大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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東飯田の名所めぐり その1(九重町)

 このシリーズでは東飯田(ひがしはんだ)地区の名所を紹介します。東飯田地区は大字恵良(えら)・松木(まつぎ)からなります。著名な観光名所としては竜門の滝、宝八幡宮瑞巌寺磨崖仏があります。その他にも竜門小滝、梅の木磨崖仏、野倉のミツマタ群生地など名所旧跡・景勝地が密集しております。この中から適当な写真がある分だけをひとまず紹介したいと思います。

 

○ 東飯田という地名の不思議

 「東飯田」という地名についていつも疑問に思うことがあります。旧飯田村と旧東飯田村から旧野上村(東飯田のうち大字右田と、飯田のうち大字野上・後野上)が分立する以前の、飯田村と東飯田村の位置関係をみますと、「東飯田」は「飯田」の北西部にあたるのです。それなのに、どうして「東」なのでしょうか。どなたか由来を御存じの方は教えてくだされば幸いです。

 

1 竜門寺・竜門瀑布

 東飯田地区に遊ぶ際には、何はさておき竜門の滝を見物しなければ話になりません。そして滝見の際に必ず立ち寄ることになるのが竜門寺です。竜門の滝への標識の類が充実しているので道案内は省略します。公共駐車場に車を停めたら、遊歩道を奥に進みます。道なりに行けばお寺の敷地を横切っていくことになりますので、先にお参りをされるとよいでしょう。

 鐘楼の下にお寺と滝の由来書きがありましたので、その内容を転記します。

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竜門の滝由来

 国定公園であり元内務省名勝指定地、竜門の滝は、寛元年中(750余年前)鎌倉時代宋朝より蘭渓道隆禅師が来朝のみぎり当地に杖を留められ、この滝をご覧になられ、形容が唐土河南府の竜門の滝に似ているので、この滝を「竜門の滝」と名付け、またこの地の奇景12の名所を定め、傍らに一宇を建立し吉祥山竜門寺とされました。それより宝永6年まで503年に至る間の天正年中の兵火により伽藍は残らず炎焼し久しく廃絶のところ、宝暦のはじめ新たに寺坊建立され今日に至っております。
 なお近年、有志の方により俳聖芭蕉の末流として有名な郷土の俳人馬貞翁の句碑「唐うつす滝の景色や寒のうち」をはじめ、同じく郷土の名が箔「珠渓翁」の筆塚が建立され、錦上更に錦を添えた風情があります。
 ちなみに当寺は、禅宗三派(曹洞宗臨済宗黄檗宗)のうち黄檗宗寺院であります。

昭和48年記

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 本堂に参拝したら、右隣の大師堂にもぜひお参りをしてください。こちらは寄四国霊場の様相を呈しております。

 碑銘によれば、この霊場明治20年に開かれたようです。維新後とはいえ、本場の四国八十八所を巡拝するのは現代に比して非常に困難を伴う時代であったと思われます。こちらにお参りをすれば四国巡礼と同等の霊験が得られるということで、さぞや信仰が篤かったことでしょう。

 右上から一番、二番…と順番に並んでいます。中央のお弘法様とあわせて89体、さらに番外の仏様も数体ならび、100体近くがずらりと並ぶ光景は壮観です。一体々々、みんな造形が異なります。白塗りのお弘法様の独特なお顔は、一度見たら忘れられません。

 どの仏様も優しそうなお顔です。特にこの写真の中段、左から3番目の仏様は口が半開きになっており、ほんに朗らかな雰囲気が感じられました。

 この馬頭観音様は頭部の表現が独特です。このような半肉彫りの仏様の場合、3面のお顔がほぼ横並びになっているのをしばしば見かけます。ところがこちらは、3つのお顔を非常に立体的に表現してあることに感心いたしました。しかも頭の中にある馬の首の立体感も見事なものであり、石工さんの工夫が感じられます。

 小首をかしげたお姿に親しみが感じられますし、優しそうなお顔で、一目拝見して大好きになった仏様です。お賽銭がたくさんあがっていました。

国家安全
奉自読大乗妙典経塔 六十部
安政二卯歳 到明治十七申歳

 安政2年より明治17年というのはどのような意味でしょうか。その間凡そ30年です。30年かけて大乗妙典60部の写経か何かを終え、その紀念でありましょうか。わたしの読み間違いでなければ「自読」と書いてあると思うのですけれども、これがよう分からないのです。

 ここから奥に向かい、遊歩道を少し下ればすぐ滝壺に至ります。ドンドドンドと、ものすごい滝音が響いています。

龍門瀑布案内図

 この絵図により、12の景勝を知ることができます。17が所の名称の記載がありますが、このうち下記の12か所が該当すると思われます。

吐月峯、帰雲洞、前石壁、後石壁、飛雲庭、眼聴石、錦珠璃、読普閣、二霊松、白牛石、座禅石、洗耳瀬

 近隣在郷に名瀑の数あれど、やはり竜門の滝が群を抜いていると感じます。上段は直瀑、下段は滑瀑と変化に富んだ流れが素晴らしいではありませんか。しかも下段は、釜の幅いっぱいに流れ出た水が幾筋にも分かれて綾目をなし、裳裾を引くような優美さがございます。

 さて、この滝には春夏秋冬、四季折々の風情があります。ただ一度訪れるだけでは、その真価を知ったことにはなりません。たとえば掲載した写真はつい最近、梅雨のさなかに撮影したものです。ですから殊に水量が多く、上段左の落て口からは簾のように水が落ちています。滝としての迫力を最も感じられる季節です。これが雨の少ない季節になりますとまた違います。特にお勧めしたいのは紅葉の時季で、水量がほどよく、まして辺り一面の唐錦でありますから風情の点では確実に梅雨どきに優ります。

 

2 小滝不動

 先日、竜門の滝を見物した足で小滝へと向かいました。小滝は二段落としになっています。その名のとおり竜門の滝よりもずっと規模は小そうございますけれども、特に上段の自然美は見事なものであったと記憶しております。ところが直近の探訪では連日の雨により尋常ならざる水量になっておりまして、下段までしか見物できませんでした。上段は適当な写真がないので一応、項目名は「小滝不動尊」としまして、不動尊および小滝のうち下段のみを紹介します。いずれ再訪して、「竜門小滝」としてシリーズの中に入れ込もうと考えています。

 道順を申します。竜門の滝公共駐車場に車を置いたまま、歩いて車道に出て左折、橋を渡ったら道なりに左に行きます。上杉キャンプ場入口に「小滝不動尊」の立派な看板がありますから、それを右折して細道を上がればお不動様が祀られているところに出ます。

 一見して昔話に出てくる鬼を見たような、さても恐ろしげなる風貌のお不動さんでございます。キンキラキンの衣紋を纏うておりますのも、いよいよその迫力を増幅させているような気がいたしました。

 お参りをしたら先に進みます。上の広場に出たら左奥に行き、左下に渓流を見ながら水路沿いの小道を少し歩けばほどなく小滝の下段が見えてきます。

 枝の掻い間に小滝の下段が見えました。普段は涼やかな流れのこの滝も、この日ばかりは鳴る瀬おどろのものすごさ、身の毛もよだつ光景でした。この少し手前から川原に下りる通路がありますが、とても下れそうな状況ではなく、正面から滝を見られなかったのが残念です。

 小滝の上段に行くには、水路沿いの細い通路をなおも奥へと進んでまいります。ところが水路がこの状況で、もともと幅の狭い通路がいよいよ通行困難の様相を呈しておりました。小滝のよさは上段にこそあるのですけれども、これは危なやと思いまして諦めた次第です。

 

3 宝八幡宮

 宝八幡様は諸祈願成就の霊験あらたかなりとて近隣在郷の信仰篤く、殊に紫陽花の時季には近隣はおろか遠方からも参拝者の絶え間を知りません。野倉のミツマタ群生地と同様に、東飯田地区の花の名所です。

 竜門の滝から車で恵良方面に下り、大きな鳥居のある三叉路を右折します。丸塚部落のかかりで左折し、少し行くと十字路に出ます。これを直進すれば宝山坊で、国東塔や板碑があります。右折して参道石段を横切った先からまた右折すれば上の駐車場まで車で上がることもできます。先日参拝したときには天気が悪かったので、横着して上の駐車場まで車で上がりました。国東塔や板碑はまたの機会に紹介することにします。

 残念ながら紫陽花はほとんど終わっていました。でも雨に濡れた緑の美しさに心が洗われました。この神社の由来書きの内容を転記します。

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総社 宝八幡宮
御祭神 品陀別大神・帯仲彦大神・息長帯姫大神
大祭 5月15日前後の日曜日 春祭
   10月7日~9日 秋祭

御由緒
 当神社は、今から約1300年前の奈良時代・養老2年(718)2月に霊峰宝山に八幡神社の総本社宇佐神宮より、ご分霊をいただき創建されました。
 『豊後国志』に、「国司奉奏して祠を建て郡の総社となす」とあるごとく古来より上下の信仰を集めました。特に鎌倉時代初期、大友能直当国所領の頃より社頭いよいよ繁栄するに至り、能直は当神社を「豊後七宮八幡」のひとつとして、神殿のご造営を行いました。
 時移り戦国時代末期・天正14年(1586)薩摩島津義弘の軍勢が玖珠郡に乱入した折、兵火にかかり社殿を始め各種建造物・古文書・御神宝類に至るまで、悉く焼失・散逸致しました。
 古来より郡の宗廟として崇敬篤く、延宝5年(1677)造立の第三鳥居の右柱に、「神宮寺八幡大菩薩御宝前」と刻まれてあるごとく、かっては付属の神宮寺や各坊がありました。なお同鳥居神額の揮毫は、英彦山座主によるものです。
 また明和8年(1671)には、摂家門跡であります京都の「随心院御門跡」より御神燈2張の寄進があり、幔幕などに菊の御紋を付けることを許可され、御祈願所となりました。
 さらに天和4年(1784)には、神祇道管領吉田良延より「宝山総社八幡宮」と称し奉る旨の神宣を賜り、今御本殿の正面の額にかかげています。
 明治新政府社格制度では、「郷社」に指定されました。昭和天皇のご大典記念には、県下三社の内に加えられ大規模な神苑工事を行い、近年は駐車場・参道も整備され、今日に見るがごとき荘厳なるご社頭となりました。またアジサイの名所としても知られるようになり、6月中旬から7月中旬のシーズンには沢山のアジサイが咲き乱れ、俳句大会など「アジサイ祭」も催されています。

平成20年5月吉日建立 総社 宝八幡宮 宮司 甲斐素純

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 鳥居前のお手水がたいへん洒落ています。苔の生えた石垣で岩峰を表現し、半ばより現れた竜の口から樋を伝うて水が落ちているのです。しかも紫陽花の花を浮かべて、ほんに風流なことです。

 風化摩滅の進んだ狛犬は、お顔の表情もおぼろげになっています。なんとなく愛嬌が感じられますし、かわいらしいではありませんか。

 一方でこちらの狛犬の豪勢なことといったらどうでしょう。口を開けて歯を見せており、なんともいえない珍妙な表情がすてきで、こちらもいっぺんに好きになりました。

 口を閉じていれば、威厳のようなものが感じられます。でも、やはりどことなく愛嬌も感じられまして、親しみが湧くお顔であると存じます。

 境内奥には楠の巨木が立っています。太い幹や見事な枝ぶりが素晴らしく、町指定の天然記念物になっています。説明内容を転記します。

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八幡宮の楠

九重町大字松木 宝八幡宮
八幡宮管理
胸高周囲4.9m、樹高30m
九重町選定天然記念物

 クスノキ科玖珠郡の地名由来となっているのが楠で、伝説によるとその巨木の切株が「切株山」であるという(豊後国風土記)。
(中略) 
 町内の楠としては一番の巨木。

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 境内左奥からは、妙見宮(奥の院)への参道が延びています。ここからは急な山道になりますので、雨降りの日にはとても登れません。またいつか天気のよい日にお参りに上がりたいと思います。

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妙見宮ご由緒

八幡宮奥の院「妙見宮」(玉井神社)は、宝山(816m)の9合目、これより890mのところにあり、神秘的な洞穴の中です。途中5か所に末社(石造)があり、所要時間は約50分です。古来より霊験あらたかで、夏の土用3日には玖珠郡内は無論、日田・下毛・宇佐郡方面からも「霊水」を求めて、多くの人々が参拝していました。今でも7月下旬には、御下り・御上りの神事があります。洞穴からは、玖珠盆地・くじゅう連山・ワイタ山などが遠望できます。山道ですので気を付けて登山してください。

平成21年10月吉日 宝八幡宮 月次会

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 今回は以上です。瑞巌寺磨崖仏まで一気に紹介するつもりでしたが、長くなりすぎるので一旦切ります。次回もこのシリーズの続きを書きます。