大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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佐田の名所めぐり その1(安心院町)

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 先日、安心院町の名所旧跡を少しだけめぐりました。そこで、手始めに佐田地区の名所を少し紹介します。この記事で言う佐田地区は大字佐田・塔尾(とうのお)・大見尾・矢津・広谷・口ノ坪・笹ヶ平・古川・内川野・山蔵(やまぞう)・房ヶ畑(ぼうがはた)・且尾・矢崎・久井田の区域とします。旧佐田村は、この14大字に加えて旧西馬城村の一部(大字平ヶ倉・熊、大字正覚寺の一部)を含みますが、旧西馬城村の区域は「西馬城の名所めぐり」のシリーズにて掲載する予定です。こうして書き出してみますと、面積に比して大字の多いのに驚かされます。それは、町村制施行時まで小規模の旧村が合併せずに分立していたためで、一つひとつの大字が小さいのです(町村制施行時の旧村名が大字として残っています)。安心院町と院内町は大字の数がたいへん多く、地名を覚えるのに往生しています。

 さて、佐田地区の名所と申しますと、「佐田の京石」が特によく知られています。ほかに佐田神社も、反射炉跡の史蹟等がテレビ番組で紹介されたこともあり近年は参拝者が増加しているようです。ほかにも数多くの名所旧跡がありまして「佐田地区まちづくり協議会」のホームページ(外部リンク)にてたくさん紹介されています。川べりの田んぼの風景や、旧市街の家並み、「泣き別れ峠」への山道など、ただドライブするだけでも心惹かれるものがございますものを、名所旧跡を訪ねればいよいよ興趣が増してまいりまして、何回か訪れるうちにこの地域が大好きになりました。今回は、内川野の白山神社と磐座を紹介します。

 

1 白山神社

 山香町山浦地区から県道716号を通って佐田地区に入ります。内川野部落を過ぎて、家並みが途切れてしばらく行くと道路左側に「宇佐市登録史蹟 白山神社遺跡」の白い標柱が立っています。この角を左折して橋を渡れば、正面に白山(はくさん)神社の鳥居と説明板があります。

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 説明板の内容を転記します。

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 この神社には、非常に古い信仰形態の磐座祭祀というものがわかりやすい形で残されています。
 磐座とは、日本に古くからある自然を崇拝する信仰形態で、巨石に神が宿っていると考えられ、祈りを捧げていました。
 ここ白山神社の神殿の創建は、明治41年です。それまでは、8合目にある巨石群(磐座)で祭祀を行っていたと考えられます。
 石階段・楼門・神楽殿・神殿・鳥居・磐座は直線的に配置され、磐座祭祀から神殿祭祀への変遷が非常に分かりやすいのが、この遺跡の特徴です。

平成21年11月 佐田地区まちづくり協議会 宇佐市教育委員会

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 説明板の左側に、詳細な見取り図が掲載されています。この内容をよく把握して参拝することをお勧めいたします。その見取り図の上に「安心院町内川野 権現 白山神社見取図」とあります。権現というのは小字名と思われます。この権現は「白山権現」に由来することは明白で、元は「白山権現」とか「白山大権現」と称していたものが、神仏分離により「権現」の呼称に障りが生じたので「白山神社」と改称したのでしょう。

 この説明板のところから、車道が境内まで延びています。探訪時は車で上がりましたが、軽自動車がぎりぎりの幅しかない急な崖道でした。それで、帰りはローギヤでそろりそろりと下りましたが、胆が冷えました。ですから車は邪魔にならないところに置いて、説明板から右の方に行ったところにある石段を歩いて上る方がよいでしょう。ただしその石段は踏面がかなり下に向いて傾斜しておりますので、帰りは車道を歩いて戻った方がよさそうです。

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 写真では分かりにくいと思いますが、この石段はかなりの傾斜で、しかも踏面が全部下向きに傾いています。

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 神社の規模に比べて、あっと驚く立派な楼門でございます。少しだけ石段を下って写真を撮りました。横着をせずに下から歩いて上ればよかったと思いましたが、後の祭りです。

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 境内は清掃が行き届き、こざっぱりとしています。光線の加減でなんだか薄暗い写真になってしまいました。神殿の裏からのびている石段は、後で紹介します磐座への参道です。また、神楽殿がわりと新しいのは、元の建物が傷んだので改築されたためです。これについての記念碑が立っています。

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 記念碑の内容を転記します。

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楽殿改築記念碑

 江戸中期1790年、約200年前後に建築されたと推測される神楽殿も危険な状態となり、本年5月復元の為着工する(建築方法、木材、寸法、基礎は鉄筋コンクリート造りに変更)。改築資金は白山神社立木売却代金及び氏子の寄付金、又寄進者の財源等で完成する。

平成7年10月1日

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 建築方法は鉄筋コンクリート造りとしているものの、本文中に「復元の為」とあることから、元の建物と同じ見た目に仕上げたものと思われます。寄進者や氏子の方々のお名前がずらりと記されており、その人数の多さに驚きました。

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 社務所改築記念碑には「平成3年9月27日の台風19号により境内の杉、桧、および社務所が大被害を受け、氏子全員によって改築工事を完成する」とありました。台風19号の被害はものすごく、津江方面の杉がなぎ倒されたニュース映像が昨日のことのように思い出されます。

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 神殿右側にはいくつかの石祠が並んでいます。特に右の2基は立派な造りです。左の大きな記念碑には「紀念 神殿新築十年祭」とありました。

 

2 磐座

 白山神社から、裏山8合目にございます磐座を目指します。当初は登らずに済ませようと思うていたものを、「これより260m」の旨の立札を見てそう遠くなさそうだと思い、急遽登ってみることにしました。

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 神楽殿右側から神殿の真裏に回り込み、この石段を上がります。鳥居をくぐれば石段は途切れて、ずっと山道を辿ることになります。

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大典紀念造林

 昭和3年の建立で、昭和天皇の御大典紀念に植林をしたことを示す碑です。せっかく植えた樹木が、平成3年の台風19号で大被害を受けたことを思いますと胸が痛みます。

 この辺りから、シダがはびこる急斜面を蛇行する細道を登っていきます。道は明白ですし尾根伝いに登るだけですから特に迷うようなところはありませんが、急傾斜にて帰りは滑りそうになり骨が折れました。

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 半分ほど行けば下草もなくなり、歩きやすくなります。ところどころにこのような札を整備してくださっておりますので、目標が分かりやすく励みになります。

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 石燈籠の後ろに環状の立石が見えます。目的地に着きました。一つひとつの岩は思うていたほどの大きさではなかったものの、このように環状に並んでいますので壮観です。メンヒルストーンサークルなどと申しますと古代の祭祀跡といった印象がございますが、説明板によれば明治41年まではこちらで祭祀を行っていたと思われるそうですから、思いの外近年まで巨石崇拝というものが残っていたことを思い知り、認識を新たにしました。おそらく昔は杉が大きく育っておらず、ここから麓の村々を見晴らしていたものと思われます。

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 この環の中で、どんな祈りをささげたのでしょうか。どのような方法で祭祀を行っていたのでしょうか。今となっては知る術もありません。昔の方の祈りの場でありますから、この神聖な磐座周辺の立木の枝ひとつでも粗末にしてはならないような気がいたしまして、慎重に行動しました。

 

 さて、ここで種明かしをしますと、今まで紹介してきた道順は下りに通行しました。白山神社の神殿左側から、谷筋に沿うて別の道が伸びています。途中までは尾根道と平行していて、谷筋に沿うて行く方が登り易そうな気がしたので、そちらから登ったのです。

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 こんな道です。石ころはありますけれどもこちらの方が道幅が広いし、歩きやすかったように思います。けれどもだらだらと登っていくうちに、いつの間にか尾根筋から外れて左の方に寄りすぎていることに気付きました。これはおかしいと気付きまして、右の崖をトラバースして強引に尾根筋に登りました。

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 正面に立石が見てきてほっといたしました。このルートはとてもお勧めできません。登り始めは少し歩きにくいと思いますが、神殿裏から尾根伝いに正規の参道を登ったほうが安全です。

 

今回は以上です。最近、長い記事が続いて更新に往生しておりましたので、今回は短い記事にしました。今後も記事の長短や内容などは適当に調整しながら、のんびりと続けていきたいと思います。