大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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下堅田の名所と堅田踊り その2(佐伯市)

 今回も下堅田の石造物、主に庚申塔と、その塔のある地域の堅田踊りについて紹介していきます。特に地蔵ノ元の庚申塔は、本匠村は元山部(もとやまぶ)の庚申塔と同様に、南海部地方はおろか大分県内全域で見ても特に古い庚申塔のひとつです。庚申信仰に興味関心のある方にはぜひ見学していただきたいと思います。

 

5 西野の石造物・イ(地蔵ノ元)

 下堅田公民館から県道を青山方面に進みます。ガソリンスタンドを過ぎて、右の側道を上がって橋を渡ります。道なりに行き、西野部落のかかりにて、田んぼの中に木が見えます。この辺りのシコナを地蔵ノ元といいます。木のねきに庚申塔や石幢が並んでいるので、すぐ分かると思います。車は、一旦通り過ぎて西野公民館のあたりに停めるとよいでしょう。

 3基の塔が並んでいます。銘は左から「庚申塔」「奉待青面金剛塔」「奉造立庚申待人数講也」で、右の塔が特に古く天正4年(1576年)の造立とのことです。本匠村は元山部の庚申塔と同様、南海部地方における庚申信仰の嚆矢といえましょう。

 説明文の内容について、より分かり易いように少し改変して記載します。

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庚申塔 佐伯市西野区

 向かって右端の庚申塔は昭和48年1月1日に、佐伯市より民俗文化財の指定を受けました。この塔は凝灰石造りで、高さ78cm、幅57cm、厚さ19cmの板碑型です。正面には「奉造立庚申待人数講也」「天正四年丙子○二月吉日」、そして信者18人の名前が刻まれています。県内では古い庚申塔のひとつだといわれています。残りの2基の造立年は宝暦12年および享和3年です。
 庚申信仰は、青面金剛あるいは猿田彦神とも深い結びつきを持っています。昔、庚申講は輪番の座元で行われ、床の間に猿田彦神の掛軸をかけて、お灯明をあげ、お供物(お神酒・お洗米・牡丹餅・搗き餅・小豆飯)をしました。神仏への信仰と寄合行事をからませた大切な集いとして、庚申信仰は農村に浸透していきました。
 なお、この場所には高さ2.2mの石幢(六地蔵塔)もあり、2体の石造地蔵菩薩も安置されていて供花が絶えません。今なお地区民があつく信仰を続けています。

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 すぐ横に立つ石幢です。竿、龕部、笠、すべてが矩形で、どっしりとした印象を受けました。少し傷んできていますけれども龕部の状態は比較的良好です。

 お地蔵様がごく浅い浮彫りになっています。衣紋の細かい線も丁寧に表現されており感心いたしました。1面あて2体ということは、合計8体の像が彫られているはずです。ですから大野地方で盛んに見かけるタイプの石幢と同様に、こちらも六地蔵様のほかに二王様(十王様のうち2体)も彫ってあると思うのですが、ちょうどその面が裏側になっているようで、確認が困難でした。

 

6 西野の石造物・ロ

 お塔さまから西野公民館まで戻り、車を置いたまま先に進みます。両側を民家に挟まれた道が突き当りになったところを左折しますと、左側に個性的な像容の仏様が2体並んでいます。

 たいへん素朴で、愛らしいお姿でございます。元々の造形に加えて、長年風雨にさらされたことにより風化してこのようなお姿になったのでしょう。台座には銘が刻まれ、南海部地方で盛んに見かける三界万霊塔か一字一石塔の類と思われましたが、お供えで文字が隠れており確認できませんでした。

 お参りをしたら僅かに後戻って、カーブミラーを右折、道なりに行けば右側に仏様と庚申塔が並んでいます。

 左の、上に仏様の乗ったものは三界万霊塔です。先ほど紹介したものと同様に上の仏様の風化摩滅が進み、却ってその愛らしさ、優しい雰囲気が強調されています。さてもありがたい仏様でございます。中央は、お室の前面右側に「三界万霊」と彫ってありました。塔ではなく、このような形式のものは初めて見ました。中の仏様はシンプルな表現で、とても優しそうなお顔です。右は庚申塔で、銘を全部読み取ることはできませんでしたが末尾の「庚申」の文字は分かりました。

 

○ 西野の盆踊りについて

 西野では公民館の坪で、8月14日に踊っています。西野の踊りは下堅田で唯一、長音頭を除くすべての踊りが男女に分かれておりまして、本来は男踊り、女踊り…と交互に踊っていました。ところが人口の減少等により男女別では輪が立たなくなったので、今はすべてを男女一緒に踊っています。演目は、段物「男だんば」『女だんば』、小唄「牡丹餅顔」『しんじゅ』「与勘兵衛」『花笠』「だいもん」、段物(長音頭)、小唄『花扇』「お市後家女」『きりん』「小野道風」『花笠』「ご繁昌」の順に踊ります(カギが男踊り、二重カギが女踊り)。男だんばは房飾りのついた長い棒(采配)、花笠は扇子2本、花扇ときりんは扇子1本、ご繁昌は手拭いを持ち、ほかは手踊りです。今は踊りの種類が減った関係で、男踊りと女踊りを交互にするために花笠を2回踊りますが、それでも余興の長音頭を入れて13種類もあり、2時間たっぷりかかります。かつては『いろは』「新茶」『浮名』「チョイトナ」『帆かけ』も踊り、合計18種類を数えましたので3時間はかかったそうです。

 西野の堅田踊りは男踊りと女踊り夫々所作が全く異なりますうえに、ほとんどが手数の多いものばかり(例外は段物と、牡丹餅顔、だいもん)でたいへん難しいので、覚えるのは容易なことではありません。男踊りは両手を交互に振り上げながら歩く所作が目立ち、その切れ目が紛らわしいし、女踊りになりますと半ば当て振りめいた間合いの撮り方が目立ちますので、よほど練習が必要です。どの踊りもよいのですが、特に「花扇」の、途中で親骨1本残して畳んだ扇子を右肩あたりまで逆さまに引き上げて、左手で右の袖をとって右足を引き、ぐっと後ろに傾いてシナをつける所作など何ともいえない色気があります。

 8月14日の夜は、座敷踊り風の踊りと野趣に富んだ踊りが交互に繰り広げられ、見事な踊り絵巻で公民館の坪が華やぎます。でも、揃いの浴衣などではなくめいめいに、浴衣がけもあればアッパッパもあり、Tシャツもあり…と、まったく気取った雰囲気ではありません。部落ごとに個性豊かな堅田踊りの中でも、西野の盆踊りはわたしの一押しです。

「いろは」
〽アリャドッコイ いの字がエ いの字がエ ヤレサテナ
 いの字で言わば サイナ
 いつの(ドッコイ) 頃より つい馴れ初めて(ドッコイ)
 ソレジャワ ソレジャワ
 今は思いの種となる 恋じゃえ ソリャ

 

7 府坂の庚申塔

 車に乗って西野部落を抜け、田んぼの中の道に出たら右折してずっとまっすぐ進んで橋を渡り、県道に返ります。右折した先が府坂(ふさか)部落の中心部で、右側に分かれる旧道沿いに家屋が密集しています。これを過ぎてすぐ、道なりに橋を渡る直前で左折しますと、ほどなく道路端に5基の庚申塔が並んでいます。

 5基のうち1基が刻像塔で、あとの4基は文字塔です。お隣の直川村では刻像塔を盛んに見かけるのですが、堅田谷では刻像塔は珍しいと思います。左から順に詳しく見てみましょう。

 碑面の荒れが著しいのが惜しまれます。どうにか「猿田彦大神」の銘が読み取れました。造立年などの痕跡もありますが、詳細は分かりませんでした。

青面金剛6臂、3猿、2鶏、ショケラ

 風化摩滅が進み、地衣類の侵蝕も深刻です。しかし今のところは、諸像の姿は容易に確認できます。主尊はことさらに大きく、堂々たる立ち姿にて向かうところ敵なしの感がございます。きりりと眉を吊り上げ、どんぐり眼をはんびらきにしたお顔立ちのなんと勇ましいことでしょう。ヘの字に曲げた口許はいささかへそ曲がりの風情もございます。6本の腕はその重なりや指の表現など細部に亙って行き届いています。袈裟懸けにした衣紋は彫り口がごつごつして繊細さを欠いており、筋骨隆々たる体躯が衣紋越しにも分かるような気がいたします。

 鶏は仲良う向かい合い、見事な尾羽を大きく垂らして餌をついばんでいます。その下では猿が「見ざる言わざる聞かざる」の所作でしゃがみこみ、逆三角形に並んでいます。諸々の特徴を勘案して、直川村で見かける刻像塔と同じ文脈のものであると考えました。

奉拝●庚申青面金剛之塔

 1文字読み取れませんでしたが、蓋し「禮」でありましょう。「庚申」と「青面金剛」、どちらも取り入れた銘は珍しいような気がいたします。以前、直川村や宇目町庚申塔を紹介するときにも申しましたとおり、この地方の文字塔は銘がバリエーションに富んでいて、たいへん興味深うございます。

奉祈進庚申塔

 「進」の字のみ自信がありません。「しんにょう」は簡単に読み取れましたが、右上の部分が曖昧です。字形から推しておそらく「進」であろうと判断しました。

拝造立庚申青面金剛之塔

 この塔のみ、銘の頭の梵字が容易に確認できました。やはり地衣類の侵蝕は深刻ですけれども、この並びの文字塔の中では銘の状態がもっともよい部類です。それにしてもささやかな字体でございます。

 

○ 府坂の盆踊りについて

 府坂の盆踊りにはまだ行ったことがありません。盆の14日から16日にかけて府坂周辺をうろうろしたことが何度もありますが、音頭棚を見つけることができませんでした。もしかしたら13日に踊っているのかもしれません。演目は「高い山」「与勘兵衛」「大文字山」「小野道風」「淀の川瀬」「坊さん忍ぶ」「数え歌」「わが恋」「お染久松」「大阪節」「長音頭」の11種類を数えますが、全て残っているかどうかは不明です。このうち「大文字山」と「わが恋」のみ、盆明けに運動公園で催さる「堅田踊りの夕べ」で、府坂の方々の踊りを見たことがあります。「大文字山」は他部落の「一郎兵衛」とか「だいもん」と同様、流行小唄「大文字屋節」でした。府坂では、くるりくるりと手首を返しながら千鳥に進んでいくところなど、浮かれ調子にてたいへん軽やかに踊ります。また「わが恋」は端唄で、電球を灯した提灯を竿にさげたものを持って踊ります。その提灯をくるりと回してかたげるところなど、ほんに風雅なよい踊りです。

大文字山
〽ここは京町 大文字屋のかぼちゃとて その名は市兵衛と申します
 背は 低うても ほんに見る目は猿眼
 アラヨイワイナ サーヨイワイナ ソレ

 

今回は以上です。下堅田地区は写真のストックがなくなったのでお休みにして、次回からは緒方町の名所を数回に分けて紹介します。