大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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田野の名所めぐり その2(野津町)

 引き続き、田野地区の文化財・名所を紹介します。いずれも道路端で、簡単に分かるところばかりです。特に千光寺跡は、多種多様な石造文化財を見学できますのでお勧めの名所です。

 

4 千光寺跡の石造物

 前回の記事中で言及しました八合里公民館から、県道を川登方面に進みます。福良木バス停のところを左折して脇道を下っていき、山裾に沿うてずっと道なりに行きます。笠良木(かさらぎ)部落に入り、左を流れる小川を道なりに渡るところを直進すればすぐ右側に公民館があります。その坪が千光寺跡で、たくさんの石造物が残っています。敷地の奥には新四国の札所もあります。

 入口左側には2基の無縫塔と、石幢が並んでいます。石幢は中台から上が少し傾いておりますが、いずれも傷みが少なく良好な状態を保っています。

 このうち石幢について詳しく申しますと、竿と笠は円形、中台と龕部は矩形です。もしかしたら後家合わせなのかもしれません。笠は見事な饅頭型で、内刳りが深く、中臼杵や南津留方面で見かけるタイプです。距離的にも近く、同一の文化圏であることが覗われます。写真では分かりにくいと思いますが、この石幢でもっとも注目すべきは龕部です。矩形の龕部の場合、1面あて2体の像を彫ってあるのを大野地方で盛んに見かけます。すなわち六地蔵様と二王様(十王様のうち任意の2体)、しめて8体の像を陽刻してあるのがお決まりのパターンですが、こちらは2体彫ってある面と1体のみ彫ってある面があって、4面で六地蔵様を表現してあります。ふつう、六地蔵様のみの場合は龕部が六角柱か円柱になっているのがセオリーですが、このように矩形の龕部に六地蔵様のみ彫ってあるのは珍しいのではないでしょうか?

 入口右側には庚申塔や三界万霊塔が並んでいます。手前の銘は「庚申塔 上當村中」で、後ろの塔は中央の小さな矩形の枠の中に「奉●●庚申待」の銘を確認しました。左のひときわ大きい塔は「三界萬霊十方至聖等」つまり三界万霊塔(無縁塔)で、この場合の「等」は「塔」と同義です。

 狛犬は毛並の渦巻き模様が見事で、良好な状態を保っています。その後ろには台座にもたれかかるように、頭部が破損した仏様が安置されていました。お弘法様かもしれませんが、詳細は分かりません。

 奥の一段高いところの御室には、お薬師様がお祀りされています。こちらは野津町全域に点在する新四国八十八所の札所になっています。この新四国は「吉四六さんの八十八ケ所めぐり」として札所ごとに標柱が整備されており、それぞれ近隣の方の信仰が篤く整備が行き届いています。札所めぐりをしてみたいので、もし地図やパンフレット等があれば入手したいと考えています。お薬師様の右隣りの碑には「正霊天王大明神」と彫ってあります。この呼称は聞き覚えがなく、調べてみたところ八大龍王様と関係があるようです。左奥には大乗妙乗塔もあります。

 

5 花の木の庚申塔

 千光寺公民館から後戻って、二股を左にとります。広々とした畑地の中を突っ切って、県道に出たら左折します。左折して、青看板に従って県道204号へと右折します。道なりに行くと、右側の田んぼの向こう側の道路端に庚申塔群が遠目に見えます。庚申塔の近くに適当な駐車場所がありませんので、左側の路側帯が広くなっているところに車を停めて歩いて行くとよいでしょう。

 文字塔が6基、刻像塔が1基、しめて7基の庚申塔がずらりと並んでいます。元からこの場所にあったのか、道路工事等でこちらに移して安置したのかは、一見して分かりませんでした。文字塔の銘はすべて「庚申塔」で、向かって左奥の1基のみその上に梵字を彫ってあります。

 刻像塔はこの庚申塔群の中央にて、しかも立派な御室の中に納まっており、ことさらに鄭重にお祀りされています。御室の唐破風には彩色が施され、宝珠の辺りの装飾も見事なものです。

青面金剛1名6臂、2鶏、3猿、ショケラ

 こちらの庚申様は、つい先日紹介した川登地区は割後場部落や垣河内部落の庚申塔と似通ったところがあります。もちろん細部は異なりますけれどもデザインの方向性が同じであることから、野津町周辺で流行したデザインなのかもしれません。主尊のお顔や上半身の前面、体前に回した腕が大きく破損してしまっているのが惜しまれますが、左手に提げていたショケラの痕跡はかすかに残っています。

 上部から見ますと、赤く色づけた日月に伴う瑞雲がずいぶん風変わりな表現になっています。主尊の御髪は櫛の目も鮮やかに、まるで洗濯岩のような雰囲気が感じられます。外に伸ばした腕は、腕輪を黒く塗ってあり、手に取った武器も細やかな彫りでよう分かります。衣紋の裾を段々にしてドレープ感をささやかに表現してあるのもよい工夫であると感じました。

 主尊の両脇ではかわいらしい鶏が戯れ、特に向かって右の鶏は膝を曲げて、鶏なりに主尊に遠慮して体を低うしているような気がしてきて、微笑ましいではありませんか。下部では正面を向いた猿が蟹股で深くしゃがみ込み、見ざる言わざる聞かざるのポーズをとっています。

 

6 水地の石造九重塔

 花の木の庚申塔から来た道を後戻って、県道633号に突き当たったら右折します。水地バス停のところに「九重塔」「金明孟宗竹」の立派な標識がありますので、その角を左折します。少し行けば道路端に立派な石造九重塔が立っています。すぐそばに公民館がありますので、見学の際には駐車することもできます。

 説明板の内容を転記します。

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国指定重要文化財 石造九重塔
所在地 臼杵市野津町大字王子字中馬場3089番地
指定年月日 昭和29年9月17日指定

 この塔は総高6.12mを測る大きな塔で、鎌倉時代の文永4年(1267)に建立されたものです。
 江戸時代の中期、寛保元年(1741)に臼杵藩の郡奉行であった太田重澄によって著された『臼陽寺社考略記』によると、当時この地には延萬寺(圓満寺)という寺院が存在していたことが記されています。その延萬寺は、天生年間の島津氏侵攻により消失したと伝えられています。しかしながら現在の小字名に「馬場」という名前が残っていることからも、かなり広範囲の寺域をもった寺院であったことがうかがえます。
 塔の基礎は壇上積式と呼ばれる構造で、初層の軸部四面には、中央部分を舟形に彫りくぼめ、蓮華坐に坐す半肉彫りの仏像を彫り出しています。四面にはそれぞれ、東面に薬師如来、南面に釈迦如来、西面に阿弥陀如来、北面に弥勒菩薩が浅肉彫りに陽刻されています。また西面には「起立文永卯月八日僧定仏敬白」と記銘が残されています。
 昭和40年頃に南側への傾斜が著しくなったため、昭和41年1月12日から2月25日まで解体修復工事を行っています。

臼杵市教育委員会

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 明るい時間帯に見れば、初層の四面仏がよう分かります。訪れたのが日暮れ前で、仏様の見える写真に適当なものがありませんでした(手ブレが激しく掲載には不適)。それで、やむなくシルエット状に写ったこの写真を掲載いたします。細部は分からないものの、これはこれで、なかなかよい雰囲気であると存じます。もし見学に訪れる場合は、コスモスの時季の夕焼けの時間帯(この写真よりもう少し明るいとき)をお勧めします。

 県内には、このような多層塔が方々に残っています。中でもこちらの九重塔は、佐伯市は上岡の十三重塔や、国東町は吉木の九重塔などと比肩する大型のお塔であり、しかも相輪の尖端に至るまでほぼ完璧な状態で残っています。野津町を代表する石造文化財といえましょう。みなさんに見学していただきたいと思います。

 九重塔のすぐそばには、石幢の龕部などが後家合わせに積まれた石造物が残っています。説明板にあった島津氏の侵攻の際に破損したお塔の残りなのかもしれません。

 

7 岩瀬の金明孟宗竹

 水地の公民館のすぐ先を左折します。岩瀬部落に上がり着いてすぐ、標識に従って左折し、民家の横を通っていけば駐車場があります。ここから遊歩道が整備されており、美しい竹林を散策することができます。

 説明板の内容を転記します。

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大分県指定天然記念物 野津町のキンメイモウソウ

 金明孟宗は、孟宗竹の突然変異によって発生したといわれています。
 昭和45年頃、町内岩瀬地区で生息しているのが確認されました。その後、雑木の伐採など環境整備を行った結果、昭和52年頃には約700本まで増え、現在ではさらに多くなっています。
 金明孟宗の特徴は、竹字体や葉に条線が入っていることで、その条線の入り方による「金明竹型」と「縦縞型」の2種類に分けられます。
 現在、金明孟宗の生息地とされているのは福岡県、高知県、宮崎県など西日本に多く、その他数か所でしか確認されていません。また、生息地のほとんどが「金明竹型」か「縦縞型」のいずれか1種類しか確認されていないのに対し、岩瀬地区の竹林にはその両方が存在しており、学術的にも価値が高いとされています。

指定年月日 昭和52年3月31日 大分県指定天然記念物
所在地 大分県臼杵市野津町大字王子1210(岩瀬)
管理者 西山順一

○ 金明竹
 全体が黄色で、1間節おきに緑色の太い条線が入るもの。
○ 縦縞型
 節間全体に黄色と緑色の細い条線が多く入るもの。

臼杵市教育委員会

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 整備が行き届いた、たいへん美しい竹林です。日暮れどきに訪れたので薄暗い写真になってしまいましたが、もう少し明るい時間帯に行けば、金明孟宗竹の美しい模様がもっとよう分かります。

 ところで、竹林の整備はたいへん手間がかかります。土地所有者の方のお蔭様で、遊覧者も気持ちよく散策させていただくことができています。貴重な天然記念物でありますから、遊覧の際には遊歩道を外れないようにして、マナーを守りたいものです。

 

今回は以上です。田野地区のシリーズは、写真のストックがなくなったので一旦お休みとします。次回は田原地区(大田村)のシリーズの続きを書きます。

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