大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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中臼杵の名所めぐり その1(臼杵市)

 このシリーズでは中臼杵地区の名所旧跡を紹介していきます。当地区は大字武山・中臼杵・吉小野・久木小野(くぎおの)からなります。有名は観光地はありませんが、石幢をはじめとする石造文化財の数が多く、しかも優秀作・めずらしいものがいろいろあります。中臼杵地区と隣接する大分市吉野地区も石像文化財が多いところですから、吉野・中臼杵をセットで巡れば楽しい1日を過ごすことができるでしょう。

 

1 王座の石幢

 臼杵インターを下りたら国号502号を野津方面に少し行き、高速の高架をくぐってすぐ長酒店の角を右折します。山の中の道をしばらく進んで大字吉小野は王座部落のかかり、左に板川野部落への横道が分かれる角に「王座」の小さな看板が立っています。電信柱に隠れて見落としやすいと思います。もし右側に民家が見えたら行き過ぎですので、どこかで転回して後戻ってください。反対方向からならすぐ分かります。横道に入ってすぐ路肩ぎりぎりに寄せて駐車したら、車道の切通しに沿うた坂道を登ります。台地上に立派な石幢が立っています(冒頭の写真)。 

 まるで饅頭笠のような大きな笠が立派で、よう目立ちます。それにひきかえ中台はほんにささやかな感じがいたします。このように笠と中台の比率が極端な石幢は、臼杵市内でたくさん見つけることができました。この地方ならではの個性なのでしょう。それにしてもこの石幢は保存状態が良好で、笠を打ち欠くこともなく、火焔を伴う宝珠もよう残っています。

 説明板の内容を転記します。

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県指定有形文化財 王座石幢
所在地 臼杵市吉小野字地蔵崎218
指定年月日 昭和55年4月8日指定

 この石幢は六地蔵塔とも笠地蔵塔とも呼ばれている石造物で、大字吉小野の王座地区に所在しています。総高2.56m、車輪形をした台座の中央に直径約0.5m、長さ1.5mの塔身を立て、その上に円形の中台と、8つの面に6体の地蔵像と2体の二王像を浮彫りした仏龕部を載せ、さらにその仏龕部を覆うように直径1.35mもある大きな笠石を重ね、頂部に宝珠を載せている大きな石造塔です。
 塔身には「応永三十三年午丙十一月八日■秀大願主敬白妙了」(応永33年=1426年)の銘が刻まれています。市内でいちばん古い石幢です。鎌倉時代に隆盛した地蔵信仰の形態が、室町時代に入り石幢を通しての信仰形態に変化していったものと考えられます。
 一般的に石幢は、集落の出入り口や街道沿い等に安置されることが多く、地蔵菩薩が六道(地獄道・餓鬼道・畜生道修羅道・人間道・天上道)を輪廻転生する衆生を救済するということから地蔵の六つの分身を彫り出し、この塔を信仰するようになったものと言われています。

臼杵市教育委員会

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 一点補足しますと、「二王像」と申しますのは十王様のうちの二王様の意味で、仁王ではありません。六地蔵様に加えて冥界の審理に携わる十王様の数体を浮彫りにした事例は、方々で見られます。では龕部を見てみましょう。

 確かにお地蔵様とは異なる像、二王様が彫られています。向かって左は杓をとっており、閻魔様でありましょう。内刳りを施した大きな笠で守られているので、諸像の状態はすこぶる良好です。

 なお、切通しの反対側の崖上にも何らかの石造物が見えました。墓碑のような気がしましたがはっきりと分かりませんでしたので、もう少し藪の薄い時季に、上り口を捜してみようと思います。

 

2 久木小野のマンダラ石

 マンダラ石はこのシリーズの目玉です。よそではなかなか見られない珍しい石造物ですので、ぜひ見学をお勧めいたします。王座の石幢を過ぎて道なりに行き、川野部落のはずれで突き当りに出ます。これを右折、大字久木小野に入ってほどなく道路右側に標識が立っています。

 このすぐ横に1台分の駐車スペースが整備されています。ここから車の通れない細道(簡易舗装)を下りていきます。

 下りついたら田んぼに沿うて進み、向こう側の山すその累代墓のところから右に行きます。少し歩けばマンダラ石の標識がありますので左折して、山道を少しあがれば正面に覆い屋が見えてきます。

 山道の距離は知れたものですし、特に滑り易いようなところもなく安全に通行できました。でも雨降りのあとはやめておいた方がよいかもしれません。

 説明板の内容を転記します。

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県指定史跡 久木小野マンダラ石
指定年月日 昭和41年3月22日
所在地 臼杵市大字久木小野字山中1471

 凝灰岩の岩肌を利用し、胎蔵界大日如来を中心とする種子マンダラをはじめとして、色々な彫刻が施されている。この中に「大施主良舜 文安三年八月彼岸日七十五歳」「追善妙忠■■忌丁卯十一月十五日」という刻銘が認められるところから、良舜という僧が大施主となり、文安3年(1446)8月彼岸から翌年11月15日までの間に、これらを彫刻したことがうかがえる。また、彫刻が終わった文安4年という年は、永享7年(1435)の嫗岳合戦で戦死した人々の十三回忌にあたることから、その供養のためにマンダラを刻んだものと推定されている。

臼杵市教育委員会

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 こちらがマンダラ石です。中央の梵字以外は薄れてきてしまっていますが、マンダラが描かれていることははっきりと分かります。これは素晴らしい。

 なんとマンダラ石は表面のみならで裏面、側面にもたくさんの梵字が彫られていました。夫々の内容は説明板を読んでも分かりませんでしたが、状態は良好です。

 マンダラ石のそばにはたくさんの岩が折り重なるように並び、そのほぼ全ての面にびっしりと梵字が彫られていました。梵字に明るくないので内容は分かりませんでしたけれども、たいへんありがたい感じがいたしました。写真では分かりにくいと思いますが、実物を見れば文字の一つひとつがよう分かります。一部、ほぞ穴のようなものをこしらえた岩もありまして、一体どのような意図であったのか判断に迷うところです。

 線彫りで磨崖連碑をなしているところもあります。この写真では、左側の岩のそれが分かり易いと思います。

 別の岩にも磨崖連碑が見られます。これは卒塔婆なのでしょうか。文字に墨を入れていますが、地衣類の侵蝕によりだんだん見えづらくなってきているようです。

 ほんとに、岩という岩に梵字が彫られています。

 この岩には梵字の中に普通の漢字も彫ってありました。たとえば左端の「十王」など、すぐ分かると思います。これは最初からこうなっていたのか、または後刻であるのか判断に迷います。説明板にはマンダラ石以外の内容が書かれていなかったのが惜しまれます。内容を詳しく知りたいと思いました。

 

3 板川野の石造物(イ)

 マンダラ石から吉小野方面に進みます。左側に「おせよキムチの店」を見てすぐ左折して、板川野部落に入ります。道なりに坂を上ると、左側に板川野公民館があります。その坪に駐車させていただきましたら、道路の反対側にいろいろな石造物が並んでいます。

三界萬霊之塔
大正十年 旧正月十一日

 公民館少し手前の墓地入口には三界万霊塔が3基並んでいました。大正以降の三界万霊塔は珍しいのではないでしょうか。 

 公民館のすぐ向かい側の台地状に五輪塔庚申塔が寄せられています。「延福寺跡」の小さな看板がありました。階段を整備してくださっていますので、簡単に見学できます。

 銘がすっかり消えてしまっています。庚申塔と思われます。

 庚申塔が何基も倒れてしまっていました。ほかにも五輪塔など種々ありましたが藪に埋もれがちです。後家合わせと思われる塔もありました。崩れたものを積み直す際に入れ替わってしまったのかもしれません。

 

4 板川野の石造物(ロ)

 車を置いたまま、車道を歩いて進みます。道なりに右に折れた先から、右方向に分かれる舗装路を上がると石幢が立っています。

 石幢は中台が後家合わせであるのが残念ですが、まずまず良好な状態を保っていますしその立派なことに驚かされました。両脇の板碑型の石造物は供養塔の類と思われます。この後ろの杉林の中を歩けば、公民館のそばの石造物のところに出ます。したがってこの石幢も延福寺に関係があるのかもしれません。車道からのアプローチがやや離れていますので、この記事では便宜上別項扱いにしました。

 この石幢は笠に垂木が表現されています。これは王座の石幢にはなかった特徴です。大きな笠に護られて、龕部のお地蔵様は良好な状態を保っていました。後家合わせと思われる中台はやや傷んできておりますけれども、卒塔婆のよな文様が僅かに確認できました。これほど立派な石幢ですけれども文化財には指定されていないようです。

 

5 半三の石幢

 板川野公民館から「おせよキムチの店」まで後戻って、左折します。県道25号に突き当たったらまた左折して、しばらく道なりに行きます。足立建築のすぐ先を左折して旧坂を登り詰めれば半三(はんざ)部落で、ここは大字中臼杵のうちです。半三公民館のすぐ手前を右折して少し行くと右側に堂様があり、その坪に石幢が立っています。

 保存状態がすこぶる良好です。この塔は今まで紹介した2基の石幢よりは笠の直径が小さいものの、内刳りが深いので龕部をしっかりと蔽っています。しかも中台もやや大きめで、上下のバランスがたいへんよいと思います。龕部の写真を撮り忘れてしまいましたが、六地蔵様と二王様の計8体が浮彫りになっており、しかも二王様のうち1体は横向きに表現されているというたいへん珍しい特徴があります。実物を確認すればすぐ分かります。

 

今回は以上です。中臼杵地区にはほかにも興味深い石造文化財がたくさんありますので、ある程度写真がたまったら続きを書くつもりです。次回は上南津留地区のうち、掻懐(かきだき)の名所・文化財を紹介します。