大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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上井田の名所めぐり その5(朝地町)

 今回は普光寺のみなので、前回までにくらべると短めの記事になります。内容的には「その4」の「17早尾原の三界万霊塔」から一続きになっていますので、あわせてご覧いただくとより分かり易いかと思います。

 

20 普光

 普光寺こそは、朝地町を代表する名所といえましょう。広大なる敷地には馬頭観音様など数多くの石造文化財が点在し、国内最大級の大日様をはじめとする磨崖仏群の造形のすばらしさとその霊験、非常に大規模な岩屋などの特異なる景観は、訪ねる人の心を惹きつけて已みません。しかも斜面の一面に植えられた紫陽花、楓など四季折々の風情があります。殊に6月、紫陽花の咲く時季には平素の何倍もの来訪者で賑わいます。また、秋の紅葉もなかなかのものです。秋に訪れる場合には用作(ゆうじゃく)公園とセットで計画するとよいでしょう。参拝者・観光客が年々増加するにつれアクセスの悪さがネックになっていましたが、観光バスでも楽に通れる立派な新道ができましたので、地域の方の迷惑になる心配もなくなりました。

 さて、今から順路に沿うて普光寺の文化財・景勝を紹介してまいります。駐車場に車を停めたら、参道を下っていく前に前回紹介した「18普光寺の馬頭観音様」と「19普光寺道路端の庚申塔」の見学・お参りをお勧めいたします。夫々見学したら、参道を歩いていきます。駐車場からは旧参道(徒歩のみ)と新参道(車道ですがこれより下に参拝者用の駐車場なし)がありますが、行きは旧参道を下り、戻りは新参道を辿る道順をお勧めいたします。旧参道沿いには庚申塔などの文化財があり、新参道沿いには紫陽花がたくさん植わっています。できれば両方を楽しみましょうというわけです。

 駐車場から道標に従い旧参道に入れば、民家の軒先をかすめるような道になります。その先は九十九折の階段で、擬木にて整備されていますので楽に通行できます。

 整備が行き届いたたいへん気持ちのよい道です。一般にお寺参りの参道と申しますと上へ上へと登っていくところが多い中で、こちらは谷底の方に下っていくのです。路傍に石祠が点在していますので、お参りをしながら歩を進めます。

 参道半ば、崖上に庚申塔をはじめとするたくさんの石造物が並んでいます。段差が高くて近寄るのは難しいのですが、下から見上げるだけでもよう分かります。磨崖仏や紫陽花に気が急いて、つい見落としてしまいがちです。少し足を止めて、こちらも見学してください。

奉拝念青面金剛

 2基とも同じ銘でした。前回紹介した駐車場そばの庚申塔でも「拝念」という文言を見かけました。県下全域で見ますと少数派であると存じます。こういったところに地域性が表れています。

 後ろの庚申塔の銘は「奉供養庚申待■■」で、末尾の読み取りが困難でした。手前の石殿は千手観音様です。表現の制約上、腕やお顔の数は当然省かれているわけですけれども、指先まで丁寧に表現されています。しかも舟形にこしらえた龕によう合うておりますし、彩色もよう残っておりなかなかのものであると存じます。

南無青面金剛

 急傾斜の立地にて後ろに倒れかかり、傷みが進んでいるのが惜しまれます。今のところ、銘は容易に読み取れました。

奉待■■…

 こちらは落ち葉に埋もれてしまい、銘が読み取れませんでした。上部の傷みも目立ちますけれども碑面の状態は比較的良好です。梵字を彫った丸の赤い彩色がよう残っています。

 この斜面に、6~7基程度の庚申塔が立っているようです。やや不安定な立地にて、できれば平坦なところに下ろした方がよい気がいたしました。

 この先で、新参道に合流します。左に折れて先に進みましょう。

 相変わらず参道沿いにはいろいろな石造物が点在しています。特に、この左端の馬頭観音様は細かい彫りがよう残っており、細部まで行き届いた秀作です。前回紹介した道路端の馬頭観音様よりは小型で、落ち着いた表現になっています。見比べてみてください。

壹番竺和山霊山寺

 竺和山霊山寺徳島県にあるお寺で、四国八十八所の一番札所です。蓋し新四国の札所でありましょう。

 左端の銘は「三界萬霊」でした。その形状から、元々は上に仏様が乗っていたものと思われます。このように山門前にもいろいろな石造物が安置されています。

 門をくぐり、本堂に寄ってお参りをしたらいよいよ磨崖仏へと向かいます。

 お寺の坪から遊歩道を谷底の方に下っていき、向こう側の岩壁にとりつき大きな岩屋の中に上がることができます。こちら側からの眺めがなかなかのものです。巨大な三尊形式の磨崖仏、その並びの大きな岩屋。さらに花の時季であれば一面の紫陽花で、まるで桃源郷をみたような光景ではありませんか。

 いよいよ心がうきうきとしてきますけれども、先に説明板に目を通しておきましょう。

 説明板の内容を転記します。

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普光寺と磨崖仏
 鎌倉時代におこったとされる普光寺は、普光山筑紫尾寺と呼ばれていました。しかし江戸時代初期に筑紫尾が畜生に聞こえるので、筑紫尾を山号として普光寺と名前が改められました。この寺には巨大な磨崖仏があります。像高は8mとも12mとも言われ、全国でも最大級の磨崖仏です。およそ800年前に作られたとされており、中央の巨大な仏像が不動明王、その両脇、向かって右に矜羯羅童子、左に制咤迦童子があります。不動明王とは憤怒の相、つまり怒った顔をしているものですが、この磨崖仏は長年風雨にさらされ丸く優しい表現になっていて、大きな磨崖仏ですがとても親しみのもてる姿となっています。
磨崖仏が造られた岩壁
 豊後大野ジオパークには9万年前阿蘇山がおこした大火砕流が固まったもの、阿蘇-4溶結凝灰岩を多く見ることができ、たくさんの磨崖仏がそこに刻まれています。阿蘇山は、この9万年前よりも以前に大きな噴火を繰り返しており、およそ12万年前にも大噴火をおこしました。そのときも大規模な火砕流をおこし、周囲を覆い尽くして冷えて固まりました。その固まった岩が阿蘇-3溶結凝灰岩と呼ばれています。普光寺の阿蘇-3溶結凝灰岩は、溶結(固まり方)が弱くもろい性質を持っています。不動明王のお顔が優しいのは、この影響があるのかもしれません。

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 もう1つの説明板の内容も転記します。片方だけ読めばいいやとなりがちですが、書いてある情報が異なります。できれば両方読まれた方が理解の助けとなることでしょう。

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日本一の大きさを誇る磨崖仏

 正面の大不動明王は、高さが11.3mで磨崖仏(浮彫り)の中では日本最大です。左に制咤迦童子、右に矜羯羅童子(いずれも5.5m)を従え、鎌倉期の作を言われています。不動は右手に剣、左手に捕り縄、盤上にあって体から猛炎を放ち、仏法を強力に広めようと、憤怒の形相をして睨んでいます。雨に打たれると光背火炎がくっきりと浮き出て、一層鋭さが増し威厳が出てきます。
 右の龕には3mの高さの多聞天があり、武具を身につけ塔と宝棒を持った厳めしい姿で睨んでいます。左の龕には高さ1m余りの磨崖仏が4体あり、左から阿弥陀如来、小矜羯羅童子、小不動明王、小矜羯羅童子と並んでいます。合計8体の磨崖仏はいずれも同時期の作で、県指定の文化財となっています。

朝地町

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 小磨崖仏の並び順について「左から」とありますけれども、これは「向かって右から」と同義です。

 やはりこちらは紫陽花の時季がよいでしょう。赤、青、それから濃いも薄いもさまざまな花の中を縫うて行きます。紫陽花は雨の日がよいのですが、この通路は雨降りの日には途中がじるく、しかも幅が狭いので遊覧者が多いとすれ違いの際に濡れた花で服が濡れてしまいそうです。

 通路半ばの展望所からの写真です。こうして見てみますと、その大きさに圧倒されます。主尊はもとより脇侍のにっこりとしたお顔に、心が癒されます。当地方におきましては比較的厚肉彫りの磨崖仏が多い中で、こちらは半肉彫りとでも申しましょうか、やや異質な感じがいたします。細かい部分の表現を省いたのか、風化摩滅の所以か、やや大らかな作風であるといえましょう。これだけの大きさを、バランスを保ちながら手作業でこしらえるのは容易なことではなかったと思います。足場を架けるだけでも大変そうではありませんか。

 大きな磨該物の直下を横切って、岩屋の中に上がります。階段が左右に分かれています。左の通路は段差が高くて上がりにくいので、右の通路からくの字に上がるとよいでしょう。

 左の岩屋に上がり着きました。左側には磨崖仏が4体、正面には雛壇上にこしらえた棚にたくさんの仏様がずらりと並んでいます。まず磨崖仏から確認してみましょう。

 向かって右から阿弥陀様、矜羯羅童子、お不動様、矜羯羅童子です。阿弥陀様のみ坐像で、菅尾石仏などに見られるような表現方法になっています。あとの3尊は左の岩壁の大きい磨崖仏と同様で、両者が対になっているのです。こちらは小規模にて一見したときのインパクトは小さいものの、やはり無理のない大きさであるためでしょうか、細かい部分などより行き届いた表現になっており、完成度としてはこちらの方がより優れているように感じました。火焔光背などの彩色もよう残っています。

 以前は中央の通路を通って上までお参りに上がることができていましたが、急傾斜の階段がすり減っていて危ないので今は通行止めになっています。先ほど、本堂そばの新四国札所を紹介しました。或いはこちらの石仏群も何かその関係かと思いましたが、詳細は不明です。

 一つひとつ造形の異なる石仏は、いずれも保存状態が良好です。特に右手前に写っている仏様は天衣の細やかな表現など、なかなかのものです。

 こちらの千手観音様は、参道半ばの庚申塔群のところに安置されていたものとよう似た造形です。彩色が残っていました。

 通路を通って右の岩屋にいきます。懸造の堂様の前を横切って右端の岩壁にいけば、1体の磨崖仏が彫られています。こちらは見落としやすく、お参りも少ないようです。

 大型の多聞天が身をよじらすような格好で1体のみ彫られています。独特なお顔立ちは、一度見たら忘れられません。確かに、説明板にある通り左手で塔を持っていました。

 この広大なる用地にたくさんの紫陽花が植えてあります。手入れが容易なことではないと存じます。ほかにも車道沿いの広範囲に亙って紫陽花が植えられ、地域の方による環境整備が行き届いています。ぜひ花の時季に訪ねてみてください。

 

今回は以上です。上井田シリーズは写真のストックがなくなったので、当分の間お休みとします。次回から大野の名所シリーズに移ります。