大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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八坂の名所めぐり その2(杵築市)

 八坂地区の名所旧跡・文化財の続きを書きます。前回から半年以上空いてしまいました。今回は庚申塔を中心に、石塔類がたくさん出てきます。

 

5 穴井の地蔵さん

 杵築駅から市街地の方に進みます。運動公園入口付近の左側に、道路端に龕をこしらえてお地蔵様をはじめとして宝篋印塔、庚申塔、牛乗り大日様などがお祀りされています。一般に「穴井の地蔵さん」とか「穴井地蔵」と呼んで親しまれています。車は、少し手前の路側帯が広くなっているところに停めることができます。

 この辺りは下本庄のうちで、字を穴井と申します。田平坂経由で宗近に上がる坂道と、中平に上がる坂道との分岐点付近であり、昔から交通の要衝です。前を通る道路が拡幅する以前は、もう少し奥行きのある龕であったそうです。ところが道路拡幅により元の龕は全て削り取られたので、法面に龕を作り直したのです。

 最も大きい龕には12体のお地蔵様がお祀りされています。おそろいのおちょうちょをかけて、交通安全を見守ってくださっています。よそに移されてもおかしくないものを、わざわざ龕をやりかえてまで元の場所にお祀りしたのは立派なことであると思います。石仏にしても石塔にしても、意味があってその場所にお祀りされたのですから。こちらのお地蔵様は、昔、道路を歩く人が多かった頃は通りがかりの人のお参りも多かったそうです。今は歩行者を見かけることは稀になりましたが、近隣の方のお世話が行き届いています。

 宝篋印塔は風化摩滅が進み角が取れてきています。しかし今のところ、格狭間などの細かいところまでよう分かります。相輪は後家合わせかもしれません。

 こちらの龕には牛乗り大日様やお弘法様など多様な像がお祀りされています。向かって右端は、2臂で表現されており簡略的な造りではありますけれども、丸っこくて親しみやすいお姿です。その左隣の御室に収まった仏様も牛乗り大日様ですが、牛に跨るのではなく、背に胡坐の仏様が乗っているではありませんか。これまた型にはまらない表現がおもしろうございます。その隣は何の仏様か分かりませんけれども、上部に主尊、下部にやや小ぶりの像が2体彫ってあり、三尊形式をなしています。

 最も小さい龕にはいくつかの石祠と、その前面に庚申塔が立っています。庚申様単体でのお祭りはやんでいるようで、元々この場所にあったのか、道路拡幅によりこちらに移されたのかは分かりませんでした。

青面金剛4臂、3猿、2鶏

 素朴な庚申塔です。笠の千鳥破風には何らかの文様が彫っていた痕跡があります。日輪月輪はとこかなと思えば、主尊が両手で掲げているではありませんか。時間や天体をも統べる神怪しき力が感じられます。主尊の足元が帯状になっていて、そこに線彫りの鶏が2羽確認できます。猿はその下の枠の中に、見ざる言わざる聞かざるで仲よう並びます。下半身は今ぞ消え入らんとする儚さで、もののあわれを感じました。

 

6 合蔵社

 近くに適当な駐車場所がないので、穴井の地蔵さんからそのまま歩いて行きます。穴井の辻を左折し、中野・中平方面へと急坂を上ります。上り着いたら鋭角に左折して、線路道(軽便跡の車道)を進みます。

 こちらも下本庄のうちで、字は合蔵(あいくら)です。この道が軽便(国東線)の線路跡です。奥から手前に向かって歩いてきて、ここから脇道を上ります。すぐ左に折れて、道なりに右カーブして上れば鳥居が立っています。よほど気を付けないと、この上に神社があることは分からないと思います。

 境内は落ち葉が積もっていました。鬱蒼としていますので、季節柄致し方ないことと思います。参拝したら拝殿の左横に回り込みます。

青面金剛4臂、2童子、2猿、2鶏

 このお塔は笠が立派です。むくり屋根に唐破風がよう合うています。破風の中の文様こそ影が薄れておりますけれども、破風の下部にも装飾的な凹凸が施されています。碑面の縁取りの仕方も凝っています。日輪月輪・瑞雲のところからさらに一段彫りくぼめて諸像を配しており、その境目の縁取りと上部の枠の縁取りが対になっていることに注目してください。このような特徴を有する縁取りの庚申塔は、以前北杵築のシリーズの中にも出てきました。

 瑞雲はごく浅く、牡丹くずしの様相を呈しておぼろげな印象です。ちょうど月やお日様に薄く雲がかかって、ぼんやりとあたりを照らしているような風情がございます。主尊は三角帽を被っているのでしょうか、何とも言えない神妙なお顔立ちにて、風変わりな形状の三叉戟を高く掲げています。細い腕がなめらかなカーブを描き、力強さというよりは優美な雰囲気が感じられます。童子はほんにかわいらしく、一見して主尊と手を繋いでいるように見えますのも微笑ましいではありませんか。そしてめいめいに蓮台の上に立っていますので、さてもありがたい感じがいたします。

 猿と鶏は左右対称で、それぞれ向かい合わせになっています。レリーフ状の彫りですがよう残っています。全体的に対称性に留意したデザインで、様式美が感じられました。これだけ立派なお塔ですが下部が折損しており紀年銘が途切れていることが惜しまれます。

 境内には見事な枝ぶりの木が何本も聳えています。また、境内には社日塔(地神塔)もあります。

 

7 中野の宝塔

 合蔵社から線路道を引き返して、中平入口の辻(踏切跡)を右折します。ほどなく左側の木森の中に宝塔1基と古い墓碑3基が並び、鞘堂で保護されています。ここも適当な駐車場がないので歩いて来ましょう。こちらは下本庄のうち、中野部落です。

 塔身が矩形であり、全体的にずいぶん簡略化された素朴な造りです。風化摩滅が目立ち補修の跡も痛々しい状況ですけれども、どっしりとした重厚感があります。詳細は分かりませんが、供養塔として造立されたものでしょう。

 

8 白水の供養塔

 中平の旧道を進み、2つ目の角を左折すれば途中から車の通れない道になります。上り詰めたところが中平の善神王様(公民館を兼ねる)で、坪には庚申塔があります。中平は八坂地区ではないので今回は省きます。公民館から左に行けば、白水(しろみず)の池の荒手のあたりから下本庄は白水(註)に上がる坂道の途中に出ます。道なりに行けば、右側に正覚寺跡の墓地が広がっています。そのかかりに供養塔が立っています。

註)地図を見ると、馬場尾側(白水の池の北側)に「白水」と書いていることがありますが、白水は池の南側の地名です。

南無妙法蓮華経法界萬霊

 蓋し三界万霊塔の類でありましょう。この銘は珍しいのではないでしょうか。このお塔は比較的大型であるうえに縁取りを二段にこしらえてあり、しかも「南無妙法蓮華経」の優美な字体も素晴らしいと思います。

 

9 下本庄の地蔵堂庚申塔

 正覚寺跡の辻を左折して下れば下本庄の中心部落に出ます。突き当りを左折して右カーブ、左カーブの手前から屋敷の石垣に沿うて左に坂道を上れば地蔵堂が建っています。堂様の坪に庚申塔が立っています。

青面金剛6臂、2猿、2鶏

 このお塔は塔身と笠がアンバランスな感じがいたします。ようまあかやらずに笠が乗っていることよと感心しました。全ての像がレリーフ状のごく浅い彫りで、風化摩滅に加えて地衣類の侵蝕も著しく、全体的にぼんやりとしています。主尊は坊主頭で6本の腕が体の側面から上下に離れて左右にのびている点などさても不気味な風貌です。夫々の手の持ち物は残念ながら判然としません。下部では中央に2羽の鶏、その外側に猿が彫ってあるように見えましたが、もしかしたら見間違えているかもしれません。細部の確認は困難を極めました。

 昔は、60年ごとの大待ち上げの際にこの庚申様の周りに庚申石を置いていたとのことです。しかし、付近でそれらしい石を見つけることはできませんでした。付近にはツワが植えられ、ちょうど可憐な花をつけていました。

 

10 上り尾の辻の庚申塔

 地蔵堂の下から元来た方向へと道なりに進んでいきます。突き当りの辻に庚申塔やお弘法様が安置されています。

 いま、写真で言うと右側から来ました。奥に行けば七双子(ならぞうし)古墳、手前に下れば千光寺です。こちらの庚申様は立派に祭壇をこしらえてあり、手入れが行き届いています。

青面金剛2臂、2童子、3猿、2鶏

 小型の塔で、碑面はややざらざらしているものの諸像の状態がすこぶる良好です。日輪・月輪は円で表現し、瑞雲は確認できません。主尊は4臂のようにも見えますが、2臂と判断いたしました。青面金剛は儀軌によれば4臂が正確ですけれども、国東半島では6臂が優勢で、次に多いのが4臂です。稀に8臂や2臂の像もあります。2臂の青面金剛は国東半島ではごく少ないものの、大野郡ではときどき見かけます。むっちりとしたお顔つきで口をすぼめ、険しい表情で腕を直角に曲げ、三叉戟と宝珠を掲げています。胸板が厚そうな上半身に対して下半身はほっそりしています。三叉戟の下部には蛇が巻き付いているのでしょうか? 童子はお地蔵さんのような立ち姿で、神妙な表情で横に控えています。

 猿はものすごいガニ股で見ざる言わざる聞かざるの体をなし、中央の「聞かざる」がまるで頭を抱えて困っているように見えてきますのも面白うございます。鶏はレリーフ状の、ごくささやかな表現です。

 貞享4年、今から335年も前の造立です。お花立にはいつもお供えがあがり、庚申講は止んでも近隣の方の信仰が篤いようです。

 

11 遊喜庵の石造物

 車に乗って広瀬から農免道路を進み、新庄を抜けて今宮池の横の空き地に駐車します。少し歩いて、すぐ先の辻から右に上がれば遊喜庵という堂様があります。ここは大字日野は中野田のうちです。

 入口には庚申塔、その並びには蓮台の上に立つ仏様が半肉彫りになった碑が立っています。供養塔でしょうか。写真の左端の御室は、坪に集められた西国三十所の観音霊場の札所です。

青面金剛4臂、2猿、2鶏

 こちらの庚申様は、さても朗らかなる雰囲気にて拝見いたしますと心が晴れ晴れとしてきます。主尊の高貴な笑まいが素晴らしい。炎髪の輪郭線を線彫りで表し、その外側に光輪をこれまた線彫りで表しているのもおもしろいではありませんか。主尊は体を斜めによじらせて立ち、腕の付け根なんぞはこちゃ知らぬとばかりに太い腕を横に伸ばすという自由奔放な表現に、呆気にとられました。衣紋の裾まわりを二重にしてあるのもよいと思います。

 猿は主尊の足下にすがりつくように、体をくの字に曲げて戯れています。いたずら者の可愛らしい雰囲気が感じられます。鶏は下部に線彫りないしごく浅いレリーフ状の表現にて、写真では分かりにくいかもしれません。

 坪の外べりにはお観音様のお室がずらりと並んでいます。宝珠を欠ぐものが多いのが気になりました。けれども中の仏様は、いずれも細やかな表現が素晴らしく、立派なものです。

 御室の台座には一番、二番…と札所の番号が、側面には安政年間の紀年銘が彫ってあります(写真では見えづらいと思います)。近隣に開かれていた新西国霊場の札所を、道路工事その他の事情によりこちらに寄せたのでしょう。

 千手観音様です。この種の表現方法は方々で見られます。近隣で申しますと、観音渕の霊場の千手観音様がこのような表現になっています。

 

12 観音渕の霊場

 大字中は中村・出原(いでわら)の間にある観音渕の霊場は、過去の記事を参照してください。

oitameisho.hatenablog.com

 

13 天神山の石塔群

 穴井の地蔵さんから杵築駅方面に進み、ガード手前の三叉路を左折します。橋を渡って道なりに上り、出原鉄橋手前を左折してみかん山への農道を上がります。1つ目の角を鋭角に左折してさらに上れば丘陵上に出ます。ここは出原の天神様の裏山で、通称天神山と申します。広場になっているところに車を停めたら、左方向に少し下りますと墓地の中に石造三重塔やぐりんさんが寄せられています。

 三重塔はやや傾いておりますけれども状態は比較的良好です。五輪さんは古い墓標であり、三重塔は供養塔として建立されたものでしょう。

 串団子をみたような五輪さんは、三重塔と同じくらい存在感があります。以前、本匠村の記事の中で串団子型の五輪塔を紹介しました。それは後家合わせではなく元々その形状にこしらえたものです(火輪・風輪・空輪すべてが団子型)。ところがこちらは、水輪が串団子状になっておりますけれども火輪以上は通常の形状であり、7輪になっていることから後家合わせであろうと考えます。

 軸部に梵字などは確認できまんでした。或いは墨書されていたものが消えてしまったのかもしれません。国東半島内におきましては層塔は数少なく、まして八坂地区内ではこちらのほかに思いつきません。貴重な作例でありますから、これ以上傾いて破損することのないように願うばかりです。

 

○ 出原の柱松について

 8月14日の晩に、天神山で柱松が行われます。これは初盆供養の行事であり、供養踊りに先立って行われるようです。柱松と申しますのは長い竿の尖端に菰などを巻き付けたものを立て、先端を狙うて火をつけた小松明を投げます。この行事は大野直入地方が本場で、緒方町などでは今なお方々で行われております。ところが国東半島では出原に残るのみとなっており、たいへん珍しく貴重なものです。

 

今回は以上です。次回より竹田津のシリーズに戻ります。

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