大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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竹田津の名所めぐり その7(国見町)

 先日、西村の峠の辻にあるお六部さんの墓に行き当たりました。道順が飛び飛びになりますけれども、竹田津シリーズの続きを書いていきます。

 

19 赤崎神社

 竹田津港付近の旧道は、今は静かな通りですけれども明らかに昔商売をしていたであろう造りの民家がよう残り、昔の面影が偲ばれます。その通りの中ほど、崖上に赤崎神社が鎮座しています。赤崎社には金毘羅様、宮地嶽神社、おえべすさんなど多々寄せられており、地域の信仰を一手に集めているのです。氏子圏も広く、鬼籠にまで広がっています。浦手を代表する名所と言えましょう。竹田津港から旧道を歩いて行けば、右側に参道上り口があります。すぐ分かります。ただ、近くに適当な駐車場所がありません。迷惑にならない時間帯を考えて、フェリー乗り場の駐車場に停めさせてもらうよりほかないと思います。

 ここから上ります。赤い手すりが目印で、すぐ分かります。崖上に立派なお社が建っていて、そこから好展望が広がります(冒頭の写真)。

 鳥居の扁額は「神社」です。上り着いたらまずは左に行ってお参りをしましょう。そうしたら右に行って諸々の摂社に参拝し、右側から回って裏山に上がり庚申塔を訪ねることをお勧めします。庚申塔は次項にて紹介します。

 こちらの鳥居には「宮地嶽神社」とあります。このほか、右の方には天満社の石祠もあります。

 金毘羅さんとお恵比須さんです。いずれも漁業に携わる方の絶大なる信仰を集めてきました。金毘羅様の石祠の精巧な造りが見事です。また、お恵比須さんは国見町内の方々にその像が残っています。にっこりと笑うたお顔を拝見いたしますと、心が明るくなります。

 

20 浦手の庚申塔

 宮地嶽神社から右に行って回り込むように裏山に上がります。道なりに行けば墓地があり、その手前の山すそに庚申塔が2基並んでいます。

 小道に沿うたところですのですぐ分かると思います。やや不安定な立地にて、塔の下部に石を噛ませておりますけれども若干前傾しているように見受けられました。

青面金剛6臂、2猿、2鶏

 こちらは国見町香々地町でよう見かけるタイプの庚申様です。何基も拝見しておりますとさすがに既視感がありますけれども、細部には細かな違いがありますし個人的に好きなデザインなので、このタイプを見つける度に嬉しくなります。やはり北浦辺特有のデザインということで地域性に富んでおりますし、型にはまらない表現の工夫・個性があると思います。

 塔身はおおまかに申しますと5角形をなしており、頂点がややずれています。これは意図的なものでしょう。北浦辺では、このように左右非対称にこしらえたものをときどき見かけます。主尊の髪型は耳隠し風で、まるでヘルメットをかぶったようなボリューム感があります。ささやかな笑まいに優しそうな雰囲気が感じられます。また、合掌する腕以外の4本の腕がX型をなし、碑面いっぱいに広げてあるのもよいし、持ち物も大きく彫ってあり、細身の体躯にもよらでさても勇ましい感じがいたします。特に右手に持った蛇の大きさといったらどうでしょう、青大将か何か知りませんけれども、庚申塔の蛇としてはかなり大きい部類であると存じます。

 また、2匹の猿が主尊の裳裾に取りすがる様はほんにかわいらしく、まるで親にじゃれつく稚児を見たような愛嬌がございますし、めいめいに所作を違えてあり生き生きとしており素晴らしいと思います。鶏もまた尾羽の表現を左右で違えています。主尊の大きさに比べますと猿や鶏は小そうございますけれども、主尊と眷属とが分離することなく、すべてが一体となったまとまりが感じられる、よう工夫されたデザインであると改めて感じました。宝永7年の銘が確認できます。

青面金剛6臂、2童子、3猿、2鶏

 こちらは残念ながらひどく傷んでしまい、諸像の輪郭をやっと確認できる程度です。裏側も荒れがひどく、一部欠けています。このまま傷みが進むといずれ壊れてしまうのではないかと気にかかります。残部を見る限りでは、細かい彫りがなされていたようです。細工のし易い材質を選んだのでしょう。それがために傷みが進みやすかったと思われます。

 でも、これほど傷んでも粗末にされることなく、隣の庚申様と並んできちんと立っています。信仰を伴う石造物として、本来的な価値は保存状態の上下によらで等しいものであるはずです。そのことに留意して見学したいものです。

 

21 お六部さんの墓(西村の往還辻)

 以前、このシリーズの「その5」で「11 高島道の道標」を紹介しました。先にそちらをご覧ください。今回は、その道標の二又を左にとり、車の上がらない道を辿ります。この山越道は旧の竹田津隧道(水没しており通行不能)がほげる以前の旧道とのことです。

 掘割の様相を呈した、幅広の急坂が続きます。石がごろごろしていて歩きにくいものの、通行に難渋する場面は特にありませんでした。上の方に鉄塔がありますので、その工事の関係で拡幅された可能性があります。

 道標のお地蔵さんのところからせいぜい10分程度も歩けば峠に至ります。写真では分かりにくいかもしれませんが、石垣をついて道をこしらえてあります。今やその石垣も崩れがちですけれども、この道がいかに重要な道であったのかが分かります。

 峠から僅かに進んだところが三叉路になっており、そこに2基の墓碑が並んでいます。『国見物語第2集』を参考に寂しい旧道を歩いてきて、思いの外簡単に行き当たりました。しかも塔の状態が頗る良好であったので、たいへん嬉しく思いました。

方界禅門
 竹田津村 宗右ヱ門
      利平
      万右ヱ門

 こちらは右の墓碑です。行者の俗名は分かりません。竹田津の宗右ヱ門さん、利平さん、万右ヱ門さんが建てたお墓です。

覚源道本行者
 施主 西村 六兵衛
 宝暦十二午年
 三月廿三日

 こちらは左の墓碑です。右の墓碑よりも一回り大きく、存在感があります。銘が実に堂々たる字体で、しかも墨がよう残っています。極めて良好な状態を保っているといえましょう。260年も前の墓碑とは俄かには信じ難うございます。長い間、お世話が続いていたのでしょう。

 なお、西村と申しますのは麓の部落です。志半ばで亡くなったお六部さんを、西村の六兵衛さんが手厚く葬りこんなに立派なお墓を立てたのです。

武州江附日本橋
日本回国 俗名何右衛門

 武州は武蔵の国のこと、「江附」は江府、つまり江戸のことです。何右衛門さんは、江戸の日本橋から諸国巡礼の旅に出てはるばる豊後まで来たものの、この地で還らぬ人となりました。

 当時、お六部さんに出ることは相当な覚悟がいったと思います。生きて帰れないことも多々あったのでしょう。ところによっては、報謝を乞うて旅から旅のお六部さんを裾にする向きもあったかもしれませんけれども、国東半島は「お接待」の土地柄ですから、そういった巡礼者を手厚くもてなしました。また旧千灯寺は、豊後一円はおろか他国にまでその名を知られていたのでしょう。そういった土地柄ゆえでしょうか、国東半島の中でも国見町は、回国供養塔やお六部さんの墓が特に多いようです。昔の方のやさしい心根を今に伝える文化財ですから、郷土の誇りとして大切にしていきたいものです。

 

22 小高島の山神社

 道標のところまで後戻って、車で大高島方面に進みます。峠の三叉路を右折して進めば、竹田津交叉点から上ってきた道に出会います。突き当りを左折して小高島方面に下って行きますと、左側1軒目の民家よりも手前、右側に山神社への参道が伸びています。近くに適当な駐車場がありませんので、少し遠いのですが一旦下りきって、浜に駐車して歩いて戻るとよいでしょう。左側に気を付けながら歩けばすぐ分かります。

 参道入口から撮った写真です。やや荒れ気味の道ですが通行に支障はありません。ネットが張り巡らしてありますので、継ぎ目のところから潜り抜けます。すぐ上には庚申塔が立っています。

青面金剛6臂、2童子、3猿、2鶏、ショケラ

 半ばで折れた痕が痛々しく、風化摩滅が進んでいます。ても、以前は後ろの斜面に立てかけてありましたが、きちんと立て直して笠も載せ直しあります。しかもシメをかけ、新しい御幣もあがっていました。地域の方々の信仰が続いていることが覗えます。

 主尊はスラリと背が高く、腕をカクカクと曲げて三叉戟や宝珠をかかげています。ショケラはくの字に体を曲げ、その下部を童子が支えているように見えるのがおもしろいではありませんか。ショケラと縁取りに挟まれて窮屈そうな童子に対して、左の童子は余裕しゃくしゃく、袂を外向きに広げて堂々と立っています。猿はほんに小さく、見ざる言わざる聞かざるで並んでいます。その下には鶏が浅く浮き彫りになっていますが、台座との接合部にて見切れてしまっています。

 こちらも庚申塔です。風化摩滅が進みに進んだ塔身はめちゃくちゃに壊れてしまっていますが、岩に立てかけてあり、しかも笠にはシメをかけてあります。こんなに傷んでも粗末にすることなくお祀りしてあるのは立派なことです。

 鳥居の扁額の文字は風変わりな字体です。おそらく「山神社」と彫ってあるのでしょう。

 参道入口から車道をはさんで下手の大岩の上には、1体の仏様がひっそりと乗っていました。下手には畑の跡と思われる平場が段々になっています。

 

23 小高島のタブの木

 小高島の浜に下ると、道路端にタブの大木がそびえています。見事な枝ぶりに圧倒されます。いったい、樹齢何年になるのでしょうか?

 何度見ても素晴らしい。しかもその向こうには馬ノ背も見えます。

 タブのねきにはいくつかの石祠や碑が並んでおり、いずれも鄭重にお祀りされています。小高島と大高島。自然景勝地や石造文化財、堂様や神社など、よいところがたくさんあります。このタブの木のあたりも、高島を代表する名所といえましょう。

 

今回は以上です。次回も竹田津の名所の続きを書きます。

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