大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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鶴岡の名所めぐり その1(佐伯市)

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 佐伯市は鶴岡地区の名所シリーズです。鶴岡地区は大字鶴望、上岡、稲垣からなります。今回は大字上岡のうち、八迫の名所をめぐります。鶴岡地区の探訪は不十分なので次回はいつになるか分かりませんけれども、一応シリーズ第1回としての体裁で書いてみようと思います。

 なお、八迫という地名は八戸と迫田の合成です。八戸はおそらく谷戸の意で、「迫」も同じような意味でしょう。

 

1 上岡の十三重塔

 この十三重塔は佐伯市を代表する石造文化財としてよく知られています。その立派な造り、規模、保存状態、いずれも目を見張る素晴らしさでありますから、鶴岡地区を探訪する際には何をおいても見学するべき文化財であるといえましょう。

 現地に標識が充実しておりますが、一応道順を記します。佐伯インターから上岡方面に下り、コスモスのところの交叉点を右折します。すぐ左折して、ワイドマートと佐伯カーズの間の細い道に入ります。突き当りを右折して正面に、消防団の倉庫のある広場があります。その端に駐車したら、消防団の倉庫の横の車道を少し歩けば十三重塔への参道があります。その脇に、塔身の失われた五輪塔が1基残っていました(冒頭の写真)。

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 文化財の標柱が立っています。その後ろに説明板が写っていますが、先に塔の写真を載せます。

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 天をつくような立ち姿には、剛健かつ優雅な雰囲気が感じられます。県内のあちこちに残る多層塔の中でも、こちらの十三重塔が規模・質ともに頭ひとつ抜きん出ている感がございます。初重には、四面それぞれに仏様が三尊形式で陽刻されています。しかも、写真では見えないのですが各層軸部の四面すべての中央にも、小さな仏様が刻まれているのです(仏様の左右には開いた引戸が表現されています)。非常に手の込んだ造りであります。

 それにしても、露盤の辺りから小さな枝が伸びているのには驚きました。よくもまあ、こんなところに根付いたものです。

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 入口にある説明板の内容を転記します。

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大分県指定有形文化財 十三重塔
 昭和28年3月1日指定

 この塔は基壇の上に各面を二区に分けて優雅な格狭間を持つ台座、四面に秀麗な三尊仏の立像が薄肉彫された初重軸部、そして各層軸部の四面には弥陀坐像が半肉彫されている。端正な安定感にあふれる層塔、中空高々と聳ゆる相輪、この壮麗な姿は近隣に稀な層塔として鑑賞されている。
 塔の造立は、様式から見て鎌倉末期まで遡ると言われ、中世この地に拠っていた佐伯氏が造立したものと推定され、先年台風による倒壊後、復元工事の際、塔下部から蔵骨器・人骨経等が発掘されているので佐伯氏一族にかかわる供養塔であろうと考えられている。又、佐伯氏十代の祖惟治が、その子千代鶴の病気平癒祈願のため建立されたとも伝承されている。

   佐伯市教育委員会

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 上記のほか、『佐伯史談163号』に掲載されている宮下良明さんの「佐伯十三重塔と中世佐伯氏」という記事から、以下の内容が分かりましたのでここに補足いたします。

〇 この裏の山の尾根が昔はもっと長く、かつてはその鼻に塔が立っており、今よりも高所にて遠く離れたところからもその存在が確認できた。

〇 昭和26年のルース台風で倒壊し、復元の際に基礎の下に一字一石、土中には壷(蔵骨器)が見つかった。基礎には螺旋状の孔が開いており、上から物を入れると壷に落ちるようになっていた。
〇 昭和44年、仲谷紡績工場設立の際に山を削り、現在地に移転した。

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 すらりとした仏様が、めいめいに蓮台の上におわします。ほんに気品のあるお姿ではありませんか。右側の傷みは、台風で倒壊した際の破損でありましょう。

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 四面すべてを確認したかったのですが、周囲に植えられたつつじが大きく育っておりこれ以上回り込むことができませんでした。

 なお、この裏山には庚申塔があります。探訪時、道も乏しい難路をやっと登って辿り着きました。しかし反対側から辿った方が容易なので、ここではその道順に沿うて掲載します。

 

2 八戸の切通

 十三重塔から下の道路に返ったら、車を置いた広場とは反対方向に歩いて行きます。しばらく行くと、右側の路側帯が僅かに広くなりその端から山に向かう細道が分かれています。折り返すようにこの細道を上るとお墓があって、その手前を左に折れたら古い切通しが残っています。

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 今では近隣の方の利用も稀になっていると思われますが、特に荒れている箇所もなく容易に通行できます。いかにも昔の道らしい風情があって、この場所だけ時間の流れから取り残されたかのようです。ちょうど訪れたときは涼しい風が吹き抜けて気持ちがよく、印象に残りました。この道は十三重塔の項で申しました通り山の尾根が今よりも長く伸びていた頃は、八戸部落への近道として盛んに利用されていたそうです。

 

3 八戸の庚申塔

 切通しを抜けてすぐ、右方向にお墓の間を縫うて上る細道があります。その道を登り詰めた尾根上の広場にたくさんの庚申塔が立っていました。

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 この場所に立っている庚申塔はすべて文字塔で、ちょっと忘れてしまいましたが確か10基以上あったと思います。この写真の塔の銘は「庚申塔」または「奉拝青面金剛」で、さして珍しい点はございませんがめいめいの塔の形に細かい差異がありますので、こういったところを見比べてみるのも興味深いものです。特に中央の塔は板碑型で、上部に梵字を伴うなど古い様式をよう残します。

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奉拝青面金剛
庚申

 この塔は、文字に赤い彩色がよう残っていました。しかも、「奉拝青面金剛」の左右に「庚」と「申」を配しているのが珍しく、国東半島の庚申塔ではあまり見かけないタイプです。

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 左は「庚申塔」、右は「青面金剛」です。左の塔は梵字のお花文字がほんに流麗ではありませんか。

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 こちらは上部が傷み、しかも草に埋もれがちの状態でありました。訪ねた時季が悪く、全体をうまく写すことができなかったのが残念です。

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 こちらも「奉拝青面金剛」の左右に「庚」と「申」を配したパターンです。

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著食稲粽奉平動〇霊此…(以下不明)

 この塔は、恥ずかしながら銘の意味が分からず、全く正体不明です。上部には3つの梵字が刻まれています。ご存じの方はぜひ教えてください。

 このほかにも、大きめの御室の中に「大明神」の銘のある神像が安置されているのも確認しました。草が伸びていない時季に訪れたなら、ほかにももっといろいろと見つけることもできたかもしれません。ここから十三重塔に直接下る小道もありますが途中が崩れて難渋しますので、通行はお勧めできません。回り道でも、切通し経由の方がよいでしょう。

 

4 養谷庵の石造物

 庚申塔から下の道に返って、切通しとは反対の方向に下ります。車道に出たら左折して道なりに進んでいくと、左側に養谷庵と八迫公民館が並んでいます。

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 こちらは佐伯四国の札所になっていて、お観音様がお祀りされています。お参りをしたら、この堂様の左手から今熊野権現への参道石段途中にあがる細道を辿りますといくつかの石造物が並んでいます。

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 前が崖になっていて、上手に撮影できませんでした。右の方が六地蔵様、手前は一字一石塔などで、後者はめいめいの塔の上に仏様が乗っている、南海部地方でときどき見かけるタイプです。以前、宇目町や直川村の庚申塔シリーズでも紹介しましたので参照してください。

 

5 今熊野権現

 こちらは養谷庵のすぐ横です。裏側から車でお社まで上がる道もありますけれども、四輪駆動でないと難渋しそうです。表参道(石段)を歩いて登ることをお勧めします。もし車で来た場合は、養谷庵(八迫公民館)に駐車させていただくとよいでしょう。

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 写真に写っているのは参道の一部です。長い長い石段は、下の方は傾斜がやや急で手すりがついています。途中から手すりがなくなりますが、蹴上が低いのでそう危なくはないと思います。ただし踏面が狭いので、やや歩きにくく感じました。

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 この長い石段をこれも山弥のヨイトコセとばかりに息を切らして上がりまして、やっとお社が見えてほっといたしましたとともに、身も心もかろくなるような気がいたしました。

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 お社は新しい造りで、整備が行き届いています。冬にはお祭りがあってお神楽もかかるそうです。また、写真右奥に小さく摂社が写っています。迫田、角木など近隣部落の小社が合併されたとのことです。

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今回は以上です。鶴岡地区は、探せばまだまだよいところ・文化財がたくさんあると思います。直川・宇目・本匠はずいぶんまわりましたので、今度は鶴岡や堅田谷、青山あたりをもう少し深く探訪してみたいと考えております。それがいつになるか分かりませんけれども、また何らかの成果があれば続きを書きます。