大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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柴原の名所めぐり その1(千歳村)

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 千歳村は柴原地区の名所旧跡を少し紹介します。この地域はまだ行ったことのないところばかりで、地図を見ては気になるところに印をするばかりです。不十分な内容になってしまいますが、これから少しずつ探訪していきたいと考えています。

 

1 手取蟹戸

 三重町の菅尾石仏を起点に説明します。菅尾石仏から川べりに下って、平成大橋を渡り千歳村に入ります。すぐ右折して、公園に沿うて進めば広い駐車場があります。そこから堤に上がれば、手取蟹戸(てどりがんど)の奇勝が見えてきます(冒頭の写真)。この辺りは大野川の川幅が狭まり荒瀬の様相を呈しており、岩が鬼の洗濯岩のようになっています。冒頭の写真の箇所からもう少し川下方向に歩けば、さらに荒々しい岩の風景も見ることができます。

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 説明板の内容を転記します。

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手取蟹戸
山水の景勝地と称された岩の眺め

 戸板のような岩場は、白亜紀の大野川層群犬飼層という約1北年前から8千万年前の地層です。
 海の中に泥や砂が何層にも降りつもったもので、その後海底が隆起し陸地になったと考えられています。斜めに切り立った岩は大野川層群犬飼層が地殻変動によって押し上げられて立ち上ったものです。
 川の流れがはげしいため、岩の上を歩く蟹を手で捕ることができる戸のような岩場という意味で「手取蟹戸」という名前がついたと言われています。

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 大分では、昔はよく蟹のことを「がん」とか「がね」などと呼んでいました。この辺りで、川蟹をとっていたのかもしれません。この景勝は、大野地方のジオパークに指定されています。大野地方の石塔群や磨崖仏、庚申塔などといった文化財めぐりの傍らに、ジオパークや滝も訪ねて自然探勝も同時に楽しめば、きっとより楽しい道中になることでしょう。

 

2 茶屋ノ辻の庚申塔

 手取蟹戸から平成大橋のところまで返って、右折します(平成大橋からの直進方向へ)。道なりに行き台地上に上がれば、お茶畑の中を突っ切るたいへん気持ちのよい道になります。お茶畑を抜けて最初の辻(中央ライスセンター前のバス停あり)の右側に、庚申塔が2基立っています。車は邪魔にならないように路肩に寄せて停めるしかありません。

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 文化財の標柱が立っており、周りは草が刈られています。けれども説明板等が何もないので、よほど興味関心のある方以外は素通りされそうですし、詳細が分からないのが惜しまれます。

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 大きい方の塔は梵字の下に銘が刻まれていますが、読み取れませんでした。小さい方の塔は梵字の下にびっしりと庚申塔の由来が刻まれています。全文を書き写した紙を紛失してしまい、写真を拡大しても一部しか読み取れませんでした。この近隣を探訪する際に、再度確認してみようと思います。万治4年の銘があり、約360年前の造立であることが分かりました。おそらく、近隣の庚申塔の中でもかなり古い部類であると思われます。

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 一見してこちらも庚申塔かと思いきや、文化財に指定されていることを示す碑でした。

 

3 白鹿山妙覚寺

 白鹿山は「はくろくさん」と読みます。こちらのお寺は境内の整備が行き届き、紅葉の時季は特にようございますし、諸々の石造文化財、また裏山に上がれば眺望も素晴らしく、千歳村を訪ねる際には必ずお参りに立ち寄るべき名所中の名所でございます。

 茶屋の辻の庚申塔から来た道を後戻って、次の十字路を左折します(名所案内の標識に白鹿山の記載がありますからすぐ分かります)。産廃施設のところを標識に従って右の細道に入り、道なりに行けばお寺の前まで車で行けます。少し狭いところもありますが特に問題なく通行できます。

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 こちらで特に目を引くのが、この石造りの山門です。アーチ状の山門は近隣に数例ございますが、県内全域で見ますとほんに珍しいのです。

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 紙切れ1枚も入らぬほど寸分たがわずこしらえたアーチに惚れ惚れいたします。よほどの技量の石工さんによるものと推察されます。このように高級なアーチをこしらえることができた背景には、大野地方一帯に石造アーチ橋の数多いことと無関係ではないでしょう。

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 境内には新旧様々な石造文化財がございます。特に五輪塔や石幢は、見るからに古そうです。傷みが進んできておりますが、石幢の龕部には六地蔵様や十王様のお姿がまだよう分かります。お参りをする際には、四季折々の自然を楽しみつつ石造文化財を見学されるとよいでしょう。

 さらに、ここから裏山を巡る道も整備されています。途中傾斜が急になるところもありますので、もし登る場合は天気のよい日がよさそうです。特に危険箇所はなく、短距離にて気軽に眺望を楽しむことができます。

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 山道のところどころに、馬頭観音様などがございます。お参りをしながらゆっくりと自然を楽しむことができます。

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 訪ねたのがずいぶん昔で、人の写り込んでいない写真がほとんどなくこんな景色しか紹介できません。本当はもっと素晴らしい景色を望むことができます。

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 整備が行き届いており、気持ちよくお参りできます。この山道の整備など、たいへんな手間であると存じます。住職様をはじめとして檀家の方々のお蔭様でございます。

 

4 原田の庚申塔

 平成大橋の方に後戻ります。平成大橋の少し手前、右側に「ひょうたん祭り」の名所標識のある丁字路を右折します。ひたすら道なりに行き、「里の駅千味」の前から右にとって旧道に入ります。新道と合流する直前、左側の路側帯が広くなっているところに車を置いたら、そこから右の道を上がります。車でも通れる道ですが幅が狭くて庚申塔のところに適当な駐車場所がありませんし、農作業の車の邪魔になりそうですから歩いた方がよいでしょう。少し行くと、道路左側の崖口のところにものすごく大きな庚申塔が立っています。

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 この大きな庚申塔は、約2.5mもの高さがございます。おおらく大野地方の庚申塔の中でも最大級でしょう。見る者を圧倒する威容は、一般の庚申講によるものではなく余程の分限者が関っているのではないかと推察されました。銘の読み取りが困難で、後で調べてみたところ、慶長8年、広瀬九郎兵衛さんという武士により武運長久・子孫繁栄を願うて建立されたとのことです。なんと420年近くも前の塔であります。道路工事にかかって元の場所から移した際に、基礎部分からは一字一石経が見つかったそうです。この横には数基の文字塔が立っており、それらもなかなか立派なものですけれども、この大きな塔の横にあっては小さく見えてしまいます。これほど立派な庚申塔は近隣在郷でも稀なものでありますから、できれば現地に説明板があればと思います。

 

今回は以上です。適当な写真が少なく、ずいぶんあっさりとした記事になってしまい私としてはあまり満足のできる内容ではありません。いつになるか分かりませんけれども、2回、3回と柴原の名所を紹介していきたいと思います。

ところで、グーグルマップを適当に流し見していたら、大分市は樫原部落の公民館近くに庚申塔やお地蔵様などがたくさん寄せられているのを見つけました。さらに樫原から弓立に抜ける道の途中にもそれらしい石造物があることに気付きました。先日、百木の庚申塔を見学したのですけれども、あのとき稙田に下らずに河原内に下ればよかったと猛烈に後悔しています。すぐにでも見学に訪れたいものを、あの辺りはたいへん道が狭く運転に難渋しますのでどうしたものかと逡巡しているところです。それにしても、ほんに便利な世の中になりました。