大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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西安岐の庚申塔めぐり その4(安岐町)

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 今回は大字掛樋から山浦へと進み、瀬戸田まで引き返します。このシリーズの過去3回の補遺のような内容になりますので、併せてご覧いただくと分かりよいと思います。わりあい簡単に行ける場所ばかりですが、17番「唐見の金毘羅様」についてはやや分かりにくいうえに道が狭く、注意を要します。

 

12 向野の石造物

 前回紹介しました小野の庚申塔を起点に、山浦方面に向かいます。前回は旧道を辿って筧隧道を抜けましたが、今回はそちらに行かずに道なりに橋を渡り新道を行きます。次の橋を渡る直前を左折して、向野部落の中の坂道を上っていきます。家並みが途切れて直線的に上る半ば、左の方に石造物が見えます(冒頭の写真よりももっと離れています)。そのすぐ先で、左方向に未舗装の作業道が分かれています。軽自動車であれば、その道の入口に突っ込めばどうにか停められそうです。

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 石垣により祭壇をこしらえて、いくつかの石祠が並んでいます。そのいくつかは、中の石の様子などから賽ノ神ではないかと思われますが確証はありません。この前を通っている道は、山を越して馬渡(まなあたり)方面に抜けられます。おそらく昔は盛んに利用された道なのでしょう。

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青面金剛4臂、2童子、3猿、2鶏

 残念ながら塔身上部を大きく打ち欠き、笠もなくなっています。そのときに破損したのでしょうか、主尊のお顔の傷みがひどく、表情を読み取れません。しかし衣紋の表現などから、おそらく武蔵町や安岐町で盛んに見かけるタイプのものであろうと判断して、自分なりに元のお顔を想像しました。なんとなく高貴な感じのする童子や、主尊の真下の狭い部屋に仲良う収まって合掌する猿など、素朴で味わい深うございます。しかも猿の真下で、丸々と肥った鶏が向かい合うておりますのも微笑ましいではありませんか。

 ところで、小林幸弘さんのホームページ「国東半島の庚申塔」や書籍で拝見した写真では、下部の鶏周辺がもっとよう見えています。それで現地を訪れてみますと鶏の姿が見えず、アレどうしたことかいなと思う間もなく、石ころの蔭に鶏の尾羽が見えました。おそらく塔がかやらないようにと、近隣の方が石を並べて下部を押さえたのでしょう。その石と石の間に枯葉がたまっていたので、鶏の前のみ葉を取り除いて写真を撮りました。寒い日でしたから鶏にとっては余計なお世話であったかもしれません。

 

13 屋那瀬の石造物

 向野の庚申塔から国道に返って、安岐ダム方面に行きます。西武蔵への分岐を右に見送り、橋上方面への分岐を左に見て最初の部落が屋那瀬です(簗瀬の用字もあるようです)。そのかかり、道路右側の崖口(お墓に上がる坂道の入口)に庚申塔やお弘法様などが並んでいます。

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 これらの石造物は、安岐ダムから市街地へと下るときはすぐ目に入りますが、今回のルートだと見落としてしまうかもしれません。車は坂道に停められます。

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青面金剛4臂、2童子、3猿、2鶏

 こちらの塔は、立派な寄棟の笠と舟形の塔身とがミスマッチな感じがいたします。もしかしたら後家合わせか、または笠を後からこしらえて乗せたのかもしれません。主尊の逆立った御髪が上の枠のところにめり込むようになっているのがおもしろく、長い首、ひょろりとした腕や脚などほんに個性的です。シルエットは全くことなりますけれども、以前紹介しました香々地町は西狩場、ウドンマエの庚申塔と似たような雰囲気を感じました。特に衣紋の下部が「ハノイの塔」のように段々になっているのが変わっています。

 お地蔵さんのような童子もすらりと細身で、鶏や猿はほんにささやかな表現で愛らしいではありませんか。諸々の像が個性的な像容で、威厳とか恐ろしさというよりは親しみやすさを感じる庚申様でございます。

 

14 屋那瀬のお弘法様

 庚申塔を過ぎて数軒の民家を見送ると、右側にお弘法様の霊場がございます。こちらも道路端なのですぐ分かります。車は、路肩ぎりぎりに寄せればどうにか1台は停められそうです。

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 饅頭笠を被ったお弘法様まで立派な石段が伸びています。いつもお花があがり、めいめいの仏様のおちょうちょも新しく、近隣の方の信仰が篤いことが窺われます。このように、道路端にお弘法様の札所がございますのは国東半島を象徴する景観といえましょう。特に春先や盆明け、お接待の幟の立つ頃はよいものです。

 

15 大橋の石造物

 屋那瀬のお弘法様を過ぎて、次が小瀬原部落です。その外れに愛宕様の堂様がございまして境内には庚申塔等もありますが、適当な写真がないので今回は飛ばします。しばらく人家が途絶えて、次が大橋部落です。そのかかりの三叉路を右折して朝来方面への道に入り、すぐ左折し旧道を行きます。公民館に車を停めさせていただいたら、その向かい側の民家の横の大岩にいくつかの石造物が見えます。

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 この岩自体が、何らかの信仰を集めていたのかもしれません。庚申塔、牛乗大日様、お弘法様などいろいろな石造物が見えます。ここからだと民家の坪を横切らなければならないので、別の道順を紹介します。

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 少し進み、酒屋さんであったと思われる建物の手前を左折します。現国道に出たらまた左折して、市街地方面に少し後戻ります。

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 道路脇から、適当に上がり易いところをさがして大岩の上に登ります。

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 石灯籠を伴う御室の中には、何かの石像がお祀りされています。独鈷を持っているように見えるその像は、仏様というよりは人物像のような気がするのですけれども詳細は分かりませんでした。

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 岩鼻には2基の五輪塔が立っています。後家合わせなのか、または一石五輪塔の如き造形にて最初からこのような姿であったのか定かではありませんけれども、やや傾いています。五輪塔を見学したら先ほどの御室の辺りまで後戻って、適当に一段下(公民館側)へと斜面を下りて左に行きますと、庚申様のところまで簡単に到着できます。

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青面金剛4臂、2童子、3猿、2鶏

 この塔は主尊の首の辺りで左右に亀裂が走り、全体的に碑面が荒れて、主尊以外の像の影が薄くなってきているのが気にかかります。それでも、新しいシメをかけて御幣も立てかけ、近隣の方のお世話が続いているようです。

 主尊は何ともいえない微妙な表情で、外側に出した腕は消えかかり脚も骨と皮のような状態です。長年、地域を守ってくださったありがたさの滲み出るお姿に、頭が下がります。衣紋を袈裟懸けにした斜めの線はよう残っており、元々はほかの部分も細やかな彫りであったと推察されます。鶏と猿も痩せてしまっておりますが、めいめいの小さな部屋の中にありますので、童子よりは幾分良好な状態を保っているのでしょう。

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 庚申様の並びの仏様です。中でも牛乗り大日様は、ただ安置するのではなく三角形の龕をこしらえて鄭重に安置されているのが印象に残りました。

 

16 大橋の神社

 現国道から朝来方面への道に入ってすぐ、右側に道路と平行する急な坂道を登っていくと小さな神社がございます。鳥居等がなく、何の神社かは分からりませんでした。

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 社殿は立派に改築されています。すぐ下の道路が拡幅された関係で、用地が掘割に毛削られたのでしょう。僅かの平場ぎりぎりに立つお社です。

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 神社の横から少し山道を進むと、たいへん印象深い木に出会いました。特に下の方の瘤になったところに、植物の生命力を感じました。

 

17 唐見の金毘羅様

 今度は車で市街地方面に引き返します。このシリーズの「その2」で、唐見の庚申塔を紹介しました。その駐車場所として紹介した墓地を通り過ぎて、みかん山のパイロット道を上っていきます。軽自動車であれば問題なく通行できますが離合困難のため、地域の方の迷惑にならないように時季を考える必要があります。しばらく進むと直進方向は道が荒れて通行困難になっていますので、道なりに右方向に折り返してさらに急な坂を上ります。上り詰めて道が平坦になったところの右側に金毘羅様がございます。

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 建物はなく、お手水と金毘羅様の石祠、仁王像のみが残っています。用地はそれなりに広いことから、昔は拝殿もあったと思われます。

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 金毘羅様の石祠の両脇には、ごく小さな新しい仁王像が安置されています。お参りをして、裏側にまわってみました。

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 なんということでしょう、こちらには頭部の破損した石造仁王像が2基並んでいるではありませんか!かなり古いものと思われます。後ろに写っている仁王像と同程度の大きさです。いかにこの仁王像が小さいかお分かりいただけると思います。石像仁王像の中でも、5本の指に入る小ささでしょう。これだけ小さいので据わりが悪く、おそらく転倒したか何かで破損したので、新しい仁王様を前に据えて、古いものを裏側に安置してあるものと思われます。

 この場所から先に進んで右に行くと、仁王(にんにょう)の方につながっています。でも道が荒れてとても車では通れませんので、来た道を戻って唐見に下るしかありません。

 

今回は以上です。薄暗い写真が多くてどうかなと思うたものの、そのまま投稿することにしました。西安岐のシリーズはまだ続きます。次回はどこをめぐりましょうかと考えているところです。