトンネルが昭和40年代まで現役で、しかもバスが通うていたとは驚きです。でも、先述の通り国東半島の北浦辺は特に交通事情が悪かったので、このようなトンネルでも近隣地域の方々の利便性の向上に一役買っていました。今は、このトンネルの外側を掘割で越しています。でも昔はその掘割もなかったわけですから、トンネルがほげる前は山越しの道しかなかったのです。近年、国東半島の旧トンネルは次々に金網等で閉鎖されています。浜ノ上隧道の現況は確認しておりませんけれども、間違いなく閉鎖されているでしょう。どなたにでもお勧めできるような名所ではありませんけれども、地域の生活史の一端を今に伝える史跡としてここに紹介しました。

 

17 島田の歳神社

 国道を進んで、ごうや隧道を抜けたら下り坂になります。下りきったところの左側の路肩が広くなっているので、そこに車を停めます。少し歩いて、すぐ先の十字路を鋭角に右折すれば国道の下手にあたる位置に歳神社がございます。

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 大きな神社ではありませんが、島田部落の方々の信仰が篤く整備が行き届いています。

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 お社の並びに、庚申塔金毘羅大権現拝所等の石祠が整然と並んでいます。この中から庚申塔を詳しく見てみましょう。

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青面金剛6臂、2童子、2猿、2鶏

 どっしりとした笠を頂く立派な庚申塔です。日月・瑞雲は線彫りにて写真では分かりにくいと思いますが、細かく繊細な文様を丁寧に刻んでいます。主尊は御髪に赤い彩色がよう残り、細く引いた眉毛を吊り上げてさても厳めしげなお顔立ちにて、とても強そうに見えます。3対の腕の配置や胴体の立体感、衣紋の裾まわりの表現などどこをとっても写実的で、持ち物を含めて細かい部分までよう行き届いた素晴らしい造形に感銘を覚えました。そして侍従のような雰囲気の童子が素朴で控えめで、かわいらしいではありませんか。主尊との対比も見事に、非常に効果的なデザインといえましょう。猿はめいめいにおどけた所作で、愛嬌者の雰囲気がございます。全体的に見て、かなりの秀作であると感じました。安政5年、160年以上前の造立です。

 

今回は以上です。熊毛地区には名所旧跡・文化財がまだまだたくさんあります。適当な写真がないので一旦お休みにしてしばらく別の地域を紹介し、またの探訪の機会があれば続きを書きます。