大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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上伊美の名所めぐり その2(国見町)

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 今回は大字赤根の名所旧跡を紹介します。この地域は探訪が不十分なので、ひとまず写真のあるところだけ先に掲載することにして、残りはまたいつかということになります。

 

○ 赤根について

 大字赤根の地名を申しますと、一円坊、奥台、畑(はた)、小野、岡、岡ノ谷、中川原などがあります。このうち岡ノ谷はタタラ製鉄に携わる同族集団が居住していたとのことですが、今は住む人のない土地です。国東半島の各地にタタラ製鉄の痕跡やその伝承があります。殊に赤根は盛んであったそうで、実際に金ヶ峠 (温泉施設「あかねの郷」から夷谷に抜ける道)を車で通ってみますと切通しの岩肌が黄色がかっており、舗装には錆び色が流れ出ています。金ヶ峠ついては以前、夷谷の記事に掲載していますので参照してください。

 ところで、赤根は伊美の谷の奥詰めにあたり、昔から交通の要衝であります。伊美から谷筋を詰めていき、一ノ瀬の池を過ぎると中川原で、ここから右に金ヶ峠を越せば夷谷に至ります。中川原を過ぎれば小野で谷筋が二股になっています。左の谷を行けば畑で、そのカサから犬鼻(いんばな)峠を越して成仏(じょうぶつ)へ、水谷峠を越して岩戸寺(いわとうじ)へ。小野から右の谷を行けば一円坊で、そのカサから地蔵峠を越して三畑へ。簡単に申しますと赤根から4方向に山越道が通じているのです。その全てが車道になりましたので、今はたいへん便利です。ところが昔は荷車も通らないような細道を歩いてやっと越していました。しかも赤根には温泉が湧いておりますので近隣在郷から農閑期に湯治に来る方もあり、宿を借る方も多く繁昌していたとのことです。

 一般に赤根と申しますと赤根温泉を思い出す方が多いと思います。また、近年は畑の古幡社と一円坊の山神社とで交互に行われる「善神王(ぜんじょう)祭」も知られるようになってきました。ほかにも一円坊隧道などの古い道や、庚申塔などの石造文化財がいろいろと残っています。狭い谷筋に開かれた田園風景や山また山の素晴らしい自然環境と、歴史や民俗が夫々よう残っている地域といえましょう。

 

5 一円坊の庚申塔と行者の墓

 通称「はちまき道路」を通って、三畑から地蔵トンネルを通って一円坊に下ります。この道を車が通れるようになったのは昭和57年に地蔵トンネルが開通してからで、それ以前は地域間の往来としては地蔵峠を越す古い道(徒歩のみ)が使われていました。

 旧カーブを繰り返しながら下っていくと、右カーブの外側に3基の石造物が並んでいます(冒頭の写真)。このうち向かって左が庚申塔です。銘が消えてしまっており、全く読み取れません。右は行者の墓です。地蔵峠で行き倒れた行者を供養したものと思われます。中央の石祠には「南無阿」の文字が確認できました。この3基は、もとは別の場所にあったものを、旧道を拡幅した際に今の場所に移したとのことです。

 ここから少し下れば谷筋が開けて、田んぼが広がっています。一円坊は奥台部落に着きました。右の谷の奥から畑のカサ(水谷峠と犬鼻峠の上り口あたり)に抜ける古い道があって、その途中には一円坊隧道があります。明治23年に竣工した古いトンネルですが適当な写真がないので、またの機会に紹介します。

 

6 一円坊の山神社

 道なりに行けば道路右側に山神社がございます。駐車場はありませんが、路肩が広くなっているので邪魔にならないように駐車することができます。

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 この石垣も古そうです。見事なお細工で隙間なく積んでおり、その仕上がりに感心いたしました。

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 比較的広めの境内はいつもきれいに掃除が行き届いており、こざっぱりとしています。鎮守の森の中にあって、神聖な雰囲気が感じられる神社でございます。

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 境内はずれの高い石垣の上には石祠がずらりと並んでいます。近隣の小社を合祀したものと思われます。石段が急だったので下からの遥拝にとどめました。

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 碑銘には漢文が刻まれています。ざっと読んでみたところ、山神社の由来というよりは赤根の村のことが書いてあるようでした。

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 御神木の一位樫です。見事な枝ぶりには、樹勢の衰えは微塵も感じられません。今は子供がほとんどいなくなりましたが、昔は境内で遊ぶ子がイッチカッチの実を拾うたりしていたことでしょう。

 山神社と古幡社で交互に開かれる善神王祭については、後ほど別項を設けて紹介します。

 

7 古幡社

 山神社をあとに下っていき、突き当りを右折します。しばらく上って、畑部落のかかり、道路端に古幡社がございます。車は路肩ぎりぎりに寄せて停めるしかありません。

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 こちらも、一円坊の山神社と同じく手入れが行き届いています。畑部落の鎮守です。昔、水谷峠や犬鼻峠を歩いて越す方が多かった時代には、他所の方も通りがかりにお参りをされていたことでしょう。

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 御神木と思われる、見事な枝ぶりの椋です。鳥居と比べますと、その大きさが分かりようございます。ウロになっているところもありますけれども、樹勢をよう保ちます。境内にはほかに、ケンポナシの木もあります。ケンポナシは、今はあまり見かけなくなりました。昔、霜の置く頃に赤くなった実を食べた思い出のある方も多いと思います。

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 道路に面して後藤儀八顕彰碑が立っています。説明板の内容を転記します。

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後藤儀八の功績(大田村白木原の人)

赤根村の庄屋に任命され、開こん・畜産の奨励で貧村の生活向上に寄与した。その功績により大分県より感状うける。

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8 的石池の樋

 畑部落のカサに的石の溜池があります。その、改修前の古い樋が山神社のすぐそば、旧道の上がりはなに置いてあります。

 先に池の樋について申します。この場合の樋は「ひ」と読み、溜池の堤に設けた水の通り道のことです。通常、樋は堤の斜面に沿うて斜めに通っていて、等間隔にいくつもの樋口があり一つひとつ栓をしてあります。昔は木製の杭で栓をしていましたが、今は金属製の蓋を鎖で連ねて、水につかっている蓋も容易に開けられるようになっています。その栓の管理は、池の水番の人の大切な仕事です。今は減反等により池の水が足らなくなることは滅多にありませんけれども、昔は少し雨が降らないと次から次に水を落として底だまりになってしまうことは珍しくありませんでした。ですから先を見越して、上から何番目まで開けるかという適切な判断が求められました。

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 このようにばらした状態で重ねて保存してあります。池の堤はただでさえ強い水圧がかかりますから、樋のあたりは特に傷みやすく堅牢に仕上げる必要があります。それでも昔は、頻回の池普請(堤を一部崩して土手搗きをやりなおすこと)が必須であったとお年寄りの思い出話等に聞き及びます。手前に置いてある樋の上に四角の穴が開いています。これが樋口で、このような穴が順々に並んであり上から順番に栓を開けて水を落とすのです。説明板の内容を転記します。

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的石ため池

保存 樋(水門)
工事 昭和8~10年
戸数 17戸
工事費 2200円
代表 野口今朝一

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 国東半島の溜池を利用した灌漑の工夫は、農業遺産に選定され注目を集めています。その中でも、このように古い樋を見学できる場所は限られています。神社のすぐ裏にあって簡単に見学できますから、ぜひ立ち寄ってみてください。

 

○ 赤根の善神王祭について

 善神王様は一般に耳の神様として知られていますが、本来は武内宿祢が御祭神であると申します。大分県では賀来神社(大分市)が著名で、県内のほとんどの善神王様が賀来神社からの分霊によるものです。善神王様は、国東半島では「ぜぜのさま」「ぜぜんのさま」「ぜんじょうさま」などと呼び昔から信仰が篤く、親しまれています。赤根では「ぜんじょうさま」と呼んでいます。賀来神社からの分霊は明和年間とのことです。

 赤根の善神王祭は9月1日の幟立からはじまり、5日頃に松明をこしらえ、10日の本祭まで、10日間あります。一般には10日の本祭をさします。本祭は一円坊の山神社と畑の古幡社で、交互に行われます。ところで赤根には善神王様の石祠はなく、幟を依代としています。幟は、御神体としての幟のほか6本の奉納幟もあります。松明は全長8mあまりもある大型のものです。

 9月10日の夕方、公民館で神事、お座、お神楽ののち、暗くなってから幟を神社まで運びます(宮上り)。夜8時から松明立てが始まります。ここからは赤根以外の方も多く集まります。公民館から運んできた小松明の火を倒してある大松明に移したら、大松明を人力で起こしていきます。これが非常に壮観で、はじめは松明の下に横に渡してある大きな丸太ん棒を大勢で担ぎ上げて、少し浮いてきたらすかさずサシ(竹竿)を何本も差し入れて支えます。ある程度のまで上がったら丸太をのけて、サシの長さを変えながら棟梁の指示により少しずつ起こしていくのですが、バランスよう起こしていくのはたいへん難しいものです。火の勢いも凄まじく、火の粉の降る中を真剣に起こしていきます。直立するまで30分以上はかかります。

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 このように、何本もの竹竿で支えられて大松明が直立しますと、地域の方や他所からの見物人も含めて、大きな拍手が起こります。

 このあと境内に結界を張り、お神楽がかかります。松明の火に照らされた夜神楽はなかなか風情があり、たいへん盛り上がります。お神楽がはねたら結界等を片付けて音頭棚を境内中央に運び、9時から「神踊り」と称して30分間程度、奉納踊りが行われます。演目はこの地域の初盆供養の踊りと同じで、「杵築踊り」「レソ」「エッサッサ」「ヤンソレサ」「六調子」の順に、昔のままに口説と太鼓で踊っています。このうち「杵築踊り」「六調子」は輪が乱れやすいので短時間でやめて、簡単な「レソ」や「エッサッサ」を長く踊る傾向にあるようです。「ヤンソレサ」はよそとくらべるとずいぶん早間で、イレコを挿む昔の唄い方がよう残っています。輪に加たった人には参加賞があり、それに番号が書いてあり踊りがはねたら景品のくじ引きもあります。

 踊りがはねたら地域外の方は三々五々、帰途に就きます。翌年の当場(とうば)を吊りくじで決めたら、御神体の幟を公民館に運び(宮下り)、御神酒開きのお座があります。昔は、善神王様は相撲好きということで座敷相撲をとったそうですが、安全のため腕相撲に変更しているとのことです。

 

9 畑の庚申塔(上)

 畑部落には2か所に庚申塔があります。おそらく上組と下組で、別の庚申講を組織していたものと思われます。今回は上の庚申塔を紹介します。古幡社横から旧道を上がります。この道は軽自動車ならどうにか通れますが、庚申塔のそばに適当な駐車場所がないので歩いて行きましょう。

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 このような道を、右に田んぼを見ながらなだらかに上っていきます。現道に突き当たる直前、左側に1基の累代墓があります。そのお墓の敷地に少し入ってすぐ右側、斜面の下に庚申塔が1基立っています。近づかないと分かりにくいかもしれません。

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 蔓草に覆われていましたので、できる範囲で除去しました。訪ねる時季を考えないと、草ぼうぼうになっているかもしれません。

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青面金剛3面6臂!、2童子、3猿、2鶏、鬼のお面

 何はともあれ、3面でございます。主尊のお顔が3面になっている場合、たとえば馬頭観音様など丸彫りに近い表現なら問題ないものを、このように彫りが浅めの庚申様はどのように表現するのかという問題が生じます。こちらは、主となる中央のお顔の両側にお顔を並べる形で表現してあります。そうなりますと違和感が生じそうなものを、左右のお顔の目鼻立ちを巧みに工夫してあるので、夫々がやや外向きになっているように見えます。それで、平板な処理でありながらも3面が立体的に見えるようになっているのです。その上には3面を全てカバーするような幅広の炎髪がレリーフ状に表現されています。中央のお顔の上の突起は、一見して髷かなと思うたのですけれども、よう見ますと鬼のお面でした。衣紋や武器の細やかな表現も素晴らしく、複雑に重なりあうところも見事に処理してあります。腕や脚に蛇がぐるぐると絡みついておりますのがよう分かります。

 童子の表現も素晴らしい。高貴なお方のような服装に、お芥子の髪型がよう合うています。向かって左の童子が片手を上げて挨拶をしているように見えるのも面白いではありませんか。また、童子に挟まれるように3猿が仲よう並んでいますのもほんに可愛らしうございます。非常に細やかな彫りで、何もかもをいきいきと表現した秀作といえましょう。元禄14年、今から320年ほど前の造立です。

 

10 一ノ瀬池

 畑の山神社から後戻って、千灯方面に下っていきます。人家が絶えて、大字千灯にかかる手前左側に一ノ瀬池があります。この池は伊美の谷随一の規模を誇る溜池で、桜や紅葉の名所でもあります。駐車場所もありますので、車をとめて休憩するのに最適です。

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 池の向こうには見事な岩峰が見えます。確かあの岩峰の崖下に何かの霊場があると『国見物語』の何巻かで読んだ覚えがあるのですけれども、どうしてもその詳細を思い出せません。今回は景勝地としての紹介に留めておきます。

 

今回は以上です。このシリーズは一旦お休みにして、次回から上真玉のシリーズの続きを2回程度書こうと思います。その後、このシリーズに戻って大字千灯の名所に進む予定です。