大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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上津の名所めぐり その1(本耶馬渓町)

 本耶馬渓町は上津(こうづ)地区のうち、羅漢寺耶馬渓の名所旧跡を紹介します。羅漢寺耶馬渓は耶馬十渓のうち本耶馬渓や深耶馬渓とならぶ観光のメッカで、特に紅葉の時季には杖を曳く人が後を絶ちません。羅漢寺や古羅漢(ふるらかん)の素晴らしい景勝や石造文化財の数々、その霊験は昔から広く知られており、近隣在郷を代表する名所です。古羅漢からスタートして智剛寺、百間馬場、羅漢寺の順に歩いて巡ることができますので、その道順に沿うて紹介していきます。上り下りが多いのでくたびれますが、半日もあればゆっくりお参りしてまわることができます。秋は言うまでもありませんが、5月頃の晴天の日にお山めぐりをするのも楽しいものです。

 

1 古羅漢

 跡田簡易郵便局前の三叉路から羅漢寺方面に行くと、目の前に荒々しい岩山が見えます。そのものすごさは筆舌に尽くしがたく、遠目に見ても胆を冷やすような山容であります。この山を古羅漢と申しまして、古くから羅漢寺と対になる名所として広く知られてきました。しかし耶馬渓観光の様相の変化により、リフトで羅漢寺に上がってお参りをする方は多くても古羅漢を探訪される方は僅かになっています。でも、古羅漢経由で旧参道「百間馬場」を辿り羅漢寺に向かえば、その景勝をより楽しみ、文化財により親しむことができますし、その霊験も愈々増してくるような気がいたします。時間に余裕をもって訪れて、古羅漢を探勝されてはいかがでしょうか。

 古羅漢の直下をトンネルがほげており、羅漢寺参詣の自動車が盛んに通行しています。そのトンネルの直前、左側に公共駐車場があります。駐車場から道路を渡った先にも六部さんの塔や十三重塔等があるそうですが、そちらはまだ行ったことがありません。それで、今回は「古羅漢探勝道」に沿うて紹介していきます。駐車場脇から整備された遊歩道が伸びているのですぐ分かると思います。今から写真に写っている窓のようになっている辺りを目指すわけですが、初めのうちはなだらかな上り下りにて水平気味に進んでいくので楽ちんです。ここで古羅漢についての説明板の内容を転記しておきます。

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名称耶馬渓のうち古羅漢の景(大正12年国指定)

 参詣道を上れば、眺望のよい天然の空洞に菩薩など数体の石仏と像高220cm余の毘沙門天磨崖仏を祀る。
 昔、空也上人が錫を止めた所と伝えられ、古来より羅漢寺とともに修禅の道場でありました。空洞の上部を天人橋と呼び、再高所を飛来峰と云う。岩上に室町初期の造立と推定される県指定の国東塔がある。総高226cm、塔身に木造の毘沙門天像があった。経路の途中に雲僲窟、地蔵窟が散在、天正の頃、大友軍との戦いがあったと伝えられ、多数の宝塔、五輪塔群が埋もれています。

中津市教育委員会

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 水平気味に進む遊歩道の傍ら、岩屋の中に新しい庵が建っています。これを雲僲庵(うんせんあん)と申しまして、近年まで荒れるに任される状態でありましたが往時の姿が蘇りました。荒れていた頃の写真しかないので、説明板の転記で代えます。

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名称耶馬渓 古羅漢の景 雲僲窟

 凝灰角礫岩からなる岩峰・飛来峰の一角にあるこの岩窟は、大正11年(1922)に日本画家・嘯月庵雲僲氏(本名・渡辺俊彦、1892~1972)が草庵を結び、「雲僲窟」と名づけました。
 雲僲氏は広島県出身で、同郷の先人頼山陽を慕い、25歳のときに耶馬溪探勝のため中津を訪れます。しかし「耶馬の山霊未だ我を迎えず」と5年間中津城下の養寿寺に滞在し、機が熟すのを待ったといいます。
 大正10年、耶馬溪に入渓。1年2か月もの間、山に籠り、風雨に耐え、危険を冒しながら渓中をくまなく探勝し、画禅一如の仙境に至ります。雲僲氏は心血を注ぎ600点以上の耶馬溪画を残しました。
 大正11年、友人らの支援により、耶馬溪探勝記念としてこの場所に草庵を結び、大正13年下山します。
 下山後も中津市に留まり、80歳で歿するまで50余年一途に耶馬溪を描き続けた雲僲氏は、まさに耶馬溪画の第一人者といえます。
 平成29年度に老朽化した草庵を改修しました。雲僲氏の目線になって耶馬溪の眺望をごゆっくりお楽しみください。
※草庵に上がられる際は、お一人ずつお願いいたします。

中津玖珠日本遺産推進協議会

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 雲僲庵の近くには地蔵窟という岩屋もあります。

 地蔵窟の中にはお地蔵様のほか、壊れた石塔類の部材も僅かに残っていました。今や香華も途絶えがちな状況であり、不安定な立地にてお地蔵様の破損が懸念されます。

 地蔵窟を過ぎたら道が直角に曲がり、急勾配の階段を登っていくことになります。この階段がたいへん登りにくうございます。蹴上げが高く、一段々々に骨が折れます。以前は手すりがなく片側が切れ落ちていましたが、一昨年に再訪した際には擬木の柵がつき安全になっていました。

 天人橋の直下まで登れば、今にも壊れそうなほど傷んだ骨組みばかりの高床の堂様が通路を塞ぐように建っています。柱を縫うようにして床下を進んで、向こう側から折り返すように床上に上がります。お参りに上がるたびに、踏み抜きはしまいかと胆を冷やします。

 岩棚の上にはたくさんの仏様が並んでいます。そのほとんどが頭が落ちてしまっており、何ともおいたわしいことでございます。廃仏毀釈の煽りを受けたものと思われます。この中でも中央のお観音様は、見事な彫りが素晴らしい秀作です。拝観いたしますとその柔和なお顔に心が癒されますとともに、そのありがたさに畏敬の念が湧いてまいります。説明板の内容を転記します。

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古羅漢 石造観音菩薩坐像
県指定文化財(彫刻)

 作風をみると、衣表現が厚手であり、南北朝の頃に造られた石造物の特徴をよく表しています。総高は111cmで、観音菩薩像の左膝には高さ7.4cm、幅2.7cmの木製の五輪塔が納入されていました。またその五輪塔の底には穴が開けられており、古代インドの文字を墨書きした紙片と人歯が納入されていました。この紙片には「正平十七年九月十二日金剛仏子道悟敬白」と記されていることから、1362年(室町時代)道悟という僧が誰かの供養のため建立し、歯を納入したと考えられています。石造仏に木製五輪塔を納入した例は全国的にもありません。

平成2年3月29年指定
監理 城井文哉
中津市教育委員会

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 石の仏様の中に木製の五輪塔が納入してあるとは、さても珍しいことでございます。呆気にとられてしまいました。

 さて、この高床式の堂様を過ぎますと道が二手に分かれます。すなわち直進して梯子段を登る道と、窓(2つ上の写真に写っています)をくぐって裏に抜ける道です。この2つの道はつながっています。特に指示はありませんけれども、私は毎回、ひとまず裏に抜けています。裏に抜けたらまた左右に分かれていますので、左に行きます(右に行けば急坂を下って下の車道の「門前茶屋のどか」の近くに至ります)。ほどなく、左側の岩壁に磨崖仏が彫られています。

 毘沙門天様です。もともと彫りが浅かったようで、雨ざらしの岩壁にて風化摩滅が進み年々像容が不明瞭になりつつあります。磨崖仏は自然と一体になったもので、その仏様自体のみならで周囲の岩壁にも霊性を見出せば、言い換えればよし風化摩滅が進めばとてその岩壁に仏様が宿っていると思えば、いよいよそのありがたさが増してまいります。昔は案内札がなかったので見落とす方も多かったようです。けれども気を付けて見ればお顔はよう分かりますし、説明板も整備されましたので見落とす心配がなくなりました。

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古羅漢 磨崖仏
市指定有形文化財

 この岩壁に刻像されている磨崖仏は毘沙門天像です。半肉彫の優美な面相をしています。像の高さは2.14mあり、室町時代の作と伝えられています。

昭和48年11月9日
管理 高橋衛
中津市教育委員会

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 磨崖仏から先は狭い岩棚を進むことになります。気を付けて進めば問題ないレベルですが、ところどころが鎖渡しになっていますので雨の日はやめておきましょう。途中で右に鎖で下る急坂への分岐があります(国東塔の標識あり)。こちらは後で行きますので、ひとまず無視して先に進みます。岩棚の突端まで行き、岩峰の周りをぐるりと反時計まわりに回って元の道に返り、次の分岐を右にとって最初に上がり着いた側の面を進んで堂様まで戻っていきましょう。

 この向こう側から鎖渡しで回り込んできたところです。この辺りは足場が悪く、特に注意を要します。切り立った崖で、落ちたらまず助からないでしょう。このような難所の道に仏様が点在しており、札所めぐりのように巡拝していきます。素晴らしい見晴らしを楽しむことができます。お参りや写真撮影に夢中になって足を踏み外さないように気を付けてください。

 通路脇にたたずむ仏様です。いったいいつからこの場所においでになるのでしょう。蓮華坐や、衣紋の皺の細かい表現など何から何まで行き届いており、しかもそれがよう残っていることに感激いたしました。このお山の崖道に沿うて、たくさんの仏様が四方八方を向いています。麓の村々を見守ってくださっているような気がいたしました。さてもありがたい仏様でございます。

 崖道もやっと終わりが近づき、向こうに天人橋が見えてきました。しかし一安心するにはまだ早く、ここから先も特に注意を要します。

 足場が狭く、気が抜けません。鎖を伝うてそろりそろりと渡っていきます。幸いにも砂や枯れ葉等の堆積がなく、岩の上を歩くので滑りこける心配はほとんどないでしょう。鎖をしっかり持って慎重に進めば、問題なく通れます。この写真は10年以上前に撮影したもので、以前は鎖が錆びてしまっておりその強度に不安を感じました。今は新しい鎖に更改されています。

 ここから梯子段を下りて、二叉まで戻ります。この梯子段は丸太ん棒でこしらえたもので、しっかり固定されています。しかし片側は断崖絶壁にて、これまた落ちたら助かりませんので気を付けて下ります。

 眼下にはのどかな田園風景が広がります。圃場整備され、広く立派になった田畑が色づく頃は特によいものです。また、蕎麦の花の時季もお勧めします。映画「カルメン故郷に帰る」の挿入歌で、渡辺はま子の歌った「そばの花咲く」を御存じですか。私はあの歌が大好きで、蕎麦の花の頃に耶馬渓を訪れますといつも思い出します。

 閑話休題、今から羅漢寺旧参道の方に下っていきます。ひとまず窓を抜けて、右に行くか左に行くかとなるわけですけれども、もし国東塔を見学したい場合は左に行きます。ただし左の下りの方が難所なので、不安な方は右の道を選んだ方がよいでしょう。国東塔に行くには磨崖仏の下をもう一度通って、標識に従って右に折れ急勾配の鎖場を下っていきます。複数で訪れる時には前後の間隔をとって、鎖をしっかり持って慎重に下りましょう。

 鎖場を下り着いたところに国東塔の説明板が立っています。内容を転記します。

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古羅漢 国東塔 県指定有形文化財

 国東塔は、宝塔の変化したものです(宝塔には頭身と基礎の間の台座がない)。この岩上にある国東塔は、塔身が長く、全体に優雅な女性らしさをもっています。反花(台座)には、蓮弁の彫刻はなく、基礎にも格狭間はない素朴なものです。昭和48年11月19日に行った解体修理で、塔身より木像の毘沙門天像が発見されました。総高2.34mでほぼ完型です。

昭和48年11月9日指定
管理 高橋衛
中津市教育委員会

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 さきほどのお観音様の中には木製の五輪塔。今度は塔身に木製の毘沙門天像。まったく何が何して何とやらでございます。毘沙門天ということは、磨崖仏と何か関係があるのかもしれません。

 さて、国東塔は正面の岩峰上に立っています。やっと下り着いたかと思えば、また鎖場を登らなければなりません。急傾斜の崖道ですが足がかりはきちんとしていますから、鎖をしっかり持てば問題なく登れます。

 とんでもない場所に立っています。この場所まで部材を運び上げるのは容易なことではなかったでしょう。背板でかるうて運び上げたのでしょうか?もしそうだとしても、塔身や台座など大きい部材はかなりの重量であると存じます。しかもその当時には鎖なども整備されていなかったことでしょう。気が遠くなりそうな労力をかけて造立された国東塔は、反花の花弁や格狭間を省いてあるものの、全体として均整がとれた非常に美しい造形です。これは素晴らしい。特に茶壺型の塔身の優美なことといったらどうでしょう。国東塔は宝塔の中でも多分に装飾的なものでありながら、このお塔には引き算の美のようなものが感じられます。それが素晴らしい自然地形によう合うて、より一層、その造形美が増しているような気がいたします。

 反対側の岩壁の半ばには細長い岩屋があり、そこにたくさんの五輪塔や宝塔が並んでいます。あの場所への行き方が分からず、近寄ったことがありません。国東塔から説明板のところまで下ればあとは危ない場所はなく、急坂ではありますけれども問題なく法岸寺のところまで下ることができます。その下り道のどこかから上がれば、あの岩屋に至るのではないかと考えています。

 

2 昔の古羅漢(絵葉書)

 手元に昔の耶馬渓の絵葉書が何枚かあります。その中に古羅漢の絵葉書が1枚だけありましたので、紹介します。

the grand sight of grotesque rock named KYURAKANJI, YABAKEI
耶馬溪)絶勝の断崖に倚る伝説の古刹旧羅漢寺

 絵葉書の説明には「旧羅漢寺」とあります。これは、「羅漢寺の羅漢様は古羅漢の上から一夜のうちに飛び移ったものである」との伝承による記述と思われます。今のようには木が育っていないので岩峰の荒々しさがよう分かります。しかも、白黒写真のなせるわざでしょうか、実物以上におどろおどろしい雰囲気が感じられるではありませんか。

 

3 智剛寺の石造物

 古羅漢の国東塔から下り、法岸寺にお参りをして車道に出ます。少し右に行けば左手に「羅漢寺旧参道」の説明板があります。そこから石畳の道を辿れば正面が智剛寺です。こちらには禅海の墓ほか、いろいろな石造物がございます。

 智剛寺は羅漢寺の末寺のひとつで、羅漢寺を開基した円龕昭覚が隠棲したところです。

 お庭の隅に洞窟があり、その入口に禅海の墓があります(写真の柵の奥)。以前はこの近隣の別の場所にあったものを、粗末にならないようにこちらに下ろしたとのことです。なお、禅海は『恩讐の彼方に』によりその名を広く知られています。

 前に立つ供養碑は三尊形式の半肉彫りで、ほんにありがたい感じがいたします。地衣類の侵蝕により傷みが進みつつあるように見受けられ、気になりました。

 石幢は中台や笠を失っています。残部の状態は比較的良好で、特に龕部の仏様はくっきりと残っています。その枠の装飾なども工夫が凝らされており、もし欠損がなければ秀作の名をほしいままにしたことでしょう。右奥に立っている無宝塔はほとんど傷みがなく、細かいところまでよう残ります。県内においては宝塔や石幢よりもずっと作例が少ない、貴重な石造文化財です。

 

4 百間馬場

 智剛寺から旧参道に返り、道なりに進みます(ちょうど智剛寺入口のところで直角に折れています)。ここから先は羅漢寺までほぼ一直線の道で、一般に「百間馬場」と申します。1間(けん)は凡そ1.82mですから100間は182mですけれども、ここでいう「百」とは概数としての百でありましょう。

 緑の中に伸びるなだらかな石畳道は、ほんに気持ちのよいものです。青葉若葉の頃の晴天の日が特によいでしょう。羅漢寺参詣の際には、回り道になりますけれどもぜひこの石畳を歩いてみてください。

 智剛寺からほど近い場所には庚申塔が4基立っています。全部文字塔です。

 庚申塔は、尾根の石祠に上がる石段の両脇に2基ずつ立っています。銘はほとんど読み取れませんでしたが、説明板にその内容が記載されています。

 いずれも自然石に近い不整形のもので、近隣在郷の庚申塔の中でも特に古いものであると思われます。しかも3基は大型で、刻像塔のような賑やかさはありませんけれどもその威容はなかなかのものです。

 説明板の内容を転記します。

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庚申塔
 日本には古来より、庚申の日の夜に人間の体内にいる三尸の虫が抜け出して、その人の悪事を天帝に告げ口するという民間信仰をもとに、庚申の日の夜は徹夜してお祭りをするという習俗(庚申講・庚申待ち)がありました。庚申塔はその記念に建立される石碑で、一般的には3年18回続けた記念に建てられます。
 ここには自然石で造られた庚申塔が4基残されています。その内1基は明暦3年(1657)の紀念銘を持ち、跡田・門前等の人々の名前が記されています。中には智剛寺の僧や座頭の名もあり、彼らが地域の庚申講に深く関わっていたことがわかります。
平成28年4月 中津市教育委員会

<銘>

明暦三天丁酉歳
○奉建立庚申供養石塔
九月廿日

此時永両■之自然
石■一定塔一為橋
以信心■成■是有
塵劫■■修者所得
之功徳猶如斯不堪
勝記■塔毫矣

願主
跡田四郎兵衛
同 伝右衛門
同 市郎兵衛
門前六右衛門
同 八兵衛
同 半三郎
同 伝兵衛
同 想吉
坐等 大信
智剛寺 宗薫

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 庚申塔の間の石段を登ってみますと、壊れた鳥居が立っていました。

 鳥居の扁額が失われており、何の神社であるのか分からずじまいです。位置関係から、智剛寺の六諸権現なのかなと推測しましたが定かではありません。この鳥居から先は道も荒れ気味でした。徐々に傾斜が増してきて、最後にはトラロープを頼りに急斜面をトラバースしてやっと登るような始末です。

 尾根上の石祠です。今はここまでお参りに上がる方は稀であるようです。昔はここから尾根伝いに道があったのかもしれませんが、深入りしない方がよいでしょう。来た道を後戻って、百間馬場を辿って羅漢寺に向かいます。

 

5 昔の羅漢寺(絵葉書)

 羅漢寺は素晴らしい石造文化財の宝庫です。山の中腹にありますので観光リフトを利用して参詣される方が多いようですが、もし足腰の不安がなく時間に余裕があれば、参道を歩いて行くことをお勧めします。健脚の方は老ノ坂経由もよいでしょう。今は境内の写真撮影は禁止されているようですから、昔撮った写真もありますが掲載は控えます。その代替で、古い絵葉書を紹介します。

the sacred scene of the temple gate of RAKANJI temple, YABAKEI
耶馬溪)豪壮なる断崖を負ふて山腹にたつ羅漢寺山門の雅景

the whole view of RAKANJI temple, YABAKEI
耶馬溪)断崖の中腹景勝の中心を占むる名刹羅漢寺の全景

 戦前の絵葉書を2枚紹介しました。以前購入した組物の中に入っていたものです。特に2枚目の絵葉書は興味深く、建物の様子が今とずいぶん異なります。羅漢寺は、昭和18年に山火事で全焼し再建されました。この絵葉書はそれ以前のものと思われます。

 余談ですが、リフトの山頂駅あたりには以前「鶴の国」という小遊園地がありました。私が子供の頃も遊具等あったように記憶しておりますが、今はすべて撤去され展望台などを残すのみとなっているようです。

 

今回は以上です。古羅漢→羅漢寺旧参道→羅漢寺の道順に沿うて紹介しました。みなさんにお勧めしたいコースです。ただリフトで往復するだけでは勿体のうございます。