大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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朝来の名所めぐり その3(安岐町)

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 このシリーズの第1回目で、矢川の名所旧跡をめぐりました。今回はその続きで、朝来隧道を抜けて陰平道沿いの名所旧跡をめぐります。一鍬のお弘法様や扇神社の奥宮は林道の開通により自動車で乗り付けることができるようになりましたが、ここでは昔からの行き方を紹介します。

 

9 朝来隧道

 矢川から旧道を辿ってトンネルを目指します。詳しい道順は冒頭のリンク先の3番「山浦の庚申塔」と4番「山浦の山神社」をご覧ください。

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 三叉路のところに立派な道路改築碑が立っています。寄附された方のお名前がずらりと刻まれているのみで、改修の経緯などは分かりませんでした。トンネルを見学される場合、この手前が広くなっているので邪魔にならないように車を停めましょう。

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 朝来隧道の矢川側坑口です。坑口付近はコンクリで改修されておりますけれども、内部は手前の方だけ石積みで巻きたててあります。その先はほとんどが素掘りにコンクリを吹き付けた状態で、昔の面影をよう残します。今は旧道になっていますけれども、ときどき車が通る現役の道です。離合はできません。

 さて、写真左の方、石垣とコンクリ擁壁の境あたりに古い扁額が置かれてあります。今回、歴史あるトンネル自体はもちろんですがこの扁額をぜひ紹介したくて、記事の冒頭にもってきました。

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 右書きで、変体仮名で「あさくとんねる」と彫っています。母字は「阿左久当无祢留」で、これらの漢字の草書体に近い平仮名です。上部には「明治四十五年五月竣功」とありますから、開通当初の扁額と思われます。竣工ではなく竣功と表記してある点には、大工事を成し遂げた誇らしさのようなものが感じられます。また、明治末期に「隧道」ではなく「とんねる」としたのが何とも洒落ていますし、変体仮名の表記がなかなか風流ではありませんか。

 この扁額一つとっても、立派な文化財であると存じます。打ち棄てられることなくきちんと石垣の上に保存してあるのは立派なことです。車窓からだとまず見落としてしまうと思いますので、歩いて捜してみてください。左に気を付けて歩けばすぐ分かります。

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 こちらは朝来側の坑口です。昔の面影がより残っています。

 

9 一鍬弘法大師

 朝来隧道を抜けて新道に突き当たったら左折して、弁分(べんぶ)方面に下ります。下りきったら左折して、山裾の道を進みますと左側に参道が分かれています。

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 この標識が目印です。車は、参道の下に突っ込んでぎりぎりに寄せればどうにか1台は停められます。もしはみ出して邪魔になりそうなときは、どこかよそに停めて歩いて来るしかありません。ここから坂道を上っていきます。

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 杉林の中の坂道は舗装されていますので特に危ないところはありませんが、落ち葉等で滑り易くなっているかもしれません。この辺りは昔、棚田であったようです。しばらく上り、林道を横切った先に堂様がございます。

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 大師堂に着きました。もし林道経由で訪れた場合、駐車スペースは十分にあります。右側から回り込むように上がります。

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 お弘法様とお観音様が並んでいます。訪ねた時季が悪かったようで、枯れ枝が目立ちました。きっとお接待の頃には手入れがなされているのでしょう。

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 堂様の中にはたくさんのお弘法様が寄せられています。どなたでも自由にお参りできるように、蝋燭やお線香を置いてくださっています。般若心経の額も置かれていますので、お経を唱えたり、御詠歌を唄ってお参りをするとよいでしょう。

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 たくさんの千羽鶴や折り紙のくすだまが奉納されていました。地域の方の信心のほどがうかがわれます。

 お参りをしたら、堂様の右側から裏手に回り込みます。

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 こちらがありがたいお弘法様の水です。水口の上には玉垣をこしらえて、その中の御室にお弘法様がおわします。昔、この一帯が渇水に悩み旱害はおろか飲料水の確保にも難渋していたところ、ちょうどこの地を訪れたお弘法様がそれを見かねて、この斜面に鍬を一振りしたところ滾々と水が湧きだしたそうです。それ以来この水は涸れることなく、付近の田畑を潤してきました。

 汲んで飲めそうなほどきれいなお水ですし、ましてお弘法様のお水とあっては水質を疑うさえ畏れ多いものの、林道工事等による地形改変の影響も考えられますから、もし飲まれる際にはその点も考慮された方がよさそうです。

 

10 中野の庚申塔

 一鍬のお弘法様から下の道に戻って、車に乗って明治方面に進みます。しばらく行き、切畑部落を過ぎたら左側に扇神社の鳥居が立っています。その辺りの道幅が広がっているところの路肩ぎりぎりに寄せて車を停めたら、歩いて少しだけ戻ります。笹薮が途切れる隙間から細い坂道を上っていけば庚申塔のところに出ます。ほかにそれらしい道がないので、上り口はすぐ分かると思います。または扇神社の参道を上って、最後の石段下から左方向に進んでもよいでしょう。

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 庚申塔の周りは下草も刈られ、明るくの気持ちの良い場所です。灯籠は火袋が破損していますが、その箇所に石をあてがいうまくバランスをとって形を保っていました。この左後ろには大岩があります。

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青面金剛1面4臂、2童子、3猿、2鶏

 まず立派な笠が目を引きます。破風の隅を撥ね上げ、細かい文様の懸魚を伴うなど、手の込んだ装飾が施されています。日月の下部には優美な波形もようにて縁取りをなし、その中にめいっぱい諸像が配されておりますので豪勢かつ賑やかで、楽しい雰囲気が感じられます。主尊は頭巾をかぶっているのでしょうか?目鼻立ちのくっきりとしたお顔は、口がヘの字に曲がっています。憤怒相というより何かにへそを曲げているように見えて面白いではありませんか。その周りを取り巻く火焔光背の歯車模様も個性的な表現で素晴らしいと思います。
 童子のお顔も左右で微妙に異なります。向かって左はにっこりと笑い、右は神妙なお顔立ちでございます。猿がしゃがみ込んで、みんな体の向きが異なりますのに顔はすべて正面向きです。鶏が仲よう嘴を合わせておりますのも可愛らしく、夫婦和合を象徴するかのようです。

 

11 扇神社

 庚申塔のところから水平気味に右に行けば扇神社参道の上の方に抜けられますが、ここでは参道入口から紹介します。

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 道路端に鳥居と石灯籠が立っています。こちらの灯籠はシンプルながらも猫脚の部分の曲線が優美かつ重厚な感じがして、なかなか格好がよい造りです。

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 立派な記念碑の横にさりげなく宝珠が安置してあります。おそらく灯籠の上にのっていたものでしょう。

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 なだらかな参道を上っていけば、拝殿が見えてきます。ここから左に行けば、庚申塔のところに出ます。庚申塔と神社、両方行きたいときにはこちらからのルートが便利です。

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 境内は整備が行き届いています。お参りをいたしましょう。それにしても「扇神社」とは、なんとなく縁起がよく風流な感じのする名称ではありませんか。こちらは大御神社(天照大神菅原大神)と山神社(大山祇神)が合併し扇神社と称したとのことです。もしかしたら大御神社の「大」と大山祇神の「祇」をならべて、「大祇」→「おおぎ」→「おうぎ」→「扇」と連想したのかなと推量しました。しかしこれは発音のみに則ったいささか強引な連想であって、仮名遣い(大=おほ、扇=あふぎ)が異なりますしそもそも「大山祇」は「おほやまづみ」ですから、今この記事を書くにあたって「大祇」→「扇」の推量は誤りである気がしてきました。どうして「扇」を称したのかは分からずじまいですが、よい名前であると感じます。

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 碑文の内容を転記します。読みやすいように読点を補い、片仮名は平仮名に直しました。

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合社紀念

沿革
大御神社は文政二年六月の創立にして天照大神菅原大神を祀る。現地より約四丁余の山頂に鎮座し明治五年村社に列す。明治二十四年拝殿を新築し紺屋の守神たり。
山神社は延享三年十月の創立にして大山祇神を祀る。切畑の上に鎮座し明治五年無各社に列す。切畑の守神たり。
明治三十四年山神社を神殿と共に現地に移転合社し同時に境内を拡張し渡殿を設け社務所宝庫を新築す。明治四十三年官の許可を得て扇神社と改称し大正三年供進指定神社に列す。

特別功労者
正八位勲六等 紀元城
資性剛健巌明にして敬神の念深く多年総代として能く神職を補佐し財産の蓄積合社境内拡張或は社殿営繕に尽瘁する事終始一日の如し。遂に幣帛供進の指定神社たらしむ。是全く神威の然らしむる処と雖も亦産誠奉仕の結果たらずんば非ず。其敬神崇祖報本反始の旨を体して神社の経営に尽したる功績は一般崇敬者の模範とする所なり。仍て衆に之を表す。

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 合社の経緯が詳しく分かりましたけれども、「扇」の由来は分かりませんでした。

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令和元年御大典紀念

 

12 扇神社上宮

 こちらは行き方がなかなか難しいので詳しく記します。扇神社の拝殿を正面に見て、左の方に行きます。境内の外れから、右側の杉林を登っていきます。道が不明瞭になっていますので、適当に折り返しながら尾根を目指します。登り着いたら、その場所が分かるように何か目印になるものを置いておくか、地図アプリ等を活用して地点登録をしておきましょう(帰りに下り口を間違えないようにするため)。尾根筋を右方向に辿れば鳥居が見えてきます。鳥居に行き当たらない場合は道を間違えています。

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 想像以上に道が荒れており、この先が不安になってきたところで鳥居が見えてほっとしたことを覚えています。道が荒れていますが、杉の間隔が明らかに広くなっていますし尾根筋ですからここから先は特に迷うことはないでしょう。

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 今のところしっかりと立っていますが、一部破損しています。今ではこの道を通る方はほとんどないようですから、自然災害等による倒壊が懸念されます。

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 大神宮、金毘羅宮天満宮が併記されていました(満は異体字)。この先は傾斜がやや急になり、倒木が目立ちます。尾根筋を離れないようにして、適当に折り返しながら登れば舗装林道に出ます。正面の崖上に、冒頭の写真の石祠がございます。ここから左方向に少し歩いて、適当に登り易いところを探して右の段差の上に上がります。昔は一直線に続いていたであろう参道が、林道の造成で分断されています。上がりはなが急になっていますので注意を要します。

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 斜面を上れば、山頂の上宮に到着です。聖域の入口では左右に狛犬と仁王像が並び、侵入者を厳しく見張っていました。左右を一枚の写真に収めたら仁王像が見えにくくなってしまったので、別々の写真を掲載します。狛犬は高い台座の上にて、ほんに凛々しい姿でございます。その顔には、どこか誇らしさのようなものも感じられました。仁王様は狛犬のかげに隠れるような位置関係で、小型ですから目立ちません。けれどもなかなか勇ましい立ち姿でございます。

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 狛犬、仁王像それぞれ、ほとんど破損個所がありません。この山中にあって、これほど良好な状態を保っているのは幸いなことでございます。

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 奥づめには5基の石祠が並んでいました。左右に傾きがちで、石燈籠も壊れてしまい、やや荒れ気味の印象を受けます。林道が開通したとはいえ、この山中にあってはお参りが少ないのでしょう。山の上から麓の村々を守ってくださっている、ありがたい神様です。お参りをして、自然災害の予防をお願いいたしました。

 さて、お参りをしたら扇神社まで下るわけですが、先ほど応しましたように尾根筋からの下り口を間違い易いので十分気を付けてください。

 

今回は以上です。この近隣で申しますと、切畑部落の山中にも庚申塔が数基あるとのことで、『くにさき史談第9集』に写真が載っています。まだ訪ね当たりませんので、秋が深まった頃にでもまた捜しに行ってみようと思います。