大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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小富士の名所めぐり その2(緒方町)

 引き続き、小富士地区の名所を紹介します。今回は庚申塔、石風呂、磨崖仏(断石)、石橋…と盛りだくさんです。緒方町は名所だらけ・史蹟だらけで、自然環境も素晴らしいので、観光に訪れれば1日中楽しめます。原尻の滝を眺めるだけでは勿体のうございます。ぜひ、いろいろな文化財や自然景勝地を訪ねてみてください。

 

4 年野の庚申塔

 前回紹介した大久保の庚申塔から南に進んで、棚田の中の道をくねくねと下っていきます。下り着いたところの突き当りを右折して坂道を上っていけば大字辻の年野部落に出ます。民家の裏の崖上を通る狭い道になりますので運転に注意を要します。突き当りを左折すれば少し先の道路端に塚が見えます。この塚の上に庚申塔が5基ほど倒れて土に埋もれかけており、そのうち3基は銘が確認できます。駐車場所がなく、農繁期には近隣の方の迷惑になりそうな場所ですので、バイクか自転車の方がよいかもしれません。通り過ぎて塚を振り返れば、斜面の上に塔が倒れているのが下からでも見えます(冒頭の写真)。銘を確認するには塚の上に適当によじ登るしかありません。

道●
文化四丁卯天
奉待青面金剛供養
十一月吉日

 上向きに倒れているので碑面の傷みが少なく、右下に彫られた「道」の下の字が分からなかったほかは容易に読み取れました。「奉」の上には梵字もくっきりと残っています。どうも右上を打ち欠いているようですが銘にかかっていないのが幸いです。素朴な字体で碑面いっぱいに文字を彫ってあり、前回紹介した大久保の庚申塔とはまるで印象が異なります。

寛保三●天
南无青面金剛(以下不詳) ※无は異体字
十二月(以下不詳)

 土に埋もれて全部読み取れなかったのが残念です。「南无青面金剛」の銘ははじめて見ました。きっと珍しいものだと思います。右下には「廣頼」とか「衛門」の字が見えます。講中の人名がずらりと並んでいるのでしょう。すべての銘がささやかな字体ですけれども、梵字は太く彫って墨を入れています。

奉待青面金剛●●塔

 2文字不明瞭でしたので伏字にしましたが、蓋し「供養」でありましょう。路上駐車して急いで見学したので、枯草等を除去できませんでした。

 塚のねきには宝篋印塔の残欠が置いてありました。既に信仰も絶えて久しいようです。

 

5 蜘蛛迫の鼻欠け地蔵

 年野の庚申塔で折り返して、切通しを抜けたところの突き当りを左折します。道なりに下っていき右に田んぼを見ながら進めば倉園部落にでます。ここも大字辻のうちで、正面には原尻橋がかかっています(南緒方その1で紹介しましたので今回は省きます)。右折して県道7号の現道と交叉し、川べりに膨らんだ旧道を行きます。すると右側に磨崖仏の断石と思われる仏様が安置してあります。

 説明板がなく詳細は分かりませんが、おそらく道路を通すときに崖を削ったか何かで、磨崖仏を切り出して粗末にならないように安置したものではないでしょうか。ここも倉園部落のうちで、蜘蛛迫というのは小字かシコナでしょう。確かに鼻が欠けているほか、全体的に風化摩滅が進み像容が不明瞭になってきています。でもお花があがり、近隣の方の信仰が続いているようで嬉しくなりました。新道ができる前は、通りがかりの方も手を合わせていたと思います。

 なお、この近くには緒方井路の取水口があって、そのすぐ側にも鼻のかけた磨崖仏があります。適当な写真がないので今回は省きます。

 

○ 民話「蜘蛛迫の鼻欠け地蔵」(大野地方の言葉について)

 緒方町誌(区誌篇)に、渡辺一弘さんによるお話が掲載されていました。おもしろい話で、しかも大野地方の方言の特徴がよく分かる内容ですので、引用します。

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 昔ん昔んそん昔、じいさん、おとったん、そんまたおとったん、数えきれんくれえ昔んことじゃった。
 蜘蛛迫ん緒方川は、今こす水量も少ねえしおとなしいけんど、そん頃ぁお前、とてつもねえ大川じの。大波小波ん水がお前、どっとんどっとん流れよったんじゃ。そん波ん打っつくる岩穴にお前、手足を拡ぐると三里四方もある途方むねえ蜘蛛い住んじょっちのう。通りかかった人間、男じゃろうが女じゃろうが、若かろうが年寄りじゃろうが食うちしまいよったんと。
 残されたもんな泣きの涙じゃ。そうれんを出したんじゃと大けな蜘蛛にゃたち打ちできんけんち諦めちのう。
 そんな時じゃ、ウルトラマンじゃねえけんど正義の味方、あん地蔵様い立ち上がったんじゃあ。体は小さいけんど力持ち。全身これ智恵んかたまりじゃあ。
「阿漕なこつうするにも程がある。先祖伝来のこんだんびら、切るる切れんな鍛冶屋い知っちょる。」
だんびら片手に胸張っち、のっしのっしと岩穴目指しち乗り込うだ。
 岩穴ん蜘蛛ぁたまがったのなんの、こん俺に歯向かう人間がおるんかち思うち手ぐすね、いんにゃあ、蜘蛛ん巣引いち待っちょった。蜘蛛ん巣の言うにゃあ、
「こん蜘蛛ん尻かり出したりする品のねえこたあせん、口かり吹くんじゃ、それもあけえ糸をのう。」
 丁々発止とやり合うたが、地蔵様ぁすきを見ち蜘蛛んふとこりい飛び込うじ、心臓めがけちくたばれち突き刺したんじゃ。
 まいったまいった。蜘蛛は急所を突かれちまいったが、最後の力を振り絞っち地蔵様めがけち、あけえ毒の糸を吐きかけた。それい地蔵様の鼻に当たった。
 地蔵様の鼻ぁみるみる溶けちしもうたんと。
 それじ、今ぜん蜘蛛迫ん地蔵様ぁ鼻欠け地蔵様なんじゃと。蜘蛛がおらんごつなったんじ、蜘蛛迫になったんじゃと。

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 大野地方の言葉で語られています。一口に大分弁と申しましてもいろいろと地域差があります。大野地方の言葉は「吉四六さん」のお話でお馴染みです。蜘蛛迫の鼻欠け地蔵さんのお話は、特に分かりにくいところはないと思いますが、勘違いされるかもしれない表現を少しだけ説明します。

○ 冒頭の「蜘蛛い住んじょっちのう」をはじめとして、多々出てくる「い」という格助詞は主格を表します。すなわち「蜘蛛が住んでいてなあ」の意です。この「い」は大野地方一帯の言葉の特徴で、国東半島などでは使いません。

○ 半ばの「ふとこりい」は「ふところに」で、つまりこの「い」は「に」の転訛です。格助詞の「い」とは意味が異なります。

○ 「阿漕なこつうする」の「う」は、「を」の意味の格助詞です。「阿漕なことをする」の意味になります。この「う」は大野直入地方意外でも使います。

○ 「飛び込うじ」のように、通常であれば撥音便「飛び込んで」と言うところをウ音便で発音する言い回しは、大野地方以外では現在ほとんど聞きません。「とびくうじ」と発音します。

 

6 辻河原の石風呂

 鼻欠け地蔵から先に進めば、長瀬橋の手前右側に駐車場があります。この駐車場に車を置いて、横の道を少し歩いて公園のへりに沿うて行けば辻河原の石風呂があります。以前、上戸の石風呂を紹介しました。それと同じように、蒸し風呂形式の所謂「塩石」です。

 岩壁に穿たれた浴室には煤がついています。日常的に使用しているわけではないようですが、今でも正月に地域の方が使用されているとのことです。小高いところの龕の中には宝塔が2基並んでおり、神経痛治癒等の霊験を期待してのことと思われます。

 説明板の内容を転記します。

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辻河原の石風呂

阿蘇溶結凝灰岩は癒しにも利用されています
この石風呂は、阿蘇-3溶結凝灰岩の崖に掘りこまれたもので、下の火室で薪を燃やし、焼けた敷石の上に石菖という薬草を厚く敷き、水を掛け蒸気浴として入浴します。腰痛・筋肉痛・神経痛・疲労回復などの効用があるといわれ、昭和初期まで盛んに利用されていました。現在は正月に地元の方々が利用しています。石風呂横には宝塔があり梵字も岩に刻まれていることから、崖上にあった普済寺(戦国時代に消失)と関係がある仏教施設ではないかと推定されています。石風呂は瀬戸内海沿岸に広く分布する文化ですが、内陸部の緒方町地方に、唯一利用されている辻河原を含め11か所もの石風呂が集中しているのは珍しい現象です。

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 現役の石風呂はここだけとのことです。説明板の画像にもありますように、使用する際には蒸気が逃げないように入口に筵を下げます。入口上部の縁取りの切り欠きは、筵を垂らす棒をひっかけるためのものなのですね。

 宝塔の左上には位牌型の枠を線彫りして、その中に梵字の文字列が見て撮れます。また、宝塔の龕の真上にも線彫りで何かが刻まれています。おそらく屋根と宝珠でしょう。

 

7 長瀬橋

 車を置いたまま、長瀬橋も見学されることをお勧めします。この石橋はすぐ横に現役の橋がかかっているので、車窓から眺めてさっと通り過ぎてしまいがちです。けれども6連アーチのたいへん立派な橋であるばかりか周囲の牧歌的な風景と相俟ってたいへんよい景観ですから、ぜひ実際に歩いて渡っていただきたいと思います。

 この橋は旧小富士村・上緒方村の境界にあたりまして、大正12年に両村が協働して架橋しました。緒方町には多連アーチの石橋が何基もありますが、その中でも長瀬橋は最長で78m強もあります。壁石の積み方が布目になっており、欄干も凝った意匠ですからたいへん洒落た印象を受けました。また、橋脚の造りを見ますと上流側は水切りの工夫がなされています。こういったことは、車窓から見るだけでは分かりません。

 

〇 盆口説「かますか踏み」

 川魚といえば鮎、エノハ、イワナなど種々ありますが、緒方町周辺では昔からカマツカもよう食べたそうです。大野・直入地方ではカマツカのことを「カマスカ」と呼びます。この魚は川魚にじっとしているので、足で踏み押さえてつかまえていました。カマスカは竹田の白道さんというお医者さんが柳川から持ち帰った稚魚を川に放して、緒方川流域に増えていったという伝承があります。この由来が盆口説になっていて、「三勝」の節で広く口説かれています。

 緒方町では原尻の盆踊りが有名でその演目は10種類以上を数えますが、小富士地区でも同様の踊りが広く踊られていました。最近は踊りをやめてしまったところも多いのですが、今でも数か所に残っているようです。まことほんとに、大野地方の盆踊り唄は「三勝」の系統の曲がいろいろありまして、その節がいろいろに分かれて別個の踊りとして伝わっています。「かますか踏み」もその一つで、かますかを踏む所作を模して盆足を踏んでいく素朴な手踊りです。

盆踊り唄「かますか踏み」
〽やれなヨー やれしょな かますか踊り(ヨイトナ ヨーイヨイ)
 どうかどなたも一輪の願い(サマヤーンソーレ ヤンソレナ)
※以下囃子同じ
〽川べた今朝頃かますか踏みよ 水も出頃で踏みようござる これの元をば細かに問えば 豊後岡領はお城がござる お城町なら竹田とござる ここのお医者で白道というて 白道若うて長崎修行 三年修行もことなくすんで 帰り道筋柳川町で 食うた魚のその味のよさ 訊けば川魚清水に育つ わしが町にも川数あるに ここで育てばいつでも食える そこで白道子魚を探し 桶にゃ口付け速馬頼み 夜に目掛けて早や発ち帰る 前の川にと魚を放す 裏の川にも少しは放す 三月三年年月経って 近所小川やあの大川も 上は水口下川河口 増えて味増すかますか魚 語り伝えるかますか由来

 

今回は以上です。小富士地区は写真の残が少なくなったのでお休みにして、次回は中臼杵地区の石造文化財を紹介します。